妬族1
私とミズミは、薄暗い地下通路をライトの魔法も使わずに歩き続けていた。ミズミが言うには妬族に見つかると厄介なのでライトは使わない、ということだった。そして地下通路は下へ下へと階層が続いていることが分かったので、最終的な目的地は最下層になるだろうということも聞かされた。
既に二つ目の階段を見つけて、先程よりも地下深くに降りている。けれど景色はさして変わらない。見渡せば最初に入った場所と同様、壊れかけの石造りの壁がずっと続いている。光源は燭台ではなくて、埋められるように光の珠が頼りなく輝いていた。氷の洞窟でも見たけれど、魔力で造られた魔法の光だ。おそらく随分と昔に造られたのだろう。小さなゆらめきとともに、不規則に強弱をつける輝き方は、もうその魔法の仕組み、法則性自体が不安定になっている証拠だ。
「ライトの魔法なんてそんな複雑じゃないのに……こんなに揺らめいているなんて、相当昔に造られた魔法の光なのね……」
つい思ったことが口を付けば、前を歩くミズミが感心するように声を漏らした。
「流石だな、ティナ。そんな事を瞬時に見抜くとは。やはりお前の術は、相当レベルが高いようだな」
チラと横顔を見せそんな事を言う彼女に、私は少しばかり照れてニヤけてしまう。
「そお? なんだかミズミに褒められるとちょっと照れるな」
「ま、正確にはお前に術を仕込んだヤツがすごいんだろうがな」
「む、ちょっと、それって私は褒めてない?」
「少しは褒めてるぞ」
「何よ少しって」
相変わらずミズミが意地悪な発言をするものだから、そんなやり取りをして思わず口の端がお互いに緩んでしまう。こんな薄暗い場所で、そして怖い一族がいるというのに、彼女と一緒だとこうして笑うことができる。それだけで私は安心感を覚えていた。尤もミズミだけでなくて、いつも一緒にいるあの男性陣二人もいれば尚の事安心何だけど……。
そこまで思って、ふと疑問が口をついた。
「それにしても、ハクライとウリュウは大丈夫かしら?」
今回ばかりは一緒にいない仲間を心配すれば、前方を歩くミズミは何食わぬ様子で答えた。
「アイツらなら心配ないだろ。ハクライは気配を探るのは俺より上手い。妬族に気づけばすぐ隠れる。メイカなら気配消しの術も詳しい。戦うことにさえならなきゃ何も心配ない」
本当に何一つ心配していないようでサラリと言う様子に、私は感心して頷いていた。まあ確かに言われてみれば、あの二人ならそんなに心配はないか。そう思うとまた違うところに疑問が湧いてくる。私は質問を続けた。
「ところでその妬族ってどんな姿をしてるの? ほら、鬼族は角があったし、強族はなんだか体がゴツゴツして尻尾もあって魔物っぽい感じがしたし、喰族も姦族もそうだったけど、闇族って何かしら特徴があるんでしょ? 妬族も特徴ってあるの?」
好奇心から質問を投げれば、チラと私に振り向くミズミは少々目を細めていた。面倒くさそう、というよりは何処か不快感を感じた時のような雰囲気だ。
「あまり積極的に見たい姿ではないと思うぞ。俺は慣れているが、おそらく……ティナが見たら驚くだろうな。どちらかと言えば闇族の中では一番魔物らしい姿と言ってもいい……」
その言葉には嫌な予感しかしなくて眉をしかめていた。
「そんな事言われると……ちょっと見るのが怖いじゃない……」
「ま、遭わずに済むのが一番だろうな……。……ん……」
小さな声で話していたけれど、それでも息を飲むように動きを止めるミズミに、私まで慌てて口を抑え込んでいた。彼女のこの構えは魔物と遭遇した時と似ていた。
「……ミズミ……」
「しっ……」
呼びかければ案の定とでも言うべきか、ミズミにそれ以上の発言を止められた。彼女は物音一つ立てずに壁に近づき私の腕をそっと掴んで引き寄せた。壁の所々に光る魔法の光源が壊れかけた遺跡通路を頼りなく照らしていて、そんな光のちょうど当たらない薄暗い場所にミズミは壁に張り付くようにして立つ。そんな彼女の体の後ろに隠れるような位置に私を引き寄せるその仕草が、優しくもあり頼もしくもあり、それだけで不安が少しばかり和らぐ。
「……見てみたいなら物音立てずに見てろ。今に通路に妬族が現れるぞ」
背後の私に横顔を向けてそう囁くミズミの言葉の直後、妙な足音が聞こえてきた。まるで足を引きずるようなずるっずるっという不自然な足音。それと同時に奇妙な唸り声も聞こえてきて、それはまるで魔物のように思えた。
その足音は徐々に近付いてくる。ミズミが視線を向けるその先を私も同じように見ていると……この遺跡の住人が姿を現した。
確かにミズミが魔物に近い、といった理由がよく分かる。今まで見てきた闇族は、みんな人の形をしていて顔の表情もあったし服も着ていたし、何より人の言葉を話していたけれど、今視線の先で通路を横切ろうとしているその人は、人と言っていいのかも怪しいほどだった。
ぼんやりとした光源の下でも分かる、真っ赤な体、その体はまるで皮膚を剥がされて筋肉や血管がむき出しのような筋だらけで、遠目から見てもその表面が脈打つようにうごめいているのが分かる。その上髪も無いような丸い頭には瞳があるようには思えない。鼻すらなくて、いうなればドクロに筋肉の筋だけが走っているとでも言えばいいのかしら。手足は普通の人にしては長くて、右と左で均等ではないように思えた。それ故か歩く度に不安定に右へ左へ体がふらつく様は、まるで死霊系の魔物のように思えて不気味だった。その上何より恐怖を感じたのはその口だ。横から見ても分かるその姿、口は唇と思しき場所に牙が生えているように見えた。しかもうめき声とともに動かすその牙は、人の唇のように横に開くのではなく、縦に大きく口が裂けているように見えた。そんな姿を見ては、正直アレが人、と言われても正直受け入れ難かった。
恐怖で動けずにいる間にも、その真っ赤な魔物のような人は、不気味な足音を立てて横切っていた。
「……もう動いても大丈夫だろう。思ったよりも奴ら多いな……」
十分すぎるくらいの間を挟んで、茶髪の美女が小さなため息をついて振り向きながらそう呟いた。
「……ティナ、大丈夫か? 少々……衝撃的な姿だったか?」
少しばかり首を傾げるその様子は、私を気遣っているように見えた。私はようやく首を動かして小さく何度か頷いた。
「う……うん……ちょ、ちょっとアレはびっくりしたかな……」
まだ僅かな恐怖心で胸がドキドキしている私に、ミズミはまたも囁くような声量で続けた。
「見つからなければ心配ない。自ら獲物を探しに来るような奴らじゃないからな。とはいえ、ねぐらだけあって数が多い。……俺は奴らの気配探りに集中する。ティナ、しばらくお前とのお喋りはナシだ。黙って俺の後ろについて着てくれ」
そう説明するミズミの瞳が紫色の揺らめき出したのを見て、私は息を飲んでいた。この様子は彼女が戦闘態勢に入る時だ。それだけ気をはらなければならない状況だということに、私は恐怖と緊張で手が冷えてきていた。
「う、うん……。で、でも、万が一見つかった時は……どうしたらいい……?」
不安から尋ねる私の目の前では、彼女はもう歩きだしていて、私は慌てて彼女の後を追う。
「……逃げるのが一番だ。その時は指示する」
短く説明して、彼女はまた迷いなく歩きだしていた。