第60話 『すれ違う』
「……。普人でありながら、これほどの騎士団を手玉に取るとはな。やはり魔法とは恐ろしいものよ。持たざる者との絶対的な隔たりを生み、格差を作り、嫉み、恨まれ、忌避される。個が持つには過ぎたる力だ。そうは思わんかね?」
雷撃は間違いなく、逸れることなく直撃した。にも関わらず、その場から微動だにせず、目尻は下がったまま、眉一つ歪んでいない。雷はジェレマイアの手に持つ杖を伝い地面へと放射されたことを、クラウは自身の持つ能力から知覚していた。
「……いきなり現れてペラペラ喋りだして何なんだい? 劇団でもやってんなら喜んで心づけ金払ってやるよ。てめえらが殺したアタイのモンも含めて、金色の雷をたっぷりとなぁ!」
雷への対策が練られている。クラウは遠中距離魔術の使用を封じ、接近戦で物理攻撃を加える為の戦術候補を思い並べた。
「そう急くな。まだ主役すら登場していないのだ」
それすらも予測済みだと言わんばかりに手を掲げ静止させられ、クラウは舌を打つ。悪戯に時間を浪費させられれば町の被害は拡大するばかり。防衛に役立っていたはずの川の守りは今となってはアズールを覆う檻と化している。今すぐにでもクラウが先陣を切り轍を作らなければならない。
しかしジェレマイアの不気味にも思える落ち着きぶり、漂う異質な空気から目が離せない。様子を窺うしかないクラウの前でジェレマイアは静々と箱を開き、中から白金の器を取り出した。
それが瞳に映された瞬間、全身の汗腺が開きクラウの服を濡らし、心臓は大金槌で打たれたかのように強く脈打った。
「杯……。っ!!? おいてめぇ!! ホントにあいつらを呼ぶつもりなのか!!」
「その口ぶりからすると、彼らをよくご存知のようだが、何か不都合でもあるのか?」
「不都合も糞もあるか! いいか! あいつら天人族はアタイら普人族も亜人族も家畜同然にしか見てねえ! あいつらが魔人を目の敵にしてる理由は知らねえが、アタイら普人族を守る為にその杯があるんじゃねえんだ!」
「ああ知っているとも。いくら優れた功績や位があろうと、彼らにとって利がなければ見向きもされないことはな」
声を張り上げジェレマイアの企む行為を止めようとしたが、聞く耳を持たず、指の先を短剣で傷つけ、盃へと翳した。
「このイカれ野郎が!!」
クラウの全身を雷が包み、発生した不可視の力場はクラウを強制的に高速で移動させる。目に捉えること叶わない電光石火。クラウの掌が衝突した瞬間、雷鳴と共に激しく稲妻が周囲を駆けた。肉体に零距離から直接伝達される雷撃は、いかなる生物をも絶命させる。
「…………嘘、だろ……!?」
だがそれは、クラウの狙った標的ではなかった。不快な肉の焼ける匂い。高電流が走り焦がした痕が残るその顔は、見覚えがあり過ぎるもの。
「何で……何でお前が!! ジャーダ!!」
「……ごめんね、ボス」
ばしゃりと液体となって崩れるジャーダの肉体。その後ろには、ジェレマイアと、彼の隣で悲し気に微笑むジャーダの姿があった。
唖然とするクラウに、ジャーダは前髪をかき上げ額を晒した。クラウの脈動に呼応するかのように額の中心が青白く明滅し、七つの光と共に陣が浮かび上がる。クラウには見覚えの無い文字が乱立する七星の紋。それは、ジャーダが奴隸であった事を意味していた。
「ああ糞っ、何で気付いてやれなかったんだ、アタイは!」
「亜人であるというのに、随分と慕われていたようだな。もしかすれば、君らがこのまま平穏に暮らす世界もあっただろうが」
「どういうことだ!!」
「此奴は君も見ての通り、私の奴隷だ。それも有能な魔法を扱える稀有な、な。しかし所詮亜人は亜人。だが使い殺すには少々勿体無い。どう扱おうか持て余していた。ある日、ふとこのアズールに眠る伝説を思い出した。それが本当に存在するのなら探ってみるのもまた一興かと。此奴の記憶を封印し、自身を流浪人と思い込ませこの町へ送り込んだ。もし見つける事あれば記憶を蘇えらせ、私の元へ戻れ。そう奴隷呪を掛けていた。これはただの戯れ。何の期待もしていなかったのだが、世界は私の気紛れで君達を滅ぼすことに賛同したようだ」
