第62話 『勇者、情緒不安定』
勇者アンジェリカを筆頭とする、“魔神”討伐の任を下された選ばれし五人は、長い旅路の末、とうとう末裔である魔人族の一人を見つけ出した。
しかしながら、その強さの前に歯が立たず、それとも未熟故にか、安々と逃走を許してしまった。
敗北に打ちひしがれる勇者であったが、それでも勇者は、アンジェリカは諦める訳にはいかなかった。彼女には魔人を倒さなければならない義務がある。理由がある。何としてでも魔人を捕らえ、問いたださなければならない。
まだ幼かったころの瞳に鮮烈に刻まれた、今も尚彼女を蝕み続ける、“あの悲劇”を起こした理由を。
「まさか町の中に逃げ込むとはねぇ。魔人特有のあの紅髪も、色変えて魔力遮断すれば見た目は普人と変わらない。更には木を隠すなら森の中理論でこれだけ人がいる町に潜り込まれたら、やっかいこの上ない」
「どんな手を使ってでも見つけ出してやるわ。この町に侵入した事は間違いないのよ。町から出れば魔力を遮断しようがヴィシーが張った結界が補足する。絶対に逃さないんだから」
「それはどうかなぁ。いくら“疲れ知らず”のヴィシーでも、飽きっぽいとこがあるからねぇ」
「……わたしがお願いしたんだもの。気を抜かずにやってくれてるはずよ」
「ま、それもそうだね」
「それに。奴ら、あのヴィシーをものすごい怒らせてるのよ? あんな風に感情を顔に出すなんて滅多にないヴィシーがよ?」
「ああ、うん。探知範囲の境界をワザと行ったり来たりしてるんだってね。夜の室内に潜り込んだ蚊みたいなものだ。プ~ンと羽音が聞こえたから仕留めてやるって起きたらいない。待っても探しても出てこないから寝なおそうと気を抜いたらまたプ~ン。それを朝昼晩問わず。そりゃ誰だって怒りたくなるよ」
アンジーとアレスの二人は周囲に目を光らせる。今朝入ったばかりの新たな町、カルリィエーネは、彼女らが今までに立ち寄った各所と大きな違いは無い。│深淵体の脅威を忘れずとも、安穏とした今日の生活を精一杯享受しようと思い思いに過ごしている。彼女の視界に収まる誰しもが望んでいるだろう。平和よ、永遠に続け、と。
「で。そのイライラヴィシー曰く、あいつら町に入ってから遮断したらしいじゃん? 何でわざわざ痕跡残すような事すんのかな」
「それが分からないからこそ、警戒は絶対解いてはいけないわ。どこから襲いかかってくるのやら」
射貫くような視線が更に鋭くなり、握り拳にも力が入る。アンジーの瞳に、燃え盛る巨大な火柱が重なる。記憶が見せる幻想が、現実となる前に。なんとしてでも。
「確かに。アンジーからしたら次はどんな目にあわされるか冷や冷やもんだもんね」
アレスの一言に怒りを燃やしていたアンジーの顔が、苦虫を噛み潰したように歪む。が、その表情を伺う事は出来ない。むしろ、すれ違う誰しもが顔を合わせようともしない。明らかに、あからさまに、アンジーから遠ざかっていた。
アンジーは引き攣る頬を丁寧に解し、収まるのを待った。それから、本日三度目になる長い深呼吸の後、道端に腰を据えた中年の男に声を掛けた。
「…………。あの、そこの亜麻色の服の方。少しいいかしら?」
「ん? おれっちのことかひいいぃっ!!? ななななんだそれっ!? 気味が悪い!!」
男もまた、先立ってアンジーと向かいあった者達とほぼ同じ反応を示した。後退る男を出来うる限り刺激しないよう優しく問い掛けようとするアンジーだが、男は聞く耳を持とうとせず、頭を地に擦りつけ懐にしまい込んでいた布財布を手のひらで掲げた。
「頼む! これで勘弁してくれっ! これでいっぱいいっぱいなんだっ!!」
「ちがうよおっさん。物取りじゃないって。ぼく達、人を探してるんだ。黒い袖付きの外套を着た人、見てない?」
「し、知らねえ。ほ、ホントだ。ホントに知らねえです」
「そっか、ありがと。急に声掛けて悪かったね」
「お、おう……他に何もねえなら、おれっちもう行くぞ?」
何だか知らんが怖い思いをしたと、頭を低くし立ち去る男。アレスが振り返ると、激しく項垂れるアンジーの姿がそこにはあった。
「ねぇ母ちゃん、あの人変なお面付けてるー」
「しっ、お黙り。早く行くよ。指差すんじゃないっ」
「なんとまぁ随分珍妙な面だのお」
「な、なあ。なんか困ってるみてえだし、話だけでも聞いてみるか?」
