揺れる関係1
氷の洞窟に攻略に明け暮れること数週間。ようやく極寒の土地から私達は開放された。けれどそこで解読した氷の石版が次に示唆していたのは砂の大地。砂と言われて真っ先に思い浮かんだのは砂漠地帯だった。そう、私達は極寒の雪山から一転、今度は灼熱の砂漠地帯へと移動することになったのだ。
ウリュウの転送魔法を使って久しぶりのオアシスの町に到着したけれど、あまりの気温の違いにまずは体を慣らすだけでも大変だった。今まで着ていた服を脱ぎ捨てるようにすれば、乾いた暑い空気が体の汗を誘うように吹き抜ける。
「もー、こんなに服着てたら暑いー」
と、早速上着を脱いでいるのは私。
「まず水飲みたいですねぇ」
言いながら既にいつもの格好なのは細身の男ウリュウ。相変わらずの奇妙な服を、肩からひらひら袖をなびかせている。
「あ、前着てた服捨てちゃってた。ま、いっか。上半身なら裸でも」
と、服を脱いだはいいけれど着る服がなさそうなのは、長髪で長身の男ハクライだ。
「ティナもいるんだぞ、少しは着とけ」
相棒の長身の男に突っ込んでいるのは、美青年風の美女ミズミだ。
到着早々私達はにぎやかにそんなやり取りをして、以前奴隷商人を懲らしめた後に泊まったオアシスの宿に向かって行った。
砂漠の夜は日中の灼熱地獄と違って急に冷え込む。けれどつい数時間前まで雪山の極寒の土地にいた私達にとっては、涼しいくらいの気候だった。久しぶりに宿で美味しい食事(またあの砂入りパンは出てきたんだけど……)を取って、久しぶりにちゃんとしたベッドで眠れるだけで、ものすごく幸せな気分だ。
宿で食事を終え、部屋に入ったのは私とミズミだけだった。ハクライとウリュウはまだ食べてくると言って、夜の街に繰り出してしまった。
室内を見れば、照明となる大きめなランプが部屋の机に一つと、ベッド脇に小さなランプがそれぞれあるだけで薄暗い。砂レンガで作られたような建物は室内も茶色ばかりだったけれど、それでも机にちょこんと置かれている花瓶に、ちょっとした焼き物の変わった人形、少しでも客室を和むものにしてくれているその気遣いだけでも――今までいた雪山の洞窟とは明らかに違って――ここは人の居る場所なんだとほっとしてしまう。
「ふー……。こうやってふかふかのベッドで眠れるなんて、今日はいい夢見られそう」
部屋のベッドに横になり、思わずそんなことが漏れれば、既にベッドに腰掛けていた茶髪の美女がツッコんできた。
「いい夢見るより、自分の過去のことを思い出せる夢の方がいいんじゃないのか」
「それはそうだけど……どうせなら過去の良かったことを夢にみたいじゃない」
「旦那の夢か?」
そう言って私を見る美女の顔が意地悪に微笑んでいて、私は思わず言葉に詰まる。
「そういや以前は旦那との馴れ初めの夢を見てたっけな。お熱いことで」
「そ、そいういう夢ばっかりじゃないってば。どんな旦那さんだったのかなって、それが分かることも大事じゃない?」
思わず頬が熱くなるのを感じながら言い返せば、思いがけず真面目な声が飛んできた。
「旦那もそうだが……お前に術を託した存在を知ることも大事だろ。お前の使える魔法やその師匠が詳しくわかれば、お前自身を知る手がかりになる。……ティナ、お前に魔法を教えたのは誰なんだ? 兄か? 先生か?」
そう問いかけるミズミの声が、何故だろう、何処かきつい感じに聞こえて私は思わず唇を噛んでいた。
「そ……そう言われても……それは思い出せてないから、分からないってば……」
「治癒魔法と炎の魔法、教えてくれたのは同一人物なのか?」
「え……同じ人……なのかな……。思い出せないよ……」
「お前、前に言ってた神官ってのは、本当に大地の女神の神官なのか?」
