嘘と本音と建前
ある日。
俺は知り合いの経営しているバーを訪ねた。
そこの出入り口は狭い路地に面していて、ほとんど人気は無い。だから、しっとりと飲みたい気分の時には格好の場所だ。しかも、知り合いだからそこそこの酒が安くで飲めるというのも、俺にとっては都合良い。
ベルのついた扉を開けると、一段低くなった所にカウンターがある。その内側には黙々と仕事をしている雇われマスターがいて、後ろには高そうな酒瓶がずらりと並べられた棚がある。
あそこのを飲めれば天国かオアシスだが、流石にそう上手いことはいかない。値段的にもそうだし、お願いしようにもその決定権を持っている本人が店にいない。
あいつは自分の店に愛着は無いのか、ここに顔を出すのは年に数回だけだ。まぁ、俺的には酒さえ出してくれればどうでも良いが……
と、俺はいつも座っているカウンターの奥の席に行こうとした。が、そこには先客が座っていた。
初めて見る女だ。どこか憂いを孕んだ切れ長の目。スッと通った鼻。ちょうど良い厚みの唇。そして、女性らしい曲線を際立たせた黒のドレスを着ている。
狭い通路を進み、彼女の席から一つ離れた席に座る。
彼女はこちらを一瞥すると、すぐにまた自分のグラスに目を戻した。少々警戒はされているようだが、席を立たない所を見るとあまり問題は無さそうだ。
「お飲み物は……」
「いつもの。後……」
カウンターの上に指先を走らせバッテンを描く。
「かしこまりました」
マスターは頭を下げると、注文通りに注いでいく。その動きは洗練されていて無駄な所は無い。そして、すぐにグラスは自分の前に置かれた。
「お待たせ致しました」
俺はそれを取り、一口飲んだ。爽やかな林檎の香りはさらりと鼻から抜ける。
「……美味いな」
これだけは何度飲んでも飽きない。
そうこうしていると、彼女のグラスが空になった。マスターはちょうど良いタイミングで新しいグラスを出す。それに彼女は「頼んでないわ」と、グラスを戻そうとした。が、
「あちらのお客様からです」
「えっ?」
マスターの手を追い、彼女の視線はこちらを向く。正面から見ると一層美人だった。俺は出来る限り、下心を隠して会釈する。それに彼女は「ありがとう」とはにかんだ。
これはもしかすると脈ありなんじゃないか。
そう思った俺は、
「隣に……行っていいか?」
すると、彼女はグラスに口を付けた後、静かにこう告げた。
「別に構わないわ」
許可の出たところで、俺はグラスを持って移動する。肩が触れあうか触れあわないかの微妙な距離感に、期待が膨らむ。
「あんたあんまり見ない顔だけど、ここら辺に住んでるのか?」
「いいえ」
「じゃあ、どこに?」
彼女を暫しの沈黙の後、
「……遠い場所。もう、たどり着けない位」
「何だよそれ。ようは答えたくないって事か?」
「良い女には秘密が付き物。違うかしら?」
彼女は小首を傾げた。その拍子に露になる透き通ったうなじに、思わず見とれそうになる。
「確かに。あんたは良い女だ」
「フフッ、ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」
そう言って彼女はグラスを回した。
「お世辞じゃない。本心さ」
「……じゃあ、そういう事にしておくわ」
彼女はグラスを傾け一口飲んだ。俺もそれに合わせて飲む。
「お仕事は何をなさってるの?」
今度は俺が質問される番のようだ。
「ざっくり言うと肉体労働寄りの何でも屋、だな。依頼を受けて、それで金を貰ってる」
酒を飲みつつ横目で様子を伺う。彼女の瞳は、店内の照明が反射して輝いて見えた。
「どんな事をするの?」
