1104.転売屋はゆさぶりをかける
爽やかな香茶の香りが応接室にふんわりと漂う。
イケメンことメルケンさんは静かに目を瞑り、カップを手に固まったまま。
ミラは無言、俺も無言。
静かな時間が流れ続ける。
「美味しい香茶ですね。」
「そうだろう?その砂糖を入れるとまた雰囲気が変わるぞ。」
「これを王都に?」
「あぁ。今までの砂糖と違って後味が優しく雑味も少ない。主に貴族と王族に向けて販売をするつもりだが、少量は住民にも流れる事だろう。穀物に始まりそっちが買い付けた品はどれも値上がり必至、向こうで売りさばくだろうから有難く便乗させてもらうつもりだ。」
カップに口をつけて口を潤してからイケメンが静かに言葉を発した。
さっきの値段じゃ納得しないぞという俺のボールは一応受け取ってもらえたらしい。
もちろん明確な回答は投げ返してもらっていないが、少なからず交渉を続けるつもりはあるようだ。
「では、その分を差し引いて頂くことは?」
「無理だな。ただでさえこの街の食糧価格は上昇しているんだ、それを鎮静化させるには管理の時間と金がかかる。その分を請求しないだけ有難いと思ってほしいね。」
「値上がりは私のせいではありませんが。」
「直接的にはな。だが、そっちが買い付けたことで市場に残った高い物を住民が買うことになり結果として値段が上がっている。一度上がった値段を下げるのは難しいのは良く知っているだろう?」
「つまりそれをシロウ様の小麦代に上乗せしろと?」
「それとこれとは話が別だ。小麦はただ単に自分で売った方が高いから、値下げに応じないのはそういう理由だ。王都の相場が上がるのだって戦争が原因だし、俺はそれに便乗するだけの話。別に難しい事は言ってない、安く仕入れて高く売る商売ってのはそういうもんだろ?」
元々この街の相場はインフレ傾向にあったし、彼の買い付けが直接的な原因ではないのは理解している。
もちろん狙ってやった可能性も否定できないがそれを追及するには情報が少なすぎる。
だが、値上がりした事実はあるわけなのでネタに交渉するのも商売人として当然の事。
俺は値段を下げないし、安く売るつもりもない。
それでも俺から買いたいと言うのならばそれなりの価格を提示すればいい。
そこまでして俺から買い付けたいのであればそうさせたい何かがあるんだろう。
「その通りです。」
「だがアンタはそれを曲げてでも俺から小麦を買いたい。それはなぜなんだ?」
「シロウ様が大量に小麦を所有されている、小出しで買い付けるよりもある所から買った方が早いと思っただけです。」
「それならまどろっこしい話は不要だな、ずばりいくら出す?」
「金貨150枚、それが精一杯です。」
これ以上話していてもこのイケメンから情報を引き出すのは難しそうだ。
もしかするとイケメンは末端の人間でもっと上に偉いやつがいてその指示で動いているだけの可能性もあるし、それならば今はここで切り上げるしかないだろう。
そんな事を考える暇も無くイケメンは即答して見せた。
当初の金額にプラス金貨30枚、これが向こうの本気ってわけか。
自分で売る事を考えればそれぐらいの値段で売る自信はあるが、それにかかる労力と時間を考えればここで手放すのが最善なんだろう。
向こうもそれをわかってこの価格を提示してきているはずだしな。
『俺が大量に所持しているから』、そんな理由で金貨30枚なんてバカげた金を出す理由を追及するには現状ではあまりにもカードが足りない。
ここが引き際か。
「わかった、その値段で売ろう。どこに持っていけばいい?」
「明日の朝一番に馬車をよこします、積み込みはこちらでやりますので準備だけして頂ければ。」
「それなら畑の前の空き地を使うといい、あそこなら出入りが楽にできる。」
「ありがとうございます。」
最初に会った時と同様爽やかな笑みと共に深々と頭を下げるメルケンさん。
詰めの契約書作成はミラに任せて応接室を出ると、代わりにセーラさんが中に入る。
流石にミラ一人にするのは危険だからな。
「いかがでしたか?」
「まったく情報なし。よっぽどの食わせ物か、それとも誰かの差し金で本当に知らないかのどっちかだろうなぁ。」
廊下に出るとラフィムさんが直立不動で俺を待っていてくれた。
そのまま声を潜めつつ執務室に移動。
ここなら遮音魔法がかかっているので会話が漏れる事はない。
「ぶっちゃけどう思う?」
