第57話 『変わらない心、変えたい心』
旅の醍醐味と言えば、その地に生きる人々の生活圏が独自に築き上げた文化に触れる事にある、と答える人が殆どだ。特色的な気候、土地に大きく反映され、同じ人という種族、同等の文明を持ちつつも、各町に住まう共同体の生活基盤の組み上げ方には差異がある。自分が生まれ育った場所との違いに感銘を受けたり、逆に失望する部分もあるだろう。特にこの世界は文字通りの魑魅魍魎が跋扈しているので同族の繋がりが深く硬く、面白おかしな文化を築いていることも多い。だから旅は面白いのだ。
だが今現在、俺個人としてこのファランという町につける評価はただ一言。つまらん。がっかりした、という方が正しいか。良い町であることは確かなのだが、全て想像の範疇に収まってしまうものばかりで、目新しさが全くと言っていいほどないのだ。
加えて、だ。町並みの間からひっそりと姿を見せる、“彼ら”が俺の意識を引っ張り込む。
「「「「ランランラーン♪ 進むよ進む♪ 旗をなびかせ太鼓を鳴らして歌を歌って笑い顔して歩いてく♪ ガシャガシャ兵隊剣を掲げて♪ お髭の家来が杖を振るって♪ 偉そな王様お腹を揺らす♪」」」」
どこからともなく現れた朗らかな老人が軽快に鳴らす太鼓に合わせ、手を繋ぎ大きな輪を作った子供達が軽く飛びながらクルクルと回る。ファランの民俗舞踊なのだろう。
最初は子供達が踊って遊んでいる近くを通り過ぎようとしたのだが、そこのお兄ちゃんお姉ちゃんもと活発な二人の少年少女に引き摺られ、強制的に輪の中へ加えさせられてしまったのだ。
「そういえば、アタシ達こんな風に遊んだ事って無かったわね」
「冒険者ごっことはいえ、依頼をこなし金を稼いで飯も殆ど自分らで用意してと、よくよく考えりゃ真面目な生活だったからな」
気が付けば大人も混じり始め、次々と集まる町人達が輪をどんどん成長させる。一つだけだった太鼓は三つ四つと数を増やし、笛の音が太鼓の律動に旋律を与え華やかとなり、広場を独占する大舞踊となった。
これだけの人数がいるというのに、ちらりと見渡せば遠巻きに眺める衆人環視が俺とティアに集まっている。俺を指さし黄色い声を上げるのはお姉様おば様方。下心丸出しの男の視線を独占するティア。亜人とばれやしないか気が気ではない。
「「「「楽しい行進にお空は嫉妬♪ ずるいずるいと怒り出す♪ 雨がザーザー雷ゴロゴロ♪ 驚いた馬が右へ左へ走り出す♪ 連れられる家来を兵士が追っかけ、王様一人残された♪」」」」
大きな輪が突然ばらけ、町人達は片手を広げバラバラに踊り始めた。歌詞に合わせて踊りに変化が生じるようだが、当然俺達はついていけない。すると、俺達を輪に引き入れた少年少女が手を引き、広場の中央へ置き去った。それを見た町人達は、俺とティアを中心に旋律に合わせた足踏みで囲った。どうやら、俺達が王様役らしい。
「「「「王様ワーワー泣き出した♪ 一人じゃ狩りができないよ♪ 一人じゃ城に帰れないよ♪ 一人じゃ何も出来ないよ♪ 一人はとっても寂しいよ♪ だから王様探したよ♪ 揺れるお腹を跳ねさせて、どこだどこだと走り出す♪」」」」
「ばらばらになった人々を集めろということか」
「そういうことね。行きましょ、リオっ」
ティアと再び手を繋ぎ、近くにいた子供に踊りながら駆け寄ると、にっこり笑ってティアの手を取り後ろに着いた。正解だったようだ。続けて隣に近づくと、くるりと回って一礼し、ティアの手を握る子の反対の手を取り、やはり後ろに着いた。
