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高級男娼かぐや  作者: sillin
第二章 香具耶の刺客
5/8

1 没入(ジャック・イン)


 初代平賀源内によってエレキテルが発明されたのは安永五年、西暦にすると1776年のことである。エレキテルとは木箱にハンドルのついたもので、中に蓄電器が備えられ、ハンドルを回すことによって発生した摩擦により電気が発生して放電する装置のことだ。


 源内は没する際、自らの遺志を継ぐ弟子に二代目を襲名させる。二代目はエレキテルの原理を拡大し、大容量の発電機の開発に成功。同時に電気網の整備を開始する。のちに三代目となるもうひとりの弟子は、エレキテルを利用したさまざまな機械を発明していった。今の暮らしを便利にしている、電灯、掃除機、電話、映写機等々――がそれである。


 以来さまざまな分野の天才が源内の名を襲名していく。

 世は発展し、電力、電話、電波網は国土の九割を覆い尽くした。しかしやがてその発展は徐々に緩やかさを帯び、代を重ねるごとに源内の発明にも真新しさを欠くようになる。人々は行き着くところまで行ったか、と諦観を覚えつつあった。


 革新があったのは今より二代前、十四代平賀源内のときだ。


 十四代は一生を賭けた傑作、『言霊演算機コンピューター』を発明。同時に『エレキテル・ネットワーク』なる仮想電脳空間のアイデアを遺す。継いだ十五代目は幕府に、演算機の量産とエレキネットの整備を上申、これが認められる。十五代生涯の仕事となった。


 その努力は実り、いまや長屋にも演算機一台の時代。張り巡らされた通信網は情報化社会を促し、僻地に住みながら江戸の最新流行を知ることが出来る。十五代目は隠棲し、若き十六代目がその跡目を継いだ――。


 時は天鳳十八年。西暦にすると2006年。幕府はいまだに鎖国を続けている。



***



「……暑い」


 畳の上へカエルのように伸びたまま、茶色い髪を散らした女がぼやく。さっきから片手に握ったうちわを扇ぐ努力もしていない。現在、演算機が部屋の中で全力の稼働中だ。発生した熱は篭り、窓を開けても風がなくては換気もままならない。ぬるい風を自らに打ち付ける気力も失せようと言うものだった。


 香倶耶かぐやはその伸びた肢体に横目をやる。はだけた着物はきわどいところまでを露出させ、あまり発育がよろしいとは言いがたい胸元、呼吸のたびに上下する痩せた肋なんかを白々とうす暗い室内へ溶け込ませている。


 女は十六代目平賀源内。陰間かげま専門のこの娼館、遊馬茶屋の常連客だ。正確に言えば陰間である香倶耶の上客である。


 陰間の陰は舞台の袖のこと。もともとは芝居をする幕の裏で見習い役者として小間使いをやっていた少年らが、男客の求めに応じて春をひさぐようになったものを、陰間と言う。後に男娼全般をさすようになった。


 一般に仕込みの時期は早いほうが良いとされ、まだ年端もいかぬうちから売られることが多い。そのためか男相手の陰間としての寿命は短く、歳が行くと今度は後家や大名屋敷の女中などが相手になってくる。いつの時代も女心は難しく、酸いも甘いも噛み分けるようでなければ勤まらないからだ。


 香倶耶は今年で十七。盛りの花と言われる、陰間として最も熟れた時期だ。このごろから女性の客を取るのは珍しいことだった。


 どうして女客が多いのか、香倶耶にもよくわからない。客観的に見れば『美しすぎる』からかもしれなかった。女より美しい男を抱いても、男色の徒は満足できないのだろう。もしくは、美しさに対する根源的な畏怖を感じるのかもしれない。同じ男としての、本能的な嫉妬。


 そう言う滑稽な仮定すら、実際に香倶耶を見れば一目で納得できる。


 しなやかに締まった身体、細く長い首筋、その上に乗る天工の彫り上げたような美貌。あごは小さく、瞳が大きくて、それらが造作を童顔に仕立てるも、すっと高く伸びた鼻、力強い口元、均衡の取れた眉と耳の配置などが、反対に大人びた色気を醸し出す。長い髪は丁寧に手入れされ、頭頂付近でひと結び。余計な小細工をしなくても、存在自体に華がある。華を省いて華を呼ぶ香倶耶の美貌だった。


「お前、このところ男の客はあるのか」


 気だるそうに仰向けになったまま、源内が訊く。他の客のことを訊ねるのは珍しいことだった。香倶耶は一考し、答える。


「ありますよ。榎屋のご主人とか」


「あの狒々爺か。よくもまぁ……」


「お客様ですからね」


 苦笑する。源内はぼんやりと天井を見ている。髪が分かれて、広めのおでこを露にしていた。そうやっていると源内も歳より若く、かわいらしく見える。普段はきつい目元と口元のせいで、その魅力は半減しているのだ。


 源内とは長い付き合いだし、この天才は香倶耶と同い年である。香倶耶も気を許して一言付け加える。


「時折、つらいこともありますがね。それはどんな商売でも同じでしょう――」


 借金に縛られているわけではないから、辞めようと思えばいつでも辞められる。しかし香倶耶は、続けられるうちは続けようと思っていた。陰間稼業のおかげで源内に出会えたし、こうやって副業の技も手にすることができたのだ。つらいなどもってのほか、感謝せねばならない。


