むさいオッサンと可憐な少女
尾行――それは、対象者に気付かれる事なく後を追うこと。極限まで自分の存在を消すため、尾行者はある時は物陰に隠れ、またある時は道順を読んで先回りして、あたかも最初からそこにいた様に見せかける。
で、何で俺がそんな話をするかと言うと……
「これで、アンパンとコーヒー牛乳があればな……」
只今、絶賛尾行中だからだ。
俺は、石造りの建物の影から顔を出して対象者を睨めつける。
商店の建ち並ぶ大通り。昼前というのも手伝って賑わいを見せるその只中に、頭一つ飛び抜けたその屈強なシルエット。日光を浴びてキラリと光る幾本かの白髪。そう、対象者というのは相棒のサヴァンだ。
正直、かなり目立っている。これなら一キロメートル離れていたとしても見分けられるだろう。
と、不意に背後に誰かの気配を感じた。さっき誰もいない事はチラッと確認した筈だが……
「……にいちゃん、あんたさっきから何してんだ?」
そう言って肩を叩いてきたのは、いかにもみすぼらしい格好をしたオッサンだった。多分、ここらを徘徊しているホームレスだろう。
「うっせぇうっせぇ、あっち行ってろ」
目をサヴァンの方に向けなおし、俺は手指を曲げ伸ばししてどっか行けのジェスチャーをする。
「そんなこと言われても、ここ俺の寝床なんだけど……」
「……」
何か言ってきているが、無視を決め込む。が、
「なぁ……にいちゃん、聞いてるか?」
と、しつこい位に肩を揺すってくる。ウザい事この上無い。
「ああっ! じゃあそこで静かに、大人しくしといてくれ。気分がぶち壊れるだろうが!」
俺は地面を指差して、そこにいろのジェスチャー。だが、当の本人にはあんまり伝わっていないみたいだった。その証拠に、
「にいちゃん……あんた、優しいなぁ~」
のほほんとした顔で今度は俺の腹を肘で小突いてくる始末。こいつには、何を言っても無駄の様だ。
「はぁ、よく言われるよ……」
そんな風に適当にあしらっていると、サヴァンに動きがあった。ふらっと、商店の中の一つである二階建ての花屋に入っていった。かと思うと、数分足らずで出てくる。
その左手には花束。そして右手に握られてるのは、小さくか細い少女の手。そう、少女の手だ。サヴァンの横には、この前と同じ麦わら帽子と純白のワンピースの似合う乙女がいる。
そしてサヴァンの野郎は、その少女と会話して年甲斐も無くはにかんでいる。何か気色悪い。いや、相当気色悪い。
「アイツ、やっぱりそういう事なのか……いや、もしかしてああいう……」
嫌な考えが俺の脳裏をよぎっていく。
「……俺はそういう事だと思うけどなぁ~」
いつの間にかオッサンは、俺の横でおんなじように覗いていた。
「勝手に人の話に入ってくんな!」
「エヘヘ! ついな」
「ついじゃねぇよ、全く……とと、そんな場合じゃなかった!」
俺は急いでサヴァンの後を追う。しかし、
「おい! にいちゃん!」
「今度は何だよ!」
俺が足を止めて振り向くと、オッサンは歯の無い口を開けて笑っていた。けど、不思議とその佇まいにはさっきまでの汚さを感じない。どちらかというと、気品みたいなものを感じた。
「何か困った事があったら、いつでも来なさい」
そう言われてもこいつに頼ることは無さそうだが……
「……まぁ、気が向いたらな」
俺は捨て台詞を吐いて、その場を後にした。
///
俺がサヴァンと少女の密会を目撃したのは、二日前の事。ふらっと立ち寄った露店で食事を終えた時だった。
「イヤ~、美味かった。たまには知らない店に入ってみるもんだな~」
そう料理の詰まった腹をさすっている所へ、見たことのある姿が歩いてきた。が、何かいつもと違う。華があるというか、幸せそうというか、普段よりも老け込んで見えるというか……もっとこう、父親のような………………父親?。
サヴァンの傍らに目をスライドさせる。そこには、麦わら帽子の似合う可愛らしい少女。
違和感の正体に気付いた俺は、急いで露店の陰に隠れる。そうした理由は分からない。ただ、ヤバイ雰囲気を察知して体が勝手に動いた。もうちょっと詳しく言うと犯罪的な事。
しかし、その少女には怯えた様子は無い。むしろ表情は柔らかく、サヴァンの話に微笑んでいる。
一見幸せそうだが、怪しい。ものすごく、怪しい。人身売買とか、幼女を……アレするとか、浮かんでくる色々な妄想。これは俺がどうにかするしかない。サヴァンの相棒としても、あの少女の為にも。