同じことを繰り返し、最後の一人に辿り着いた時には、再び輪が出来上がっていた。
「「「「王様、皆の名前を知った♪ 王様、皆の仕事を知った♪ 王様、皆の心を知った♪ 王様、皆と繋がって、大きな大きな輪になった♪」
喜びに綻ぶ笑顔。場に満ちる歓声。繋がる事で広がる温もり。素晴らしいのだろう。尊いのだろう。それらが薄っぺらく見えてしまうのも、気のせいでは無いだろう。共感は得られない。
彼らは知らない。自由に歩んでいると思い込んでいるその道は、奪い取ったものであることを。土地を、家族を護ってくれる強固な柵は、籠であることを。
視線の端に映る民家の境。人一人半程の幅の路地の、鉄柵で塞がれた向こう側。片耳が折れ、所々尾から毛が抜け落ちた獣人が、幽鬼のようにふらりと現れる。濁りきった瞳は地面に置かれた桶を捉え、手に持ち路地の向こう側へと消えた。
第57話 『変わらない心、変えたい心』
ファラン周辺は質の良い粘土質の土が採れる森が多く、炻器、陶磁器といった焼き物の生産が昔から盛んである。通りを歩けば三軒に一軒は屋根や庭から焚かれており、自前の焼き釜を持った陶磁器店であることが分かる。競争力も高く誇り高い職人達が造る品々は他国にも人気があり、行商人達はファランで生産された焼き物を取引しようと、自国の物珍しい物品を荷に乗せ、ファランで売り捌き陶磁器を買い取る。落とされた外貨や他国の物品を王都とファランを行き来する商人や遠征する兵士が持ち帰る。ファランが貿易町と呼ばれる所以であった。
「ようっ、そこのお二方! よかったらうちの陶器見てくんねえ。うちしか採れるとこを知らない赤銅色の土で作った特製の花壺だよ! この見事な光沢と肌触り。他じゃあとても真似できねえ逸品だ。別嬪な奥さん、旦那さんと二人っきりの酒の席に花を添えてみるのはどうだい?」
「奥さん……旦那さん……夫婦……。デヘヘ~」
「な、なんでい、そのどっかの助平坊主みてえな笑いは」
時折トリップするティアを引き連れ市場を当てもなくぶらぶらと歩く。腕にぶら下がるティアはそれだけでもご満悦のようで、何気ないちょっとした出来事がある度に俺に笑いかけてくる。
「ねーねーリオ。この町ってさ、なんか妙に綺麗じゃない? “臭集箱”が無いのに、どの道も散らかってないし、あんまり臭くないわ」
ティアの言う臭集箱とは、地球で言うところのゴミ箱である。石や金属を加工し作られた箱の中に、メルスリト草という腐臭を吸着する植物を乾燥させたものが敷き詰めてある。ライズ地方ではどの町でも随所に設置されており、汚物は全て臭集箱による回収を義務付けられている。グランディアマンダではこれを怠ると罰金を科せられる。そんな刑を設けなくともやった奴は住人から村八分をくらうかリンチされるかなので破る者は皆無だが。
「ああ、それは……「おおう、おおう。おっとっと。痛でででで。いやぁ、すまん、すまん、すまんね」
突然視界外から鼻が赤く汚らしい中年の酔っ払い男が、俺を押し倒さんばかりに衝突してきた。膂力のある俺は当然びくともしないが、男はよろけて尻餅を付き、ヘラヘラと反省の色が一切見られない謝罪を漏らしながら何度も頭を垂れた。
「ちょっとあんた、そんな見え見え「ったく、気を付けろよ、オッサン」
“見抜いていた”ティアを静止させ、手を差し伸べ男を起こしてやると、足取りの覚束ないまま、笑いと謝罪を繰り返しながら去って行った。
腰にぶら下げていた革袋が今の男に盗まれたのだが、それを見逃させた俺をティアは訝しみ腕を組んだ。さーて、どっか近くに居ねえかな……っと、発見。巡回中と思われる二人組の兵士だ。
