第58話 『縛られしモノ』
ファランのやや北の地区に座する大舘の最上階。ファラン特別統括官執務室で、領主である初老の男、ジェレマイア・ギリングズ・トリオスグリオが、クライティーズ王国より遣わされた監査官の最終報告を気怠げに聞き流していた。
「以上。提出された書類、決算書及び申請書に不備、不正は認められません。これにて、定期監査は終了となります」
「今回も長かったな。毎度毎度とは言え苦労な事だ、セオドア殿」
「それが私の仕事ゆえ。国を思えばこそ、苦などありません」
ジェレマイアが労いの言葉をかけるが、セオドアと呼ばれた年若い監査官の返事は事務的で無味だった。相変わらずいけ好かん奴だと腹の中に言葉を留め、ジェレマイアが直立を解き椅子に腰かけた所でセオドアは短く一礼し部屋を去った。
「……その我らがクライティーズ国国王は相も変わらず天人族にご執心。巻き上げた税を湯水の如くばら撒き歓待したというのに、“最も欲していたもの”が手に入らなかった上、四面楚歌に陥っているのだからな」
もしこの場にまだセオドアが残っていたとしたのなら、嘲笑と共に吐露する彼を即刻拘束していただろう。王家の失態を揶揄する態度に対してではなく、国の重鎮すら知らぬ情報を、ジェレマイアが掴んだ可能性があると危惧してである。
「我々に出し抜かれる事を恐れている。現にこうして騎士軍は治安維持という名目で浪費させられ、貴族は監査という名の監視を受けている。金の動向をハイエナのように血眼で睨み、僅かな肉片だろうと奪い取ってやろうという算段。滑稽なことよ」
「ジェレマイア様。取り急ぎ、お耳にいれておきたい情報がございます」
「入れ」
ジェレマイアが許可を下すと執務室の扉がひとりでに開き、僅かな風の流れを感じさせたのち、静かに閉ざされる。“目に見えぬ何か”はジェレマイアの隣へと気配を移し、姿を現した。
本来ならばそこに居ては決してならぬ者は小声で一言二言呟き、その内容にジェレマイアは神妙な面持ちでくたびれた顎髭に指を通した。
「ふむ……確かなんだな?」
「間違いございません。古の文献に記されていたものと合致します」
確信をもって頷く従者に、ジェレマイアは皺の寄った目を閉じ背もたれへと体を預け、自身を王都より追いやった者達への感謝と嘲りと持ってクツクツと深く笑った。
「それを手に入れたというのならば、あの町におるのだな? 魔人が」
「いえ。置き去りにし旅立って行きました」
「……結構結構。ハハハ、まるで私を“彼の地”へ招いているかのようじゃないか」
「やはり存在するのですか? 上層にあると言われる、楽園が」
「正直眉唾物だ。噂ばかりが一人歩きし、何が真実なのかも分からん。だが、王家があの無様な姿を衆目に晒し足掻いている所を見るに、あながち嘘でも無いのだろう」
ジェレマイアは立ち上がり、ファラン全体を見渡せる大窓から町を見下ろした。灰色の瞳は視力が乏しく、ぼやけた輪郭のみを映し出す。彼にとってそんなことはどうでもよかった。ファランに赴任したその時から今も変わらず、この町を好いてなどいない。忠を尽くすべき者にすら絶望を覚えた彼に、残されたのは国への意趣返しだった。
「この町にも、この国にも未練などない。ならば、旅立つとしよう。文字通り、新天地へと、な。さて、セオドアを呼び戻すとするか」
「……町を、滅ぼすのですか?」
「それは貴様の知る事ではない。まさか、今更情が沸いたとでもいうのか? 笑わせるでない。貴様は私の命令のみ遂行するだけの木偶人形。それ以外に価値は無い。……それとも、またあの頃の生活に戻りたいか?」
「……全ては、ジェレマイア様の御意のままに」
リオ一行がファランに到着する、十日前のことだった。
第58話 『縛られしモノ』
俺達の背丈のゆうに三倍はある赤煉瓦壁が、視界の端から端まで続く。壁の向こう側へ行くには酒に興じる門兵に頼み込んでその唯一の門戸を空けてもらうしかないが、まず許可は下りないだろう。
