第05話 『魔王子様は無能王子』
俺の名はリオスクンドゥム・メルフェイエ・グランディアマンド。長え名前だろ? 何てったって王子だからな。
それも普通の王子じゃねぇ。魔人族と森人族という亜人のハーフで、グランディアマンダ国という大国家の第一王子だ。グランディアマンダ国は土地、物流、文化、財力、兵力の、ほぼ全てにおいて周辺諸国より大きな規模を誇っている。そしてこの強国を支配する種族が、魔人族。
つまり俺は、最強の国の、最頂点の身分と力、つまり次代の王の権力を持つ可能性が最も高い超偉い奴である。だが、魔人族の血を引いていながら、魔人族にとって大切なものが、俺には欠けている。
魔人族の魔とは、魔法を意味する。強力な魔法を自由自在に操ることが出来るからこそ魔人族である。その魔法を、俺は行使することができない。
なぜなら、俺の体には魔力が一切宿っていないからだ。俺は無能の烙印を押され、後ろ指をさされる存在となった。
ねぇ、あのお方が例の王子でしょう? 将来の王政を担う程の能力なんかあるのかしら?
魔力がないのであれば、なにが出来ると言うのです? 強大な魔力を秘めてこその魔人でしょう。
魔人族の恥さらしだ。森人族なんぞを妾にとるからぐぎゃあっ!?
立場や身分、挙句は命が危ぶまれる、というとこまではいかないらしいが、それでも俺を魔人の王族としてどうなのかと疑問視する者は絶たない。そのことを否定はしない。
俺は手に残った花瓶の破片を放り投げ、床に寝転がっているカリタスとか言う気障野郎の後頭部を蹴り飛ばしてその場を後にする。隣でナンパされていた文官のねえちゃんがオロオロとしていたが気にしない。王族に対して不敬な発言をしてこの程度で済んでいるんだからマシだろう。
俺への悪口なら別に構わん。さっき王位継承権の破棄願いを纏めた書類を申請してきたからな。もはや形だけ王族となった俺には不要。寧ろ俺にとっても周囲にとってもお荷物。
どうせなら王子なんて地位も捨てたいが、お袋の故郷の森人族達が折角手に入れた魔人族との繋がり、強力なパイプにヒビが入りそうだと知ったら間違いなく揉める。俺的にはしっちゃかめっちゃかにしたって全然かまわんのだが、そのせいで拘束される可能性が高くなるのは、ちょっとな。
ったくよ、地味に行動しづらいポジションに落ち着いちまった。爺ちゃんは体裁だけ整えて後は上手く躱して好き放題やっていたみたいだったが、今度各々の地位の関わりとか、権利と義務の抜け方みたいなノウハウでも教わろうかな。アローネお姉ちゃんを脅しに使えば、きっと良い情報が貰えるに違いない。ああでもアローネお姉ちゃんの琴線に触れるか? それはちょっと怖い。
ううむどうするべきか。俺の悩みはロダンの像も顔負けだ。アローネお姉ちゃんをつついて飛び出すものは、きっと地獄の門の向こうにあるものより恐ろしい。多分。などと熟考し歩いてたら、目的地に着いた。
城の裏庭にある広い憲兵場、その脇に建てられた石造りの兵舎だ。扉を開くと錆びた蝶番が鳴いた。壁には一面に泥に塗れた剣や斧といった武具や衣服が掛けられ、床に乱雑に脱ぎ捨てられた下着や靴、鎧が異臭を放っている。木製の飾り気の無いシンプルな二段ベッドが端から端まで並び、唯一枕元や枠に掛かる小物の類がそのベッドの使用者の個性を語っている。
テーブル席では扉を開いた時の不快音に反応して、四人の男達が俺を睨んできた。席に座る獣人の男は黒い豹のようで、片耳が無い。鋭い瞳で俺を見つめ歯を食いしばっている。黒豹獣人の後ろに同じく、焦げ茶色をした大きな垂れ耳のニヒルに笑う獣人に、じっと俺を見つめる深緑色の鱗を体に生やした爬人。隣のテーブル席には鼻が少し赤くて明るい茶髪の小人が胡坐の上に肩肘を置き、頬を握り拳に乗せて笑っている。
四人の怪しいパンツいっちょな男達の態度に臆さず、俺はずんずんと近づき黒豹獣人の向かい席によじよじうんしょと座り、ニヤリと笑い返した。
小一時間後。黒豹獣人は顎からぽたりと汗を垂らし、ここだと駒を進めた。
「ん? そこだと十手後に決着ついちゃうけどいいの?」
「げ!? マジですかい!? お願いしますリオ様! もっかい! もっかい待ったさせてください!」
