第一話 アルフレートの姉
12月28日。アデライード王国南部。クルーガー家。
「四百九十五、四百九十六――」
女性の大きな声が朝の森に響く。
アルフレートはぼんやりとした意識の中、時計を掴み取り時刻を確認した。
短い針と長い針がどちらも真下を向いているということは、今は6時半だ。
「……こんな朝早くから」
アルフレートは久しぶりの実家での休暇くらい思いっ切り惰眠を貪ってやろうと考えていたのだが、あの声のせいでいつもこのぐらいの時間に目が覚めてしまう。
二度寝しようにも、うるさくて眠れない。
「アル君~? そろそろ起きなさ~い!」
二階のアルフレートが目覚めたことを自慢の地獄耳で即座に察知したのか、トレーニングをしていたシェリーが大声で叫ぶ。
「アル君~! 出てきてよぉ~!」
どうしてこんなことなってしまったのだろうかと、アルフレートは半ばあきらめる様に上体を起こそうとする。
「僕に休みは無いのか……」
そこで身体が右手以外動かないことに気が付く。
重たい何かが自分にのしかかっているような感覚だ。
嫌な予感がして視線を落として身体を確認すると、アルフレートの身体は二人の妹によって拘束状態にあった。
「……リーゼロッテ、起きて」
唯一自由の利く右手で掛け布団を取り払うと、抱き付くようにうつ伏せで寝ているリーゼロッテを揺する。
「……う、うみゅぅ~。まだ、眠いよ~」
「いいから、起きなさい」
「うぐぅ……は~い」
リーゼロッテは眠い目を擦りながら起き上がる。
頭の上に付いている犬耳がピコピコと可愛らしく動いた。寝ぼけているので人の姿への変身が中途半端になっているようだ。
服装は下着一枚という、誰かが見たら誤解されかねない格好だ。
「何で僕のベッドに潜り込んでいるのさ」
「だって、寒いんだもん」
よく見ると、床に脱ぎ散らかされた彼女の寝間着が散乱している。
「そうは見えないけど?」
「……抱き着いて寝てたら暑くなってきて」
「だろうね。おかげで僕も冬だって言うのに汗だくだよ」
言いながら枕元にあったリモコンを操作して暖房を止める。
「だって兄ちゃんにくっ付いてると安心するんだもん」
「…………とにかく早く降りて」
アリサがいないと二人を止める術がないのが問題だった。
寝ている間にこうしてベッドにもぐりこんでくるのだ。
「は~い」
リーゼロッテはよろよろとアルフレートから降りる。と、同時に頭の犬耳も引っ込んで栗色の髪の毛になった。
ついでとばかりにすやすやと寝息を立てているフローラを引き剥がしにかかる。
「ほら、ローラも起きろ~」
「ん、んん……? あ、朝? おはようございます、ご主人……さ――」
挨拶の途中で再びフローラは夢の世界へ旅立った。
しかし、そんなことはお構いなしに、リーゼロッテはフローラをベッドから引き摺り下ろす。
それでもなお、フローラは立ったまま現実世界に帰ってこない。
いつものことである。
「じゃ、僕はシャワー浴びてくるよ」
アルフレートは二人に抱き付かれていたせいで大量の汗をかいたので、一度洗い流さないと気持ち悪くてしょうがなかった。
「あ、じゃああたしも一緒に行く!」
「いや、ダメだから」
「ええ~」
一緒に寝ただけならまだしも、一緒に風呂なんて入ったら今度こそ犯罪になってしまう。ただでさえ二人は11歳という微妙な年頃なのだ。
「……ん?」
どたどたと誰かが階段を駆け上がってくる音がする。
勢いよくアルフレートの部屋のドアが開かれると、満面の笑みを浮かべたシェリーが部屋に入ってきた。
「おっはよぉー! アル君!」
「おはよう、シェリー先生。朝から元気だね」
「うわ、起きちゃってる……」
「そりゃあ、あんな大声で呼ばれたら起きるよ。というか、その起きたらダメだったみたいな反応は何なんだ……」
シェリーはうって変わってつまらなそうな声で呟く。
「せっかく、お姉ちゃんがアル君を優しく起こしてあげようと思ってたのに……」
「それは残念だったね。じゃあ、僕はシャワー浴びに行くから」
「えっ、お風呂入るの?」
「う、うん? まあ、シャワーだけのつもりだけど……」
シェリーは少し困ったように視線を泳がせた。
「……私も朝の訓練が終わったところだから、行こうと思ってたんだけど」
「そ、そうなの。じゃあ、先に入る?」
「う~ん、でも、それはそれでアル君に悪い気もするし……」
シェリーは腕を組んで何かを考えていたが、すぐに大真面目な顔で提案した。
「じゃ、一緒に入ろっか」
「…………」
アルフレートはシェリーの横を通り過ぎて、部屋から出る。
「あれ? アル君?」
シェリーはアルフレートに連れ添うようについて来た。
「……ついて来ないでよ」
