1704.転売屋は鯨の残骸を仕入れる
「大変だ!クジラが出たぞ!?」
エリザと共にアグリの畑に向かい、広くなった畑を巡回していた時だった。
大声を出しながら誰かが街に入ってくる。
最初は盗賊にでも追われているのかと思ったのだがどうやらそういうわけではないらしい。
「クジラってあのクジラか?」
「そのクジラ以外に何があるのよ。」
「いや、どのクジラなんだよ。」
「ランドホエールに決まってるじゃない。え、この辺に他のクジラなんていたっけ?」
クジラと聞いて真っ先に思い浮かんだのは海の上で潮を吹くあのクジラ、だが王都ならともかく草原しかないこの土地でクジラの名を聞くとは思わなかったんだがどうやら本当にクジラがいるらしい。
直訳すると陸鯨になるんだろうか、姿があまり想像できないんだがバカでかい魔物を鯨と呼ぶとかそんな感じだったりするんだろうか。
エリザ曰くかなり珍しいらしいのでリルとレイを連れて現地へと向かったのだが、一足遅かったのか多くの人であふれかえっていた。
「あ、来てくださったんですね。」
「ハーシェさんも来てたんだな。あれがランドホエール・・・の残骸か。」
「一足遅かったみたいね。」
「私も急いできたんですけど来た時にはもうほとんど買われてしまっていて、どうやらやり手の商人が仕切っていたようです。」
やり手ねぇ、そのやり手の一人であるハーシェさんにそこまで言わせるってことは中々の実力者なんだろうけどほんと何も残ってないな。
とりあえず近くまで行ってみると骨まで買い手がついているようで残っていたのは分厚い脂のついた皮だけだった。
「皮と脂は使われないのか。」
「脂を燃料にするには生臭すぎますし、皮も丈夫ではありますけど見た目があまりよくなくて好まれません。使い道が無いので放置されているんでしょう。」
「そもそも誰が討伐したんだ?」
「討伐したんじゃないの、死んでるのを見つけたのよ。」
俺の質問に対し聞いたことのない声が答えてくれた。
声のした方を向くとそこにいたのは小柄な女性。
小柄というか幼いと言っていいぐらいの背丈だがその落ち着いた話し方から人生経験を積んでいることだけは伝わってきた。
「あんたがこいつの解体を仕切ったのか?」
「仕切ったっていうと人聞きが悪いけどそういうことになるんでしょうね。偶然ここで死んだランドホエールを見つけて皆で解体しようってことになったのよ。第一発見者特権で肉や内臓なんかを含め売れそうなところは全部もらったわ。あとは使い道のない脂と皮を埋めようって話だったんだけど、貴方ならどう使うのかしら買取屋さん。」
「俺を知ってるのか?」
「当然よ。国王陛下お気に入りの買取屋で各方面にも顔が利く元名誉男爵、いえ元の地位に復帰されたんだったかしら?」
「まぁそういうことになっているが別に偉くもなんともないぞ。」
罰金をすべて支払った時点で身分は回復、まぁ戻ったところで偉くもなんともないので今まで通り身分については公表しないようにしてきたんだが知っている人もいるもんなんだなぁ。
にこやかな笑顔と共に握手を求められたのでズボンで手を拭いてからそれに応じる。
見た目以上にしっかりとした力でぎゅっと手を握ってきた。
「キャロルよ。」
「シロウだ。埋めようっていうことはこれは俺が貰っていいのか?」
「買ってくれるなら嬉しいけど捨てる手間を考えたらタダでも別に構わないわ。」
「世の中タダより怖い物はないっていうからな、とりあえず金は払うとして・・・。」
ひとまず挨拶だけして捨てられそうになっていた素材にそっと触れる。
『ランドホエールの脂。地上を徘徊する巨大なクジラの脂は様々な気候に順応できるように分厚くなっているものの食用には向かず、また脂とはいえその生臭さから燃料には使えない。かつては滑り材や傷み止めとして用いられることもある。最近の平均取引価格は銀貨1枚、最安値銅貨15枚、最高値銀貨2枚、最終取引日は255日前と記録されています。』