「私達の方でもいろいろと調べさせていただきましたが、メルケンなる人物は確認できませんでした。誰かの差し金で間違いないかと。」
「この街で買い付けて来た金額はかなりになる。それだけの金額を提供できて、更には二人の情報網にも引っかからないような相手か。査察といい面倒なことになりそうだ。」
「そちらに関しても今だ明確な情報はありません。シープ様に再度確認はしましたが、そういう話が出ているとだけで詳しい話は知らされていないそうです。」
うーむ、それはそれで気持ちが悪い。
羊男の事だから何かわかれば直接は難しくとも何かしらの方法で情報を流してくれるはずだ。
別にそういう契約をしているわけではないが、お互いに持ちつ持たれつなのは理解しているはず。
詳しく知らされない理由があると考えるのが自然だろう。
極めつけが今回の買い付け。
戦争が始まったのは致し方ないとはいえ、その話が出るずっと前から買い付けていたって言うのは奇妙だよなぁ。
まるでそうなるのを知っていたみたいじゃないか。
もちろん俺だって最悪の事態を想定しなかったわけじゃない。
でも、確定していない状況で資金を投入し続けられるのはよほっどの金持ちかもしくはそうなる事がわかっているかのどちらかしかないよなぁ。
戦争になれば穀物などの価格が高騰し、買い付けていた品物の価値が何倍にもなる。
金貨10枚とかなら倍になっても微々たるものだが金貨1000枚ともなれば想像を絶する利益を得られるわけだ。
戦争なんていう国を巻き込んだ壮大な金儲けができるような相手、それが俺をターゲットにしていると考えるとぞっとしてしまう。
「どちらにせよ、面倒なことになるのは間違いない。今まで以上にアンテナを伸ばして情報収集するしかないか。とりあえず今回は儲かったわけだし、それで良しとしておこう。今できるのはいつも通り商売をしていくことだけだ。」
「この状況でそう言ってしまえるなんて、流石ですね。」
「褒めないでくれ、考えるのを放棄しているだけだ。」
「普通はそれも出来ないものですよ。」
苦笑いを浮かべる俺にラフィムさんが優しく笑いかけてくれる。
俺にできる事なんて口八丁手八丁で金儲けをする事だけ。
少々肝が据わっているかもしれないが、その程度の人間だ。
とりあえず今後どうするかを軽く話し合った後、再び応接室へと戻る。
「おかえりなさいませ。」
「途中で抜けてすまなかった。契約書はもう作成出来たのか?」
「はい。締めて金貨180枚にてご納得頂いております。」
「150枚っていう話だったと思うんだが。」
「セーラ様より素晴らしいご提案をうけまして、合わせてご購入させて頂きました。」
「そうか。」
なんだかよくわからないが儲けが増えるのはいい事だ。
向こうのサインが記入された契約書を確認して思わず目が点になる。
小麦はまぁわかる。
今回買い付けた分が丸々向こうに流れるだけの話。
だが驚いたのはその下だ。
発熱素材をはじめ、倉庫に眠っていたであろう数多の素材や干し肉等の保存食が山のように記載されていた。
単価はどれも相場の1.5倍以上。
向こうが金を出すとわかってここぞとばかりに押し付けたようにしか見えないんだが、本当にこれでいいんだろうか。
さらに言えばこの金額をはいどうぞと気楽に決裁できるとか、どれだけ金持ってんだよって話だ。
そりゃあ全て売れれば利益は出る。
だが商売ってのはただ売るだけでも多大な労力と金を必要とするもの。
金儲けをするのに金がかかるというのは何とも皮肉な話だが、それが現実というものだ。
いつ売れるかわからずさらには多大な労力を払わないといけないものにこれだけの大金を支払うなんて、流石の俺にもこれはちょっとできないなぁ。
「こちらにサインをお願いします。」
「はいよ。」
「では両者のサインを持ちまして契約は成立、まずは明日小麦を。その他の物に関しましては一週間後に受領いただけますようよろしくお願いします。」
「こちらこそ宜しくお願い致します。」
両者立ち上がりしっかりと握手を交わす。
戦争が始まると聞き急ぎ転売する為に小麦を買い集めたわけだが、結果としては大儲け出来たといっていいだろう。
ただしそれに合わせて大きな、いや大きすぎる獲物も一緒にかかってしまった。
よろしくない相手が俺を狙っているのは間違いない。
いったい何が目的かはわからないが、できるだけ注意をしていかなければ。




