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 その日は一日中、ダラダラと授業を聞き流している間に、俺の頭の中では何人もの自分が輪になって会議を開いていた。それは現状の打開の為の緊急会議である。

 議題はもっぱら、いつから渼子はあんなに異常になってしまったのかってことについてだ。

  思い返せば、俺達が出逢ったのは8年、いやもっと前.....だったか。あの時、あんな邂逅を果たしてしまったのがそもそも悪かった可能性は否めない。

  確かに、渼子から見たらその時の俺は格好がよく映ったかもしれない。だがあれは完全に偶然だった。正直まぁ、言ってしまえば渼子じゃなくても、例え犬とかでも助けていただろう。うん。多分。

  ............うーん.......もしかしたらあいつは、あの時の約束を律儀に実行し続けているのか。だとしたら、あれは一方的に約束してしまった俺の落ち度だと言える。だからこんな回りくどい方法でしか接する事が出来ないのも、渼子がそういう選択をしてしまっているのも、元はと言えば俺が悪いのかもしれない.......と、少し思う。

  駄目だ、いくら1人で考えてもラチがあかない。いつも同じような結論に至ってしまう。

  ここでふと、自分の負い目を振り払うように黒板を見る。黒板は既にびっしりと小さな文字で埋め尽くされていた。

  ああ。そういえばもう今は6限か。ちょうど世界史の先生の頭頂部の禿げが見える。

 世界史をやる時はいっつも憂鬱だ。

  一体全体、なんでこんな過去の出来事を事細かに覚えにゃならんのだ。今の時代は目まぐるしく変化し続けているというのに、何が嫌でこんな古臭い先人の知恵にあやからなきゃならんのか。

  この地球46億年の歴史の中じゃ、ここに写っている偉人達も、今授業を受けている俺達も、すべからくその長い歳月の1部分でしかないし、そうやって視野を広げてみれば、俺がたとえ100年も長生きしたところで、そんな一生は大方ダニ未満の大きさでしかないだろう。

  ーーーしたがって、

  俺が今板書を写すのをすっぽかした所で、なんの問題もない。.......というかすげー眠い。

  周りのカリカリとノートに書き込んでいく音と、先生の子守歌みたいな話が、俺の快眠を見事に助長していた。家で寝るよりぐっすり眠れそうだよ、本当。

  俺は自然と眠りについてしまった。



 キーンコーンカーンコーン...

  むっ、チャイムが鳴っていたのか、一斉に生徒が起立し始めている。慌てて俺も起立し、号令に合わせて頭を下げる。あちゃー、またノート真っ白だよ。

  しかし過去は振り返っても仕方がない。次頑張ればいいのさ、次に。

  半ばヤケになった気持ちでリュックに荷物を詰め込んでいき、放課後の教室の喧騒からとっとと退散しようと出口に向かうと、クラスの明るい感じの子に声をかけられる。

  若干抑えめな声で、周りの目を少々気にしているのかしきりに前髪をいじっていた。

「あ、あのさ、私の部活の子が柑子くんのLINEが欲しいっていっててね?...あのーできたら交換して欲しいんだけど.....」

  はて、誰だこの人は。新クラスになって1ヶ月とたっていないし、俺はまだ人の顔と名前が一致していなかった。

  しかしながら名前を知らない事を悟られると失礼だし、とりあえずさっさと交換してしまおう。

  俺はリュックから携帯を取り出す。

「ああ、いっすよ、全然」

  「ありがとー」と言って相手も携帯を取り出すのを何となしに見ていると、その女子の後方数メートルからとんでもない邪気を感じた。

「.....................」

  ......渼子が無言でこちらを見つめていた。

  その表情は怒っているわけでも冷めているわけでもなく、ただ薄い微笑をたたえるのみで、それがかえって不気味に感じられた。

  正直に言えばマズイところを見られたと思った。多分寿命が2年ほど縮まっただろう。

「じゃああの、俺部活行かなきゃだから....」

  ごめんと一言つけて、相手の名前を追加するや否や俺はその場を後にする。あの女子には申し訳ないが、渼子の視界にこれ以上長居をするべきではないと、俺の本能がそう告げていた。