『ランドホエールの皮。その巨体を守るにはあまりに薄く非常にざらざらしている。あまりの抵抗感に主に滑り止めとして用いられている。最近の平均取引価格は銅貨60枚、最安値銅貨37枚、最高値銅貨84枚、最終取引日は144日前と記録されています。』
うーむ、どちらも微妙なお値段。
とはいえ値段が付くということは少なからず買い手がいるという事、それを格安で仕入れられるのであればまぁありか。
最悪埋めてしまえば畑の肥しぐらいにはなるだろう。
「銀貨10枚でどうだ?」
「あら、そんな高値で買ってくれるの?」
「はした金にしかならなくてもこの量があればそれぐらいにはなるだろう。」
「街までは運ばないわよ?」
「それぐらいは俺達でするさ。ってことでこれが代金な。」
難癖をつけられる前にさっさと支払いを済ませて一度街へと戻り、大きな荷車を何台も曳いて街へと戻る。
キャロルとかいうその女はそのまま南へ移動して肉を売りさばくとのことだった。
ごみを買った俺をあざ笑うかのように去っていったが縁があればまた会うこともあるだろう。
「それで、この脂をどうするの?」
「さぁ。」
「さぁ、ってあんたね。」
「この人のことですからきっといい使い道を考えられますよ。」
「ハーシェさんはいつも甘いんだから、そういって売れなくなった素材が倉庫に山盛りになってたの忘れたの?」
「あれはちゃんと仕込みの予定があったんだよ。」
エリザの指摘もごもっともで持ち帰ったものの使い道が全く思いつかない。
鑑定結果からは滑り止めではなく滑らせるための潤滑剤的な感じで使うと出ていたけれどこの世界で引き戸ってなかなか見ないんだよなぁ。
大抵は開き戸だし何かを滑らせることはほとんどない。
後は傷み止め、っていうか何の傷み止めなんだ?
人間に使う感じじゃないだろうしとなると工業用品とか日用品とかそういうのに使うと思うんだけども・・・。
「なんだこりゃ!?」
「お、マートンさんちょうどいいところに。」
「まーた変なの買付けやがって、こんな大量の脂で何を燃やすつもりだ?」
「燃やさないっての。潤滑剤とか傷み止めとかに使えるらしいんだけど、他に何か使い道がないか考えてるんだが何か知らないか?」
「ランドホエールなんざめったにお目にかからない上にギトギトの脂を使う事なんてめったにない、せいぜい錆止めぐらいなもんだろうさ。」
触るとかなりギトギトなのでこれを持ち手に塗ろうものなら滑って握れなくなりそうな感じすらする。
錆止めってのはおそらくこの脂で酸化しないようにコーティングすることなんだろうけど、これ全部を使うような巨大な鉄製品なんてこの世界ではめったにお目にかからないだけに使い道がない。
「ふむ、別に全部塗らなくても一部分だけに塗っても効果はありそうなもんだけどなぁ。」
「そういうなら少しだけもらっていってやるよ。」
「全部でもいいんだけど。」
「ばかいえ、こんなデカいのおいてたらあっという間に工房が燃えちまう。」
そういってマートンさんはナイフで20cm四方ぐらいの脂を切り抜いてもっていってしまった。
これで使い道が出来たらいいけどあの反応だと中々難しそうだ。
潤滑剤として使うとしてもこれを塗るほど巨大な建築物はないわけで。
「うーん、とりあえず絞るか。」
「これ全部をですか?」
「このまま置いていたっていずれ腐るだけだし、それなら脂を絞って液体にした方がまだ使い道はありそうだ。案外テカリを出すのに使えるかもな。」
「何をテカらせるっていうのよ。」
「・・・さぁ。」
それがすぐに思いつけば話は早いんだが人生そううまくはいかないわけで、それにこれだけじゃなく皮の処遇も考えなければいけない。