「おうおう獣人ごときが頭脳でリオ様に勝とうなんざ百万年早いんだよ!」
「ぎゃははは! そうだそうだ!!」
「うるせえヨーナス! お前だって昨日リオ様にボロクソにやられてたじゃねえか! ラウレンスは俺と同じ獣人だろうがよ!!」
警邏をサボるディーデリックさん達を相手にチェスを対局している。ボードゲームは元々この国にはない遊戯で、訓練で使用されて駄目になった木片やら鉄片やらの廃材を使って適当に作ってみたんだが、なかなか好評のようで兵士の間ではこうして密かなブームになっている。
「ディード、そこに打つのは悪手だろう。躱されて犠牲が出るだけだ」
ディーデリックさんの後ろで観戦していた爬人、エクムントさんが指摘する。四人の中で一番強いのがエクムントさん、次いでヨーナスさん。ラウレンスさんとディーデリックさんはお互い罵りあっているが、強さはどっこいどっこいと言ったところだ。
「ふっ……! ぬぬぬ……! ぐ、ぐぅ……! だ、駄目だ。俺の詰みだ。リオ様、参りました……」
「ふぅむ、やはり此処にいたか」
「うおおおおおおおし、将軍! お疲れ様です!」
「「「お疲れ様です!」」」
兵舎に入って来たのはグランディアマンダ国最強の部隊、ディアマンド隊隊長であり、全八部隊を統括する将軍であり、“八咫紅蓮”の一人でもあるドゥーカス・ルヴィオン将軍だ。潜在魔力量が非常に高いのは勿論のこと、あらゆる戦闘戦術分野において優れた知識と判断能力を持っており、親父の信頼も厚い文武両道万能な将軍さんだ。
「この時間、確かお前達の班は巡回だったな? 国の職務を放り、娯楽に興じるなど言語道断……と言いたい所だが、そう気を張るな。私もお前たちと同様、リオ様が考案された遊戯に嵌ってなかなか庶務に力が入らんのだ。ということでリオ様、私とも一局、お願いできますか?」
歴戦の勇士という言葉がまさにぴったりな強面のおっさんなんだが、サボり癖があるのが唯一の欠点だ。現にチェスをサボる口実してるし。後で周りに追及されても『王子に誘われては断る訳にはいかなかった』なんて言って躱す気なんだろう。
「勿論です、ドゥーカス将軍。へへ、腕が鳴りますね」
「はっはっは、お手柔らかにお願いしますよ、リオ様。あれから部下達と何度か指しましたが、まだまだリオ様には勝てそうにないので。今日は私の腕試しということでひとつ」
最強の種族の最高の魔人の血を継いでいながら、魔法を扱えない。それは魔人族のアイデンティティを揺るがすことになる。魔力とは力。魔力あってこその魔人で、力あってこその王族。俺は魔人族にとって、いや国にとって異端な存在。俺の無能を気にせず接してくれるドゥーカス将軍のような人もいれば、奇異の目を向ける人もいる。
この不可思議な世界へと転生し、魔人として生まれ早五年が経っていた。
第05話 『魔王子様は無能王子』
この世界はどの種族も肉体の成長速度は成人を迎える、およそ十八前後までは地球の人間と同じように成長する。成人を迎えてからは潜在魔力量に比例して年を取るのが遅くなる。つまり、魔力が多い程長い寿命を持っているということになる。魔人の寿命はおよそ五百年。他の種族が長くても二百年前後。森人族で三百年だというので、圧巻の長寿命種族と言える。
んじゃ魔力の無い俺はどうなの、って話なんだが、こればっかりは年を取ってみないと分からない。おそらくは地球の人間に近い寿命になるとは思うのだが、過去の資料文献を漁っても、参考になりそうなものはなかった。
「リオ様、今は歴史ではなく数学の授業です。ささ、本を閉じてこちらの問題に集中してください」
似合わないクルクルトサカ頭の教師、この国で一番頭がいい(らしい)ケントゥム先生は、俺の読んでいた本を取り上げ横にずらし、黒板に綴られた五つの式を白木の指示棒でぱしりと叩いた。
グランディアマンダ国に教育の義務はない。生活に必要であれば覚えるというのが一般的だ。その中でも街や国の運営に携わる仕事をしたい、城に従事したいと思う者は高度な勉強を修めることになるのだが、何しろこの国には教育機関が無い。なので大金をはたいて貴重な学術書を購入して独学で学ぶか、それなりの知識を持った者から教わるしかない。そういうのって金持ち身内に権力が集中することになるんだけどな。