そう決心して尾行したのだが、
「……おかしいな」
やってる事と言えばほとんどショッピングだった。
行程をざっくり説明するとこうだ。
雑貨屋で小物を物色→サヴァンはトイレに行く→露店で果物を買って共に食べ歩き→武器屋で愛用のハンマーを点検してもらう→再び、サヴァンはトイレに行く→洒落た料理屋で、これまた洒落た料理を食べる→再三、サヴァンはトイレに→そして、彼女を花屋まで送り、帰宅。
と、サヴァンの頻尿さえ置いておけば、仲良く買い物をしているだけだった。しかし、この行動には絶対に裏がある。
そう思った俺はこうして本日、二度目となる尾行に討って出た。
そして、開始から数時間。
俺の膀胱は刻々と限界に近づいてきている。が、まだサヴァンに怪しい動きは無い。というか、尾行してから一度たりともそんな動きを見せていない。
今は雑貨屋を物色中の二人。俺は開け放たれたガラス窓から中の様子をうかがうと、サヴァンは陳列されたぬいぐるみを見ていた。その中から一つを手に取り、少女の元へと向かう。
「なぁ……これは、その……ど、どうだ?」
動作のぎこちないサヴァンの手には、猫のぬいぐるみが握られている。それを少女は凝視して、
「……ううん」
と、首を横に降った。
げんなりとするサヴァン。少女はタタタッとぬいぐるみ群の方に走っていき、芋虫のぬいぐるみを手に取った。
「そ! ……そんなのが、良いのか!? ……」
まるで、天地が逆転したかの様に驚き、思わず本音が漏れてしまっている。そこは嘘でも肯定しとけよ。
しかし、何だかんだで楽しそうな二人。
俺は考える。もしかして、あんな妄想やこんな妄想は俺の早とちりだったのか、と。
いやいや、無い無い。もしそうなら、こんな事をしている俺は馬鹿みたいじゃないか。
そうだった時の俺を想像すると、自然に笑いが込み上げてきた。しかし、次の瞬間冷静に考えてみると、
「……まぁ、馬鹿ではあるか」
そんなどうでもいい呟きをしてしまう程、尾行というのは暇だった。
///
しかし、そんな膠着状態もついに終わりの時を迎えた。
今までぶらぶらと歩いていたサヴァンは、ふと曲がり角で立ち止まる。かと思うと、いきなり、少女の手を引いて人気の無い細い路地に駆け込んだ。
「……ついに本性を表したやがったな、サヴァン! 目を覚まさせてやるッ!」
俺は急いで追いかけ、意を決して路地に向かう。探偵として、確固たる証拠をみすみす逃すような事はあってはならない。そう、探偵として。
俺は曲がり角を猛スピードで曲がり、
「うわわッ!」
何故か、道いっぱいに分厚い扉が立ち塞がっていた。いきなりの事でブレーキをかける暇なく、激突。その衝撃で倒れかけた所に伸びてきた筋肉質な腕が、俺の首を締め上げた。
「うぐッ!……」
「お前何者だ! 何故俺らを付ける、答えろ!」
その低く重い声には聞き覚えがある。
「……サヴァン……お、俺……だ……キ…………」
酸欠のせいで上手く言葉を発せられない。徐々に視界が狭まっていく。
「どれだけ時間稼ぎしても無駄だ! 理解したなら、余計な事は言わず質問にだけ答え……ん? お前、キッドか!」
しかし、依然として腕の力を緩めない。
「……分かっ……たなら……う、腕を……」
「あ、あぁ。すまん」
そこでようやくサヴァンが腕の力を抜くと、肺に流れ込んでくる酸素。それが喉を刺激して俺は咳き込んだ。
「というか、何でお前が俺を付けてるんだ?」
「ゴホッ……それは、お前を止める為だ! ゴホッ」
「俺を? 止める?」
建物の開け放たれた入り口を背にしたサヴァンは、眉根に皺を寄せる。と、その横からひょこっと顔を出す少女。さっき買って貰っていた芋虫のぬいぐるみを腕に抱いている。
「もう……いいの?」
少女の問いに、サヴァンは柔らかい笑みを見せる。
「あぁ、もう大丈夫だ。怖い思いをさせて悪かった、ルア」
ルアという名前らしい少女は、首を横に振った。
「ううん。サヴァンおじちゃんと一緒だったから大丈夫だった」
そうして、大きめの麦わら帽子を押さえながらサヴァンを見上げる。
「この人、誰?」
「こいつは俺の……まぁ~、何というか、お仕事仲間だ。がさつな奴だが、害は無いから安心していい」