「……てめえの奴隷だったとしてもっ、ジャーダはアタイの家族だ!! もうアタイのもんなんだ! ここでてめえをぶっ殺して!! 返させて貰うよ!!」
「荒くれ者共を束ねるだけあって威勢がいい。だが、幾ら何でも悠長ではないかね?」
その指摘に、クラウの意識はジェレマイアの持つ盃へと強制的に戻される。滴る血の一雫はゆっくりと落ち、それを飲んだ杯は強く輝き、自らの光を大きく拡散させた。
「私は君に感謝している。知っているかな? 天人族を召喚するこの白金の聖臨杯だが、ただ血を捧げるだけでは彼らは召喚に応じない。“一定量の魔力を満たす魂を贄とする必要がある”。一部を除く矮小な魔力しか持たない我々普人族では多大な犠牲を代償として支払わなければならないが、君がこうして沢山用意してくれたという訳だ」
両腕を構え顔を背けてもなお眩しい閃光は、周囲の死体を光の鱗粉へと変え、器の中へ吸い込んでゆく。一際輝いた杯は光を一気に収束させ、辺りには何事も無かったかのような静けさが漂った。
周囲から隔絶され、場が神聖な空間へと変貌を遂げる。汚れも、滲みも、穢れも無い純々たる白色の衣。空から宇宙へと至る境界を宿す紺碧の双眸。黄金の川、波打つ金色の髪から覗く特異な尖耳。そして何よりも、他の種族と一線を画するのがその背に広がる白翼。三対の翼は背伸びをするかのように揺蕩い、白金の羽を落とした。
「……。我を呼んだのは貴様か」
声にすらも曇りが無いのか。ピンと張った糸を軽く叩くような、無機質な声が響き渡る。
「はい。私は「貴様の素姓などどうでもよい。要件を言え」
その言葉には容赦が一切無かった。例えば、腹が空けば物を食すように。眠たくなれば辺りを気にせず寝るように。生物が持つ本能のまま、命令ではなく、服従でもなく、至極当然自然に、天人族は普人族であるジェレマイアを遥か下等な存在とみなし先を促した。
「では……。“魔神の遺産”が発掘されました。あの女の後方にある祭壇に供えられたものがそうです」
「ほう……」
「(やっぱアズール石が目的だったか!)」
張られた糸が僅かに張力を増した。人形のように生気を感じさせなかった天人族の女性は意識を台座へ、そしてクラウへと向けた。
「ふむ……普人族にしては強い魔力を有しているな。……その翠玉色の瞳には見覚えがある。“フルルーフ”の一族の末裔か」
「!!?」
幼少より捨て去り、隠し続けていた一族の名を告げられ、クラウの脳裏を風化しかけていた記憶が掘り起こされる。どこまでも燃え盛る火炎。夜空から墜ちる光の柱。地を這い惑う恐怖を嘲笑う声。どんな手を使ってでも生きろと声を張り上げたのは、誰のものだったか。
「なるほど、かつて魔神に仕えていたという“八紅九頭”の血族だったか。どうりで強力な魔力を有している。ここで遺産を守護しているのも得心がいく」
「知らねえ! 知らねえ知らねえ知らねえ!! アタイはクラウディア・アレシガだ!! アタイはアタイの決めた人生を生きる!! 血筋なんか知らねえ!! アタイの家族はこの雷花団だああああ!!」
過去を、今この状況を裂かんとばかりの声を張り上げ、クラウは内にうねり昂ぶる魔力を開放する。魔法陣に流入する魔力は飽和し、周囲に強烈な電磁場を発生させた。
「【翠黄軌貫撃】!!」
至近距離で放たれた青白い光球はまるで宇宙を翔る流星。その煌めきは死へと直結する不可避の速度で相手を襲う。固体でも、液体でも、気体でもない、不安定であるはずの雷は全てがクラウの支配下にあり、正確無比に天人族を包んだ。
「……多過ぎるな」
だがしかし、そこにはクラウの知る結果とは別の現実があった。膨張し炸裂する光も、稲妻が奔る音も、大気と地が砕け弾けることもない。クラウの創り出した全ては、佇む天人族に“飲まれ消えた”。
「貴様という存在を讃える。私でなければ少なくない手傷を負っていただろう」