「た、た、大変だ大変だ。兵士さん、俺見ちまったよぉ」
大げさに腕を振り、長槍を帯刀する兵士の腰にしがみ付く。腹に顔を埋め震える俺の演技にすっかり騙された兵士は俺の肩に優しく手を置いた。
「お、おぉっ、どうした少年。こんなに怯えて、一体何を見たというのだ」
「さ、さっきすれ違ったおっさん、袋を覗いて邪悪な笑いを浮かべてたんだ。俺、気になってこっそり覗いてみたら……ひ、人の目ん玉が入ってたんだ。間違いねえ、あの人は俺の町で噂になってた目玉喰い親父に違いねえ」
「目玉喰い親父……お前、知ってるか?」
「いや、そんな狂人がいるとは聞いたことがないぞ」
「人を殺すと決まって目ん玉ほじくって食う男がいるんだって。俺、眉唾だと思ってたけど、多分そうに違いねえ。昨日俺が泊まったダランって店主が経営してる宿に、あのおっさんもいたんだ。そこの宿に、夜中に泊まりたいって言う四人がいて、でも店主がもう部屋空いてねえって言ったんだ。そしたらあの男が、俺の部屋貸してやるって。その時は気にして無くて夜はぐっすり寝ちまったんだけど、次の日になったら四人の姿が何処にも無くて。店主は何か様子がおかしいし、何か店ん中から変な臭いがして……」
「その男の特徴は? 今何処にいるか分かるか?」
「灰を被ったような髪してて、髪と似たような鼠色の薄い織物羽織ってて、すげえ酔っぱらってた。向こうの通りを真っ直ぐ歩いてったよ」
二人の兵士は頷き合い、市場を速足で駆けて行った。背が見えなくなった所で立ち上がり、耳を澄ますと俺が抱き着いた兵士のものと思わしき罵声が聞こえる。上手くいったようだな。
「ふーん、あの袋、リオが殺した人達の目を入れてたってことね?」
「おう。で、さっきのおっさんにわざと盗ませた」
ティアの言う通り、あの袋には昨夜斬り殺した男達から抉り取った目を忍ばせてある。殺人罪を他人に擦り付ける為だ。犯罪を取り締まるのは兵士と町の自衛団の役目だが、裁判と判決を下すのは教会だと知り急遽工作を練った。色々と考えてはいたが、一番単純な手で済んで少々拍子抜けだ。
ティアはそういうことかと納得すると、再び本日の定位置に戻った。結構エグイ事をしたと思うのだが、特に気にしてないようだ。少し意外、と思ったのが顔に出ていたのか、ティアはそのぐらいへでもないと鼻を鳴らした。
「アタシはヴァンほど他人にお優しい性格してないわよ。死んだっていい奴ぐらいいるのは当然だと思ってるし、悪いことしたから殺されたり腕をもがれたりするなんて普通よ。ドラゴニアで大喧嘩して周りに迷惑かけた奴らは、罰として片目を抉ったし。刑が執行されるときはアタシも一緒にいたけど、可哀想だなんて微塵も思わなかったわ。何かおかしいかしら?」
「いや、そっちも関係なくはないが、折角のデートに目玉袋ぶら下げた野郎と町を歩けるかっ、てキレるんじゃねえかとな」
「気にしない……て言うと嘘になるけど、その折角のでーとなのにリオがちっとも楽しそうじゃない方が気になるわ。むしろ、ちょっと不機嫌?」
「……すまねえ。俺なりに楽しもうとは思ってるんだがな」
最初はそれなりに楽しんではいたのだが、“あの獣人”を見てから一気に興が削がれている。ヴィラガ村、アズール町には無かった存在。頭では認識していても、実際にこの目で見ると感じ方はまるで異なる。
「……ねえ、リオ。ちょっといい?」
ティアは手を離すと俺の前に立ち、そして静かに抱き着いてきた。俺も謝罪の意味も込めてティアの背に腕を回し、抱き締め返した。
