594.転売屋は雨に降られる
「すみません、変なお願いをしてしまいまして。」
「本人も喜んでいるし別にいいんじゃないか?」
「シロウ様の言うとおりです、マリー様との散歩は嬉しいと申しています。」
「それならよかったです。」
「ワフ!」
元気よく吠えた後、レイが嬉しそうにマリーさんの足に擦り寄っている。
空は快晴、絶好の散歩日和だ。
朝一番でマリーさんとアニエスさんが屋敷に顔を出したときは何事かと思いもしたが、実際は散歩のお誘いだった。
最近運動不足らしく、その解消に散歩を勧められたんだとか。
とはいえ何もない草原を無言で歩くのは寂しすぎるので、レイを連れて行くことにしたらしい。
一応俺が飼い主なのでわざわざ許可を取りに来てくれたようだ。
アニエスさんならレイの気持ちもわかるし気にしなくてもよかったのだが、散歩という名の口実というのもわかっていたので気づかないふりをして参加することにした。
最近は何かと忙しくまともに話をしていなかった気がする。
向こうも新商品の販売が好調でそういった時間が取れなかったのもあるだろう。
それをアニエスさんが気にしてくれたんだろうな。
一番マリーさんの事を気にかけているのがアニエスさんだ。
「弁当もあるしいつもの散歩コースじゃもったいない、少し遠出して戻るつもりだがそれでいいか?」
「はい、大丈夫です。」
「要は夕刻まで用事はありませんのでどうぞ此方はお気になさらず。」
「それを聞いて安心した、ここ最近忙しそうだったからなぁ。」
「ユジュの香りが思った以上に好評でした。しかも次の新作ももう考えているのだとか、それが出たらまた休めそうもありませんね。」
「悪いな。」
「悪いことなんてありません、忙しいのはいいことです。」
本来であれば新しい人生を謳歌するはずなのに、なんてことは考えない。
マリーさんは自分でこの仕事を選んだわけだし、それを謝るのは筋違いというものだ。
一国の王子ではなくタダの街娘としてお客と接する、それが楽しくて仕方がないと、この前話してくれた。
もちろん俺に心配させまいとそういっている可能性もあるが、今はそれに甘えさせて貰うとしよう。
「そういや妹は元気か?」
「この前届いた手紙には隣国の王子と結婚させられそうになったのを断ったと書いてありましたね。」
「・・・それは元気のうちに入るのか?」
「それはもう。あのお父様に反抗して結婚をなかったことにしたわけですから、色々と手を回したんでしょう。それをする余裕があるのはいいことです。」
「王女ってのも大変だな。」
「それが産まれ持った宿命というものです。幸いにもうちの兄達がしっかりと跡取りを残していますから、オリンピアもある程度自由にさせて貰えるんだとおもいます。本当は私がいればもっと自由に出来たんでしょうけど・・・。」
ロバート王子として隣国の姫と結婚していればこの国の地盤は更に強固になっていたことだろう。
だがそれが適わず、代わりにオリンピアに白羽の矢が立ったようだがそれを自分で退けて見せた。
もしかすると他に好きな人がいるのかもしれない。
それか相手がよっぽどいやな奴だったが。
どちらにせよ、実際に望んだ人と結ばれることが出来るかはわからないけどな。
「本人もそれはよくわかっているだろう。まぁ、元気そうで何よりだ。」
「シロウ様をはじめ皆さんにも会いたいと書いてありました。」
「そいつは光栄だね。」
「なので今度の休みに此方へ来るそうです。」
「は?」
思わず変な声が漏れた。
え、ちょっと待ってくれ。
妹がこっちに来る?
マジで?
「露骨にイヤな顔をされますね。」
「そりゃそうだろう。いや、もちろん本人が嫌という意味ではないが。ぶっちゃけめんどくさい。」
「ふふ、シロウ様らしい。」
「笑い事じゃないっての。オークションはまだないし、お忍びでなのか?」
「失恋旅行、ということになっているそうです。」
「自分からフッておいて?」
「向こうにもメンツがありますから、先方に断られたという事にしているんだと思います。」
すこぶるめんどくさい。
まぁ、それが俺の知らない貴族とか王族の世界なんだろう。
「大変だな。」
「私にはもう縁のない世界ですから。でも、苦労がわかるだけに労ってあげるつもりです。」
「そうしてやれ。」
「でも今日は私の気晴らしです、最後までお付き合いください。」
「まずは飯をおいしく食べる為にしっかり腹を空かせるとしよう。」
「はい。」
「ワフ!」
マリーさんも色々と気苦労があるだろうし、妹よりも先に発散してもらうとしよう。
それから二時間ほど、他愛ない話をしながら暖かな日差しの下のんびりと歩き続けた。
目的の場所で敷物を広げて二人が作ってくれた豪華な弁当を頂き、しっかり腹ごなしをしてから帰路に就く。
変わったことは何もしていない。
ただたくさん話してのんびりと風を感じただけだ。
「お二人とも、少し急いだほうがいいかもしれません。」
「そんな感じの風だな。」
「湿気が増え風上に怪しい雲が見えます、このままでは追い付かれるかと。」