全力全開の魔術。それはそよ風のように、天人族の髪を揺らしただけ。余りにも大きすぎる差。希望も可能性も、救いも一片すら存在しない。クラウの両腕は力無く下りる。もはやその瞳に気力は微塵ほども無く、何もかもを諦め、空をあおぎ小さく嘲笑った。
「ボスーーーー!!」
「こん畜生がぁ!! 一体何しやがったお前らぁ!!」
「ジャーダおまええ!! どういうことなんだよおおお!!」
「やめろ、お前ら……もう、意味なんてないんだ……無駄なんだよ……」
クラウの身を案じ戻った雷花団の男達は、無気力に立ち竦むクラウ、敵である筈の者達と共にいるジャーダの姿に我を無くし、怒りに任せ天人へと各々の武器を振り下ろした。
「ぐがっ!!?」「ギャ!!」「ぐえぇ!!」「ぶぶぁっ」
しかし斬撃は、殴打は、衝突の瞬間“見えない何か”に阻まれ、そして衝撃は全てあらぬ方向から男達をなぶり、血が撒き散らされる。
「ボス!! 川に火のついた油が撒かれた!! このままでは渡ることが……天人、族!!?」
アナベラは天人を視界に収め瞬時に弩を放つが、矢は接触直前に勢いを無くしポトリと落ち、直後アナベラの右肩に穴が穿たれた。
「うぐっ!!?」
「すまねえ、アナベラ。すまねえ、みんな。アタイがもっとしっかりしてりゃ、もっと強けりゃ……」
「ぐっ、くぅ……、!! ボス! しっかりしろ!! あなたがいなくなったら雷花団もアズールも終わりなんだ!! 桟橋の方へ走れ! 潜って洞穴に避難を!」
「……何を足掻いている? 貴様らを一人も残すことは無い。全員ここで死ぬ。無闇矢鱈に動くな。手間が増える」
淡々と告げられる死の宣告。空へと向けられた掌から打ち上がる光弾は二つに、四つに、八つにと分かたれ、増加する度に速度を増し、やがてアズール全体を覆うほどに飛び回るそれらは一斉に、町民に、雷花団へと襲撃する。
命の礎でもある魔力。多量に所持するクラウだからこそ、アズールから一つ一つと命が消えていくのを感じ取っていた。一度は壊れ、積み上げ直し、固く紐で結ばれた世界は、美しく冷たい光が切り裂き朽ちさせてゆく。その光を避け、最後まで足掻き続けた欠片は、クラウを覆い隠そうと身を張り、ただ一言、クラウの名を呼び崩れ落ちた。
「…………」
世界という殻を失ったクラウに、残されたものは自身のみ。天人族は虚ろな目のクラウの胸元へと指先を向ける。
「魔人に関わる者は全て殺す。それが神から我らに下された至上命令。さらばだ」
心の臓へと真っ直ぐ延びる輝く帯。胸を穿たれクラウはゆっくりと倒れ落ちた。
「……リオ…………
「さて、天人よ。私の望みを叶えるならば、私はこの遺産を大人しく渡そう」
「……貴様、何が言いたい?」
祭壇からアズール石を手に取ったジェレマイアは、天人から発せられる威圧的な波濤を意にも介さず、背を向けたままの尊大としか見て取れぬ態度であった。
「白金の聖臨杯はあくまで天人族のみ通行を許された“天廊”へと繋がる門。そしてその天廊は他の生物や物質が入り込むことは禁じられている」
「どこまで知っている?」
普人族であるならば、それが例え王族であろうと天人族が許す者以外、持ち得るはずは絶対にない情報。どこで入手をしたのか。天人は警戒ではなく、興味を持ってジェレマイアへと問いかけた。
「……私はこの世界がどうなろうと構わない。しかし貴方がたは少し違うようだ。魔人を歴史の片隅に追いやったのは前哨戦に過ぎない。天人族が創造しようとしている新たな世界に興味が湧きましてな」
それは核心にも近い答えであった。凡庸な魔力しか無く、先の短い老人であるが、有益。そう判断を下した天人は、ジェレマイアを自分達の本陣へ招くことを決定した。
「遺産を持ち待機していろ。迎えを寄越す」
「御意に」
すぐさま態度を変え、深く腰を折るジェレマイア。表だけの形に興味など無いと、天人は何も言わず、微かに光る羽を散らし、煌く虚空の中へと消えて行った。