その体は以外にも細く、そして柔らかい。胸に当たる二つの双丘。脇から腰までの滑らかな谷。腕をくすぐったく撫でる髪。こいつは女であると強烈に伝わってくる。抱く力を少し強めると、首筋に吐息が掛かった。
「……。こうするとね、見えてくるの。リオのことが。沢山知れるの。アタシの知らなかった部分が。これだけでいい。これしかいらない。これが自分の全てだって。お前しかいないって言ってくれて、嘘みたいに胸が跳ねて。でも、これだけじゃないのよね」
町を巡っていた時は決して離れようとしなかったティアが、名残惜しみながらも緩め、三歩後ろに下がった。
「離れると、リオだけじゃなくて、他にも伝わってくる。見た事の無い景色。感じた事の無い風。嗅いだ事の無い匂い。おんなじように見えて、全然違う空が。……ねぇリオ、アタシは、アタシだけを見て。なんて言わないわ。世界はアタシ達だけじゃない。色んなものがあって、それを見たいと思う心が、アタシ達にはある」
そうだ。何でも喰らおうとする俺の視界に移り込んだ以上、俺はそれから意識を外すことが出来ない。ティアとのデートを楽しみながら別の欲も満たすというのは、対象が喜楽とは対極すぎて無理だった。だから精神が乱れ、ティアに簡単に悟られてしまう醜態を晒したのだ。
「今日のでーとは、もうこれでおしまい。アタシはリオと一緒ならそれだけで十分だけど、リオが楽しくないなら意味ないわ。気になるものがあるんでしょ? なら行きましょうよ。たとえそこが心の底から嫌になる場所だって、リオと一緒なら……リオ達と一緒なら、何も怖くないわ」
ここまで言わせておいて何もしない訳にゃいかない。ティアへと一気に近づき空へと放り、小さな悲鳴をあげたお姫様を受け止める。周囲から冷やかしの声が飛び、腕にすっぽりと収まったティアは自身のお姫様抱っこ状態を確認すると、身を少し縮め恥ずかし気ながらも、ころころと笑った。
「ティア、俺は決めたぞ」
「な、なに?」
「これから先、何があろうと俺の伴侶になれるのはお前だけだ。もし俺が誰か別の奴を好きになったとしても、ティアを選ぶことを誓う。ティアが俺以外の奴を選んだとしても、俺は誰も娶らないことを誓おう」
「……リオの伴侶になれるのは、アタシ、だけ……」
ティアは信じられないものを見たかのように目を丸くし、嘘偽りを確かめるかのように俺の頬を撫で、そして美しく顔を綻ばせた。
「俺の妻になれってことじゃねえ。これは俺自身に課せた制約だ。いつまでも答えを出せない馬鹿野郎に愛想をつかさねえで待ってるお前にやれることはこのぐらいしかねぇ。だがいつか必ずケリはつける。まだ待たせることになるが、その時ティアの気持ちに変わりがないなら、俺と結婚してくれ」
「…………いいわよ。でも晩婚は嫌よ? 顔に皺ができる前に、アタシをリオのものにしてね」
「約束しよう」
首に腕を回してきたティアを抱え直し、町を走る。俺達が町の住人にどう映っていたかは分からないが、誰も彼も何故か手を振り頑張れーだの、負けるなーだの、幸せになるんだぞー、等と的外れな声援を送ってきた。
「フフフッ、今のアタシ達って、結婚を反対されて逃避行する恋人達にでも見えてるのかしら?」
「俺達の道を決めるのは俺達だって逆らってな。ある意味間違っちゃいねえ。誰の指図も受けず、どこまでも駆けるのさ。ずっと一緒にな」
「……ねえ、リオ」
「ん?」
「こ、子供は何人欲しい?」
まだくっついてすらいないんですが、ちょっと気が早すぎやしませんかね、ティアさん。