「依頼なら何でも。家事雑用から、こーんな目をした化け物退治まで」
俺はそう言うと、両の人指し指で目を吊り上げた。彼女はそれに戸惑った顔をしたが、次の瞬間にはプッと吹き出した。
「フフッ……じゃあ、私が何か依頼すれば?」
「ん? まぁ、報酬さえ貰えればやるが……何かあるのか?」
彼女はグラスの中の紫色をした液体を眺めた。静かな店内にキュッキユッと、食器を拭く音が木霊する。
「……ロウダスネーク……その、逆鱗が欲しいの」
「ロウダスネーク? そいつはどこにいる奴なんだ?」
「十年に一度、オゴの縦穴という所に現れるらしいわ……けど、それには条件があって、満月の夜にしか姿を見せないらしいの」
「次の満月は?」
「明日。それを過ぎると今度は『十年後の明日』…………引き受けてくれるの?」
俺は黙考する。危険は未知数。何が起こるか分からない。けど、こんな美人の頼みを断ってしまったら、末代に渡って嘲笑される。というか、後になって後悔する羽目になる。それは、駄目だ。とりあえず、報酬だけでもハッキリさせとこう。
「まだ、肝心の部分を聞いてないな……」
それで察したのか、彼女は凛とした表情でこちらを見る。
「報酬は貴方の望み通りで良いわ」
「『あんたの体』……でもか?」
「もちろん。貴方がそれで良いのなら……」
こちらに振り向く彼女。二の腕の狭間で強調される双丘。俺の視線は自然とそこに向いた。
「でも、明日にはあんたの気が変わってるかもしれない」
俺がそう言うと、彼女はこちらに身を乗り出してきた。膝に置かれるか細い指。押しつけられる胸元。その上で、ネックレスに通されたダイヤモンドの指輪が踊る。
「……私、そんな嘘つきに見える?」
彼女の囁くような声は鼓膜をくすぐり、まるで何かの薬物のように脳を溶かしていく。
「……全然」
そうして気付いた時には、俺は依頼を受けていた。
///
「おーい、サヴァン! いるんだろ!」
木戸についた金輪を打ち付ける。すると、内側から熊の鳴き声のような低い声が聞こえた。カチャッと、小気味の良い音がして開けられる木戸。
「……何だぁ? こんなぁ朝早くに……良い依頼でも見つかったのか?」
十センチ程の隙間から顔を出したサヴァンは、寝癖のついた頭をわしゃわしゃと掻いている。
「いや、そうじゃない。ただ、めちゃく……」
間髪を入れず閉められる木戸。俺はそれをすんでの所で阻止する。
「……ッ、人の話は最後まで聞けッ!」
拮抗する力。外開きの扉ならこちらの方が有利な筈なのに……日頃からあれを振り回してるだけの事はある。
けれど、サヴァンは鬱陶しそうな顔をしながらも、「……それを聞いて、俺に何の得があるんだ?」と、とりあえず聞く気になったのか力を緩める。それに伴って俺も手を離した。
「それは聞いてから判断してくれ」
「はぁ……早くしてくれよ」
「分かってるって」
それから俺は昨日の出来事をなるだけ簡潔に話した。サヴァンは、それをあくびをしながら聞いていた。
「……と、いうわけだ。どうだ?」
話終わって改めて様子をうかがうと、サヴァンは顎に手を当てていた。
「……それ、本当に良い女か?」
ど、眉をひそめるサヴァン。
「俺の話聞いてたか? 顔良し! スタイル良し! てことは多分性格も良し! 非の打ち所なんて無いだろ?」
「それ、一番大事な部分が疎かになってるぞ……」
「良いんだよ! 性格なんて!」
しかし、サヴァンは胡乱な表情を崩さない。
「ふぅん……で、報酬は? まさかとは思うが、その女に『報酬は何でも良いわ。私の体でもね』なーんて言われたんじゃ無いだろうな?」
「驚いたな。そのまさかもまさ……」
バタン! ガチャ!
