第二話 ルクレーシャ・クライン
この話から登場する携帯端末という機械ですが、スマートフォンだと思ってもらって大丈夫です。
水と魔法の国、アデライード王国。
シアメイの故郷から海を越えて遙か西に位置する大国にして、世界最強の魔道士が集う王国。
有名な武術家の家に生まれた彼女は、幼い頃から強さを追い求め、ついには西の国の魔法という力すら求めて、このアデライード王国のエウニス学園に留学した。
彼女は魔道士としての才能にも恵まれ、入学から一ヵ月ほどで平均的な大人の魔道士と同等の力を手に入れていた。
当然、クラスでの成績は一番。そんな順風満帆とも言える日々を送っていたのだが、先日の一年生同士の試合で別のクラスの生徒に不意を突かれ、敗北した。
格下だと思っていた相手に敗れて悔し涙を流したが、それは彼女にある種の高揚感を感じさせる事に繋がった。
同年代で自分を上回る人間がいる。その事実が武術家である彼女の胸を高鳴らせていた。
「ねえ、シアメイ。途中でティアの家に寄る予定なんだけど、いいよね?」
そして現在、能天気な顔でシアメイの隣を歩いている少年が、その対戦相手だったアルフレート・クルーガーだ。
金髪碧眼で女顔の気弱そうな少年だが、足の速さと体力だけならばシアメイどころか全校生徒の中で一番の成績を誇っていた。
「うん? まあ……別にいいけど? ボクが勝手についてきてる訳だし」
「よかった。ティアにもちゃんと紹介するよ」
先日の敗戦からアルフレートに興味を持ったシアメイは、休日に男子寮を訪ねた。
するとアルフレートは駅前のショッピングモールに服を買いに行くところだというので、これ幸いとばかりに同行したという訳だ。勝手に付いてきている身分なので、彼がどこに寄ろうと特に文句はなかった。
「それでそのティアって、いったい誰なんだい?」
「あれ、知らない? ルクレーシャ・クライン。昨日の試合で優勝した女の子だよ」
「ルクレーシャ? ティアじゃなかったの?」
「ああ、そっか。シアメイの国では習わないのか」
そう呟くと、アルフレートは携帯端末を取り出し、何やら操作し始める。
横から画面を覗き見ると、そこにはシアメイが苦手としている文字が羅列されていた。
「うわぁ、よりにもよってこの国の古代文字か……」
シアメイはアルフレート以上に古典の授業には付いていけていなかった。
彼女の母国の古代文字とは全く違うものだからだ。
「ルクレーシャはこう書くんだけど……」
アルフレートが見せてきた端末の画面には『Lucretia』と表示されている。
「えっと――るーくれ……」
その文字は、シアメイがここ数ヶ月で教えてもらった知識ではルクレーシャとは到底読むことが出来ないものだった。
「この最後の三文字だけで読むと、ティアになるんだよ」
わざわざそんな面倒な愛称で呼ばなくてもいいのにと思ったが、口には出さない。
そんなことよりも、ルクレーシャ・クラインという人物に興味があった。
「なるほどね……ティアって愛称は知らなかったけど、ルクレーシャ・クラインって名前は憶えているよ。君が決勝戦で負けた相手だ」
「うっ……確かにそうだけど、その覚え方はどうなのさ」
「だって、このボクに勝ったっていうのに、優勝出来ないなんて腹立たしかったからさ」
「シアメイだってあの試合は見ていたでしょ? ティアは特別だよ」
ティアはアルフレートをたったの一撃で倒してしまったのだ。
シアメイの国に『外にも天あり、外にも人あり』という言葉があるが、シアメイ自身が実感することになるとは夢にも思っていないことだった。
「まあ、確かにすごかったけど。というか、悪かったね。もしかして今日はデートの予定だったりしたのかい?」
「え? い、いや、そんなまさか。ティアとはただの友達だよ……」
アルフレートは真っ赤になって否定する。
「そうなの? でも、彼女に会いに行く予定だったんだろ?」
「いや、そういうわけじゃなくて――あ、ここだよ!」
何か言いかけたところで足を止め、彼は一軒の豪邸を指さす。
「ここがその、クラインさんの家かい?」
付近は高級住宅街なのだが、彼女の家の敷地はダントツで広く、そこかしこに監視カメラが設置されている。
家の塀や正面の門はシアメイの背の二倍はあろうかという高さだ。
アルフレートは、少しだけ緊張した面持ちで門の横にあったインターホンを押す。
『はい――あ、クルーガー君! すぐ開けるから中まで入って来て』