「間に合いますか?」
「わかりません。」
アニエスさんが風上をにらみつけている。
レイも同様に鼻をヒクヒクさせて風の匂いを嗅いでいた。
俺の勘では二時間は持ちそうにない。
アニエスさんの言うように急いだほうがいいだろう。
小走りに近い速度で来た道を戻るも、予想よりも早く黒い雲が俺達の上にやってきた。
雷の音はしないが今にも降りそうだ。
「あ、あとどのぐらいですか?」
「このペースで行けば30分ほど。大丈夫か?」
「なんとか・・・。」
「背負いましょうか?」
「まだ、大丈夫です。でもその時が来たらお願いします。」
「無理はなさらないでください、お二人であれば同時に担ぐことも可能です。」
背負うではなく担ぐのがポイントだな。
流石にこの年で担がれるのはちょっと恥ずかしい。
何とか自分の足で頑張らせてもらおう。
そんな事を考えていたのもつかの間、ポツポツと雨が降り出してしまった。
次第にそれがどんどんと強くなっていく。
そうだ、ブレラさんからもらった試供品があったはず。
慌てて立ち止まり腰にぶら下げていた収納カバンから水筒ほどの大きさのブツを取り出す。
「シロウ様?」
「二人はこれを使ってくれ。」
「これは?」
「ブレラ考案の折り畳みの出来る傘だ、すっかり忘れてた。」
「でも一つしかありませんが。」
「アニエスさんがマリーさんを背負って、マリーさんが持てばいい。広げたらわかるが結構大きいぞ、それ。」
『伸縮傘(仮)。ロングアームバットの骨に伸縮性の高いシーオッターの毛皮を張り付けた傘。折り畳み式の骨がばねの力で一気に広がり、見た目以上に大きくなる。最近の取引記録はありません。』
試作品なので名前も仮だし取引履歴もない。
重さは少しあるのだが、見た目以上に大きくなるのでこういった時には重宝するな。
問題は片手が埋まるので冒険者向きではないことだ。
あくまでも今みたいな一時的な雨に対処できればいいのだが、傘に貼る素材を変えると火や熱にも強くできるので別の用途でも使えそうだなとは考えている。
「えぇっとこのボタンでしょうか・・・わ、開きました!」
「俺は気にしないでくれ、帰って風呂に入れば問題ない。」
「ですが・・・。」
「マリー様、ここはシロウ様のいう通りにしましょう。男のプライドというやつです。」
「そういうんじゃないんだが・・・まぁそういう事にしておいてくれ。」
プライドというよりも知り合いの女性が濡れっぱなしってのはちょっとなぁ。
それと、今日のマリーさんの服は透ける。
間違いなく透ける。
薄いピンク色をしたチュニックっぽい奴だが、生地がかなり薄い。
暑さ対策なんだろうけど、これでびしょぬれになると色々な部分が見えてしまう。
それが避けたいってのが本音だ。
アニエスさんがマリーさんを背負いマリーさんが傘をさす。
少し重そうだが両手でしっかりと持てば何とかなるようだ。
俺?
レイと共に濡れネズミだが、これもなかなかに気持ちがいい。
「では急ぎます。」
「あぁ、頑張って追いかける。」
「ワフ!」
先を行くアニエスさんの背中を追いかけながら、必死に走る。
走って走って息も絶え絶えという頃になんとか戻ることができた。
「だー、ついた!」
「お疲れ様でした。」
「良い鍛錬になりました。それに、この傘はなかなかによろしいですね。」
「そう思うか?」
「生地を変えれば多少の矢を防ぐことも出来そうです、護衛するのにはうってつけかと。」
「あ、そういう使い方。」
まさかの防弾用でしたか。
それはちょっと考えてなかったなぁ。
「盾では邪魔になりますし、相手の動きも見えません。しかしながら透明な生地ならば相手の動きを確認しつつ防ぐことができるでしょう。製作はブレラ様でしたね?」
「透明でかつ矢を防げる強度の素材か。まぁ、本職に聞いてくれ。」
「そうさせて頂きます。」
「シロウ様今日はありがとうございました。」
「最後はまぁこんな感じになって悪かったが、楽しかった。それじゃあ俺はサウナに寄って帰るからここで解散という事で。レイ、ルフに報告して来いよ。」
「ワフ!」
ブルブルとべっとりと濡れた体を震わせ、脱水を始めるレイ。
俺もそれが出来たらいいんだが、風邪をひく前にさっさと温まるとしよう。
「マリー様もご一緒されては?」
「え!?」
「裸の付き合いというやつです。」
「いやいや、裸じゃないから。っていうか見えるから。」
「そういえばそうでした。」
屋内ならともかく屋外、しかも結構見える。
水着必須のサウナだからなぁ。
囲いを作るという手もあるがぶっちゃけめんどくさい。
ま、その辺はおいおい考えよう。
「わ、私は別に・・・。」
「そういうのはまたの機会という事で、じゃあまた。」
このままでは本当に入ってこられそうなので急ぎその場を切り上げる。
たまには全身びしょ濡れになるのも悪くないものだ、そんな気分を台無しにするのはもったいない。
まだポツポツと降り続ける雨を体に受けながらのんびりとサウナに向かうのだった。




