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高級男娼かぐや  作者: sillin
第一章 香具耶の上客
3/8

3 美しきウイルス

 それから数日もおかぬうちに、源内の予想通り先方から呼び出しがあった。これも源内の予想通り、江戸から二山ほど離れた一帯を支配する、土地の名主からである。


 若いと聞いていても、それは名主を務めるにしては若いと言う意味だろうと思っていた。まさか本当に、香倶耶より少し年上、囲っているあの女よりも歳若い女性が依頼主とは。

 名主を目前にして、香倶耶は驚きを隠せなかった。


「綺麗なお方」


 名主は遠慮会釈なしに香倶耶の頬へ手を当てる。ひやりとした冷たい手の平。丸く整えられた爪が耳の後ろを掻く。


 美しい女性だ。肩口で切りそろえた髪は椿の油でしっとりと整えられ、かぐわしい香りが鼻をくすぐる。書の達人が会心の一線を引いたような唇と鼻筋と、なにより常に遠くを見るような不思議な瞳が印象的だ。心の中まで覗かれる気がする。


 源内を除いて、美しさも地位も最上級の上客だ。うまく取り入ればいい客になる。しかし同時に、ある種の危険も感じていた。まったく相手の思考が読めないのだ。香倶耶の美貌の前で骨抜きに己をさらけ出して行く女性たちを見続けていたから、相手の心が読めないことはいつもと勝手が違うことだった。さすがこの若さで名主を勤め上げる女傑と言ったところだろう。


