841.転売屋は空を飛ぶ
街から少し離れた街道の上に漆黒の巨大な翼竜が佇んでいる。
駆け出しの冒険者が見れば恐怖の対象だろう。
その鋭利な爪は容易く人を切り裂いてしまう。
その口からかすかに見える牙は、どんな物でも簡単に砕いてしまうに違いない。
そしてその巨体がぶつかってきたら人の体などひとたまりもなく踏みにじられる。
ドラゴンとは本来そう言う恐怖の対象なんだ。
まぁ、中級以上の冒険者にもなればそれが恐怖から好機に変わるんだろうけど。
もちろん一人で戦えるような冒険者は一握りだ。
俺の周りにそういう人がいるから当たり前のように思ってしまうが、普通はそんな簡単に戦えるような魔物じゃない。
恐怖と畏怖の対象。
そんなドラゴンが、俺の前にその身を静かに横たえる。
よく見るとその背に何か乗っているのがわかるだろう。
即席で用意された物だが、まるであつらえたようにその背中に収まっていた。
「シロウ、早く乗るがよい。」
「乗れって言ってもどこから登るんだ?」
「どこでもいいんじゃが、仕方ないバーン、その手を貸してやれ。」
「グルゥ。」
手というか翼だな、真っ黒いそれが俺の前に降りてきたのでしがみついた次の瞬間。
勢いよく上に引っ張り上げられた体は、一足先に宙を舞った。
翼をつかんでいたはずの手は空を掴み、飛べないのに無様にじたばたと手を動かしてしまう。
最高点まで達したら今度は重力に従い下へ。
あ、やばい。
そう思った時にドスンと思ったよりも柔らかい場所に腹から落ちた。
ちょうど手を伸ばした先に鞍があり、必死になって自分の体を引っ張り上げる。
なんて命がけなんだろうか。
「こりゃバーン、もう少し丁寧に乗せんか!」
ディーネに怒られバーンがシュンと首をもたげてしまった。
改めてしっかりと鞍にまたがり改めて周りを見渡すと、倉庫の屋上から見るのと同じぐらいの高さにいた。
思ったよりも高い。
バーンが恐らく心配しているであろう顔で俺を見てくるので、鱗を撫でて大丈夫だと意志を伝える。
眼下には心配そうな顔をしたミラとハーシェさん、それと好奇の目で俺を見てくるアネットとエリザの姿が見える。
マリーさんは遠くて表情までは確認できないが、まぁ心配はしてなさそうだ。
「シロウ、かっこいいわよ。」
「素敵です!」
「そりゃどうも。」
「どうかくれぐれもシロウ様をお願いします、落とさないでください。」
「その心配には及ばん、私も一緒に行くからの。」
「よろしくお願いいたしますディーネさん。」
「うむ、シロウの子を次に孕むのは私じゃからな。では行くぞ、しっかりつかまっているのだぞ!」
まぶしい光と共にすぐ隣に真っ赤なドラゴンが姿を現した。
ディーネは空に向かって吼えると、深紅の翼をはためかせてゆっくりと浮かび上がる。
そして、それを追うようにバーンもまた羽ばたき始めた。
最初はエレベーターが上に昇るような軽い浮遊感だったのだが、瞬きをする間もなく内臓を下に忘れてしまいそうなぐらいにドンと急上昇していた。
みるみるうちに地上が見えなくなり、灰色の雲の中に飛び込んでいく。
目の前が真っ白になり、微かに深紅の体が見えるだけ。
それもすぐに終わりを迎え、いつも見る灰色の空とは対照的な鮮やかな青空が視界いっぱいに広がった。
飛行機に乗って雲を抜けた時と同じ風景。
この世界の空も鮮やかな青い色をしているのだと改めて実感した。
「すごいな。」
「グ~ルゥ!」
俺の感動の声を聞き、満足そうにバーンが答える。
眼下の雲はぐんぐんと流れていくものの、不思議なのはまったく風を感じないことだ。
いったいどのぐらいの速度が出ているんだろうか。
感覚で行くと時速100㎞は超えていそうなものだが、にもかかわらず体がもっていかれるような感覚もなく、違和感は飛び上がった時だけだった。
「なんで無事に乗っていられるんだ?」
「それはそうじゃろう、バーンが守ってくれているからな。加えてその鞍の効果もあるのではないか?」
「鞍?」
慌ててしがみついていたので鑑定スキルが出ても無視していたかもしれない。
改めて鞍に触れると、即座に鑑定スキルが頭に流れ込んできた。
『万全の鞍。どのような暴れ馬でも落ちることなく乗りこなすことができる不思議な鞍。馬だけでなく装着できるのであればどのような生き物でも同様の効果を得られる。最近の平均取引価格は銀貨80枚、最安値銀貨66枚最高値金貨1枚。最終取引日は10日前と記録されています。』
いつの間にこんなものを手に入れていたのか、ていうかだれが持ってきてくれたのかは謎だが、こいつとバーンの陰で俺は無事に空を飛んでいるらしい。
流石に寒さは強いが我慢できないほどじゃない。
これもバーンのお陰なんだろう。
ポンポンと体を叩くと嬉しそうに体を震わせる。
「それでどこまで飛べばよいのだ?ひとまず北に向かっておるが行きたい所があるのであれば遠慮なく言うがいい。」