「やめとけって。ほらみろあの背中のでっけえ剣。堅気じゃねえよ。何かあったらどうすんだ」
集う視線の中心には、身の丈もある大剣を背負い、仮面を付けた少女。もし仮面がなければ、町人たちは彼女を一介の冒険者とも狩人とでもとったであろう。
アンジェリカの顔を覆うそれは、間抜けた面の男が滑稽な表情をしている時のような、大変ひょうきんな面だった。
「あいつ……今度という今度は絶対にぶちのめしてやるわ……!」
「どうどう」
こめかみに青筋を立て握った拳を震わせるアンジェリカ。彼女の怒りの矛先は、言うまでもなく先の魔人に向けられたものだ。
彼女らが町に到着する前日の事……
「せいっ! やあ! たあぁ!! このっ、いい加減真面目に戦ったらどうなんだ!!」
「やなこって。せっかくこんな面白い玩具見っけたんだ。精一杯遊ばねえとなあ?」
「お、玩具ぁ!? ふざけるのも大概にしろ!」
アンジェリカの尋常ならざる腕力から繰り出される剛剣の暴風雨は躱され、いなされ、弾かれ、かすめることすらない。余裕すら感じさせる魔人の表情にアンジェリカの剣筋は乱れ、待ってましたと言わんばかりに接近した魔人は、彼女の眼前でばしんと強く手を打ち合った。
反射的に目を閉じてしまったアンジェリカが後悔する間もなく、魔人に掴まれた手首の関節が締め付けられる痛みに剣は手からこぼれる。同時に膝の裏に回された魔人の足は彼女の膝を折り、息つく間もなく地面へと叩きつけられた。
「ぅぐ! ま、まだやれるっ……て、ちょっ、ちょっと!? どこ触ってんのよ!!」
全身を弄られる感触に身を捩る。魔人の手が這った後には締縄が残り、どうやら自身を緊縛しているようだ。まさか、この魔人は自身を犯そうとしているのか。やはり救いようのない種族だと怒るアンジェリカだが、魔人が発情しているような様子は見受けられず、むしろ局部に触れているのは魔人の片腕とみられる少女の方だった。
「うーむ、胸周りの紐がうまく固定できないな」
「イシシシ、そりゃこいつがひんにゅ「それ以上喋ったら舌の根引っこ抜くわよ!!」
これぞまな板だと下品に笑う少女にお前も変わらないだろう! と、アンジェリカは魔人が体に触れている事以上に憤怒した。
「ケツ周りはお手本みてえに綺麗に食い込むのにな」
「そりゃこいつがデカケ「違いますぅ! でかくないですぅ! 安産型なだけですぅ!」
女性特有の肉体の起伏を強調するかのような捕縛術。両手足だけ縛れば事足りるであろうに、わざわざこんなくどいやり方をする理由。魔人は、彼はアンジェリカを倒そうとしている訳ではない。慰みものにしようとしているようでもない。そう、彼が言ったように、自身は玩具として扱われているのだとアンジェリカは悟った。こんな屈辱があるだろうか。勇者として、戦士として生きる自分へのあまりの仕打ち。悔しさと、自分の弱さへの怒りに顎が震え、歯が軋んだ。
「くっ……殺せ! もういっそのこと殺せ!」
「くっコロ、いただきました~! ってとこで、今日も俺に負けたお前に罰ゲームね」
「は? ばつげーむだと? 何だそれは……ねえちょっと待ちなさい! 待ちなさいって! 何それ!? 何をしようとしてるの!!?」
魔人の手には筆と、墨汁が入っていると思われる器の二つ。両目を光らせる魔人の目的を察したアンジェリカは顔を逸して必死に抵抗しようとしたが、細身の少女に乗りかかられがっちりと固定されてしまう。黒く濡らした筆先は実に愉快そうな魔人の意のまま、さっささっさとアンジェリカの顔を撫でた。
「で~べ~そ、も~う~こ~は~ん、す~ね~げ、わ~き~が、ゆ~う~しゃ(笑)」
「わああああああああ!! 変にホントっぽい嘘書くのやめて! 嘘だったら証拠見せてみろよ~的なこと書くのやめて!」
「オレもオレも。えーっと、め~ろ~う、ば~い~た、ひ~ん~にゅ~、ち~つ~か~ん~じ~た」
「あんたホンッとに許さないから!! 死に晒せ腐れ外道!! 地獄に送ってやる!!」
とても他人には晒すことの出来ない数々の単語を頬に、額に、鼻に、あげく目蓋にまで書かれたアンジェリカ。だがここでふと思い立つ。彼らは毎度毎度子供じみた企みや悪戯でアンジェリカをあしらっており、今回もその延長線であり変わりはない。実害が出ないのであれば、また準備を整え再戦に挑めばいい。
