森の石版3
透明な何かが、石版から浮かび上がるように現れていた。白く輝く光が一つと十字形の黄色い光が二つほど見えて、それが宝石のように煌めいたと思った時には、その黄色い宝石を身にまとう、黒い人影が石版の前に浮かび上がっていた。
風に流れる癖のある長い艶髪、黒と紫が交差する奇妙な服、そして両手の甲に輝く十字形の黄色い宝石、そして背中に見える黒く大きな翼――。まるで黒い天使のような人物が、石版の前に浮かび上がっていた。恐らく女性なのだろうと思う体格だったが、確信を持てなかったのはその顔を白い奇妙なお面で隠していたからだ。目の部分と口の部分が黒い空洞で微笑んでいて、その額にも黒い十字の宝石が輝いていた。
その姿に驚いていると、くぐもった声が辺りに響いた。
「我が名はカイ……闇の女神を守護するもの……。闇を開放せんとする者達よ……。その器があることを、ここで証明せよ……!」
その黒い翼の女の声であることは明確だった。驚いている間もなく、黒い翼の女はその両手を大きく薙ぎ払った。
目を見張ってしまった。まるで空間が歪むかのような空気の流れ、それだけ空気の圧が変わるほどの力が働いているんだ。その様を見て、そして肌で感じる強い魔力の流れに背筋が凍った。
「あれは風魔法!」
叫ぶ私の声は次の瞬間、強風にかき消された。まるで竜巻が吹き荒れたのかと思うような突然の強すぎる風、髪もスカートももみくちゃにされるような感覚を覚えた直後、立っていることも許されず尻もちをついていた。
『スィ……フェンファー!』
隣で呪文を叫ぶミズミの声が響く。強く吹いた風を風の術で相殺するつもりなんだ――と、瞳を開けた時だった。
『ヴェンテンタス!』
その呪文にはっとして私はミズミに叫んだ。
――聞き覚えがあった。確か、この術は――!
「嵐の術よ!避けて!」
その直後、ミズミが放った風の術をまるで巻き込み、取り込んでしまうかのようなすさまじい暴風が吹き荒れた。慌てて構えた直後、辺りが強く光ってその業風を跳ね除けていた。ウリュウの結界が発動したんだ!
薄い壁の向こうで草木がちぎれて舞い上がる様が目に飛び込む。透明な風だけど、舞い上がる葉っぱや水しぶきの流れで、その暴風の勢いを知る。葉っぱが体にあたっただけで切り傷にでもなりそうな、容赦ない業風だ。
「ティナ! お前何故あれが嵐の術と分かった⁉」
暴風の向こうで、大声で叫ぶミズミの声が聞こえる。風の轟音に飲まれてかろうじて届く声に視線を向ければ、同じ様に結界の中で構えた姿勢のまま、私に横目だけ向けて叫ぶ姿に気がつく。
「思い出したの! 呪文を聞いて、あれは嵐の術だって!」
「対策は知ってるのか⁉」
「竜巻よりひどい嵐を瞬間的に起こす術で、巻き込まれると風の刃と舞い上がるゴミに体を傷つけられるの! あれは確か……風魔法最上級の術よ! ミズミの風の術は飲み込まれるかも!」
咄嗟に思い出した知識が口から零れて、自分でも驚いていた。でもそれに驚いている暇はない。こんな強い魔法を軽々と使う相手を、どうやら私達は倒さなくてはいけないようだ。ミズミも私が急に記憶を一つ取り戻したことに驚いているようだったが、それは二の次だ。
「結界がこれで壊れる! ティナ、基本物陰に隠れてろ! 回復の準備は怠るな!」
ミズミがそう叫んだ直後、外の業風が和らいだのが見えた。舞い上がる葉っぱがはらはらと勢いを止め、落下してくる姿に気がついた直後、私達の周りで光っていた結界がガラスのように砕けた。
「すごい術……! これ接近戦に持ち込まないときつい」
ミズミの隣に立つ男が既に低く構えていた。その隣でミズミは舌打ちして、両手首をまた握る素振りを見せた。
「流石……強い闇の力を守護する者……ってとこか。ハク」
「ん」
二人は短くそうやり取りして、次の瞬間、黒い女に突進していた。その動きに気づいた女は再びその両手を薙ぎ払った。たちまち空間を歪ませる空気の動きが見えて、突風のような勢いのある風が突撃してくる。私は慌てて原っぱ奥の木の陰に隠れた。
その間にも、ミズミは距離を詰めようと飛び上がっていて、ハクライは風を避けきれなかったのか、地面に低く構えてその風に耐えていた。風に彼の結んだ長髪が引っ張られるようになびくのと合わせて、その腕から赤い血筋が空に伸びた気がした。あの突風で切り裂かれたんだ――!
「耐えるな、かわせ!」
強い突風を避ける動きは、風よりも風らしく舞うような身のこなしだ。ミズミはハクライにそう叫びながら、既に腕には術の発動を構えていた。
『ファイラン!』
『ヴェンテンタス!』
ミズミの発動に合わせるように、闇の守護の呪文の声が響く。反撃の手も速い。
ミズミの腕から放たれた破壊の術は、業風に激突するとその風の勢いを押し返し、逆に嵐の術はそれに反発するように吹き荒れて、風の音とは思えないような地響きのような爆音を起こした。その様子に目を見張っていると、一瞬渦巻く風が起こって、髪が吸い込まれるような風の動きを感じた。直後、ふわりと驚くほど優しい風が吹き抜けて、原っぱの中心でぶつかりあった魔法の術は――お互いに打ち消し合って姿を消していた。
「相殺かっ……!」
舌打ちと共にミズミの悔しげな声が響く。まさか、彼女の術が相殺されるなんて思ってもいなかったからこそ、本気で私も焦っていた。今までどんな敵もあの破壊術で打ち砕いていたからこそ、彼女の術が効かないなんて、信じられなかった。
「ミズミ、どうするの⁉」
焦りから木の後ろから大声で叫べば、ミズミは唇を噛むばかりで無言だった。彼女も――私と同じことを思っているに違いなかった――。