その後、いくら戸を叩こうともサヴァンは出てくる事は無かった。
///
「何だって、ああもノリの悪い奴なんだ、全く! こんなもん一人でも十分だ! あんな玉無し野郎なんていなくってもなぁ!!!」
俺は満月に向かって文句を言う。何かすっきりした反面、揺り戻しのせいか虚しくなった。夜に一人というのは心細いもんだ。
現在地は街から十キロ先にある草原の中心地点。あの美人に貰った地図通りならここら辺のはずだ。
俺は、長い草が絡まないように大きく足を上げて歩く。腰にぶら下げた剣で切ってやる事も出来るけど、そうはしない。何故なら、草の影に隠れた石や岩に万一当ててしまうと刃こぼれをするからだ。いざという時に使えなかったら、ただの重りかガラクタだ。それだけは避けないといけない。
そうして、暫く歩いていると急に足元が開けた。まるで、草は誰かに刈り取られたかのように無くなり、目的地の縦穴が姿を現した。
「おっ、アレだな」
縦穴はすっぽりと山が収まるくらいデカかった。覗くと、側面を沿うように階段のようなものがある。しかし、底には夜の闇が沈殿していて、階下はどうなっているのか全く見透せない。けど、これしきの事で立ち止まるような事は無い。こんなもんは通常の範疇だ。
俺は悠然と階段に足を踏み出した。
「何か、自然に出来たとは思えない位しっかりしてるよな。この階段……」
古代人の遺跡と言われても不思議に感じない。むしろ、そっちの方がしっくりくる。
そんな周りの様子が分かる位、暗闇に目が慣れてきた所で、
――カキン――カキン――
という、金属の立てるかん高い音が聞こえてきた。それに混じって人の声らしきものも聞こえる。何を言っているのかまでは聞き取れないが。
「これは先を越されたか?」
俺は剣の柄に手を添え、駆け足で下りていく。すると、眼下に見えてきた穴底。そこでは、巨大な蛇がとぐろを巻いていた。そして、その目の前にはデカイ剣を上段に構えた華奢な女。ここからではよく状況は分からないが、襲われているように見える。
男ならともかく、女となれば助けに行くのもやぶさかじゃない。
「間に合えよっ!……」
階段は後少し。けど、蛇の方は今にも動き出しそうに身震いしている。このまま、まともに下りていたら確実に手遅れになる。俺のちょうど真下には彼女の姿。だったら、選択肢は一つしかない。
俺は九十度向きを変え、階段の端から飛び降りた。ふわりと浮かぶ体の中の臓器。急速に近づいてくる地面。
そして、訪れた着地の瞬間。俺は前転して衝撃をいなす。
「きゃっ!」
いきなりの事に女は小さい悲鳴を上げた。と、同時に、蛇はその長い体をうねらせて突撃してくる。
俺は剣を引き抜き、蛇の眉間目掛けて突き立てた。
「フルッシャャャャャャー!」
見事にぐさりと刺さる感覚が手に伝わってくる。しかし、致命傷には至らなかったのか、蛇はさっと身を引くと闇の中に消えていった。
「大丈夫か、お前!」
「えっ、ええ。というかわた……」
「そうか、それは良かった。怪我は?」
「無いわ……いや、じゃなくて私……」
「とにかく、俺の後ろにいろ。あいつはまた仕掛けてくる」
「だから、私は別に……」
俺は暗闇の中を目を凝らして探す。月の光は雲に遮られ、辺りはより一層暗くなった。近くにいる彼女すら、輪郭部分を残して漆黒と混じっている。まるで、この穴は蛇の腹だ。獲物を丸飲みにして、じっくり時間をかけ、闇という名の酸で溶かしていく。
「どこだ……どこに潜んでる……」
その刹那、闇間に浮かび上がる二つの光。それは殺気を放った眼が魅せる独特の光だった。
「シャーーーー!!!」
舌舐めずりをして襲いかかってきた蛇。俺は剣を振りかざし奴の進行を阻止する。が、
「ぐっ!!!」
側面から来た奴の尾に当たり、吹っ飛ばされた。壁面に打ち付けられる体。
「ぐはっ!」
肺の中の空気が一気に体外に排出される。呼吸を整えようと努力しても、全く取り込めない。
「……にげろっ!」
かろうじて彼女にそう告げるが、時すでに遅し。蛇の鋭牙はもう彼女に向かっている。しかし、そんな彼女は至って平常そうに見える。まるで、場馴れした人間のように呼吸の乱れを感じさせない出で立ち。
俺は早とちりしていた。彼女は……
「……ごめんなさい」
そう言うと、下段に構えた大剣を蛇の顎に向かって振り上げた。するとそれは、紙でも切るかのように蛇の頭、腹、そして尾までも真っ二つにする。そうして、ドスンという重量のある音を出し、蛇だった物は地に伏っした。
訪れた静寂。今まで隠れていた月は顔を出し、スポットライトのように端整な顔立ちをした彼女を照らし出した。翡翠色の瞳に光沢のあるブロンドの髪。彼女の身に纏う白銀の甲冑は、その美しさをより引き立たせている。
「……」
「あなた、大丈夫?」
「……あ、ああ。なんっ! とか、なっ!」
