第59話 『暗雲』
「は~~~~あ~~~~……」
「今ので何度目だー?」
「私が知る限りで今日十五回目だ。いい加減立ち直って欲しいのだが。こちらのやる気まで削がれる」
「ジャーダもー、最近なんか元気が無いというかー、どことなくぼけーっとしてるよなー」
雷花団の頭領、鬱屈するクラウが窓から空へ撒いた溜息は、彼女が望む人物に届くはずもなく、再び地上へと落ち注がれ、それを浴びた同室のアナベラ、ジャーダ、そして外でたむろする雷花団の男衆は肩を落とした。
「でも確かにー、逃がした魚はー、第一階位級にでっかかったなー」
「逃がすも何も、たまたま流れ居付いていただけで釣れてすらいなかったがな」
「は~~~~~~~~あ~~~~~~~~っ」
「そう当たるなボス。大きい魚ほど大味になると聞く。もしくは酸っぱい葡萄だったとでも思って心を入れ替えるんだ」
「どーせアタイは釣れるだけの魅力も~、届かせるだけの能も無い低俗な女ですぅ~」
重症だなこれはとアナベラは嘆息し腕を組んだ。失恋したクラウが十日以上漂わせる淅瀝な風雨は未だに止む気配が無い。雷花団ひいては町民の活動に支障が出るわけではないのだが、積み重なった風雨が雷雨となり他者(主に雷花団の男衆)に降り注ぐのを恐れる手下から、何とかしてほしいとの声があったのだ。
しかし気落ちしているのはクラウだけではなく、町全体が軽く雲でも掛かったかのように、笑顔少なくだれるような空気が漂っていた。それだけアスタリスクが町に与えた影響が大きく、同時に喪失感も大きかったのである。
「なぁなぁボスー、ここで落ち込んでるだけなのはー、一日が勿体無いぞー。アズール石見に行こうよー。気持が安らぐぞー」
「…………多少は気が紛れるか。分かったよ」
広場に拵えた台座に添えられたアズール石。見る者の心を落ち着かせる不可思議な石はアズールの御神石として奉られ、町人達と雷花団の憩いの場をもたらしていた。
「なんだジャーダ。今朝もここで瞑想していたが、まさかずっと続けているのか?」
「うん。こうしてないと、どうしても落ち着けなくて」
「なんだー? 悩みでもあるのかー?」
「少し、ね」
台座の前で膝を付き目を閉じていたジャーダは立ち上がった。クラウとその背を押すように歩いてきたアナベラとロンに微笑むが、その笑顔は少々陰っていた。
「どうした? まさか、ジャーダまでリオに惚れてたのか?」
「確かにとってもかっこいい人だと思うけど、高嶺の花過ぎて恋愛感情なんか沸かないわ。魔人っていうだけで委縮しちゃうもの」
「そういや言われてみりゃジャーダがダ……リオと喋ってるの一度も見たことないねぇ」
事実、ジャーダはリオとの会話に消極的であった。別にジャーダがリオを嫌っていたのではない。話を膨らませようにもどのような反応を示すのかと無意識のうち気になり、喉元で詰まってしまうのだ。
「……魔人族は、私達の心の拠り所。死して大地へと還り、海を渉り、空へと昇る魂を護り、いつか再び生を授かるその時まで、絶えず世界を照らし続ける光。不思議でしょ? 魔人が姿を消してもう何百年も経ってるのに、初めて見た私ですら頭を下げたくなった。きっと、ご先祖様の遠い遠い記憶が、今も私の中に残ってるのね」
「は~~~~~~~~あ~~~~~~~~っ」
「ど、どうしたのボス?」
「まだ吹っ切れてないんだー」
魔人という種族が如何に貴重であるかを再認識したクラウの喪失感は膨れ上がり、更に大きな溜息となって周囲にばら撒かれる。深淵の焔のように澱んだ吐息をジャーダは思わず避けた。それが少々癪に障ったクラウは、ジャーダを取り押さえ羽交い締めにし、耳元へと直接吐息を吹きつけた。
「は~~~~~~~~あ~~~~~~~~っ」
「っっっっ!!」
生温く細かな空気の振動に水人族のヒレのような耳は敏感に反応し、ジャーダの頭からつま先にかけてクラウの鬱屈した嘆息が駆け抜ける。体中が痒くなるような感覚から逃れようとジャーダは暴れ抵抗するが、クラウから逃れることは適わず、また一度浴びせられた。
「まったく何をやっているのやら」
ジャーダで鬱憤を晴らすクラウに呆れるアナベラだったが、こうやって吐き出し続けさせれば失恋という毒もそのうち抜けるだろうかと放っておくことにし、視界の端に捉えた町を駆ける弟に声を上げた。
「ベベル!!」
「!! 姉ちゃんっ!! ハァッ! ハァッ! ハァッ! ハァッ! 姉ちゃんやばい!! やばいよ!!」
