再生2
『フェンファー!』
また少し離れたところからミズミの呪文の声が響く。追いついてまた壁から顔を出せばまた一人の喰族が倒れていて、それを見下ろすように茶髪をなびかせて彼女が真っ直ぐに立っている。その姿を確認して、即座に両手に構えていた治癒魔法を彼女に向けて発動する。
一瞬、彼女は私に視線を向けた。まだ紫色で揺らめく瞳が私を見て、微笑んだように見えた刹那、即座にまたミズミは駆け出していく。速すぎて本当に追いつくだけで精一杯、私は息も切れ切れに叫んだ。
「待ってミズミ、何処⁉」
「こっちだ!」
声を頼りに駆けていけば、次の彼女の居場所に気がついて私ははっとした。確かハクライが喰族のリーダーと向き合っていた場所だ。それに気がつくのとほぼ同時に、彼女の次の呪文が響いていた。
『フェンファー!』
「ミズミ⁉」
ハクライが叫んだ声が聞こえて、私は広い雪道に飛び込んでいた。呼吸で忙しい肺を落ち着かせながら視線を上げれば、あの喰族のリーダーとハクライの間にしゃがみ込むようにしているミズミの姿が見えた。おそらく屋根から落ちるようにして、睨み合う二人の間に割り込んだんだ。そんな彼女の居場所を確認して、私は即座に治癒魔法の準備をしていた。
「ミズミ、腕……!」
ハクライも私と同じように明らかに驚き動揺していた。そんな彼の目の前でミズミはゆっくりと立ち上がりながら、彼に背を向けたまま声をかけていた。
「迷うな、ハクライ。全力で打て。守りたいものがあるならな」
ちらと背後のハクライに視線を向けるミズミの横顔には、とてもあの重症の体とは思えないほどの気迫がある。鋭い瞳にきつく結んだ唇、即座に視線を敵に向けるその仕草までも、全てに迷いがなく攻撃的な雰囲気があった。
「……ん」
そんな彼女の様子に後押しされたのか、ハクライがわずかに姿勢を落とし、低く構えた。そんな相棒に、彼女は微笑んだ様に見えた。しかしその直後、怖い声を響かせる。
「俺のいる町に勝手に入り込んで食事とは、随分と横柄な輩だな。目障りだ。殺されたくなければ仲間と共にここを去れ」
目の前で低く構えたまま牙をむき出しにしている短髪の喰族に、ミズミが負けないくらい威圧的に言い放つ。正常な左手は強く握りしめ、まだ血の流れる右腕はまだ握りしめずにわずかに手のひらを開いていた。やはりまだ痛むんだ。私は右手に向けて術を発動していた。
その間にも、彼らは向き合って互いに様子を窺っていた。恐らく彼女の放った術に押し切られたのだろう、崩した体制を整えるように構え直す喰族のリーダーは、その両手の爪を彼女に向けて口を開いた。
「さてはその一匹狼の仲間か。喰族が多種族とつるむとは……愚かな」
その言葉にミズミが鼻で笑うようにして続けた。
「ああ、悪いがコイツは俺の仲間だ。お前らと違って自制が利く。コイツは獣と群れるほどバカじゃないんでな」
挑発するような発言に明らかに乗せられた男は、その牙から唸り声を響かせて体を震わせた。そんな喰族の男から目線をずらさずに、ミズミは背後のハクライに声をかけていた。
「術で隙を作る。痛めつけて刃向かう気をなくせ」
「分かった」
ミズミに答えるハクライの声に、私は一瞬だったけれどホッとしていた。迷うような声色じゃない。ミズミといい連携をとって戦う時の、あのいつものハクライだ。そしてミズミの指示がいつもと違う。仕留めろと殺すような促しがない。同族を殺すことにためらいがあるハクライを気遣って、あくまで追い払うことが狙いなんだ。
「舐めるなガキがぁああああ!」
