海の見える渡り廊下 ヴォータンより
海と山に囲まれたこの古びた学校、ここには昔から階段や噂話が流れ生徒の遊び心をくすぐっていた。そんな数ある噂の中にこんなものがある。
『海の見える渡り廊下、月が半分浮かぶ時、それは願いが叶う時、神の気まぐれ遊び時 』
「あーもうこんなに遅くなっちまったよ」
今年赴任したばかりの若い男の教師、藤本がつぶやく。
彼は残っていた仕事を終わらせるために夜遅くまで残業していた。
「えーと?職員室の鍵も締めた、あとは渡り廊下か」
職員棟と教室棟を結ぶ渡り廊下。2階の海の見える渡り廊下は生徒に人気のスポットらしい。実際、藤本も気に入っているスポットの一つだ。しかし、気に入っているのには綺麗だという以外にも理由があった。
「月が半分浮かぶとき、それは願いが叶うとき、神の気まぐれ遊びどき。ねぇ…」
渡り廊下に伝わる都市伝説のようなものだ。しかし、願いが叶うと聞いては気になるものだ。なにしろ彼には叶えたい願いがあったのだから。
藤本がまだ高校生のころの話しだ。彼には想い人がいた。バイクの免許を持っていた藤本は毎日彼女と一緒にバイクに跨り登下校していた。
その時期はちょうどブレーキランプを5回点滅させるのが流行っていた。曲の通りにブレーキランプを点滅させてまた明日。というのが日課だった。
ある日、文芸部だった彼女はバイクに原稿を忘れてしまっていた。藤本はブレーキランプを点滅させるときに気づき、彼女に原稿を取りに来させようとした。
それが間違いだったのだろう。彼女はトラックに轢かれて死んでしまった。
それからというもの藤本は彼女を忘れられていない。藤本にとって彼女は全てだったのだから。
そんな時、赴任した先の学校で願いが叶うという噂を聞いた。七不思議の一つのようなものだと説明されたがそんなことはどうでも良かった。縋れるものには縋りたかった。
「先生!先生!聞いてますー??」
物思いにふけっていると生徒の声が聞こえた。声のする方へ目をやると男子生徒がいた。結構近い。
「やっと気づいたぁ。勉強してたら学校から出られなくなっちゃってさ。職員室暗くなってたから先生いるかなーって思って来たけど藤本先生がいて良かったよ!どっかまだ出られるとこあります??」
この学校では5時には生徒昇降口は施錠されるきまりだ。帰るタイミングを逃したのだろう。
「あぁ、職員の使うとこなら開いてるぞ。そこから帰るといい。帰りに気をつけろよ」
「はーい。じゃあ先生さようなら〜」
あぁ。と言いつつ生徒を見送る。渡り廊下を小走りで走っていく生徒を注意してやろうと思ったが月明かりに照らされた光景が幻想的でそんな気もすぐ霧散した。
「今宵は月が美しいですね」
生徒を見送った直後、不意に聞こえた声に身を固めた。着物姿の女子が渡り廊下に立っている。淡い月明かりに照らされて着物を輝かせながら。
藤本は即座に察した。今日は半月。となると神の時がやってきたのだろう。
「俺の願いを叶えに来てくれたのか?もしそうなら俺は楓花に会いたい!会わせてくれ!ずっとずっと忘れられないんだ!」
想いが口から溢れる。頬が熱い。この子が自分の願いを叶えることとは何も関係ない子だとは全く考えなかった。実際間違っていない。少女は藤本の願いを叶える。
「かしこまりました。今宵は神の時。貴方の願いを叶えましょう」
少女が言い終わると共に藤本の視界は淡いピンクに染まる。その中に彼女が、愛してやまない人が手招きするのが見えた。
「あぁ、あぁ、ずっと、ずっと会いたかった!楓花!楓花!俺はお前をずっと愛している!ああ!もちろん!こんな柵なんか乗り越えてすぐそっちに行くさ!」
勢いよく飛び出した彼の体は思いとは裏腹に地面に叩きつけられた。彼の視界をピンクに染めた液体が身体中から溢れ出す。それでも彼は愛を叫び続ける。
「愛してる愛してる愛してる愛してるあいしてるあイシテルアイしてるアイして…」
叫びは囁きになり、やがて消えた。
「それでは最愛の方と心ゆくまでお過ごしください」
静寂の中では良く声が響く。
そして、独りきりの彼を哀れむように月明かりが見つめていた。