監視カメラでこちらを見たのだろう。名乗らずとも、すぐさま門が自動で開いた。
二人で敷地内に踏み入ると、今度は自動で門が閉まる。すると奥の屋敷の扉がゆっくりと開き、ティアがひょっこりと顔を覗かせた。
「おはよう。クルーガー君」
「おはよう、ティア――」
アルフレートとティアが挨拶を交わしたところで、彼女の家の玄関から二つの影が飛び出した。
「んなっ! アルフレート君、危ない!」
「えっ?」
間一髪。それに飛びつかれそうになったアルフレートをシアメイが押し倒して助ける。
シアメイはすぐさま体制を立て直し、構える。
一撃目を逃した二匹のそれは、唸りながらゆっくりと彼女を睨み付けてきた。
「……クラインさん、どういうつもりだい?」
それは、人間二人分ほどの大きさの巨大な犬だった。
人間の腕くらいなら一口で噛みちぎってしまえそうな鋭い牙が見え、息をのむ。
「えっと、どうっていうか……」
学園の外では魔法を使うことを禁止されているのだが、もはやそんなことは言っていられない。
二匹に両手をかざし、手のひらに魔力を集中、空中に魔法陣を出現させる。
「ス、ストップ、シアメイ! 大丈夫だから」
アルフレートがシアメイの正面に回り込んで二匹をかばう。
「え、ちょっと――」
すると、二匹の犬は彼にすり寄ってみせた。
「ね? 大丈夫でしょ?」
そう言って、彼は二匹を撫でる。
確かに、よく懐いているようで危険はなさそうだった。シアメイは魔法陣を消すと、息を吐く。
「なんだ……ボクはてっきりクラインさんが軍用犬でもけしかけたのかと思ったよ」
「し、失礼ね。なんでわたしがそんなことしなくちゃいけないのよ」
「はは、まあ確かにそうだけど。でもさ、ペットなら首輪ぐらい付けたら? 正直これは誰だって驚くと思うけど」
これほど大型の犬種に飛びかかられれば、アルフレートといえど危なかっただろう。
「う~ん。ペットってわけじゃないのよね。ていうか、あなたは?」
「ボクは黎夏美。アルフレート君とは昨日の試合で知り合ったんだ」
試合という言葉を聞いて、ティアは「ああ」と思い出したような声をあげる。
「どこかで見たと思ったら、クルーガー君と砂漠フィールドで戦っていたわね」
「……見てたのか。できれば、試合の内容は忘れて欲しいな」
シアメイは苦笑いを浮かべて目を反らす。負けて泣いた試合を覚えられているのは恥ずかしかった。
「わたしはルクレーシャ・クライン。よろしくね」
「うん。よろしく」
シアメイは頭からつま先まで、じっくりと彼女を観察する。
長い銀髪に黄金色の瞳。背はシアメイよりも高いがアデライード国では平均よりやや高い程度。肌は透き通るように白く、手足は細い。
正直言ってかなりの美人だ。
西の国の人はみんな大人っぽく、すべからく美人に見えてしまうが、彼女はその中でも別格だろう。
「ええっと……な、何かしら?」
あまりにも露骨に観察されたため、ティアは警戒して両腕を抱く。
「ああ、ごめん。ただちょっと、その身体のどこにあんな力が入ってるんだろうと思って」
アルフレートとの決勝戦。あれはもはや試合でも何でもなかった。
開始と同時にティアが超巨大な炎魔法を放ち、アルフレートは一瞬で燃やし尽くされてしまったのだ。
あれが訓練用のシミュレーターマシンでなかったら大変なことになっていたところだ。
「う~ん。それに関してはわたしにもさっぱり。初めて魔法を使った時から、炎魔法はあの大きさだったわ」
「…………」
シアメイも土魔法だけ妙に得意だが理由は全く分からない。
魔法の教科書にも属性の得意不得意については記されておらず、教師に聞いても生まれ持った才能だと言いきられてしまったのだ。
「そうだ。クラインさん、今日空いてる? これからアルフレート君と駅前に買い物に行くんだけど、一緒に行かないかい?」
「え? それは……いいのかしら。デートなんじゃないの?」
「いやいや違うから。特に二人きりで出かけたかった訳でもないし。アルフレート君もいいでしょ?」
振り返りアルフレートに話しかけると、彼は二匹の犬と楽しそうにじゃれあっていた。
「…………何してんのさ?」
「い、いや、この子たちが離れてくれなくて。それで、何の話?」
「クラインさんも一緒に街に出かけようって話」
「僕は構わないけど、ティアはいいの?」
アルフレートが尋ねると、ティアは少しだけ困った顔をする。
「わたしはぜひ行きたいのだけど――」
「――ダメですよ」
「やっぱり……」
ティアがガックリと肩を落とす。