んで王子である俺も将来の為に沢山お勉強をしなければならない訳だが、はっきり言ってやる気がない。
「……二十八、五百八十、九百二、二百二十七、三百三十四」
出題された式は三桁の四則演算。日本であれば小学三、四年生なら誰でも解ける問題だ。つまらんのは俺にとってこの程度と思える知識を持ってるからであるが。
一瞥で答えを導いたことに、ケントゥム先生は何とも言えない渋い顔をする。俺の態度が気にくわんのだろう。いや、魔力が無い俺を全否定してやりたいが、年齢以上の学力をほのめかせられ、苛立っているといったところか。
「む、むむむ、これもあっさり解いてしまわれましたか。よわりましたなぁ」
一応は王族である俺の為にわざわざ用意したであろうお手製の教材洋紙をパラパラと捲る先生。これ以上難易度の高い問題はないらしい。
「ふむ、ならばこうしましょう。リオ様、私にリオ様が難しいなと思う問題を一つ出してください。その問題を私が解きますから、今後はその問題難度に合わせて授業を見直します」
確かに、一から教えるより俺が頭を悩ませるような問題を解いていく方が楽だ。羊皮紙にさらっと問題を書き、ケントゥム先生へ提出した。
方程式 X^n + Y^n = Z^n が n≧三 の場合、X、Y、Zは零でない自然数の解をもたない。之を証明せよ。
「証明問題ですか。なるほど、このような問題にあたる程に成長なさっているとは。いやはや流石リオ様、お見逸れしました。今後、リオ様には計算問題ではなく、数学的思考を養う問題を出した方が宜しいですね。ではさっと解きますので、少々お待ちを」
「待ってる間、本読んでていい?」
少し睨まれたが構いませんよと先生は答え、洋紙と筆を取り問題に当たり始めた。取り上げられた歴史書を開き、中断箇所から読み進め、回答を待つ。
ゆっくり本を捲る音と、カリカリと筆が走る音だけが部屋を満たす。時折筆足が止まり、また走り始めと忙しそうにしていたが、段々と止まる時間が長くなっていく。やがて筆の足音は鳴らなくなり、顔を上げて様子を見れば、先生は何度もトサカを撫で、額の汗を袖で拭い、血走った目で自身が書き殴ったいくつもの証明過程を睨みつけていた。
「……リ、リオ様。少~し掛かりそうなので、もう少しお時間を頂きたいのですが……」
「分かった。んじゃお手洗い行ってくるね」
困窮が滲み出るような声ではいと頷く先生を後に、勉強部屋から抜け出した。あの問題は完全に証明されるまで、約三百六十年かかった悪魔の問題だ。国一番とはいえ今日中に解くのはまず無理だろう。
んで、サボる口実は出来たが、何をしようかまで考えて無かった。どうすっかと窓から外を覗けば、今日も雲一つ無い青空が広がっていた。この国は晴れの日が多い。俺にとっちゃ理想の気候だ。
「昼寝でもしに行くか」
グランディアマンダ国の気候は四季を持ち、一年を通してその景観を様々に変化させる。気温の変動は緩やかで温暖な日が多く、その為雨雪が少ないが水源に恵まれているので、動植物が育つのに十分な土地である。今日も人肌に柔らかく爽やかな風が頬を撫で、太陽が生きとし生ける者達をその温もりで抱き締めている。
「「すぅ………すぅ………」」
「…………」
城を包む陽気は天然の寝籠のようで、全身を優しく通る風が籠を揺らす。何もかもを放り出して草地に寝そべり、この心地よさに身を任せたくなる。
「「すぅ………すぅ………」」
「…………はぁ」
城門の両脇に立つ二人の兵士の内一人、渓人族のフィルマン・フォートリエ。
渓人族は森人族の親戚、住処を森から渓谷へ移した種族。金の髪に青い瞳、長い耳を持った点は共通だが、肌が浅黒い。草木が少なく、年中岩肌に触れて育つ彼らの肉体は逞しい。とは言っても、フォートリエ家はフィルマンの祖父の代でグランディアマンダ国へ移り住んだので、フィルマンはグランディアマンダ生まれのグランディアマンダ育ち。岩肌に触れる機会はそれ程無かったが。