触った感じは悪くないけど強度がないせいで革製品には使えそうにない。
どっちかっていうと革張りとかそっちの使い道はありそうなんだけど、生憎とやってくれそうな工房は見つからなかった。
致し方ないのでとりあえず脂を絞ることに専念する。
巨大な脂を絞り機にかけてゆっくり圧力をかけていくと下の瓶にボトボトと脂が落ちていき、わずか1割ほどで50本もの油を回収することができた。
想像以上の脂の量、傷み止めの効果があるってかいてあったので取り出したものを試しに木の板に塗ってみたのだが、別の意味で予想以上の結果が出てしまった。
滑る。
無茶苦茶滑る。
まるで板が氷になってしまったかのように滑る。
あまりに滑るものだからどんどんと重い物を載せてみて試してみたのだが、大人一人を乗せた状態でも楽々と木の上を移動することができた。
鑑定結果で滑り材とはでていたけれどまさかこれほどのポテンシャルがあるとは思わなかった。
これならもしかすると前々から気になっていたあそこにメスを入れられるんじゃないだろうか。
「そんなわけで板の上に別の板を載せてその上に荷物を置けばごらんのとおり、少しの力で向こうまで滑らせることができる。これさえあれば荷下ろしと移動の時間を短縮できるだろう。」
「すごい!前に丸太の上を転がす方法も試してあんまりだったんですけど、これなら簡単に移動できますね!」
「街が大きくなったことで荷捌きが追い付かないっていう話を聞いていたんだがこれで少しは解消できるだろう。とりあえず一瓶置いとくから使用感と耐久度を試してもらえないか?」
「いいんですか!?」
「効果があったら追加を買いに来てくれ、在庫はかなりあるから遠慮しなくていいぞ。」
大人が悲鳴を上げるほどの重い木箱が板の上をスイスイ滑っていく。
あまりの滑り具合に荷物が落ちそうなぐらいなのだが、板の端に陸鯨の皮を張るとものの見事にピタリとそこで止まってくれた。
なるほど、皮はこうやって使えばいいのか。
滑らせるための台はあくまでも試作品、あとは輸送ギルドが勝手に改良していくだろうけど滑り止めは必須なのでなんだかんだ皮の方も売れていくに違いない。
まずはここで有効性を実証して、それを土産に他の町に輸送システムを導入させる。
ランドホエールは滅多に出てこないし脂と皮は廃棄されてきたからこれを持っているのは俺だけだろう。
つまり真似しようにも真似できない。
これを知ったらあのキャロルとかいう商人もあんな顔はできないはず、いや余り物には福があるってのは本当だったな。
さて、残りの脂もしぼりきって・・・。
「シロウ!」
「ん?マートンさんどうしたんだそんなに慌てて。」
「さっきの脂まだあるか!?」
「あるけど、どうかしたのか?」
「お前が言うように鎧のかみ合わせ部分に塗ってみたんだがものすごく動きが滑らかになった。いつもは当て皮をして音を消してたが、これが長いこと使えるなら冒険者がこぞって使いだすぞ。」
どうやら塊の方でも一定の効果があったらしい。
あの感じだと皮の部分は滑り止め用のグリップとしてでも使えそうなので後でブレアに渡してなめしてもらってもいいかもしれない。
あの重たいのをぴたりと止めるグリップ力、多少高くても力時間の冒険者がこぞって使いそうな感じだ。
今まで使われていなかっただけに値段は底値、これは今のうちに買い集めた方がよさそうだ。
「そりゃよかった。ちなみに在庫があまりないからさっきの倍量で銀貨10枚はするんだが、それでもいいか?」
「ちと高いがあの効果が続くなら十分すぎる値段だな、いいだろう金は工房で払うから持ってきてくれ。」
「毎度ありっと。」
これで素材の元は取った。
後は売れば売るだけ金になる、はてさていくら儲かるのやら。
次の儲け方を考えながら脂を手にマートンさんの後を追いかけるのだった。




