第十話 ライバル
体育館から出ると、すっかり雨は上がり、空は夕焼けで染まっていた。
マサムネは今日の結果を先生達に報告すると言って、職員室へと向かっていく。
ふと、シアメイは思い出したようにティアに声をかけた。
「寮の部屋だけど、アリサの部屋の隣が空いてるらしいよ」
「ええ。アリサから聞いているわ。元々私はそこに入る予定だったみたい。それと、今日はありがとう、シアメイさん」
ティアが少し小さい声でお礼を言う。
「うん? ボク、お礼を言われるようなこと、何かしたかな?」
ティアがシアメイの左手を両手で握る。
「こうして寮に入れることになったのも、全部あなたのおかげじゃない」
「そ、そんなこと……」
シアメイは真剣な表情のティアに何と言っていいのか分からず、言葉を詰まらせる。
彼女の黄金色の瞳は、とても美しくて、真っ直ぐにシアメイを見ていた。
「こ、今回の件は、ボクが言い始めたことが結果的にクラインさんにとって良い方向に転がっただけだよ。そもそも一撃入れたのはアルフレート君だし……」
「もちろんクルーガー君たちにも感謝しているわ。それでも……例え偶然だったとしても、私は嬉しかったのよ。あなたにお礼を言いたくなったの」
「……そ、そう?」
「ええ、そうよ。だからありがとう、シアメイさん」
シアメイは自分が置かれた状況に軽いパニックに陥った。
ティアの仕草や表情に異様な色気のようなものを感じたからだ。
言うなれば、美女が男に使うような、そんな色っぽい視線が女の自分に向けられているような気がして、握られた手や贈られた感謝の言葉に別の意味があるのではないかと勘繰ってしまうほどだった。
「あ、あのクラインさん。分かったから、そろそろ放して欲しいんだけど……」
「え?」
「このままだと、妙な噂が流れそうだから」
目で周りを見るように促す。
少し離れたところで、ジェイクたちがニヤニヤといやらしい笑顔を浮かべながら、二人を観察していた。
下品な顔だ。後で殴ろうとシアメイは思った。
「ご、ごめんなさい」
ティアは慌てて手を離す。
「あ、あのね、シアメイさん。実は……お願いがあるんだけど」
「お願い?」
「昨日、一度だけだけど、私の事、呼び捨てにしたでしょ」
「……そうだっけ?」
あまり意識していなかったのだろう。呼んだと言われればそんな気もするが、呼んでいないような気もした。
「よ、呼んだわよ。『ティア』って呼んだ!」
「そ、そう。えっと……それで?」
「うん。だからね。これからも、出来たらそう呼んで欲しいなって。私たち……と、友達でしょ?」
ここまで照れて友達と言われると、シアメイまで照れ臭くなってきた。
「……分かった。じゃあこれからはティアって呼ぶよ。ボクのこともシアメイって呼んでいいから」
「う、うん。分かったわ、シアメイ!」
彼女の笑顔は、それはもう綺麗なものだった。
シアメイはカメラマンではないけれど、シャッターチャンスとはこういう時の事を言うのだろうと思った。
「な~んか、面白そうな話してるじゃねえか」
気が付くと、ジェイクたちがすぐ近くにいた。
「ちょうどいいしよ、俺たちのことも名前で呼んでくれよ」
「いいの?」
「いいに決まってんだろ。なあ、アル」
「うん。僕の事はアルって呼んでよ」
ティアは急に身を翻すと、うずくまる。
「あれ? ティア?」
泣いているのかと思いきや、今度は急に立ち上がり深呼吸をする。
「よしっ!」
くるりと綺麗なターンで皆に向き直ったティアは、自信に満ちたいつもの彼女だった。
「シアメイ、アリサ、アル、ジェイク、ローラにロッテ、これからもよろしくね!」
彼女のテンションにつられるように、全員が元気のいい返事を返した。
その後、マサムネが戻って来るまでの間、ティアはずっとニコニコと笑いながら学園から見える夜景を眺めていた。
あまりにも嬉しそうだったので、近くで一緒に景色を見ていたアルフレートは自分まで嬉しくなって声をかける。
「嬉しそうだね、ティア」
「当り前よ。ずっと……ずっと、ずうっと、こんな日を待っていたんだから」
「なんだか、欲しかったものを買ってもらった子供みたい」
「違うわ。だって友達はお金じゃ買えないもの」
職員室で報告を終えたマサムネが戻り、ティアを乗せた車が走り出す。
学園から伸びる坂を下り、どんどん小さくなる車をアルフレートが見送っていると、隣にいたシアメイが口を開く。
「今日はカッコよかったよ、アルフレート君」
「なにさ、急に」
「結局、師匠に一撃を入れられたのは君だけだった。悔しいけど、かなり差を付けられたみたいだね」
ティアの女子寮への入寮の方が大ニュースだったので、アルフレートの記憶からすっかり抜け落ちていたが、シアメイがマサムネを師匠と呼んだことで、彼はその事を思い出した。
「でもさ……ボクがこのまま引き下がるとは思っていないよね?」
シアメイはアルフレートに向き直り、拳を突き出す。
「必ず、君に追いつく。追い付いて君も、ティアも、いつかは師匠をも越える武術家に……いや、魔道士になってやるから」
「うん」
彼女の宣誓に返すように、アルフレートは自身の拳と彼女の拳を合わせた。
初めて会った時、挑発的かつ高圧的な彼女が少し苦手だった。
だが今日の一件で、アルフレートの彼女に対する苦手意識は綺麗さっぱりなくなったと言っていいだろう。
「なんかいいね。ライバルっぽいよ、ボクたち」
「ライバルか」
ふと、風に揺れるシアメイのスカートに目がいく。
「……女の子のライバルってのも珍しいかな」
アルフレートの視線に気付いたのか、シアメイがスカートを押さえる。
「アルフレート君、さっきのこと思い出しただろ……」
「い、いや、それは……そんなことない……よ?」
問い詰められて、逆に鮮明に思い出してしまった。
「……隙あり」
「うわっ!」
アルフレートが目を逸らした隙をついて、シアメイは彼の額を指で弾く。
「いってて……何するのさ」
「そのスケベなところ直さないと、簡単に足もと救われるよ? アル君」
「……き、気を付けます」
シアメイはけらけらと楽しそうに笑いながら学生寮の方向へ歩き出す。
「やっぱり苦手かも」