「――ん、処理が終わったようだ」


 源内が目だけを離れた演算機の画面へ向け、言った。香倶耶は立ち上がり、寝転がったそのそばへ寄る。


「新種の妖物ウイルスですかねぇ」


「かもしれんな」


 慣れたもので、足の不自由な源内との呼吸は言葉にしなくても取れている。香倶耶は演算機の前に源内を座らせるため、その身体を抱き上げた。

 暑さのせいか、その瞬間立ちくらみが襲う。危ないと思って、引きっぱなしの布団の上へ源内を投げ出し、驚いた源内に引っ張られて香倶耶はその上へ覆いかぶさった。


「どうした、だいじょうぶか」


 吐息が耳元をくすぐる。香倶耶は手をついて身体を持ち上げた。腕の下から源内が見上げている。


「ええ。すいません――」


 じっと見つめあう。白い布団の上へ、茶色く染めた源内の髪が川の筋のように流れている。

 しばらくして、両手を伸ばした源内が、香倶耶の頬を挟んだ。


「……なぁ、香倶耶」


「はい」


「つらいことが多くなったら、いつか――」


 やわらかい手の平が頬を滑る。なめらかな曲線を這うように、砂時計の砂が落ちるように、指先があごまで流れ落ちた――。


 ピーッ、と、その瞬間にパソコンから異音が響く。

 はっと我に返った源内は、慌てて香倶耶の腕から出ようとする。紅くなった頬を隠すように言った。


「香倶耶、エラーだ。止めてくれ」


 香倶耶は身を離すとパソコンの前へひとり向かった。

 液晶の画面には意味不明の文字化けした文章が映し出されている。キーを叩くと、とりあえず音は止まった。腕を支えに起き上がった源内が早口に言う。


「フリーズしてるな。感染されたのか……。防御は完璧だったはずだ。新手かもしれんな」


没入ジャック・インしましょうか?」


「そうだな。まずは様子見だ、深入りはするなよ――」


 香倶耶はエレキネットへ没入するための装置をパソコンへ接続する。


 妖物。没入。


 これらは十六代目が作り出した造語だ。香倶耶の上客である源内は、先代の整備したエレキネットの中から、この世とあの世の境、あちら側の世界の法則と存在たちを見出したのだった。


 古来より魑魅魍魎などと言われてきたそれらは、妖物ウイルスと名づけられた。エレキネットを構成する『言霊』は、偶然にもあの世の法則を再現していたのである。ここで言うあの世は死後の世界ではなく、隣り合わせに存在するもうひとつの世界のことだ。この世を光とするならあの世は陰。世界の反存在である。


 この世の生物が物質を主とし、その構成情報として言霊を利用しているのに対して、あの世の存在である妖物は言霊のみの形無きもの。特定の意志、行動原理を持った言霊式プログラムの塊である。それらはこの世に入り込むと生物の言霊へ『取り憑き』、さまざまな異変を起こす。妖怪、幽霊、もののけの類はこれであると言うのが現在の通説だ。


 もちろん人へも妖物は取り憑く。風邪と区別がつかないような症状から、ひどいものは人体の変化――身体から花が咲く等――まで、やはりさまざまだ。


 これを治療するのが、近年発生した『言霊士プログラマー』と呼ばれる人々。書き換えられた人体の言霊を修復し、治療する。香倶耶の副業は、その言霊士なのだった。


 演算機では新しく採集した妖物の試料を分析中だった。負荷がかかりすぎて処理落ちすることはままあるが、演算機への感染はいままで起こったことがない。香倶耶は慎重に装置を指へつなぎ、意識を没入させていく。


 本来の意味での言霊士は源内のように言霊式プログラムを組む人々を指すが、香倶耶のように組まれた言霊式を使って妖物を退治する者も言霊士とひとくくりにされている。そのような言霊士は本来『現場型アクター』と言う。没入を行うことのできる特殊な能力を持つ者たちのことだ。


 意識を言霊の次元まで分解して再構成している――らしい。方法は確立されていても原理が未解明と言う危なっかしい状況だが、最先端の分野などそんなものだろう。妖物から抽出した特殊な装置をつなぐことによって、言霊化した意識をエレキネットの中へ潜り込ませることができるのだ。

 香倶耶は体内に仕込んだ専用の言霊式によって、身体から装置、演算機へと意識を移す。


「没入しました」


 演算機やエレキネットの中は、視覚変換しないと餅のように真っ白な空間が連なっているだけだ。周囲の情報を描画することで、初めて意識のみになった香倶耶にも、風景を捉えることができる。


 処理落ちした演算機の内部は気味悪く歪んでいる。眺めていると吐き気を覚えそうなので視覚変換を切り、真っ白な空間へ戻して、監視モニタリングしているはずの源内へ呼びかける。江戸で最高の援護バックアップはしかし、なんの返答も寄越さない。


「源内様――。おかしいな、離脱ジャック・アウトします」


 異変を察知して現実へ戻ろうとした香倶耶は、それもかなわないことを知った。入ってきた接続場所が閉じている。閉じ込められた――。


 香倶耶は置かれた状況を認識して焦りを深めた。どこか別の出口を探し、離脱しなければならない。そのためには内部より広域へ移る必要があった。


「くっ――!?」


 移動しようとした香倶耶は粘りつくように足が重くなるのを感じる。見ると真っ白い空間がとりもちの様に足へ絡み付いていた。香倶耶の身体はもちろん擬似的な描写に過ぎず、動くと言う行為もまた擬似的なものだが、そこへ割り込んで『移動』の処理を妨害するなにかがあると言うことだった。


「源内様っ!」


 聞こえていないかもしれないと知りつつ香倶耶は呼びかける。

 その瞬間、遠く向こうのほうから光の矢のようなものが飛んできて、香倶耶の身体へぶち当たった。

 擬似描写が崩れていく。香倶耶の意識はそこでプツリと途切れた。


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