その直後、丁度先程まで天人のいた箇所に何かが落下する。石畳を弾けさせ、傍で見ていたジャーダをよろめかせるほどの衝撃を持って出現したのは、紅髪紫眼の、大剣を伴った魔人の青年。膝立ちのまま、リオは辺りを見渡し舌を打った。
「今更のご登場とは。もう舞台は終わった。観客も誰一人残っていない」
「そうみてえだな。せめて天人族とやらを一目拝んでやりたかったが、予約無しの飛び入りじゃ無理か」
残念そうに息を吐き、軽口で答えたリオにジェレマイアは警戒から疑惑へと心象を変えた。
「して、魔人よ。お前の狙いはこの遺産か? それともアズールの民が全て殺されることとなった原因を作った私を滅ぼしに来たか?」
「いや、それはもういい。ただ、一つ聞かせろ。あんたは、この世界が好きか?」
その問いに、ジェレマイアの表情が僅かに歪んだ。好くはずもないだろう。直ぐに出る筈の答えは喉元で一瞬止まり、少々形を変えて、外へと漏れた。
「……。好いているならば、こんな真似はせん」
「それもそうだな」
「……来い、ジャーダ」
リオから視線を外さず、伺い見るかのようにしながらジェレマイアへと近寄り、差し出された腕に掌を当てるジャーダ。許してほしい。罰してほしい。止めてほしい。様々な想いを入り混じらせる瞳に、リオは顎でしゃくり早く行けと促した。
静かに発動した魔術は二人を宙へと溶かし、姿を消した。
「リオ。アズールの皆、全員死んだ」
全滅、か。いや、こうなることは分かっていた。俺という魔人と関わった以上、それが周知された時、何が起こるのかなど。
後悔など無い。悲しみも無い。ただ、つまんねえ結果になっちまったなと、涙を堪えるヴァンの顔を、腕で隠してやりながら思った。
「この先の世界は、お前の全てを否定するだろう、か」
「あ? 何か言ったかリオ?」
「何でもねぇ」
雷花団の一人、ガッツェの死体を引きずるヤイヴァ。続々と広場に集められる、アズールの民の死体。スコールが見つけ出し、それをアリンが、ティアが運ぶ。淡々と続けられる作業。しばらくすると、ヴァンも俺の腕を払い離れ、目を赤くし鼻をすすりながら死体を運ぶ作業に続いた。
「リ、リオー……リオーーーーっ」
瓦礫の中から、俺を呼ぶ声が聞こえる。その一部が変化し、姿を変えて胸元へと飛んできた。
「リオー、みんながー、みんながー……。グス、グスッ、オイラ、隠れてろってー、何にもできなくてー、怖くてー……ジャーダも行っちゃったー……」
「ロン、分かってるさ。お前は悪くない。お前だけ生き延びたのも、罪じゃない。よく生きてたな。安心しろ。アズールの連中全員、俺らでしっかり弔ってやる」
胸の中で泣き続けるロンを慰める傍ら、徐々に出来上がる死体の山。その内の一つに目が留まる。クラウディア・アレシガ。俺を好きだと叫んだ女。謝らねえぞ。お前は俺という世界の異物を身勝手に受け入れ、自分のやりたいようにやって、報いを受けた。それだけだ。
「だが、俺はお前の、お前らの御蔭で、前に進める。後ろは振り向かねえ。だからこそ、ここで消えるお前らを、そのままにしておくつもりもねえ」
「リオ、これで全員集めたわよ」
「ああ。お前ら離れてろ」
精神的な負担が許容量を超えたのか、俺達がいる事に安堵したのか。気絶したロンをヤイヴァに手渡し、全員が十分に距離を取ったことを確認し、破力を開放させた。
「【深淵之異界人】」
身体の組織が組み換えられ、生物として必要とされる活動は全て破力を礎とし、破力そのものが俺の肉体として再構成される。
「せいぜい怨み続けろ。俺という存在を。お前らの未練も怨念も身体も何もかも、俺が全部喰らってやる」
他の奴に、譲るつもりも別つつもりもねえがな。
黒い太陽に飲み込まれ、アズールの民は一人残らず俺の深淵へと誘われた。
「とうとう見つけたぞ!! 魔人族!!」
【深淵之異界人】を解いた直後、勇ましい女の声が空虚なアズールに響き渡った。今日は何かと忙しいな。
チラリと向けた視線の先。金髪碧眼の少女が、身の丈もある大剣を振りかざし、高く跳躍した。