「だからここはじっと堪え、顔の悪戯書きを落とした後でまた……って、俺がそんなこと許すと思うかな?」
「な、なんのことかしら?」
目論見があっさり見抜かれ、声が震えてしまったアンジェリカの顔を何かが覆う。どうやら面のようなものを被せられたようだ。背中から少女の重みが消え、多少の自由がきくようになったアンジェリカが面の穴から覗いた魔人は、愉悦に満ち満ちた顔で、親指をまっすぐ上に立てていた。
「その面、外すと顔に書いた文字一生残るから」
「……………………。は?」
「だいじょーぶ☆ 死にはしないから☆ ただ世間様からの風当たりは冷たくなるだろうね☆ 世知辛いね☆ でもでも、生きていればきっといいことあるよ☆ 頑張ってね☆」
呆然とする他ないアンジェリカ。そんな彼女に軽快な効果音と共に、へんてこな格好を一々決め込みながら魔人は告げた。彼の一挙手一投足に比例して増える米噛みの筋が限界を迎えるころ、魔人の仲間達が上空を横切り、少女を抱え跳躍した魔人を回収し、空の彼方へ消えていった。
「アンジー様!! お助けに遅れ申し訳ありません! お怪我の、程、は……何ですか、その珍妙な仮面は?」
「…………(プルプル)」
「ヴィシー、笑ったら可哀想だよ。まあ、確かに今回はいつも以上に間抜けっぷりを晒してるけどね」
「アンジー。その縄を解いたらすぐ稽古をつけようぞ。これ以上の醜態を晒したくないのであればのう」
「殺して……もういっそのこと殺してちょうだい…………」
つまり、アンジェリカの顔に書かれた醜聞は呪いの一種と考えられるものであり、魔人の言うことが真実なのであれば、この煩わしい仮面を外してしまえば、有る事無い事(当の本人は全否定している)を一生晒す人生を送ってしまうのである。
「ああもうムカつくうっ!! ほんっっっっとムカつくうぅぅ!!」
若き女性では迫が足りぬから少しでも、と紳士騎士じみた言葉遣いを扱うようになったアンジェリカだが、昂ったり感情的になると年頃の娘らしい口調へと戻る。最近では魔人の影響が大きく頻出していた。
「んー、気持ちは分からないでもないけど、怒ったところであの魔人が出てくる訳でも無いし。食事にしようよ。ほら、あそこの屋台、凄い良い匂いがするとこ」
「そうね……そうしましょう。お腹が膨れれば、きっと落ち着けるわ」
怒れる勇者をおさめ、アレスは香ばしい肉と油の匂いの元へ連れ立った。小さな屋台には多くの人が集っており、金物調理器具が小気味良く打ち合い響いている。
屋台の枠越しで調理をしている額に鉢巻をした青年は余程腕前が良いのであろう。三つの鍋をとっかえひっかえ振り回し、目にも留まらぬ速さで具材を炒め宙へと回し、ここしかないという絶妙な加減で皿へと盛り付け台に並べた。
「はいよっ、二番さんに三種の香草と根菜炒め! 四、八、九番さんの甘辛豆肉盛り! 三、五番さんに焼麺とろ酢卵乗せお待ちぃ!!」
「凄えなあんちゃん! 早さも盛り付けも味も完璧だ! おい店主っ、もう店譲っちまえよ!」
青年の闊達な声に客席もお見事と盛り上がる。彼の調理は一種の見世物でもあるのだろう。見渡せば美味だ美味だと食す者だけでなく、通りかかった者達も足を止め感嘆の声を上げている。
さて、ここで食事を望んでいた二人に問題が生まれた。注文する順番が回って来るまでに時間がかかりそう、ではない。二人の苦手な料理であった、訳でもない。金額が財布を空にする程高いという訳でもない。むしろ利益は出ているのかとこちらが心配させられるような価格である。
「…………(ちらり)」
「…………っ!!」
面倒臭いなこの人。と、満面の笑みで鍋を振るう“魔人”に半ば呆れの混じった溜息を付くアレス。隣で震える者を窺えば、そこには顔を引き攣らせ、衝動と理性のせめぎ合いに目尻を痙攣させるアンジェリカがいた。
「なんか用か? 休憩時間は労働者の権利であり義務。人類の貴重な憩いの一時を奪うのは勇者としてどうなんだ?」
「一箇所に停留せず税金を納めない放浪者が勤労を説くな!」
「失敬な。店長には俺の分の税金はきちんと給料から引いとけって釘を刺してる。帳簿にもちゃんと明記してあっから嘘だと思うなら聞いてみろ」
「だ、大前提としてっ、貴様は魔人で就労どころか入国が絶対禁止であろう!?」