「別にいいじゃない、昔は一緒に入っていたんだし。この家のお風呂、シャワー3つもあるんだから」
昔とはいったい何年前だろうか。
学園の友人たちにはずっとひた隠しにしてきたが、アルフレートは6年前に家の前で倒れていたシェリーを発見し、介抱したことがあった。
なんでも、魔法軍の上官に出された無茶な訓練をやり遂げて、疲れ果てて倒れたのだそうだ。
アルフレートが記憶を失ってすぐの出来事であり、彼にしてみれば初めて出会った自分を知らない人物がシェリー・メルヴィルという女性なのだ。
それからシェリーは3か月ほどクルーガー家に厄介になり、記憶のないアルフレートに様々なことを教えた。
アルフレートにしてみれば両親よりも近しい女性であり、実の姉のように思っている。
「シェリー先生――いや、シェル姉ちゃん」
「な、なに?」
久しぶりにアルフレートに愛称で呼ばれて、シェリーは期待するように彼の言葉を待った。
アルフレートは立ち止まり、そんなシェリーを睨みつける。
「バカなの?」
「――へ?」
凍り付いたシェリーをおいて、お風呂場へと向かう。
アルフレートはシェリーのこういうところが嫌だった。
大人が子供に接するような――それこそアルフレートが10歳の時と何も変わらないノリで話すのだ。
アデライード王国の成人は16歳。アルフレートは立派な大人の仲間入りをしたはずだ。
いまだ学生ではあるが、レティス第二王女の近衛7騎士でもある。
子供扱いされるのは我慢ならなかった。特にシェリーからは。
「――ってなんで、お前たちもついてくるかな」
さも当然のように並んで歩く妹二人を睨む。
「だ、だってあたしたちも汗かいたし……」
「……僕の後でシェル姉ちゃんと一緒に入ってよ」
「うう……。は~い」
リーゼロッテは渋々といった感じで承諾した。
アルフレートはシャワーで汗を流しながら先ほどの会話を思い出し、苛立ちをぶつけるように壁のタイルを殴りつける。
あの発言は、さすがにショックだった。
あれは、アルフレートのことをなんとも思っていないからこそ言える台詞だからだ。
アルフレートはシェリーが自分のことを男として見ていないことは分かっていた。
たぶん、実の弟のように思っていてくれている。これからもずっとそうだろう。
これからもずっと、シェリーにとってアルフレートは年の離れた可愛い弟なのだ。
本当は血も繋がっていないはずなのに。
汗を流し終え、シャワーを止める。
学園でシェリーが同じ教師であるダリウス・ハルフォードと並んで歩いている姿を思い出す。
自然と噛み締めた奥歯に力が加わり、ガリっという音がする。
「血が繋がっていれば諦めがついたのにな……」
大きなため息をつく。
露天風呂へと続くガラス窓から空を見上げると、雲一つない青空が広がっていた。
自分の気持ちを伝えてスッパリと断られれば、このモヤモヤとした気持ちも、あの空のように晴れたりするのだろうか。
アルフレートは言いようのない虚しさを覚えながら脱衣所へと戻った。
全員がシャワーを終えた出た後、アルフレートの母親のルーツィアが作った朝食を食べる。
「そういえば、シェリーちゃん。アルにはもう伝えたの?」
食後にルーツィアが思い出したように言う。
「あ、ううん。なんかタイミング逃しちゃって」
「そうだったのか? なら今言ったらどうだ」
そう言ってニヤリと笑うのは、アルフレートの父親のユリウスだ。
「そうね……ごほん」
シェリーはわざとらしい咳払いをすると、真剣な目でアルフレートを見た。
「な、何? どうしたの?」
アルフレートは何故だか、途轍もなく嫌な予感がして声が擦れた。
「あのね、アル君。私、ダリウス先生と結婚することにしたの」
「え――」
一瞬、アルフレートの時間が止まる。
結婚という言葉の意味するところを受け入れられず、アルフレートは奇妙な浮遊感に襲われた。
自分はここにいるはずなのに、ここにいないような、まるで夢でも見ているかのような感覚だ。
「それって……どういうこと?」
やっとの思いで声を絞り出すと、今度は心臓が激しく脈打ちだし、全身から嫌な汗が噴き出し始めた。
「私が戦災孤児だってことは知ってるよね?」
「う、うん」
シェリーの両親はレオンティウスとの戦争で亡くなったのだ。
他に親戚もいなかったシェリーは、両親の親友だった人に育ててもらったらしい。
その人もシェリーがエウニス学園に通っている時期に病気で亡くなってしまったという話をアルフレートは思い出した。
「ずっと独りだったから、昔から家族ってものに憧れていたの。だからダリウスさんが家族になろうって言ってくれて、本当に嬉しかったんだ……」
シェリーは、えへへと照れ笑いを浮かべる。
アルフレートはシェリーのそんな表情は生まれて初めて見た。
