揺れる関係2
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「お客さん、まだ明かりつけとくかい?」
呼びかけられて、宿屋受付前の小さな椅子に腰掛けていた人物がわずかに首を向ける。時刻はもう夜も更けて、街も寝始める時間だ。宿屋はいつでも外に出られるよう出入り口に見張りが常時いるが、受付は別だ。受付ロビーの大きな明かりである中央の灯火の炎は二つとも、もう油も切れかけて弱くなっていた。受付係の若い男が、受付に置いてあるランプを消そうとして、思い留まるように客の茶髪に声をかけてきたのだった。
「ああ、そこのランプだけ頼めるか?」
振り向いた茶髪の人物が、細い髪の隙間から綺麗な緑色の瞳を向けてくるものだから、声をかけた宿の受付係は思わず瞬きしていた。服装こそ男性とも女性とも受け取れるような中性的な白い服だったが、細身で色白、その上声は男のように低くはなく顔も整っていれば、思わず女性ではないかと思われるのも無理はなかった。
「お客さん、こんなところで一人、何してるの?」
呼びかければ、椅子の背もたれに寄りかかりながら茶髪の人物は少々呆れがちに返してきた。
「仲間を待ってる。まだ外から戻らなくてな」
「一人で大丈夫かい?」
首を傾げる宿の受付係が随分と優しい声で話しかけてくるものだから、茶髪の人物は薄っすらと笑って首を傾げた。
「女だったら、まだ受付にいてくれと頼むだろうがな。気遣いどうも」
その言葉を聞いて、急に肩の力が抜けた男は、あっさりと一言挨拶をして去っていった。
そんな受付係を横目で見て、ため息を漏らした時だった。
「あれ、ミズミ。どしたの、こんなところで?」
目的の人物の一人が声をかけてきて、茶髪の人物は大きく息を吸い声の主に振り向いた。
「お前ら待ってたんだよ。随分遅いな、何処まで食いに行ってたんだ?」
呼びかければ、宿の入口からつい今しがた入ってきたばかりの長身の男が、紙袋片手に首を傾げて相棒を見ていた。
既に受付ロビーには彼ら二人しか姿はなく、弱くなった炎がぼんやりと空間を照らすばかり。自然と静かな夜の空気を醸し出していた。
「んー、町の西側に飲み屋が多くてさ。そこら辺飯食える所も多かったから、メイカと食い漁ってた」
言いながら隣の椅子に腰掛ける男を横目で見て、茶髪の美青年風な人物は目を細め、またため息を漏らした。
「金は足りたのか?」
「雪山で使ってた物、色々売ったら結構金になった」
「城から勝手に持ち出してないだろうな?」
「それはメイカに釘刺しといた。転送魔法使ってなかったから大丈夫」
「そのメイカはどうした?」
目的のもう一人がいないことをツッコめば、相棒の男は頷きながら答えた。
「まだ食ってる。食事は俺の方が早いから。先帰るよって行って置いてきた」
言いながら手にした紙袋を渡してくる男に、ミズミは首を傾げた。
「……これは?」
「お詫びとお礼。今日は遅くなったし。あと雪山で助けてもらったお礼、してなかったから」
思いがけない返しに、彼女にしては珍しく目を丸くして瞬きしていた。そんな相棒をいつもの調子でじっと見たまま、男は説明を始めていた。
「メイカ置いて先帰ったのも、これ買いに行ってたから。果物、大きい方がミズミの。小さい方がティナの」
その説明の間、紙袋の中を覗いていたミズミは、わずかながら口の端を緩めていた。そしてまた紙袋を閉じると、目を閉じるような表情で礼を述べた。
「……わざわざ気遣いどうも」
「どういたしまして」
そう言って無邪気に笑う男を一度だけ横目で見て、茶髪の隙間から見える緑の瞳をわずかに細めて俯いた。しかしその表情は暗くはなく穏やかなままだ。そんな相棒をじっと見たまま長身の男は首を傾げていた。
「この果物、ミズミ好きなやつかな? ミズミ基本的に果物ならなんでも食べるけど、一番好きなもの知らなくて。色々あったけど悩んでこれにしてみた。気にいるといいな」
ニコニコと無邪気に続ける相棒に、少々困ったような表情を浮かべて女は口を開いた。
「いや、こいつは明日の朝にでも……。それよりハクライ、俺に気を遣うな。別段果物なら何でも俺は構わんし、いちいちお前助ける度に礼をもらってたらキリないだろ」
「失礼な。そんな何回も助けてもらうほど俺だって弱くない」
即座にそう返す男は、少しばかり目を細めて呆れたような雰囲気だ。そんな様子を見て相棒の女も呆れて肩をすぼめるようにしていた。
「じゃあなんだって今回は……」
「飢餓状態、回避してくれたから」
その返しにミズミが息を飲むように言葉を止め視線を向けると、逆に長髪の男は相棒から視線を外し、自分の正面を向いて視線を床に落としていた。
「……あの時、ミズミが血を分けてくれなかったら、気絶から覚めた時、きっと俺、飢餓状態になってた。俺、ミズミは喰わないって誓ってたけど、それでもあの時助けてくれなかったら……一番自分がなりたくないことになってたと思う。だから、今回はちゃんとお礼したいんだ。ありがと、ミズミ」
この男にしては珍しい真剣な表情に、相棒の女は言葉無くただ彼の顔を見ていた。お礼を述べる時に視線を向けた男と、女は暫しの間見つめ合うようにしていた。