何で俺との関係を濁したのか分からないが、そんな些細な事はどうでもいい。とにかく、俺は息を整えサヴァンに掴みかかった。
「サヴァン、目を覚ませ! その少女以外にも女はいくらでもいる。金だって、稼ごうと思えばいくらでも稼げる。だから、よく考えてみろよ!」
「おっ! おいおい! お前、何勘違いしてるんだ?」
相棒の目は真ん丸く見開かれる。
「惚けようったって、そうはさせない! えーっと、その……ルアちゃん? をどうするつもりだった!」
それに、サヴァンは、「……お前の考えてる事は、だいたい分かった」と、大きく溜め息をつく。
「なぁ、ルア。今から行くところを、このバカに教えてやってくれないか?」
それにルアという少女は「うん」と頷き、
「お父さんのお墓参り」
「えっ?」
「ルアのぉ、お父さんのぉ、お墓参りぃ」
斯くして、俺の探偵業は少女自らの証言で廃業と相成った。まぁ、最初からそんな気はしてたけどな。
「……ところで、サヴァン。トイレって、どこ?」
「知るか。その辺でしてろ……」
///
墓に祈りを捧げた後、サヴァンは話を始めた。くわえた葉巻の煙が天に昇っていく。
「……ルアの父親と俺はコンビを組んでたんだ。今の俺とお前の関係みたいにな……」
原っぱで蝶と戯れるルアを眺めるサヴァン。その表情は昔を懐かしんでいる様に見える。
「アイツは後先の事を考えない性格で、それが原因でよくケンカをした。勝手な真似はするなとか、周りをもっと見ろとかなんとか……今思うと、本当にどうでも良い事でな」
そう言い、サヴァンは鼻で笑った。しかし、それはほんの一時だけで、次の瞬間には顔から感情が読み取れなくなった。喜怒哀楽のどれにも当てはまらない、無表情に近い感情的な顔。
「最後に会ったのは四年前だ。アイツは俺の家に突然来て、
『もしも…………もしも俺に何かあったら、スイーナとお腹の子を守ってやって欲しい。いきなりで勝手な事だっていうのは分かってる。それをお前が嫌いなのも……でも、こんな事を頼めるのはお前しかいないんだッ! 頼んだぞ、相棒!!』
肩を掴んでそう矢継ぎ早に話したかと思うと、俺の制止を無視してアイツは行っちまった。これは後から聞いた話だが、その時アイツの彼女はある組織に誘拐されていたらしい。そいつらは『リリス』とかいう、誘拐した人々を奴隷に調教して金を稼いでる連中だそうだ」
サヴァンは淡々と語っているようでいて、実際は業腹に違いない。その証拠に、力強く噛んだ跡が葉巻に刻み込まれている。
「そうして帰ってきたのはアイツの彼女スイーナと、そのお腹に宿ったルアの二人。……結局、アイツは戻ってこなかった……スイーナもルアもほっぽり出して、一体何処へ行くっていうんだろうなぁ……」
そうして、短くなった葉巻を踏んづけて火を消した。吸い殻からはもう煙は立っていない。
「……ありがとうな」
「何が?」
「……長い話に付き合ってくれてだよ。この野郎っ!」
サヴァンは俺の首を絞め、こめかみに拳を擦り付けてくる。
「い、いきなり何だよ!?」
「俺からのお礼兼ロリコンの容疑をかけた罰だ! 文句を言わず受け取っとけッ!!」
「これのどこがお礼だ! オッサンの二の腕なんてどこにも需要ないんだよッ!!」
サヴァンのゴツゴツした拳は普通に痛い。
そこにトテトテと寄ってきたルアは、小さな手でサヴァンの服の裾を引っ張る。そのおかげでグリグリ攻撃から解放された俺は、こめかみの部分を指で揉み込んだ。少しは手加減しろよな。
「ん? もう蝶々さんは良いのか?」
サヴァンの問いに、ルアはふるふると首を振る。
「サヴァンおじちゃん! 蝶々さん捕まえてっ!」
それを聞いたサヴァンは、勇ましく腕まくりをする。
「何だ、そういう事ならお安いご用だ! よーし! キッド、お前も手伝え!」
その表情には、さっきまでの空気を感じさせない。
「全く……しょうがねぇなぁ! 足引っ張んなよ!」
俺は指の関節を鳴らして、気合いを入れる。
「蝶々さんを捕まえるぞぉ~!」
「「おぉ!!」」
駆けていくルア。少女を追いかけるサヴァン。それを尻目に、俺は改めて墓を見た。そこには故人の名前と享年、そしてこの人間の生きた月日が刻まれている。四年前で途切れたその命。
俺は墓に手を合わせる。
どうやったって死んだ人間は帰ってこない。でも、死んだ人間の望んだものは守ってやれるはずだ。
だから……