「飛び越えちゃいましょ」
「だな」
こんな壁、俺らにとっちゃその辺の階段とさして変わらん。人目が無いのを確認し酔いどれ門兵の脇の壁に硬貨を投げつけ注意を引き、意識がそっちへ向いた隙を狙い壁を一気に蹴り上がった。
「「うっ」」
異口同音の反応が漏れたのは、偶然ではない。態勢を崩しかけたティアの手を取り、着地した俺達を迎え入れたのは、ぐちゃりという不快な感触と、とんでもない腐臭だった。
「め、目が染みるっ。臭いっ、臭い臭いっ。おえぇぇっ……エホッ、エホッ。もう、何でこんな所に来たがっ、た、の……よ……」
「…………なんでだろうな」
目が慣れるにつれ、悪態をついたティアは徐々に語尾が小さくなる。確かにその光景は、言葉にしようにも形容しがたく、どうしてこのような場所が存在してしまうのかと、自問を繰り返させてしまう。
ヘドロにまみれた土から沸いた泡が弾けると異様な色の湯気が上り、汚れきった空気をさらに黄ばませる。合間を縫うように飛び交う羽虫があちこちに群がり、不快な羽音が鼓膜を絶え間なく嬲る。
茫然と立つ俺らを、地べたに座り込んだ鼻口の長い獣人の少年が捉えた。いや、本当に俺らを見ているのだろうか。その目は焦点が定まっておらず、瞳孔と虹彩が鼠色に変色している。機能してないにも等しい上下のみの衣服を身に付け、手足は少し衝撃を加えれば折れてしまうカラカラの細枝のようで、腹部が膨れている。典型的な栄養失調による飢餓状態だ。一部大きくせり出す腐った雨除けの下に群がっている亜人達も、似たようなものだった。
「……この人達が、奴隷なのね」
「ああ。正しき人のカタチから逸脱した存在。下賤な下等生物。普人族に捕らわれた亜人の末路。あいつはもう長く無いだろう。持って一、二週間ってとこか」
普人族の栄華から滴り落ちる汚水を啜って這いずる者達。その正体は、亜人だ。
戦争や集落への襲撃等、何かしらの理由で普人族に捕まった亜人は、まず教会に送られ、“浄化”が行われる。この浄化によって亜人は町に住み仕事への従事が許される。とのことだが、実際は奴隷紋を肉体に刻み、教会や個人に隷属させるのが目的だ。奴隷紋の刻印はトリスフィア教門外不出の術式で行われるそうで、はっきりとした効果は不明。だがその拘束力は絶大で、従わない者に激痛を与えたり、行動範囲を制限したり、思考を欠落させたりと、完全に自由を奪う為の術である事は間違いない。
こうして人としての尊厳を捨てさせられた亜人奴隷は、普人族の思うがまま、過酷な運命を強いられる。なかでもよく見られるのが、俺が広場でも見た桶を運ぶ奴隷だ。あの桶の正体は汚物の溜めもの。奴隷達は“黒い櫛道”と呼ばれる唯一通行を許された裏道を通り、市民の捨てた汚物、家畜の糞尿や死んだり腐ったりしたモノを回収し、汚物の溜め場であり、“住処”でもある町から隔離されたこの居住地区へと運ぶ。回収した汚物を肥溜めに集め、肥料を作るっているのだ。
「それがこの人達の役目?」
「行商やってる奴らが深淵体避けに買う事もある。雇った護衛でも勝てない階級の奴と遭遇した時用にな。町で迎撃線やる際に火薬をたんまり抱えさせて深淵体の群れの中に放り込んで爆発させたりなんて戦法にも使うそうだ。万が一、町に深淵体に侵入されても奴隷を犠牲にして避難を行う。深淵体は構造物を破壊したりはしないし、町民は奴隷を殺し尽くした深淵体が町から居なくなるのを見計らって戻ればいい」
「……胸糞悪くなる話ね」
まさしく、彼らは人の負を一身に背負わされた哀れな存在。彼らの全ては普人族の幸福と栄えある生活を支える為に消費される道具。
一体、歴史にどんな軌跡があったのか。彼らが一体何をしたというのだろうか。彼らの先祖はどんな罪を犯したというのだろうか。歴史書を紐解き細い糸を手繰り寄せても、終端は冒頭と何も変化が無い。亜人は悪そのものだったと。一生を捧げ当たり前なのだと。