「北か、それなら山のふもとにある廃鉱山に向かってくれ。街から街道が伸びているからわかるはずだ。距離はそうだな、馬車で一日半ぐらいだ。」
「ならば一時間もあればつくじゃろう。バーン、高度を落として街道を探すぞ、シロウを落とすなよ。」
「グギャ!」
まだドラゴン状態ではディーネのように会話できないようだが、この辺もいずれ何とかなるんだろう。
再び灰色の雲の中を突っ切り、眼下に草原が見えてきた。
しばらく蛇行すると街道を発見、そのままものすごい速度で飛行して本当にあっという間に廃鉱山へ着いてしまった。
馬車で一日半の距離をおおよそ一時間で移動したのか。
概算で行くと廃鉱山まで一日半、おおよそ70km。
つまり時速70km出ていた計算になるわけだ。
うーん、俺一人しか移動できないとはいえ移動の概念が覆ってしまうなぁ。
二頭はホバリングをするようにゆっくりと下降して、廃鉱山の前に着陸。
作業中と思われる鼠人族の数人が何事かと武器を持って出てきたところだ。
「待ってくれ、俺だ、シロウだ。」
「え、シロウ様?何故ドラゴンに?」
「ふむ、古臭い鉱山じゃが良い魔力を感じる。地下に龍脈でも流れておるのかもしれんな。」
「わかるのか?」
「微かにだが濃い魔素を入口から感じる。して、彼らは何者じゃ?」
武器を手にする亜人を人型に戻ったディーネがジロリと睨む。
それから少し遅れてバーンも人型に戻った。
「俺の鉱山で仕事をしてくれている鼠人族だ、敵意はない。」
「そうか、シロウの配下か。皆しっかり働くのじゃぞ。」
「は、はい!」
ひと睨みでパワーバランスは決定してしまったようだ。
まぁ当然だよな、ドラゴンの中でも別格だし。
「トト、どうだった?」
「あぁすごい乗り心地だった、守ってくれてありがとうな。」
「へへ、疲れるけど頑張った。」
「バーンもよくやった。じゃが帰りはもっと丁寧に乗せるんじゃぞ。」
「はい。」
俺とディーネに褒められ、青年が少年のようにはにかんだ。
見た目は大人っぽくても中身はまだ生後数か月。
寿命は俺よりも長いんだろうし、赤子と言ってもいいだろう。
とはいえ、成長は早い。
今後、バーンの背に乗り複数人で移動できるようになれば世界は格段に広がるだろう。
場合によっては王都にだっていけるかもしれない。
ディーネには無理を頼むが、今後はその辺も含めて教育してもらってもいいかもなぁ。
「せっかくここまで来たんだし俺はちょっと中で用事を済ませてくる。二人はここで待っていてくれ、すぐ戻る。」
「わかった。」
「すぐに戻るのだぞ、約束の菓子を食いそびれてしまうからな。」
菓子一つでここまで飛んでくれるのならば安いものだ。
ひとまず急ぎ集落まで行き、レール作業の状況を確認。
突然の来訪に驚いていたが事情を説明すると、驚くこともなくむしろ納得されてしまった。
普通ワイバーンの背に乗ってきたと言えば頭がおかしくなったのかと疑われそうなものだが、違うようだ。
その後、再びバーンの背に乗りあっという間に街に戻ってきた。
最初よりも格段に乗り心地が良くなっている。
子供の成長は本当にすごい。
屈んだバーンの背中から飛び降りて華麗に着地。
出発から二時間近く経つはずが、畑にはエリザとアネットの姿があった。
「おかえりなさいませ。」
「空の旅はどうでしたか?」
「一言でいうと最高だった。」
「そうじゃろう、よかったなバーン。トトが褒めてるぞ。」
「俺、頑張った。カカ、褒めてくれてありがとう。」
人型に戻ったバーンの手をルフが優しく舐めている。
どのような姿であれ、子は子ということなんだろう。
ルフの懐は俺が思っているよりもずっと深く、そして慈愛に満ちている。
「いいなぁ、私も乗ってみたい。」
「訓練すればもう一人は乗れるだろうが、そこはバーンの頑張り次第じゃな。」
「まぁ無理をしない範囲でたのむ。とりあえず今日はよく頑張ったな、少し早いが飯にしよう。とっておきを食わせてやるぞ。」
「やった、お肉!」
なんでバーンよりも先にエリザが喜ぶんだよ。
「改めて屋敷に招待しよう、バーンこれから宜しくな。」
「はい!」
「もちろん私も招待してくれるんじゃろ?」
「当然だろ。バーンをしっかり育ててくれた御礼もあるし、約束は果たさないとな。」
「それでこそ我が夫に相応しい。バーンも可愛いがやはりシロウとの子が欲しいからな、次は我を孕ませるのだぞ。」
「あー、善処はする。」
「逃げたわね。」
「うるせぇ。」
息子の目の前で生々しい事いうんじゃないっての。
ディーネと会うのだって久々だし、そもそも好みの体型じゃないというかなんと言うか。
「ディーネ様、ご主人様はもう少し豊満な体がお好きですよ。」
「ふむ、確かに子を孕むにはこの体は少し貧弱か。後で調整しておこう。」
「調整しなくても良いんだぞ?」
「なに、久々にお前にあって私もうずいている。覚悟するのだぞ。」
そういいながらディーネはエリザのような獣の目をしながら舌なめずりするのだった。




