1112.転売屋は風邪薬をばらまく
よく冷えた日は暖かい風呂に入って寝るに限る。
いつもなら食堂で一杯ひっかけてからベッドにもぐりこむのだが、今日は予定を変更して地下製薬室へ。
こんな時間にもかかわらず、耳を澄ますと製薬する音が聞こえてくるのでまだ起きているようだ。
仕事熱心なのはいいことだが、働きすぎには気を付けさせないとなぁ。
「アネット、ちょっといいか?」
「ご主人様どうされました?」
「少し風邪っぽいのかのどが痛いんだ。風邪薬をもらえると助かるんだが。」
「ほかに症状はありますか?」
「あとは少し鼻詰まりがあるぐらいか。今のところ熱はないし倦怠感もさほどない。」
製薬の手を止め、パタパタとこちらにかけてきたかと思うとすぐに右手を俺のおでこに左手を俺の首元に当てるアネット。
半分医者みたいなもんだからな、今は静かに身を任せよう。
「熱はなし、呼吸も脈も正常ですね。この冬の風邪はのどに来るようですから早いうちに対処すれば大丈夫ですよ。ちょうど今作っているところなので奥の椅子に座って少し待ってください。」
「助かる。というかあれか、今作ってるってことは街でも流行っているのか?」
「大流行というわけではありませんが、それなりに売れているとラックさんが教えてくれました。ある程度備蓄していたんですけど、半分ほどなくなってしまったそうです。」
「材料が必要なら早めに声をかけてくれ、急いで用意させるから。」
「今のところは大丈夫です。はい、できましたよ。」
ゴリゴリと乳棒で何かをすりつぶした後、同じく別にすりつぶされた物と合わせた後パラフフィンのようなものに包まれる薬。
これでのどの痛みから解放されるなら中身なんて気にすることもない。
『風邪薬。薬師アネットの作った薬。シロップアントーンの蜜袋とトロミタケが配合されている。主にのどの痛みと鼻詰まりに効果がある。最近の平均取引価格は銅貨11枚。最安値銅貨10枚、最高値銅貨25枚、最終取引日は本日と記録されています。』
あ、ごめんやっぱり気になる。
こいつって確かアリみたいな魔物だったよな?
別に中身がわからなければ抵抗感もなかったのだが、分かったとたんにこの嫌悪感。
うん、世の中には知らなくていい物ってのもあるんだよなやっぱり。
アネットが一緒にもってきてくれた水を口に含んで薬を口に放り込むと、すぐにフィルムが溶け出して薬が広がったが味を感じる前に一気に飲み込む。
うへぇ、苦い。
良薬は口に苦しとはよく言ったものだなぁ。
「ごちそうさん。」
「あはは、やっぱり苦いですよね。甘くすることもできるんですけど余計なものを入れると効果が弱くなっちゃうので。」
「まぁ薬ってのはそういうものだ。ありがとな。」
「いえ、今日は加湿をしっかりして暖かくしてお休みください。」
「アネットも働きすぎるなよ。」
その日はアネットの忠告に従って加湿器をつけて毛布をしっかりかぶって眠ることにした。
そして翌日。
昨夜ののどの違和感はどこへやら、すっかり痛みもなくなり絶好調な感じだ。
さすがアネット、後で甘いものを差し入れてやろう。
体調も戻ったところで急ぎ仕事を終わらせその足で向かったのは教会・・・の、横に併設しているラックさんの薬局。
昨日アネットが言っていたことがちょいとばかしになるんだよなぁ。
「おや、シロウ様ようこそお越しくださいました。お薬をご所望ですか?」
「生憎と薬はアネットからもらっているから問題ない。なんでも風邪が流行りだしているそうだが、どんな感じだ?」
「今のところ大流行というわけではなさそうですが、毎日それなりの数が売れていますね。」
「ふむ、患者はそれなりに多そうだな。ほかの薬はどうだ?」
「ほかは特にいつもと変わりません。ですがひとつ気になることがありまして。」
ほぉ、気になることねぇ。
正直俺はまだこの人を100%信用しているわけではないのだが、わざわざ俺を騙すような事はしないと思っている。
そんな人がわざわざ俺の耳に入れておいた方がいいだろうと判断した何かってのはいったい何なのか。
「何かあったのか?」
「風邪薬を買っていく人なのですが、いつも同じ女性なのです。買い始めたのは一週間ほど前から、アネット様の薬を飲めば一晩で治るはずなのですがそれでも毎日買っていくのです。こちらとしても迷惑をかけているわけではないので断るわけにもいかず、かといってこのまま在庫が減るといざというときに足りなくなる可能性もあるわけでして。どうするべきか助言をいただけませんでしょうか。」
「ふむ、買い占めているわけじゃないんだな。」
「はい。毎日決まった数を買っていくのですが昨日はいつもよりも量が多くなりました。」
「具体的にはどのぐらい買っていくんだ?」
「一回に30回分、昨日は40回分でした。」
確か値段は銅貨10枚程、一個単位は安いが毎日銀貨3枚分も買い続けるっていうのは妙な話だ。
家族が使っていることも考えられるが、それでも毎日というのは変だろう。
一応客ではあるのでそれをとがめることはできないが、確かにその量を買い続けられるといずれ在庫が枯渇してしまう。