 そこまでいつもの癖で計算し、今日は違うのだったと苦笑する。どうも、この屋敷の人間を相手にするときは、身構えてしまうらしい。


「当主の薫子と申します。遠路ご苦労でした」


 名主の声は耳の穴から腹の下へ、すとんと落ちていくようだ。引っかかるところが何もない。

 薫子の手はさらに大胆に首から肩へ伸び、身体を密着させてくる。香倶耶は苦笑を隠さず、応える。


「僕の診断をよく信じてくださいました。本日はその用向きで」


「あら。よろしいことじゃありませんの」


「女性を好まれると聞き及んでおりますが――」


「わたくしは綺麗なものが好きなだけ。このように美しい殿方がおられるとは、望外の喜びですの」


 まずいな。源内の三白眼が脳裏に蘇る。

 ここで上客をひとり手に入れるか、源内の不興を買うか。むずかしい選択だ。

 とりあえず首筋を這う手から距離を取ろうと、香倶耶は持参した道具を畳へ広げ始める。珍しい機械に、薫子の興味もそちらへ移ったようだった。


「当代平賀源内の手になる品々でございます。まずはこれらにて検査のほどを」


 対抗言霊式の用意はある。必要のない検査だったが、こう言う手順を踏まないと信用は得られない。

 ふと、部屋の片隅に生けてある花が眼に留まった。

 風流な花瓶に生けられたその花、それは刺青で見たものとまったく同じ、鮮やかな赤い花だったのだ。香倶耶は道具の説明する言葉を切り、花を指した。


「……あの花、肌に広がる刺青と同じものですか?」


「ええ、そうですの」


「いったいどこで摘まれたのでしょう。僕は見たことがない――」


「ご覧になりますか? 花園を」


 嫌な予感が、直感として背筋を駆け上った。

 いずれあとで、と言おうとする前に、薫子は香倶耶の目前で着物の帯をはずし、合わせ目をかき開く。香倶耶は目を剥いた。


「これは……!」


 薫子の身体には、刺青がなかった。代わりに色鮮やかな原色の花々が、肌からにょっきりと生えているのである。

 むせ返るような濃密な匂いが部屋に立ち込め始める。香倶耶は思わず鼻を覆い、後ずさった。薫子は艶然と微笑む。


「美しいでしょう。わたくしの花は――」


 香倶耶は本能的な危機を感じた。腹から胸から、花園を作った女は軽やかに声を上げて笑い、それを見つめる香倶耶の身体は、明らかに自由が利かなくなってくる。

 気がついたときには遅かった。畳へ手を突き、呻く。


「香りには、毒が……」


 そのまま横倒しに転がり、仰向けに寝転がってしまう。手足にまるで感覚がない。上から覗き込んだ薫子が、気味が悪いほど鮮やかな一本の花を手に取る。


「あなたにもほら、美しい花をおひとつ」


 ずるっと伸びた花が香倶耶の身体を嗅ぎ回る様に蠢いた――。


 その光景が最後。

 視界が暗転し、意識が途切れ、香倶耶の肉体へ、いやもっと深く、人が認知することの出来ない領域の内部へと花を構成するものが入り込む。


 それは人の言霊。人間の根幹の情報。

 香倶耶の身体を乗っ取ろうとするかのように、妖物の汚染が始まり、しかしそれは突然、弾かれたように停止した。


 香倶耶の身体の中へあらかじめ仕込まれていた言霊式が発動したのだ。その言霊式は逆に、妖物が流れ込んだ道筋を辿ってさかのぼり、香倶耶の意識を敵の内部で開放する。


 目を開けた香倶耶は真っ白い空間に居た。


没入ジャック・インした。『取り憑いた』つもりだろうが、そうはいかないさ」


 しかし危ない状況は変わりない。視覚は擬似的に、香倶耶の身体を空間内へ表現していた。いまや香倶耶は言霊そのもの。これが、源内にも不可能な香倶耶の能力だった。

 いわゆる現場型アクターの言霊士。それは言霊の世界へ意識を没入することの出来る、特殊な力を持つ人々のことだ。エレキテル・ネットワークのみならず妖物の体内の中へ意識をもぐらせ、それを殲滅する。


 今、香倶耶の意識は薫子に取り憑いた妖物の中へと、複製を植えつけようとするその性質を逆手に取って侵入したのだ。


「時間がないぞ――」


 意識を失っている間に、身体へどんないたずらをされているかわからない。香倶耶は真っ白い空間を泳ぐように進む。

 やがて空間はだんだんと淡く色付きはじめた。香倶耶は移動を止め、つぶやく。


「ここか。わかりにくいな。ヴぃ、ヴィジュアル・シフト……ああ、もう。なんで歴々の源内殿は横文字を使うのか――」


 言いにくい発音に四苦八苦しながら、香倶耶は周りの光景を視覚変換する。淡いだけの色合いは、鮮明に立体感を持ち始めた。


「うげ」


 人前では絶対に出さない声を上げて、香倶耶は絶句する。

 目の前いっぱいにあの花が所狭しと広がっていた。まるで花の森だ。


「これは、無理だね」


 簡単に諦める。一本か二本、花が咲いているだけなら引っこ抜いて終わりだが、これを処理するのは何年かかるかわからない。

 しかし、進むも茨、戻るも茨の道のりだ。意識を肉体へ戻したとて、毒が回った身体は動きもしない。そもそも、妖物が物理的な毒を持つなど、非常にまれなのだ。それだけに人体への影響が懸念される。薫子の口調から、殺されることはないと思うのだが。


「……やはり、源内様の対抗言霊式しかないか」


 持ってきた機械のなかに埋もれている記録媒体。あれを薫子の身体へ打ち込めば、おそらく解決するだろう。

 だがしかし、どうやって。


フリップしかないだろうな。かなりの賭けになる――」


 香倶耶は咲き誇る花畑へ足を踏み入れる。匂いはない。花を踏みしめるたびに香倶耶の言霊へアクセスが繰り返されているのがわかる。源内が組み、あらかじめ体内に仕込んである防壁言霊式がそのアクセスを全て遮断する。