  渼子から遠い方の扉から廊下に出る。そこからもずっと背中に視線を感じながら、俺は振り返らず部室に向かって歩き続けた。


  部室棟に入ってしばらく歩くと、やっと呪縛から解放された気分になった。渼子はテニス部だから、放課後は基本的にフリーなのだ。

  監視のない自由をかみしめながら部室の前まで歩く。ここは「文芸部」の部室である。

  俺はガラガラと音を立てて扉を開けた。ここなら俺も安心できーーー

「遅かったわね腐れミカン」

  ーーーなかった。

「勘弁してくださいよ京極さん.....」

  部室で優雅に文庫本を読んでいる小柄なこのお方は京極(きょうごく)雛代(ひなよ)様。頭脳明晰運動神経抜群、芸術の才能も豊かで合気道有段者、更に自他共に認める美貌を持つ悪魔超人である。神は二物を与えずと言うので多分この人は神なんだろう。

「ふっ。あなたいつまでその敬語使うつもりなの?」

  鼻で笑いながら俺に質問をする。

「いや今更直そうとしても直んないんすよねこれ」

  そう、実は彼女は同学年、さらに言えば幼馴染である。

  最初会った時は当然タメ口だったが、気づいたら恐れからか敬語になっていた。京極さん半端ない。

  俺はそのシニヨンのようにまとめられた黒髪と、鳶色の瞳を見る度にいつも震え上がってしまうのだった。

「........そう。まぁいいわ。それで今日はどうして5分24秒遅刻したの?」

  秒刻みですか。というか文芸部を時間に厳しい部活にする意味はあまりないと思うのですが。

「えーっとですね。何か、クラスの人にLINEを交換して欲しいと頼まれまして。それで少しもたついてしまっただけでして....」

「誰に?」

  京極さんの尋問は続く。まぁ隠すこともないし素直に話そう。

「女子ッス。名前はちょっと分からなかったんですが」

  京極さんの眉毛がピクッと動いた。あれ?もしかして地雷踏んだ?

「こんなミカン野郎に頼むなんて、きっと柑橘系の芳香剤が余程欲しかったのね」

「いや違うと思いますけど......」

  さっきからちょいちょいミカンいじりをされるが、それは俺の柑子(こうじ)という名前に由来する部分がある。俺が生まれた時に庭の木に柑子というミカンがなっていたことから名付けられたそうなのだが、それじゃあまりに浅慮過ぎるだろう。しかし今更嘆いたところで定着してしまった名前を変える訳にもいかず。日々この人のいびりに付き合っているのだ。

  俺はリュックを下ろしながら京極さんの向かいに座る。さて、彼女にならってこっちも文庫本でも読むとするか、それとも明日提出する課題を先にやってしまおうか。

  この文芸部は別に小説を作ったり何だりはせず、単に京極さんの暇潰しのために存在するようなもので、俺も去年無理矢理入部させられてしまった。だから特にやることも無いと言えば無いのだ。

  先に課題をやることにして問題集を引っ張り出す俺に、京極さんがぽつりと話しかけてくる。

「........そういえばあなた」

「なんすか?」

  問題集に目を落としつつ聞き返す。

「渼子とはどうなったの。まだ妙な嫌がらせを受けているのかしら」

  ぎくりとして京極さんを見るが、向こうも文庫本に目を落としたままでその真意は伺えない。

  説明すると、俺と京極雛代と間渼子は中学の頃からの知り合いだ。実は俺と渼子の妙な関係は中学から始まっていて、その相談に乗ってくれたのが京極さんであり、ゆえに知り合いとは言え渼子と京極さんは友達って感じとはいえない。