「ベベル、お前またサボって……」
またも橋渡しから離れたのかと咎めるアナベラに、ベベルは大きく首を振り、違う、違うんだと、青褪め、恐怖に怯えながらも、それらに抗い大声で叫ぶ。
「姉ちゃん! ボス! 兵隊がやってきてるんだ!! みんな凄い怖い顔しててっ、手に武器を持ってて……あれ? ……」
必死なベベルの言葉は、そこで途切れた。視線の集まる彼の胸から飛び出したのは鉄の鏃。赤い血の、伝い土へ落ちる一雫。瞳に涙を浮かべながら姉を見上げ、力なく膝を着くベベルを、アナベラは強く抱き留る。
陰る町は更に陰りを増し、空から矢の雨が降り注いだ。
第59話 『暗雲』
「ジェレマイア様。アズールへの包囲展開は完了しました」
「何人たりとも逃がすな。あの町の下賤な者共は法を犯しただけでは飽き足らず、神に背き魔人へと下った。最早救いすら届かん。愚者が悪魔へと変貌する前に、始末しろ」
「はっ」
ジェレマイアの命令によりアズール周囲を覆う川の沿岸は銀甲冑を纏う騎士が埋め尽くし、絶え間なくアズールへ向けて矢を放っていた。
「……仮に、本当に魔人が姿を現したとして、この程度でおびき出せますか? それに、今回動員させられた騎士団は一個小隊のみ。選抜されたのは精鋭揃いとはいえ、心もとないと思いますが」
ジェレマイアの隣で直立不動のまま疑問を投げかけるセオドア。魔人出現との連絡を受け、ファランに駐留させていた騎士をほぼ全て動員した。それほどに魔人の討伐は優先事項の高い案件であるのだが、魔人の戦闘能力に関して記録が少なく未知の部分が多いため、セオドアは全滅も有り得ると消極的であった。
「無論、この程度で動くとは思っておらん。未だ魔人がこの世に忍び彷徨っているのは、力だけでなく狡猾さも備えているからだ。この一波は町の者共を抑え込む為に過ぎん。ある程度経ったら直接乗り込み、白金の聖臨杯を発動させ、一網打尽にする」
「もし報告が虚偽であるのなら、今なら降格と始末書のみで済みます」
「そうかも知れぬ。だが万が一天人様がお許しになられたとしても、王の怒りは尋常ではない。私を含め郎党皆殺しにされるだろう。そう疑心になるでない。魔人がいるというのは間違いないのだ」
「そうではありませんっ。天人様を呼び出すということは、貴方がっ」
「そう声を荒げるな」
慌てるなと空を見上げるジェレマイアにつられセオドアも仰ぐ。するとアズールの中心から稲光を放ちながらいくつもの光球が打ち上がり、炸裂したそれは稲妻と成ってアズール川の周囲へと落ちた。
「っ、これは!?」
「あれ程の規模の魔法、最低でも上位亜人でなければ成せん。放った斥候も、第一陣も反応を見せないとなると、やはり強力な亜人が潜伏していると考えるのが妥当だろう」
「報告! 先の雷撃魔法により展開していた騎士の二十名が負傷っ。内六名が戦闘不能っ」
「魔法を反射する“魔絶の銀鎧”を貫くか。うかうかしてはいられんな。私はアズールへ直接上陸し、天人様を召喚する。セオドア殿はここで全体の指揮を執ってくださるか」
「ジェレマイア殿、私も共に」
「セオドア。お前はまだ若い。将来のクライディーズ王国を、民を、何十年と率いなければならぬのは、我々のように居座るだけの老獪ではなく、新たな世代の夢見る若者達だ。お前がここで死ぬことは、国にとって百億ガルドを超える損失を生み出すということ。少々硬いのが玉に瑕だが、それはお前が誰よりも実直で、誰よりも国を想っている。忘れないでくれ。国への、国王への功績は、平和への道のりに繋がる訳ではない。……常に落ち着き払い真実を見極め、未来を生きる者が一人でも多く笑顔になれるよう、その身を砕身してほしい」
「……国を想っているのはジェレマイア殿こそ、いえ、私以上に想っているからこそ、王にも不審を抱いているのでしょう? だが貴方はファランをここまで長く守り通した。これこそ偉大なジェレマイア殿の尽力あってこその功績であります。代役は誰一人も、貴方以外にいません。必ず帰ってきて下さい」
ジェレマイアはそれに答えず、振り向くことも無く、独りアズールへと続く小船に乗り込んだ。
「……よりにもよってあの人が裏切るだなんて、信じられません」
「みんな、ごめん」
「スコールは悪くねえよ。お前の能力に頼りすぎた俺達全員の責任だ」
全速力で高々度を飛行するティア。七色丸薬、そしてヴァンの魔法も手伝い途轍もない速度だ。