「……アンタはそこで、安心して眠りな」
///
日暮れになり、眠たそうにしているルアを家まで送り届けにきた。ルアの家の前にはルアを大人っぽくしたような女が立っていた。どうやら母親らしいその人は、こちらに向かって手を振っている。
「お母さん!」
サヴァンが背中から下ろすと、ルアは母親の元に走っていき下腹部に抱きついた。頭を撫でられて嬉しそうにしている。
「ちゃんとお父さんに挨拶してきた?」
そう問われたルアは、さっきまでの様子が嘘みたいに元気に答える。
「うん! お花も置いてきた! それと、サヴァンおじちゃんと、えーと……キッドお兄ちゃんと蝶々さんと遊んだ!」
「そう、それは良かったわね。二人にありがとうって言った?」
「うん、言った!」
少し遅れて、家の前にたどり着いた俺達。確か『スイーナ』とかいう名前らしい母親は、俺達に軽く頭を下げた。
「サヴァン、いつもありがとう。主人も感謝していると思うわ」
「別にお前さんに感謝されることは何一つとしてしちゃいない。俺がしたいから、やってるだけだ」
そうは言うものの、サヴァンは赤くなった頬をぽりぽりと掻き、明後日の方角を向いている。何格好つけてるんだか……
「貴方もありがとう。えーと、キッド……だったかしら?」
予想していなかった事に、俺は言葉に詰まる。
「ん? あ、あぁ。俺はマジで何もしてないけどな……」
スイーナは「ううん」と首を横に振った。
「そんなことは無いと思うわ。じゃないと、サヴァンがあそこに貴方を連れていくなんて事しないと思う。ねっ、そうでしょ、サヴァン!」
「……どうだろうなぁ?」
こっちからは表情は伺い知れない。けど、今どんな表情をしてるかは何となく分かった。
その後、俺達はスイーナの作った晩ご飯をご馳走になった。スイーナの料理には懐かしい温かみがあって、無性に食べてしまった。
///
俺達がスイーナ宅から出ると、空には星々が上がりもうすっかり夜の様相を呈していた。どこかから酔っ払いどもの笑声や怒声が聞こえてくる。
「サヴァンおじちゃん」
「うん? どうかしたか?」
ルアに手招きされてしゃがむと、その頬に天使の口づけがなされた。すると、サヴァンはすっとんきょうな声を上げ、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。
「バイバイっ!」
ルアは自分のした事が恥ずかしかったのか、タタタッと家の中に駆け込んでいった。
あはは、と笑うスイーナ。けれど、次の瞬間には真剣な表情でサヴァンを見つめ、
「サヴァン……あんまり、無理しないでね」
「……あぁ」
そんな歯切れ悪い返事だったが、スイーナは「そう」と一応満足した様だった。
「じゃあ、また。キッドもまた遊びに来てやってね」
それに、俺たちは思い思いの返事をして、スイーナとルアの家を後にする。後ろを見ると彼女は手を振っていた。それに手を振り返すと、彼女は朗らかな笑顔を見せた。
道を曲がり大通りに出る。
「いやー、美味かった。久しぶりにあんな美味いメシ食ったぜ」
俺は満足感に浸って口笛を吹いた。が、何故かサヴァンは重苦しい雰囲気を漂わせている。
「なぁ、キッド」と、重い口を開くサヴァン。「俺って……オッサンに見えるか?」
思考しても質問の意図したところは分からない。だから、とりあえず思った事を口に出した。
「んん? そりゃ、オッサンだろ。誰がどう見ても……」
その俺の返答をお気に召さなかったのか、サヴァンは盛大なため息をついた。
「ハァー、やっぱりそうか……」
「何だよ、溜め息なんてついて。オッサンでもルアみたいな子が好いてくれるなら、それで良いじゃねぇか」
その後に、「スイーナだって別に気にして無さそうだったぞ」と続けようとしたが、
「……まだ『二十七』なんだけどな」
その意外すぎる一言に、体が硬直した。言葉の意味するところを全く理解出来ない。
「えっ……今、何て言った?」
サヴァンは苦虫を噛んだような顔をして、頭に手を置いた。
「俺はまだ『二十七才』だ」
俺の思考停止はまだ解けない。
「……マジか?」と、聞き返す。
それに、「おおマジだ」と、答えるサヴァン。
ヒューと、夜風が音を立てて俺たちの間を吹き抜けていった……
――人は見かけによらない――
これが……尾行をして得た教訓だった。
第三話、完
ありがとうございました。