  とりあえず今は渼子の話はスルーだ。これは俺とあいつの問題。今は京極さんの力を借りずとも自分の力でなんとかしたかった。

「あんまりないっすね。クラスで目が合う事もないっす」

「そう。それならいいわ」

  ........ふぅーっ。いつもなら俺の嘘は一瞬で看破されてしまうが、今回はなんとかなったようだ。

 ただ、何か重たい沈黙が2人の間に横たわり、微妙に気まずい空気になる。俺は急いで話題を探した。

「えー、そういえば新入生の中でここに入部してくる人いますかね。今のところ俺たち2人しかいませんけど」

  俺自身この部室の居心地は嫌いではない。だから廃部とかになるのは少しばかり嫌だった。

「あら、何を言っているの。文芸部員は現在5人もいるわ。これ以上入部希望者を募る必要はないじゃない」

  ん......あれ?そうなの?

「え、俺見たこと無いっすけど、他の部員とか」

「.....ふふっ、それはそうでしょうね。なんせ他3人は私が仕込んだ幽霊部員だもの」

  なっ、部の存続の為にそこまでやっていたのか。どんだけここが気に入っているんだ。

  .....ただ、その3人の出所は大体察しがつく。

「......それ、あれっすか。あの親衛隊みたいな奴らが入ってるってことすか」

  この学校には京極さんに惚れ込んで舎弟にはいった輩が多数存在し、通称ssと呼ばれるそいつらを、京極さんは常に使役しているのだ。

「そうね。まぁそんなところだわ。.....ただ、あまり詮索はよした方がいいと思うけれど」

  ニコリと悪魔的な笑みを浮かべる。ヒェッ.......と思わず声に出してしまいそうな威圧感だ。そら誰も逆らえんわな。

  この人は昔っからそうだ。自分が1番じゃないと気が済まない。

  中学の頃から京極さんはまさに百獣の王と言った感じで、何人たりとも寄せ付けない不動の地位を築いていた。

  しかし裏を返せば、まぁ、なんというか、この人はあまり友達が多くはない。それが唯一の弱点と言えば言えるかもしれないな。

  いつも俺を近くに置きたがるのも、多分数少ない友達の1人だからだろう。いつも大勢に囲まれているようで、その実この人は胸中では独りぼっちなのだ。

 だから、俺はこの境遇を少しばかり喜ぶべきなのかもしれん。こんな厚遇滅多なことではないからな。

「何我が子を愛でるような目で見ているの?通報するわよ」

「ハイ、スミマセン」

  やっぱり手放しには喜べんな。目が合うだけでこの仕打ちだ。


  それからつつがなく部活動は終了し、部室の鍵を教務室に返しに行く京極さんを見送った後、俺は駐輪場へ向かう。

  今日の京極さんはちと機嫌が良かったかもしれんな。機嫌が悪い時は炭酸水を鼻から飲めとか言ってきたりするし、何より笑顔が多かった。

  あの人は中々ストレスを溜め込んでしまうところがあるからなぁ。周りから期待やら羨望の眼差しやらが多い分、周囲の望む京極雛代をやり遂げるのも苦労するんだろう。

  その点俺はストレスフリーな人間なので懊悩だの煩悶だのとは無縁だといえる。まぁただ鈍感なだけなのかもしれないが。

  渼子は......どうなんだろうか。到底、俺の理解の及ぶ所ではないんだろうと勝手に思い込んでいるが、アイツにもアイツなりの憂鬱があったりするんだろうか。同じ人間なのだし悩みの1つ2つあっておかしくない。ただ俺には理解してやる度胸は恐らくなかった。

  駐輪場に到着し、ズボンのポケットの中から自転車のキーを取り出す。辺りはそこそこ暗くなっていて、どこに停めたか探すのに少しばかり時間を要してしまった。

  突然だが、俺はいつも自転車に乗りながら音楽を聴くのが好きだ。耳にイヤホンを突っ込んで音楽を流している時は、自分だけ孤立できるからな。まぁ危険だとかはよく言われるが、車通りの少ない道を通るので問題はない。多分。

  そして今日も中島みゆきを聞こうと携帯を取り出しーーーー......あれ?