「イシシシっ、セット地方の魔人を滅ぼした謎の種族。どんな連中だろうなぁ。強えんだろうなぁ」
「天人族が召喚されるまでに間に合えばいいがな。戦いてぇのは山々なんだが、微妙なとこだ。俺の姿か、もしくは凶悪な深淵体を確認しねえで召喚したとなれば……」
「……時期的に、狙いは“あれ”しかないよね」
それしか考えられん。天人族は一定の条件を満たさなければ召喚することを許されない。だが“あれ”が天人族を呼び出すだけの理由を持っていたとは……十分に考えられたか。
「アズールの人達は無事かしら?」
「分からん。魔人に占拠された被害者とみなされるか、片棒を担いだ背信者とみなされるか。どちらにしても碌なことにはならねえな」
セット地方で司法を担っているのは天人族を総本山とする教会。ならば魔人と関わった疑いのある者をお咎め無しという訳にもいかないだろう。
「…………っ」
「ヴァン……」
「わかってる。僕達は何も悪くないんだ。アズールの人達に迷惑がかからないように色々と手もうった。でも、……!!?」
ヴァンの言葉を遮ったのは、遠目に見えかけていたアズールで激しく瞬いた光条。光の柱が空へと昇り、一帯を覆っていた雨雲を貫き彼方へと吹き飛ばしてしまった。
「……ティア、急げ」
「うん! 飛ばすわよ!!」
「この愚民どもめ! せめて我ら騎士団の手で魔を払い天に送ろうというのに、何故逆らう!」
「なーにが天に送るだ! おめーらは天人族に胡麻すってるだけの俺らと変わんねー凡人だろーがよぉ!」
「貴様ら犯罪者風情が我ら騎士団を愚弄するか!!」
「うるせえ! 教会に引っ込んでろ!」
アズールに乗り込んだ騎士団を迎え撃つは雷花団。訓練された者達と日々を惰性に過ごす者達では力量に大きな差があるのは言うまでもなく、国から下賜された銀鎧で身を固めた騎士に力任せの武器など通用する訳がないのは自明の理であるが、それでも雷花団の士気は衰えない。時折魔法の才を持った騎士が火弾や氷槍を放つも、それら全ては雷光の一撃のもとに消え去った。
「ええいっ、【紅蛍吹雪】!!」
「騎士名乗ってるくせに程度が低いんだよ! 【雷爪握撃】!!」
宙を散る無数の小さな火は放射状に走る雷に阻まれ、陣を展開するクラウへと届かない。操られる雷は収束後、クラウの指の動きと連動して残る火と共に騎士を数名を握りつぶすかのように襲い掛かる。騎士達は腕を交差させ膝を付き防御態勢を取るも、雷は鎧を貫き彼らの肉体を駆け巡り焼いた。
「てめぇらのその薄っぺらい鎧でアタイの魔法を防げるわきゃねえだろ!」
「くっ、これほどまで魔力を内包する同族が存在するとは。一旦下がれ!」
「……逃がすと思うか?」
「なっ、いつの間ビャヴアッ!!?」
退却を命じた副官騎士の足元から縫うように現れたアナベラはその開いた口の中に弩の先端を付き入れ、間髪入れず射った。首の髄を寸断された副官騎士は驚きに目を開かせたまま地へと転がった。
「アナベラ! 気持ちはアタイも痛えほど分かる! だけど今は馬鹿共と町のみんなをまとめてくれ! アタイが突破口を開く間は後ろががら空きだ! 倒すことじゃなく守ることを考えろ!!」
「……っ。了解、ボス」
「ぼ、ボス~、川の向こうは騎士が全部囲ってるよ~。オイラとジャーダはどうしよぉ~……」
「おまえらは姿隠しゃ誰にも見つからねえんだ。先に町の外に出てな。二人の仕事はそっから。ほら急ぎ!!」
戦闘そのものでは魔力に非凡な才を持つクラウの存在もあり圧倒的に優勢であった雷花団だが、クラウの命令は一点してアズールからの避難であった。
事前通達も無い突然の襲撃。動員されるのは教会の息が掛かった騎士団。包囲されたことから殲滅戦であることは明らかで、クラウは魔法陣を展開しながら様々な憶測を頭の中に走らせていた。
「(アタイらの中に裏切もんがいる。それもかなり位の高い野郎と繋りを持った奴が。でもリオが狙いだとしたら何で今攻め込ませる? リオ達がここにいないのは知っているだろうに。魔人以外に何か騎士団まで連れてきやがってまで欲しがるブツがあったとしたら……)」
『国を簡単に動かせるほどの大きな組織が探ってたんじゃってこと』
「(まさかあの石が!)」
「驚いたな。下郎共を取りまとめる山猿は女だときいていたが、妙齢の麗女とは」
初老の男の姿を捉え、クラウは確信する。こいつが全ての元凶だと。胸の底から込み上げる憤怒は稲妻となり、男へと飛びかかった。