私は胸の奥がきゅっと苦しくなった。不安に思っていた神官について聞かれて、その質問は胸を突いた。本当に私が神官だったのなら、仕えていた神様がどんな神であるか知っていて当然だ。でも私はそれを思い出せなかった。そのことに少なからず罪悪感があったからだ。
「え……」
かろうじて声が漏れれば、ミズミは鋭い目線のまま淡々と続けていた。
「肝心の大地の女神を思い出せなかったと言っていたな。本当は別の神の神官だった可能性はないのか?」
「べ、別の神って……例えば……?」
「闇族なら闇の女神、他にも地域によっては光の神の信仰がある場所もあると聞く。お前はどの神の神官なんだ?」
「そ、そういわれても……神様は……神様は…………わ、分からないよ……」
彼女とのやり取りの中、思ったよりもか細い声で答えている自分に気がついて、妙に心細くなる。ミズミがこんなきつい感じで私自身について問いかけてくることなんて今までなかったのに、急に連続で問いかけられて、まるで責められているように感じてしまったのだ。
彼女の問いかけに何一つ答えられなくて、私は思わず俯いて口をつぐんでいた。
「……いや、思い出せないならいい……。また思い出すきっかけもあるだろ」
言葉が続かない私に、今度は穏やかな声を彼女は響かせた。そっと顔を上げれば、思いがけず彼女は私に歩み寄っていて、私を立った姿勢のまま見下ろすような位置にいた。彼女を見上げれば、白くて綺麗な指先がそっと私の頬をなでた。見惚れるような綺麗な顔。いつもならこんな動きをされて、少しばかり照れてしまうけれど、今回ばかりはこの優しさに少し安心感を覚えていた。
「……ティナ……。すまないな、急に質問攻めして……」
囁くように呼びかけられて、私はまた視線を外して俯いた。無言でいればミズミは攻めることもなく問いかけることもなく、ただ私の頬を撫でてくれた。無言のこの優しさに、私はようやく深く息を吸って、少しばかり気持ちを落ち着けることが出来た。
「……色々聞いてくれて、私のこと心配してくれての質問だとは分かってるけど……でも、思い出せないの……。なんか、ごめん……」
「お前が謝ることじゃないだろ」
少しだけおかしげに鼻で笑う声がして、その声色にやはり安心して、私は視線を上げた。そのまま彼女を見つめれば、優しい表情のまま強い眼差しでミズミは私を捕らえた。その表情に一瞬見惚れた時だった。静かに、でもはっきりと彼女は言った。
「……一つ約束する。お前がどんな種族だろうと、ティナ、お前は俺の仲間だ。必ずお前が望む道を支えてやる。……安心しろ」
その言葉は私の心を揺さぶった。不安に思った直後のこの表情、このセリフ――彼女の強い意志が伝わって、胸が熱くなった。今の服装だけで見れば本当に見惚れるような美青年。彼女に惚れる女性の気持ちが……私には分かる。
「……ありがとう、ミズミ……」
頬が熱くなっていることを自覚しつつ、それでもお礼を伝えたくて口を開けば、ミズミは薄っすらと微笑んでその指先を離した。
「先に寝ててくれ。今日はハクライもメイカも外に食事に行って遅い。俺はアイツらを待つ」
そう言い残し、彼女は部屋を出ていった。一人部屋に残された私は、遠くから響いてくる町の喧騒を聞きながら深く息を吸い、不安を追い出すようにそれを吐いた。
「……私は……ミズミ達、闇族とは……違うんだものね……」
当たり前のことだけれど、種族の違いを彼女の発言から感じ取り、そしてこの部屋に一人だけ残されて、初めて孤独感を覚えた。私は――この大陸でひとりぼっち――闇族ではない別の種族なんだ……。
――お前がどんな種族だろうと、ティナ、お前は俺の仲間だ――
それでもミズミは、私を仲間だと言ってくれた。彼女のこの言葉が、どれだけ今の私を支えてくれるだろう。彼女の言葉を思い出しながら、私はぎゅっと枕を抱きしめていた。