と、俺はわき腹を押さえながら立ち上がる。結構な痛みはあるが、この分では大丈夫そうだ。
「ありがとう、助かった……けど、これじゃあ、どっちが助けに来たのか分かんないな」
「それは気にしなくて良いわ。もし、貴方が来ていなかったら私がそうなっていたかもしれないし」
「そう言って貰えると助かる……」
こんな子に助けられた挙げ句、優しく慰められて……格好悪すぎだろ、俺。
「それより、貴方は何の為にここに来たの?」
「あのロウダスネークとかいう奴の逆鱗を貰いにな……」
俺がそれ以上話さないと分かったのか「……そう」と、彼女は話を切り上げた。
そのまま、剣を背負って去っていく。
「ちょ、ちょっと待てっ!」
「なにかしら?」
振り向いた彼女は首をかしげている。本当にそう思っているらしい。
「あんたは……アレが目当てで来たんじゃ無いのか?」
俺は地面に伸びる蛇を指差す。
「違うわ……私は、ただ……」
彼女はその後を続けようとして止めた。
「……貴方には関係の無い話よ。それじ……」
その時、彼女の背後で何かが動いた。それはなんと、ついさっき割かれた蛇の片割れだった。
「伏せろ!」
俺の言葉で彼女がしゃがみ込むや否や、反射的に剣を取り奴に目掛けて投擲する。そして、それは見事に蛇の眼を串刺しにした。これで流石にやっつけただろう。そう思ったのも束の間、もう一方の半身も起き上がってくる。
「ちっ!」
考えるまでも無く、勝手に俺の足は動きだしていた。走りざまに投げつけた剣を拾い、真っ赤な肉を晒した蛇の首に刃を切り上げる。風切り音と共に肉塊が二つに分かたれる。
「……しつこい奴は嫌われるぜ」
念のため、それからしばらく警戒していたが、それ以上は起き上がってくる事は無かった。
「全く、どんだけしぶとい奴だよ……」と、俺は安堵のあまりため息をつく。「……でも、最後に格好つけさせてくれた事には感謝しないとな」
彼女は大きな剣を背中にしまう。
「あなた、名前は?」
「キッド……キッド・ロックウィルだ」
「私はアルナ・チベット。何だか……あなたとはまた会いそうな気がする」
「夜のお誘いなら、いつでも歓迎するぜ」
「なら、今夜はどう?」
いきなりの事に言葉に詰まる。もしかして本気で……
しかし、
「冗談よ……意外とピュアなのね、あなた」
そうして、月下の彼女は花のつぼみが開くように笑っていた。
本当格好悪いな、俺。
///
翌日。
バーに行くと、彼女はこの前の席で待っていた。物思いに耽っているのか、焦点の定まらない瞳をしていた。
マスターへの挨拶もほどほどに、俺は彼女の横に腰を下ろす。
「これで良かったか?」
麻袋からロウダスネークの逆鱗を取り出し、彼女の目の前に置く。それは雫のような形をしていて、置くとコロリと横向きになった。
「……本当に?」
彼女は目を見開いて驚いているようだ。俺はそれに「もちろん」と、返事をする。
「俺は約束は守る質なんだ」
彼女はゆっくりと逆鱗に手を伸ばし、それに触れた。まるで、空に漂う雲でも掴むかのように。
「……貴方、これの使い道を知ってる?」
そう言って、丸みを帯びた方から尖っている方に向けて指を這わす。
「いや、全く見当もつかない」
「……これは不治の病に効く薬になるらしいの。といっても、迷信の域を出ないけど……」
「誰か、かかったのか?」
「もう、ずいぶん昔にね……」
グラスの中の氷が音を立てて崩れた。それを見つめている彼女が何を考え、何を思っているのか、俺には皆目分からない。ただ、そこには深い感情の海が広がっていて、彼女はその海の潮流に拐われるクラゲのように見えた。
「……お礼がまだだったわね。行きましょう」と、毅然と席を立つ彼女。しかし、俺はそれを断った。
「いや、やっぱいいや」
「えっ?」
予想に反しただろう俺の行動に、彼女は呆然と立ち尽くしている。俺はカウンターに金を置くと、出口に向かった。
「さっき、他の女に誘われてさ。あんたの気が変わってると思ってオーケーしちまった。しかも、それがまた良い女なんだよ。あんたにひけをとらない位。だから、それはもう良いや」
「それじゃあ、私が納得……」
彼女の言葉を断ち切り、
「それに、他人の女を抱く趣味は俺には無いんだ。悪いな……」
扉を開けて店を出る。閉まる直前に一瞬彼女と目があった。良くは見えなかったが、その時の彼女の口は何か言葉を紡いでいるように見えた。
「……馬鹿な人」
///
俺は静謐な街を歩いていく。空には少々欠けた月。花壇の側では、二匹の猫が寄り添いあって寝ている。
「……ハッ……ハクション!」
寒暖の差で出てきた鼻水を啜り、両肩を擦って温める。どうせ、サヴァンなんかが噂しているんだろう。
「……はぁ」
今日は熱い風呂にでも入ろう。そう心に決めて、俺は帰路についた。
第二話、完。
ありがとうございました。