「……知っておきたかった」
俺の想いを、共有してもらいたかったのかもしれない。ティアが見つめる横で言葉を垂れ流す俺は、さぞ情けなく見えていることだろう。
「ティアが言った通りさ。少し離れて視野を広げれば、それだけで景色は変わる。自分が見たいと望んだ光の周囲を覆う闇が、今の俺には見える。所詮こいつらは赤の他人だ。それも自分らより劣る弱小種族に支配された実力も運も無い連中。一片たりとも気に掛ける必要なんかない。だけどな……」
そうだ。気に掛ける必要など不要。だというのに、視界に入った途端、俺の心はざわついた。無視できない程に。
「もし、こいつらが心に光を持つ奴だったとしたら? たとえ小さく、たとえ儚くとも、誰にも負けない、譲れない光を宿しているのだとしたら? その光が世界を変えていたかもしれない。世界の未知を照らしていたのかもしれない。可能性はいくらでもあったはずだ。それがここで燻り、腐敗し、消滅していく。そう思うと、やるせなくなってくる。二度と無いかもしれない可能性を潰されていることに」
「アタシ達、アスタリスクが輝く為の光が、失われるから。この世の全てに意味があるのに、その意味が汚されているから。リオ、独りで抱え込まないでっていってるでしょ?」
俺の想いをティアは紡いでくれた。俺を労わりそっと添えられたティアの手を握り返した。
滅入る気分が無くなるまで暫く気を落ち着かせていると、獣人の子が立ち上がった。まだ僅かに眼が見えているのだろうか。俺達に向かってよろよろと足取り危うく近づいてくる。
「っ!? 駄目よっ!!」
声を上げて警告するティアの声は、走り出した俺の足は届かない。子供は肥溜めに落ち全身を泥糞尿の池に沈めた。慌てて不快極まりないその池に手を突っ込み、子供を地に引っ張り上げる。毒でも菌類でもウィルスでも破力で破壊出来る俺に感染症は恐れるものではない。それよりこの子だ。汚物が気管に入り込んだのだろう。呼吸をしていない。口の中に指を入れ込み吐き出させようとしたが、小さくえずくだけで何も出てこない。
「両足持って持ち上げっから肩甲骨の真ん中あたり叩け」
「うんっ」
ぶらりと垂れる子供の背をティアが何度か叩くと、口からぼたぼたと汚物が流れ落ちた。何度か続けたのち、回復体位をとらせ容体をみるが、意識は戻らない。肩、背を叩き声を掛けても反応は返って来ない。腕に人差し指を押し当てるが、脈が取れない。仰向けに倒し胸部に耳を当てたが、そこにあるはずの鼓動が聞こえてこなかった。……事切れちまった。
「そんな……」
「もともと体力的に限界だったんだ。少しでも体に負担がかかれば、命に係わる状態だった」
そうだ。どちらにしろ放っておけばそのまま死んでいたはずだ。死期が早まっただけのこと。それだけのことだというのに、破力は怒りに震え、溢れそうになる。
「お前さんら……」
頭上から掛けられた声に見上げれば、広場で見かけた紺色の獣人だった。ここまで近づかれるまで気づかなかったとは。どれだけ身を顰める日常を送れば、ここまで希薄になれるのだろうか。
「あんたらも、亜人だな。でも、奴隷じゃなさそうだ。なら、こんなところに居ては駄目だ。今の騒ぎで外の兵が確認に来るだろう。早く立ち去れ。あんたらの善意は、ここでは悪で、無意味だ」
紺色の獣人は息絶えた子獣人を抱きかかえ、隅に積んである土の小山の傍へ横たえさせると、土山を崩して子獣人に被せた。そして自らの肌に傷を付け、垂れる血を細長い木片に擦り付け、赤く染まったそれを、土山へと刺した。
「この世界を包み、我らに消えない温もりと闇を祓う光を与える紅様よ。今日も世界の万象を享受し紡いだ魂は、火と成り天へと昇り貴方の元へと還る。我ら、輪廻の時を巡り光を永久の未来へと繋ぐ者。其は世界の礎。其は命の道標。どうかいつまでも、途絶えずたゆまぬ不動の光を我等に……」