すると開けっ放しだった家の玄関から一人の男が姿を現した。
背が高く、右眉の上あたりから縦に刃物で斬られたような傷跡がある、目つきの鋭い男だ。
「えっと、ティア、この人は?」
「紹介するわ。彼はマサムネ。わたしのボディーガードなの」
「へえ、ボディーガードね。しかもボクと同じ東方人なのか」
マサムネと呼ばれた男は、夜のように真っ黒な髪をしていた。
それこそが海を隔てた遥か東方の国の出身である証だ。黒髪を持つ人種はこの世界で東の国の人間だけなのだ。
また、東方人はシアメイのように武術を嗜むものが多い。近年では外国にボディーガードとしてスカウトされる者もいるのだとか。
しかし、魔道士が多いこの国でもボディーガードをこなせているとなると、彼の実力は計り知れないものがある。
「とっても強いのよ。マサムネの剣なんて速すぎて見えないもの」
シアメイはマサムネの腰のベルトに差してある刀に目をやる。
刀の形から見て、彼は自分と同じ東方人ではあるが、幾つもある小国の中で別の国の出身だろうと予想できた。
シアメイがマサムネの戦闘力に意識を向ける中で、アルフレートが話題を元に戻した。
「それで、どうしてティアは一緒に出掛けちゃダメなんですか?」
「個人的には俺もティア様の願いを叶えて差し上げたい気持ちはあるのだが、ここ最近物騒な事件が増えているようでな。特に魔道士が被害に会っていると聞く。申し訳ないが許可できない」
マサムネの言葉に違和感を覚えたシアメイが口を挟む。
「でも、あなたがいれば大丈夫なんじゃないですか? その為のボディーガードですよね」
シアメイは『気』と呼ばれる全ての生き物が持っている生命エネルギーを感じ取ることで、相手の実力をある程度知ることが出来るのだが、マサムネは明らかに超人の域に達していた。
どのような事件が増えているのかは知らないが、彼の実力ならばよほど計画的に練られた犯行でない限りはティアを守ることなど造作もないだろう。
「ティア様一人ならな。君たち二人もとなると、そう上手くはいかない」
「え、ボクたちを?」
「ああ。三人を一人で守りきるのは中々にリスクが高い。ティア様を危険に晒すことになる。しかし目の前で襲われているのに助けないわけにもいかんしな……」
「何を言ってるんですか。あなたはクラインさんだけを守っていてください。ボクたちまで守る必要なんてないですよ」
シアメイが主張するとマサムネは呆れたような顔をした。
「君たちがこの国で、自分の身を自分たちだけで守れる訳ないだろう」
「なっ!?」
マサムネの一言にシアメイは目を見開いて驚いた後、奥歯に力を込め、静かに拳を握りしめた。
必死に怒りを抑えようとしたが、マサムネはシアメイの気の変化を感じ取ったので彼女が不機嫌になったのを瞬時に理解した。
「君も俺と同じ東方人だ。自分の実力にある程度の自身を持っていることは分かる。だがな、この国の人間を舐めない方がいい。相手は一般人ではなく、魔道士の可能性だってある」
「で、でもっ――」
「僕たちなら大丈夫ですよ。自分の身は自分で守れる。僕もシアメイもこの前の学園の試合ではかなり優秀な成績を収めたんですよ?」
アルフレートが、シアメイが言わんとしていたことを代弁する。
彼も同じ気持ちのようだ。
「何を言おうと返事は変わらん。学園の模擬戦がどれだけ実戦に近い形で行われていたとしても、所詮は学生同士の戦いだろう。相手は大人、それも犯罪者だ。何をしてくるかなど分からんのだぞ」
「――っ、年齢なんて関係ないだろ、ボクはその辺の大人なんかよりずっと強い!」
シアメイがつい声を荒げてしまった次の瞬間。
彼女の喉元には鋼の刃が突き付けられていた。
「ちょ、ちょっとマサムネ! 何やってるのよ!」
ティアに注意され、マサムネは刀を鞘にしまう。
「君は――君たちは自分の力を過信しすぎだ。成績がいいと言ってもトップがティア様なのは知っている。はっきり言ってティア様より弱い君たちでは、話にならん」
「くっ……」
シアメイとアルフレートは何も言い返せず黙り込む。
二人ともティアより弱いことは明白で、先ほどのマサムネの動きを目で捉えることすら出来なかった。
「……学園でティア様と仲良くしてくれていることには感謝している。悪く思わないでくれ。それと、無理強いをするつもりはないが、君たちも街へ行くのは控えた方がいいだろう。ここ最近の事件は他人事ではない気がするのでな」
それだけ言って、マサムネは家の中へ戻って行った。