  無い。俺の携帯が、無い。

  しまった。....部室に置いてきたのか?しかし取りに戻ろうにも下校時刻は過ぎてるし、鍵も既にかかっている。かといって明日の放課後まで部室は使えないのでそれまで携帯はお預けだ。

  うーん。別に無くても特別困るわけじゃないが、確か駐輪場から部室棟一階の文芸部室までは目と鼻の先だったはずだ。一応落ちてるかどうかだけ窓から見て確認しておこうか。

  そう思って小走りで部室の窓まで向かう。

  周りに人気が無いことを確認して中を覗いてみると、見える範囲ではどこにも落ちていないようだった。

「...,,,,」

  部室に入った時くらいしかリュックは開けていないし、ここしか心当たりは無いのだがーーーー

  ーーーーガラッ

  何となく窓に手を掛けてみたら開いてしまった。鍵をかけ忘れていたのか。いや確か閉まって気がするが.....。

  まあこの際細かい事はどうでもいい。乗りかかった船だ。こうなったらしっかり回収してしまおう。

  出来るだけ音を立てないように窓から慎重に侵入する。

  ..........しかし。

  テーブルの下など色々なところを探すが、光源が月明かりしかないせいで中々見つからない。何かライトになる物があれば良いのだが、生憎俺がいつもライト代わりに使うのは携帯くらいのもので、その当の携帯を探しているのだからどうしようもない。

  「おっかしいな......」

  このままだとマズイ。見回りがいつ来てもおかしくない状況だ。さっさと回収しないと見つかってしまう。

  ありそうな所は探し尽くした。あとはもう手当たり次第に探して行くしかない。

  本棚やらを順番に探していき、そしてその流れで一応掃除用具入れの中も見てみる。確か中身はほとんど入っていなかったはずだ。

  そう思って掃除用具入れを開いた瞬間。

「な.........え!?」

 

  そこには、渼子がいた。


  しかし俺には休む暇も与えられず、今度は部室の外から声が聞こえた。

「誰か残ってるのかぁ?」

  まずい、懐中電灯の光が廊下に見えた。どうやら見回りが既にすぐそこまで来ているようだ。

  しかしそんな事より今は目の前の事件の方で頭がいっぱいだった。

「なんでこんなとこーーーーぐぇっ」

  思い切り引っ張られ、中にひきづりこまれる。

  間一髪のところでバタンと閉め、見回りが部室に入ってくる音がその後に響いた。

「なんだ窓が開けっ放しじゃないか.....」

  なんとかバレずにはすんだようだが、安堵している暇なんてあるわけがない。

 なんせ今、ここ数日の俺の悩みの種とロッカーの中で密着しているんだからな。というかこんな所2人で入るのはかなり無理がある。めちゃくちゃ狭いし、近い。あとめちゃくちゃ近い。

  カツカツと部屋を出て行く足音が外から聞こえた後、俺は緊張でカラカラになった喉でなんとか声を絞り出す。取り敢えずここから出なくては。

  「渼っ......渼子..................ん?」

  こっちをガン見して来る渼子の手に握られているのは..........俺の携帯じゃねーか!

  何でお前が持っているんだと、頭の中で整理が追いつかなくなっている間に、女の子特有の妙な良い香りがしきりに鼻をつく。

  そして渼子とこんな至近距離で、全く昔と変わらぬ香りを嗅がされて、場違いにも俺の脳裏に昔の記憶が猛烈にフラッシュバックしていた。

  このロッカーの中だけが過去に戻ったように懐かしさで満たされていき、この謎空間で、一瞬で今日の答えが出た。

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