「アクセス・ポイント発見……おや?」


 花畑の先に目的のものを見つけ、香倶耶は近寄ったが、同時に首をひねる。


 花に囲まれて座り込んでいるのはひとりの少女だった。


 妖物と人間は必ずつながっている。妖物の体内――これは正確な言い回しではないが、そこへ没入してもそのどこかには、寄生主である人間へとつながる場所があるのだ。

 それはその人自身の形を取って、香倶耶へ視覚変換されることが常だった。


 薫子には違いない。

 しかし花畑の真ん中にいるのは、幼少の頃の薫子だった。

 これが意味するのはどういうことなのか――。香倶耶はさらに近づき、その隣へかがみこむ。


「薫子さん?」


「近寄るな」


 細い声で拒絶される。幼い薫子の視線は一点を見つめ、香倶耶へは目もくれない。

 心を閉ざしている。

 転、すなわち妖物を通してその媒体たる人間への没入。そのためにはこのアクセス・ポイントを介さなくてはならない。このような状態では通り抜けることは不可能。通路(ポート)は開いていない。

香倶耶はとにかく、説得を続けるしかない。


「どうしたのかな? こんな花畑の中で」


「この子たちがわたしを守ってくれるんだ」


「守る――」


 思わず花々を見回す。風を設定していないのに、ざぁっと花畑は揺れた。少女は視線の位置を変えぬまま続ける。


「あなたも毒を盛りに来たんでしょ? 叔父上と同じように」


「毒……。そうか。そう言う事か。ちょっと失礼しますよ」


 少女の頭に手を置く。無反応な薫子。香倶耶はそこから、過去の情報を読み取る。

 薫子の父が死に、権力争いが親戚内で起きたこと。

 当主となる幼い薫子に毒が盛られたこと。

 薫子を殺すはずの毒は花に姿を変え、叔父達を死に至らしめたこと。

 その経験が薫子を極度の男嫌いにさせたこと――。


「ん、男嫌い?」


 現在の薫子の振る舞いと、少し違和感がある。読み取った情報では、薫子は男に近寄られるのも嫌なほど憎んでいるのだ。


「なんだか悪い予感がするぞ――」


「もういいでしょ」


「はい、ありがとう。おかげで色々分かった」


「分かる訳ない。男はみんなわたしを殺そうとするんだ」


「そんなことはないはずですがねぇ。少なくとも僕は、薫子さんを殺そうとしてない」


「それはあなたが女みたいだからだ」


「……素敵な理論ですね、それ」


「わたしはずっとここにいる。花に囲まれていれば怖くない」


「それが毒の花だってわかっているのに? 薫子さん、あなたを包んでいる花、それは元々、憎むべき叔父上から仕込まれた毒なのですよ――」


 びくっと薫子の肩が震えた。

よし、ここが押しどころだ。香倶耶は噛んで含めるように言う。


「わかっていたんでしょう。あなたが信頼して安心を覚えるその花。薫子さんは誰よりも、男性の愛に飢えていたんですね」


「そんなことない!」


 幼い声が叫ぶ。視線がはずれ、身体が震える。

 ――通路(ポート)が開いた。香倶耶はすばやくその隙間へ手を差し入れる。


「すいません、時間がないんです!」


 幼少の薫子の身体に差し込んだ手から、通路の内部へ没入。妖物から人間へと、香倶耶の意識は飛ぶように移動していく。


「視界に侵入!」


 香倶耶の目に現実の光景が映る。現在の薫子が見る光景。香倶耶は薫子自身へ没入し、視野の共有を果たしていた。

 裸の香倶耶が寝かされている。薫子は視線を手元に落とした。右手には巨大な、銀色に光る鋏――。なにかしゃべりかけているようだが、聞こえない。香倶耶は意識を広げる。


「聴覚に侵入――」


「――……の要らないものは除けて差し上げますね、綺麗なお方。あなたは男にしておくには勿体のうございます……」


「いやいやいや待って待って待って」


 視界の鋏が動く。ぎらりと鋭い光が電灯の明かりを跳ね返した。

 一刻の猶予もない。香倶耶は人生のなかで最も必死に、人体組織への没入を試みる。


「左腕神経に侵入っ」


 鋏が閃いた。操作した左腕を伸ばし、風呂敷の上に広げられた記録媒体をつかむ。自分の身体の様子がおかしい事に気づいた薫子が、動きを止めた。


「王手!」


 つかんだ機械を胸元へ、すばやく差し入れ、その中の対抗言霊式を解放し、香倶耶は離脱ジャック・アウトする――。


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