あの不自然に並んだ土山は墓だったのか。沈んでいるのもあるが、彼方此方に石や骨が刺さったものがある。どれだけの亜人がこの腐食した場所で死んでいったのだろうか。なまじ丈夫な肉体を持つが故に、苦しみは冗長し、逃げることは叶わず、自害することも許されない。
「……ティア、戻るぞ」
「ええ……」
自由な俺達は、縛られた奴隷にとって悪。破力で奴隷に刻まれた奴隷紋を破壊できるか? 可能だろうが、だからと言って解放した後、こいつらはどうなる? 俺達は? 何も、どうにもならない。世界が変わる訳じゃない。
だから、今の俺達は自由でありながら、無意味なのだ。
「臭っせぇ! お前らう〇こ臭えよ! いきなりスカ〇ロプレイとか上級者過ぎんだろっ!!」
「性格はひん曲がってても嗜好までひん曲がってねえよ!! つかどこで覚えたその単語!!」
「そうよそうよ! キスだってまだなのにそんなきったない行為なんか出来る訳ないでしょ!!」
「……ティア? 結局進展しなかったのですか?」
「え? ま、まってアリン? 進展しなかった訳じゃないのよ? ほら、まだアタシとリオには早いというか、なんというかヒイィ怖い怖いっ! その冷たい目をした笑顔止めてっ!」
服に染み付いた異臭を撒き散らしながら町を歩くのは勘弁と、ヴァンに消臭魔法を掛けて貰いに合流したが、肝心のヴァンとスコールの姿が見当たらない。
「スコールがどうも怪しげな会話を拾ってよ。ヴァン連れて聞き込み調査に行ったぜ」
「町を警邏されている方々が、アズールがどうたらと話していたそうですよ」
「アズール? そんな気にするようなことか? もうあの町にゃ行く気ねえぞ」
ヤイヴァもほっとけよと言ったそうなのだが、その警邏が不穏な空気を漂わせていたそうで、確認だけでもしておくと二人で町を回っているそうだ。
臭え臭えと騒ぐヤイヴァを羽交い締めで嫌がらせをしていると、飛ぶように駆けるヴァン達の姿が見えた。軽く呼びかけるとスコールが反応し、ようやく二人とも合流した。
「よかった、リオもティアも戻ってて……ぅっ」
「…………」
「早くこいつらのう○こ臭消してくれ。鼻がイカれる」
顔を背けながら匂いを落とすヴァン。スコールは離れた所でフレーメン反応をおこす動物よろしく変顔で口をパクパクさせている。綺麗さっぱり臭いを落とさせたところで、ヴァンが件の情報について話を始めた。
「数日前、アズールに向けて駐留してた軍が攻め入ってたんだ。……魔人が出たから、その討伐に向かったんだって」
「……何だと?」
「その魔人って、誰を指してるの? まさか、リオの事じゃないわよね?」
「『五人の上位亜人を伴った若い魔人が、アズールを占拠している。之を直ちに討て』。どう考えても、僕達の事を言ってるとしか思えない」
馬鹿な。俺達があの町に逗留していたという情報は遮断されているはず。近くの農村と物品のやり取りは行っているが、ファランとは接点が無い。仮に俺達の存在を漏らした所で、アズールにメリットは無い。雷花団の面々はアズールから出られないし、基本事なかれ主義な町人らがわざわざ騒ぎの火種を生むとは考えられない。雷花団ないし町人が外に出る際は常に俺達も面倒を見てもらうという名目で逆監視していたし、アズール周囲はスコールに探知を徹底させ変な接触がないかどうかも確認している。それなのに何故こうも的確な特徴を掴んでいる?
「それだけじゃない。出撃時にこの町の教会から、“白金の聖臨杯”が持ち出されたらしいんだ」
「!!」
各地に点在する教会の一部に安置されている噂の代物。災厄が訪れし時、杯に鮮血を捧げることで、天国へと通ずる門が開かれるという。
天国への門が開くとは即ち、今現在このセット地方を支配する、魔人を超えた力を持つ種族が姿を現すということ。
「……天人族が、召喚される。どうする、リオ?」