恐ろしい雄叫びにギクリとして視線を向ければ、喰族のリーダー格がミズミめがけてあの低体制で突っ込んでくるところだった。ミズミはわずかにその構えを変え、あの痛々しい右手を突き出していた。
『フェンファー!』
彼女の呪文の直後、またも竜巻のような突風が巻き起こり、突進してくるあの喰族が風を避けようと上空に跳び上がった。それを目で追っていたミズミは、今度は左手を下から上に流すように構えて呪文を唱えていた。
『トゥアン!』
初めて聞く呪文だった。途端、空間が歪むような音がして黒い光がミズミの左手から放射線状に敵に伸びる。それは禍々しい闇の波動だった。
「ぐうっ!」
落下してくるその体制から、喰族の男にその波動が体に当たり、男は苦痛で顔を歪めた。その直後だった。男の体に何かが一閃したと思った直後、その肩から腕にかけて一筋の赤い線が見え、次の瞬間には真っ赤な鮮血が吹き出した。
「ギャァアアア!」
やはり獣の鳴くような声を上げ、男は地面に転がり落ちた。見ればその肩から腕にかけて深い切り傷があり、その男を背後にするように、ハクライが地面にしゃがみこんでいた。
そう、ミズミの術が当たった直後、ハクライは即座に飛び込んで、男の肩を爪で切り裂いたんだ。
痛みでまだ雪積もる地面に転がっていた男に、ミズミは回転するようにして鋭い蹴りを一発繰り出した。その流れるような動きは、彼女が回し蹴りをしたと気付かないほどの素早さだ。その威力に、喰族の男は町の城壁のような氷の岩まで吹き飛んだ。細身とは言え体格差のある長身な男を蹴り一発で蹴り飛ばし、当たった壁にひびが入るほどの衝撃だ。衝撃とともに口から漏れた悲鳴が、リーダー格の男が受けた傷の深さを物語っていた。
「さあ、どうする。仲間と共に今去るなら、見逃してやる。まだ刃向かうなら、次は殺す」
言い放つミズミの威圧感が、後ろで見ていても怖いほどだ。容赦ない冷徹な声、後ろからは見えないけれど、恐らく紫色に燃やしているあの憎悪に満ちた瞳を思い出して、私まで背筋に悪寒が走る。そんなミズミの脅しを聞いて、短髪の喰族は憎々しげに瞳を細めた。
しかし、そんな反抗的な態度は一瞬だった。男はその後、壁から崩れ落ちるように地面に這いつくばると、そのまま四つん這いになって遠吠えのように一声鳴く。すると、その声に反応するかのように、喰族の仲間が彼同様、傷ついた体を引きずるようにして彼の周りに集まってきた。そしてリーダーは彼らに何か指示をすると一瞬ミズミを睨みつけ、仲間とともに雪深い森の中へ走り去ってしまった。
――無事、追い払ったんだ――!
「……終わったな……」
「ミズミ!」
一仕事片付いた風に呟くミズミに、即座にハクライは駆け寄り、私も遠くから彼女のもとに走り寄った。その間にもミズミは地面にしゃがみ込むように姿勢を下げ、それに気付いたハクライがすぐに手を伸ばして彼女の体を支えた。
「ミズミ、大丈夫?」
両手で抱きかかえるようにミズミに手を伸ばすハクライは、わずかに眉を寄せて、心配そうな声を出していた。そんな彼の胸により掛かるように崩れ落ちるミズミは、急に脱力したように見えた。瞳を閉じ深く息を吸うその様子は、やはり辛そうだ。そんな様子では声をかけずにはいられなかった。
「ミズミ、体はどうなの、腕は一体……」
「心配ないよ、現在進行形で再生中だから」
答えたのはミズミではない。急な声に私もハクライも振り向いていた。見ればいつの間にそこに現れたのか、細身の男が通していない服の袖を揺らしながら、広い雪道の真ん中に立って私達を見ていた。
「仕事が片付いたなら、早いとこスティラ様を休ませよっか。無茶させられないから」
そう言って細目を更に細める男は、珍しく薄ら笑いも浮かべず、真剣な表情だった。