彼もまた幼少のころから兵士の姿に憧れた青年であり、厳しい訓練に耐え抜いて夢を叶えたのだが、現実は彼の想像と異なっていた。それでも国を守る一兵士としての矜持を捨てず、生真面目な彼は居眠りなど一切せず任を全うしていた。
だが今日はいつもと勝手が違っており、フィルマンの頬には汗が伝い、蒸れた背中が不快な寒気を催しており、そわそわと落ち着かない様子だ。
「「すぅ………すぅ………」」
「……………………………」
フィルマンとは反対側に立つ兵、エクムントは背を張った姿勢はそのままながらも完全に寝ており、いつもなら彼と組むことが多いフィルマンはちょくちょく注意していたのだが、それが出来ない。声を掛けるどころか近づくことすら憚れる程の人物、フィルマンの精神を削る存在をエクムントは肩に乗せているからだ。
グランディアマンダ国第一王子、リオスクンドゥムが肩車され、エクムントの頭に組んだ両手と頭を乗せて熟睡しているのだった。
最近城の彼方此方に出没するようになった王子。フィルマンの同僚たちも口々にしていた。子供は好奇心旺盛だから何に興味を持って何処に顔を出してもおかしくないが、相手が王子では肝っ玉が冷えると。
神出鬼没の王子は突如城門前に現れた。フィルマンは当然大混乱したが、対照的にエクムントは落ち着き払っており、更には『リオ様』と極一部の者にしか許されない愛称で呼んでいる。何故末端の一兵卒に過ぎないエクムントが、とフィルマンは突っ込みたかったが、相手が王族となれば易々と声を掛ける訳にはいかない。
暫く横目で観察しているとエクムントは王子を肩車し、普段の見張りと変わらない状態に戻った。王子は門から下った先の城下町をじっと見つめている。
フィルマンは不自然にならない程度にリオを観察してみた。無能王子。出来損ない。無魔人。城、仲間内に拡がる王子に対する評価は酷く低い。一度もリオを拝謁したことがないフィルマンには半信半疑の状態だったが、こうして様子を伺ってみると、噂とかなり齟齬があるのではと感じた。
フィルマンにはリオと同じ年頃の息子がいるが、行動は活発的で、多少のイタズラはするが無邪気である。息子と遊ぶ同年代の子供たちも、大凡似たようなものだ。だがリオは子供特有の無知に対する好奇心というか、瞳から溢れる純粋な感情というか、そういったものを感じさせない。うまく表現できないが、醸し出す雰囲気が子供のそれとは違う、と彼は思った。
やがて王子はエクムントに担がれたまま眠りについた。漂っていた子供らしからぬ雰囲気は引っ込み、年相応に幼くなった。王の凛々しさ、王妃の美麗さを併せ持って生まれた美しい王子。純粋なその寝顔に、フィルマンは見入った。
――魔力を持たない、空っぽの王子様。器の中身を満たそうと注ぐが、全て零れてしまう。器をよく見れば底に穴が開いている。注ぎ口から中を覗いた。中は真っ白な、何にも染まらない、何もない空洞。その先に黒い穴が見えた。その穴に潜む“何か”にフィルマンはそっと穴に手を伸ばし――
…………おい。おいフィルマン。交代の時間だぞ」
耳元でひそひそと話しかけてきた男の声にフィルマンは目を覚ました。定まった焦点は自身を睨む黒い髭を蓄え、それ以上に黒い一本角が生えた男を捉える。フィルマンが所属する部隊の隊長、角人族のカスペルだった。どうやら王子を見ている内に寝入ってしまったらしい。おかしな夢を見たような気がしたが、とフィルマンはこめかみを叩き頭を振ったが、思い出すことはできなかった。
「お前が居眠りするなんて珍しいな。それに比べてアイツはいつも通りっちゃいつも通りだが……」
そう言ってカスペルは未だ眠る王子と、同様に熟睡しているエクムントを見て難しい顔をする。
「本当なら喝を入れてやるべきなんだろうが、一緒におわすリオ様を起こしてしまうのは……な。仕方がない。今回はリオ様の顔に免じて、見逃してやるとしよう」
そう言って苦笑いするカスペルはエクムントの時と同様、王子を愛称で呼んでいる。同じ部隊でありながら知らぬ内に交友を持っているということは、カスペルやエクムントは個人的な繋がりでも持っているのかと、フィルマンはそれとなく聞いてみた。