それと同時に、自分の中で何かが崩れていくのが感じられた。
「……え、えっと。じょ、冗談……とか?」
「こんな大事なこと、冗談で言わないよ」
シェリーの目はいたって真剣だ。
「そ、そうなんだ……ホントなんだ……」
「おい、アルフレート。お前とシェリーは本当の姉弟のように仲が良かったじゃないか。ちゃんと祝ってやりなさい」
ユリウスが注意するような口調で言う。
「あ、いや、ごめん。ちょっと驚いて……あはは。お、おめでとう、シェル姉ちゃん」
アルフレートはそうやって笑いながら、自分の心を凍り付かせた。
ここで喜ばなければ、シェリーを傷つけることになる。そんなこと、アルフレートには絶対に出来なかった。
「そうそう、アルには渡さなきゃいけない物があるんだった」
ルーツィアはニコニコしながら近くの棚の上に置いてあった封筒を手に取る。
「今度は何?」
「え〜っと、ルクレツィア・クラインって子からよ」
「ルクレツィア? ああ、それルクレーシャだね」
アルフレートはルーツィアから封筒を受け取ると、封を開ける。
「もしかして彼女?」
「ち、違うよ! 友達!」
封筒の中には、二枚の手紙と切符が入っていた。
「これ、エウニス学園までの電車の切符みたいだ。それも三枚」
「切符? ああ、そういうことか」
シェリーが何か納得するように呟く。
「何か知ってるの?」
「ちょっとね。とりあえず、手紙を読んでみるといいわよ」
アルフレートはシェリーの態度を不審に思いながら、手紙に目を通す。
親愛なるアルへ
お元気ですか。
私はあなたに会えなくて寂しいです。
やっぱり私にはあなたが必要みたい。三週間も会えないなんて耐えられないわ。
そこで、年明け後の一週間ほど、北部の別荘に遊びに来てくれないかしら。もちろん、ローラとロッテも一緒に。
レティスとジェイクも誘っておいたから、絶対来てよね。
みんなで思いっきり楽しみましょう。
あなたのティアより。
追伸。
手紙なんて初めて書いたから、書き方とか間違っていたらごめんなさい。
詳しい日時、場所は別紙に記してあるので、確認お願いね。
「…………」
アルフレートはごくりとつばを飲み込む。
これはまるで――
「なんか恋人に宛てた手紙みたいね」
「うわぁ! シェル姉ちゃん?」
いつの間にか、シェリーがアルフレートの後ろから覗き込むようにして手紙を読んでいた。
「勝手に人の手紙読まないでよ!」
「ご、ごめん、つい」
ぶんぶんと手を振り回して追い払う。
「それにしてもティアちゃん、手紙だとすごく素直。良かったわね、アル君」
シェリーはニヤニヤといやらしい笑顔を浮かべる。
「べ、別にそういうのじゃないから」
恐らくだが、この手紙にそういう意図は全くない。
誰かに手紙の書き方を聞いて、勘違いしたその相手がラブレターの書き方をティアに教えたのだろう。
でなければ、レティスやジェイクの名前を出すとは思えない。
「あら、そうなの? じゃあ、本命はシアメイちゃんかしら?」
「だから! 僕はティアともシアメイともただの友達で、それ以上の関係じゃないから!」
アルフレートは大声で言いきった。
「ふ~ん、つまんないの。でも、その別荘へのお誘いは受けるんでしょ?」
「そりゃ、友達からの誘いだからね」
「そう。ちなみにそれ、私も行くからね」
「え、どうして?」
「私は私で、セルゲイさんに呼ばれてるのよ。ていうかその手紙、セルゲイさんの差し金よ。アル君とジェイク君も呼びたいって言ってたもの」
ティアの手紙とシェリーを交互に見ながらアルフレートは尋ねる。
「手紙には、『遊びに来て』って書いてあるけど……?」
「へえ、妙に察しが良いのね、アル君。でも大丈夫よ、ちゃんと遊びの時間も作ってあげるから」
「いや、待って、どうしてセルゲイさんは直接僕に誘いを入れないの? ていうか何をする気なの?」
アルフレートがあからさまに怪しいシェリーに質問を浴びせると、シェリーはニカッと笑って言い放った。
「大丈夫よ、私がアル君に初めて会った時にやってた訓練よりはマシだと思うから」
アルフレートは死にかけで倒れていたシェリーの姿を思い出し、逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。
シェリーとアルフレートの関係をやっと公開出来ました。
アルフレートには悪いですが、シェリーは彼のことを全く異性として見ていません。
見た目がほぼ女の子なので、弟というよりも妹として見ている節もあるくらいですね。
それと、クルーガー家の風呂が巨大な理由は、大和国を旅行していたアルの両親が、大和国の旅館の風呂を気に入って真似して作ったからです。