確かに気にしておいた方がいい案件のようだ。
「ちなみに今日は?」
「いつもの感じでしたらそろそろ・・・、ちょうど来たようです。」
ラックさんがチラリと俺の後ろに視線を向ける。
このままここにいると邪魔になるので、少し離れて様子をうかがうことにした。
俺と入れ違うようにしてやってきたのは比較的若い背の高い女性。
抱きしめると折れてしまうそうな感じさえする。
見た感じには血色もいいので風邪をひいているという感じではなさそうだな。
「いらっしゃいませ、奥様今日も同じ薬を?」
「えぇ、今日は40回分頂戴。」
「いつもありがとうございます。しかしながらそれだけ飲んで快方に至らないということは別の病気も考えられますが・・・。」
「いいから早く売って頂戴!」
せっかくラックさんが丁寧に相手をしているというのに、急に怒り出して代金を出窓風のカウンターにたたきつける。
何もそんなに怒らなくても。
情緒不安定なのかそれとも薬の影響なのか。
あの成分から察するにそこまでヤバい物は入っていないはずなんだがなぁ。
渋々という感じでラックさんが薬を渡すとひったくるような感じでそれを受け取り、女は店を離れていく。
ちょっと追いかけてみるか。
怪しまれない程度に少し距離を取りながらズンズンと大股で歩く女の後を追いかける。
背が高いだけに一歩がでかい。
途中角を曲がったところで見失いそうになってしまったが、何とか巻かれることなく追いかけることができた。
女が最後に入っていったのは冒険者がよく使う安宿。
その中でもかなりランクの低い、借金持ちや新人が使うような場所だった。
どう見ても冒険者には見えないんだが。
近づくだけで中の会話が聞こえるぐらいにぼろい建物。
これも拡張工事の後には取り壊されるんだろうけど、正直今はそれがありがたかった。
ふむふむ、なるほど?
そういうことか。
もう少し聞いておきたかったのだが、近くでガタンという音がしたのに驚いてしまい慌ててその場から離れてしまった。
別にやましいことをしているわけではないのだが、その辺が小心者だよなぁ俺って。
「なるほど、薬の転売ですか。」
「しかも量を半分に減らして売っていたようだ。そりゃあんな劣悪な環境だと治るものも治らないうえに薬が少ないんじゃ長引きもするだろう。一人が三人になり五人になりどんどん増える度に売り上げも伸びていくわけで。よく考えたもんだ。」
「どうされますか?」
「別に?薬を売ることは犯罪じゃないしそれを止める理由もない。まぁ彼女が病気を広めているのならまだしも一応薬を配っているわけだし、それにそれを止めるとあの宿の患者が悪化していくのは目に見えている。とはいえ長引けば動ける冒険者の数が減ってしまうわけだからなぁ。ここはひとつ手を打つとしよう。」
「こちらとしても迷惑をこうむっているわけではないのですが、今後の為によろしくお願いします。」
そう、誰に迷惑をかけているわけでもないんだがいずれ誰かに迷惑をかける可能性はある。
そうなる前に悪い芽は早めに摘んでおくのがいいだろう。
問題はどうするかだが、ここはひとつ転売屋に対する定番のやり方で行こうじゃないか。
「お薬を大量に、ですか。」
「毎日遅くまで頑張ってくれているところ申し訳ないんだが、穏便に対処するために薬を簡単に手に入れられる状況にしておきたい。ギルドやその他商店でもすぐに手に入るとなればわざわざ成分量の少ない薬を買う必要はなくなるし、なんならそれを飲めば一発で治る。一回かかれば免疫を持つからまたかかる心配も少ないだろうし、流行しても一気に封じ込めることができるはずだ。」
「確かに流行り病は二度かかるものではありませんから理にかなっていると思います。」
「ってことで材料を用意しようと思うんだ。アネットには悪いが無理のない範囲で頑張ってくれ。」
毎日製薬が大変なところにさらに追加の仕事をお願いするのは非常に申し訳ないのだが、アネット的には自分の薬が適切に使用されないことが不服らしく、それを終わらせられるのであればと気合十分。
別に転売することは問題ないようであくまでも用法容量を守らないことにお怒りのご様子だ。
薬師ならではというかなんというか。
材料もそこまで複雑なものではないので依頼をかければすぐに集まるはず。
風邪症状のある冒険者が依頼を受けつつギルドで薬を飲んで完治すれば、ギルドとしてもしっかり働いてくれるようになるのでプラスしかない。
加えて冒険者は報酬をもらえ、俺たちは薬がたくさん売れる。
いずれ風邪が収まれば在庫が余ってくるだろうけど、そうなったら別の町に出荷すればいい。
ここではやっているということは他所でも流行る可能性が高いという事。
それこそ前みたいに大流行すれば定価以上の値段で売れる可能性だってある。
そのきっかけを作ってくれた彼女にお礼を言うべきなのかもしれないが、それとこれとは話が別だ。
それから二日と経たず薬が大量に流通し始め、彼女が薬を買いに来ることはなくなった。
転売屋に効果的な対処法、それは同じものを大量にばらまいて価値を一気に暴落させること。
みんな覚えたかな?