「魔人は入れるな、と国が上から厳令されてるだけで、魔人そのものに罰則は適用されない。それに魔人に懲罰を加えるのは教会で、国が抱える軍も警邏も、対魔人は教会から命令があるまで動かせない。なら教会の無いこの町で俺が何をしていようと、それを国が認知してない限り文句を言われる筋合いは無いってこった」
「ぐっ、ああ言えばこう言う……〜〜!!」
あまりの盛況ぶりに昼を一つ二つ、三つもまたいでようやく客足が遠のいたころ。魔人は店主からの計らいで休憩を取りに一人裏路地で寛いでいた。周囲には人気が無く、今しかないと接近したアンジェリカとアレス。無論、魔人を捉え、何を目論んでいるのか聞き出すためである。
しかし初手には失敗。魔力がある以上に狡猾であるという点において、魔人である彼は非常に優れていた。とどのつまり、彼の屁理屈に、アンジェリカが押し負けたのだ。
「まぁ言われてみれば町中で魔人見つけたところで近くに教会無きゃ手出し出来ないし、法も遵守してるから犯罪者としてしょっ引きも出来ないし」
「ちょっとアレスっ、あなた誰の味方なのよ!?」
「そりゃ勇者だけど考えてもみなよ。魔人がいたぞー! って騒いだところで、もう絶滅したと思われてる種族なんだから、誰も信じないでしょ。だからってぼくらが無理に騒いだら、町に不安を煽ったって逆にこっちが捕まっちゃうよ」
伝説の種族を前に落ち着きはらうアレス。現状ではこちらが不利なのだと諭され、そんな事分かっているとアンジェリカは苛立ちにぎりぎりと歯を鳴らす。
「何をそんなにイライラしてんだ? ……あっ、女性特有のあれか。お前安産型だから重そうだもんな」
「うるっさいわねこのすっとこどっこい!! 落とせ!! このイタズラ書き落とせ!! 女の子の肌傷付けてタダで済むと思うんじゃないわよ!!」
「……………………。ぷっ」
「うがあああああああああ!!」
「アンジー、のせられてるってば」
アンジェリカの応酬をのらりくらりとかわし、チクチクと嫌らしい反撃をくらわせる様は戦闘時と変わりは無い。このままではまたいつも通り負けてしまうだろうと、アレスはアンジェリカの裾を引き、魔人が視界から外れない位置まで離れた。
「(な、何よ)」
「(天人様から魔人殲滅の命令受けてる以上、何とかしなくちゃいけないのはやまやまだけどさ、現状じゃ埒が明かないよ。あの魔人と交渉しよう。こっちが何かしら譲歩して、魔人の情報を少しでも引き出させる方がまだ利になる)」
「(交渉って、相手は人の良心を付け狙う悪魔よ? わたし達を貶める嘘を付くに決まってる)」
「(じゃあこのままほっとく? そうもいかないのが現状でしょ。それに、その顔どうにかしなくちゃ。ね?)」
むうと唸りちらりと後ろを覗うアンジェリカ。それに気付いた魔人は口を手のひらで隠し顔を反らした。その仕草はアンジェリカの可笑しな面に笑いを堪えているからではなく、小馬鹿にしているためというのがはっきりと読み取れる。
大剣に手を掛けたアンジーを諌め、アレスは魔人の前へ一人立った。段差の縁に腰掛け見上げる魔人は、何が楽しいのか無邪気と悪戯心が入り混じる子供のような笑顔のままで、だが濁りも淀みも無く硝子のような瞳は純真無垢では無く、そこに映し出されるのはあるがままの、浮き彫りにされたアレスという一人の人間。
何を考えているのか分からない。逆にこちらの心の真が覗かれているような冷たい感覚に、アレスは少し身震いした。
「あのさ、ぼく達このままあんたを放って置くわけにいかないんだ。理由は言わなくても分かるだろ?」
「そりゃこんだけ追い回されてりゃな。貴重な貴重な魔人の情報。文字通りの生字引が眼の前にあるんだ。何としてでも手に入れたいよなぁ? ある意味、討伐以上に重要だろうよ。ここで俺の首を飛ばしたところで、どんな戦果に繋がるかも把握出来ないんだからな」
そう。勇者一行の目的は明白であり、当然、付け狙われている魔人もそれを十二分に理解しているのである。
であるならば、ここで一つの疑問が生まれてくる。その疑問を投げかける前に、魔人は立ち上がり、まるでどこぞへ出掛けてくるとでもいうような気軽さで告げた。
「いいぞ別に。教えてやるよ。無論、条件は付けさせてもらう。お前らが寝泊まりしてる場所教えろ。日が落ちたら向かう。俺一人で、な」
魔人は最初から決めていた。勇者達へ接触することに。困惑するアンジェリカとアレスに、魔人はにやりと、また妖しく微笑んだ。