「あの、エクムントとカスペル隊長はリオスクンドゥム王子と、その、仲がよろしいのでしょうか?」
「ん? ああ。別にそういう訳では無い。ただリオ様は身分種族関係なく、どんな者でも平等に接するのだ。どうやら王族というご自身の立場を、あまり好ましく思っていらっしゃらないようでな。堅苦しい応対をしたり、持ち上げ過ぎたりすると苦虫噛んだような顔をなさる。だから必要最低限の礼節だけを持ってお接しさせて戴いているのだ」
「詳しいのですね」
仲が良いというのを否定する割に、そこそこの交友関係はあるようだった。
「以前離れの厩舎で翼蜥蜴の世話をしていた時、リオ様が顔を覗かせた日があった。世辞を述べれば『俺におべっか使っても給料は上がらないぜ?』と返された。それはもう必死に取り入ろうとしたわけではとなんだと、何時首が飛ばされるのかと恐々とする私の弁明を意にも介さず、翼蜥蜴の姿に夢中になられていた」
当時の様子を嬉しそうに語るカスペル。話を聞きながらフィルマンは思い出した。魔人族は基本的に大らかな性格をしており、王族であるグランディアマンド家も例に漏れず、特に先代のリベルタス王は自由奔放快活な人物で、彼が怒る表情は誰も見たことがないと。
「世話の仕方や注意点を手解きしながら、徐々にリオ様の人相感性に触れさせて頂いた。いやはや、実に恐れ入る知性だ。教えたことは直ぐに覚えるし、手際もよく無駄が無い。子供らしからぬ図抜けた理解力。そして何よりもその魅力と親しみやすさだ。まるで優秀な親友や兄弟と喋っているかのように思えたよ」
魔人族は確かに強い。強大な魔力に強力な肉体。“八咫紅蓮”と呼ばれる突出した八家。千年前、世界に恐怖と絶望を撒く災害、絶対生命と呼ばれた深淵体、“カオスディアマンド”を討ち滅ぼした初代王。建国後の功績も並ではない。
そんな数々の伝説に忘れそうになるが、魔人族はこの国を支配している訳では無い。見合った能力さえあれば種族問わず政に関わることも可能であり、極論を言えば誰でも王にもなれる。ただ単に魔人族以外に適任がいないだけである。
「色々と悪名が付いてしまわれたリオ様だが、こんな異名もある。並外れた知識、優れた知恵、瞬く閃きから賢王子と。そういば清掃王子なんて名もついたな」
「清掃、王子、ですか? 何故そのような異名が?」
「ああ、あれは一週間の大掃除大会の日の事だが……
「さて皆さん、準備はよろしいですか?」
早朝。城の二階の一室である大講堂に集まった、全身を布で覆い隠した総勢約二千人の集団は唯一露出する目を壇上に立つ、ニコニコと笑うふくよかな男、八咫紅蓮の一人、アルバプルス・クァランツェへ向けた。
「それでは毎年恒例の大掃除、今年度は題して『白華繚乱 ~舞えよ噴塵、清者が揮う協奏曲~』を始めさせて戴きます」
グランディアマンダ城では毎年春先になると城内の一斉清掃作業が行われる。一部を除く城の運営は全て停止され、城に従事するほぼ全員が役職に関係なく駆り出される。これは先代八咫紅蓮の一人、パルガティオ・クァランツェが定めた――正確には発端になった――行事である。
パルガティオはかなりの掃除好きであり、塵一つの存在すら認めない程の清潔好きであった。自身の身の回りは勿論、視界に入った汚れは誰これ構わず睡眠を削ってでも処理するほど。しかし、業務増加と共に人の数は増える。それに比例して塵埃に泥や油等々の汚れに手が回らず積もり続けた。汚れた城内の様子にとうとうパルガティオの堪忍袋の緒が切れ、使用人全員を召喚して一斉に(共に)掃除させたのが始まりである。
「例年通り、今年も上位貢献者には王より感謝状と一品を贈呈されます。」
ただの掃除では身が入らない者もいるだろうということで、付加価値を付け奮起させる事が目的の贈呈品である。毎年題目を募集するのも同様だが、今年選ばれたのは匿名だった為、命名者は不明である。
「皆様の奮身とご励行をお願いします。」
数多くの清掃人が無限の埃と落ちない汚れを相手に格闘する中、一際目立つ者がいた。
二人の男女が窓の汚れを落とそうと力を込め擦り上げるが汚れは落ちず、むしろどんどん白く透明度が低くなるのを見て頭を落とす隣で、たった一人小柄な者は凄まじい速さで汚れを落とし、次の窓へ次の窓へと移っていく。
