2 十六代目平賀源内
「で、結局抱いたのかい」
翌日の遊馬茶屋。香倶耶の部屋には茶色く染めた髪を無造作に束ねた女性が、不機嫌そうに胡坐をかいていた。歳は香倶耶とそう変わりない。ぶっきらぼうな物言いと吊り気味の眼がきつい印象だが、はっとするほど美しい女性である。
「そんなことはまぁ、よろしいじゃありませんか、源内様」
女性の名は十六代目平賀源内。泣く子も黙る天才発明家を襲名したものだけに与えられる名だ。香倶耶の常連客である。
他の客の話をすると、不機嫌になるのは常のことだ。失敗だった。取り繕う香倶耶に、ふん、と鼻息を浴びせ、源内は不機嫌なまま部屋の隅にあるパソコンを指す。
「分析する。連れてってくれ」
「はいはい」
香倶耶は腰に手を入れ、その身体を持ち上げた。足が不自由なのだ。そのせいで体重もひどく軽い。一見正常に見える足だが、生まれつき動かないのか、それとも事故病気のせいなのか、長い付き合いでも香倶耶は知らなかった。それどころか源内の本名も知らない。あまり自分のことは話さないのだ。
それでも行為の後なんかには、ぽつりと話すこともある。十四のときに襲名したこと、妖物に強い思い入れがあること。そのための道具をさまざまに開発していること――。
自分について話すときの源内はいつになく恥らっていて、その姿を見るのが香倶耶の楽しみでもあった。いつも強気で、時に傲慢なこの女性のそんな表情を見るのは自分くらいだろうと思う。
パソコンの前まで源内を運ぶと、日本一の天才は刺青の花の情報の入った機械を接続する。読み込みを待つ間に香倶耶は話しかける。
「源内様、料金は後で払い戻させますよ」
「いいと言ってるだろ。いつもしつこいな」
陰間として香倶耶の時間を買うときと同じように、言霊士としての用向きで呼ばれても、源内は等しく線香を三本買っていく。それは頑として譲らない。ならばこちらがお宅へ伺いますと言うと、人が入るのは好かんから出向くと答える。
あくまで客。源内なりのけじめなのだろう。ただ単に、香倶耶の線香など源内にとって塵に等しい金額なだけのことかもしれないが。
「ふむ、出た」
液晶画面には香倶耶が見ても意味不明な文字列が流れ始める。ずらずらと流れていくそれを鋭い視線で源内は追っていく。光の映りこんだ瞳を香倶耶は見つめ、集中状態に入ったのを見届けるとそっとその場を離れた。こうなるとしばらく、源内は身じろぎひとつしない。
一通り眺め終わるや、今度は凄まじい勢いでキーボードをたたき始める。香倶耶もある程度の言霊式を組めるものの、まったく未知の妖物に対して一瞬で中身を判断し、その対抗言霊式をすぐさま組み立てるなど出来る芸ではない。もっとも江戸中探しても、そんなことが出来るのは、目の前の不機嫌な天才を措いてないだろうが。
「……これを処方してやれ」
そのうちに作業を終えた源内が差し込んだ機械を抜き取り、香倶耶へ投げて寄越した。ふいをつかれた香倶耶はつかみ損ねながらもなんとか受け取る。源内は大儀そうにひとつ伸びをすると、まなざしを向けた。
「ただしお館様とやらにな。感染源を断たねばならんぞ」
「わかってます。しかし、連絡はあるでしょうかね――」
「あるさ。あたしにはだいたい、誰なのか目星はついてる」
「へえ、誰なんです?」
「ここからちょっと離れた田舎の名主だ。広い土地を束ねてる。美人で若い。しかも金持ちときてる」
三白眼でにらみつける源内。常人とは違った論理で行動するこの天才のことを、香倶耶はいまいち把握しきれない。不機嫌の原因が嫉妬であるくらいはわかるのだが、余所の客がそれほど目障りなら香倶耶を囲えばいいのだ。それくらいの地位と金を源内は充分持ち合わせている。
香倶耶は嘆息気味に応えた。
「それなら源内様も当てはまっておりますよ」
「どうだか。――いいか、香倶耶。行くならあくまで治療しに行け。求められても抱いては駄目だ。そのときはどうなっても知らんぞ」
「女色の徒だそうじゃないですか。だいじょうぶですよ」
「ふん、わからんさ」
また鼻を鳴らす。その日の源内は最後まで不機嫌だった。