「ねえあれ見てよ。小人族かしら? どの窓も完璧に磨ききってるわ」
「ホントだ。うひゃあ早いなあ。手先が器用な一族だけあるね。何かコツとかあるのかな?」
二人がその汚れ落としの技術を学ぼうとつぶさに観察するが、特に変わった拭き方はしていない。むしろほぼ同じと言えた。ただ、その手に握りしめていたのは、雑巾ではなかった。
「う~ん……? え、あれ芋の皮じゃない?」
「なんで芋の皮なんかもってるのかしら……?」
食堂。城の中で一二を争う程に汚れる場所の一つ。床や壁に付着した油汚れは完全に固着し、必死に擦るもまったく取れる様子は無い。
「っキショー! ぜんっぜん落ちねぇ!」
「いいから手動かせって。ちょっとずつでも取らねえと終わんないぞ」
「分かってるよ。つうか誰か星蜜柑食ってねえ? プンプン匂うんだけど」
「は? 掃除中に食うやつがいるかよ。多分厨房に夕飯で使うのが置かれてんだろ」
口々に不満を垂れ流す者達がいる中で、べったり付着した油をいとも簡単に拭き取っていく男がいた。その隣で額から汗を流す爬人女性は、魔法を使っている様子もなしに、一体どんな手品なのかと聞いてみたかったが、少し目を離した隙に別の部屋に行ってしまったようだった。
彼の掃除したあとを見てみると、見事に汚れが落ちている。そして、何故か柑橘系の香りがふわりと漂った。
「ふぅ、今期は酷いな。全体の四割も進んでいない。フィラレムに確認して見直さなければ……ん?」
筆を置き、少々重くなった右肩を左手で解しながら書類を睨んでいたグラウィスは、天井で響く音に気付いた。何か小さな生物――恐らく百足出歯鼠だろう――と思わしきモノが三匹駆けずり回る音が聞こえる。
やれやれまたか。暖かくなるといつもこれだとグラウィスは嘆息する。使用人に処理させようと呼び出そうとし、少し悩んだ。今は大掃除で殆どの使用人が出払っている。わざわざ呼びつけるまでもないかと、魔法陣を展開した。【乱鐘熱波】で天井を軽く熱してしまえば出ていくだろうと天井に座標を定めた時、別の大きな音が鳴りだした。
今度は遥かに大きな生物が天井裏を走り回っているようだ。一体何なのだとグラウィスが頭を傾げ睨みつけていると音が止んだ。と思いきや、百足出歯鼠の鳴き声と足音が天井の隅に移動していく。
するとぱかりと天井の隅が開き、全身埃塗れの小柄な男(?)が出てきた。片手に三匹のピィピィと暴れる鼠の尾を掴んだまま、両足と肘で部屋の角に体を突っ張らせ器用に天井板を閉めて飛び降りた。
小男はそのまま何事も無かったかのように、王に挨拶もせず執務室を出て行った。
「……なんだったんだ?」
「皆さん、本日はお疲れ様でした。今年は例年より人の出入りが多かったせいか、目立つ汚れがかなり散見していたのですが、皆さんの献身もあって見事綺麗になりました。王に変わりお礼を申し上げさせて戴きます。ありがとうございました」
夕方。清掃に参加した全員は再び講堂に集まり、終了式が行われた。アルバプルスは満足げに頷きながら、参加者に感謝の言葉を述べる。
「それでは、今年度の功労者です。今から使用人に声を掛けられた方は壇上に上がって下さいね」
連れてこられた五人の者達は埃だらけの身のまま壇上に上がり、アルバプルスの前で整列した。
アルバプルスは一人一人にありがとうございます、ありがとうございますと声を掛けながら彼らの功労を労う。
「いやいや、それにしても、皆さん全身埃に覆われて衣服なのか埃なのか判断が付きませんなぁはっはっは。貴方方のように積極的に務めて下さる人は大変貴重です。これからもグランディアマンダ国への変わらぬ献身を頼みますよ。っと、忘れていました。もう上着を脱いでいいですよ。ああ安心してください。壇上は後程清掃しますし、何より人一倍頑張った皆さんのお顔をきちんと拝見しなければ失礼ですからね」
アルバプルスの言葉に五人は埃まみれの布を脱ぐ。その中の一人に、講堂に集まる全員が目を奪われた。
赤く輝く美しい髪が零れ、闇夜に沈む太陽が見せる茜のように、煌めく紫の瞳が覗く。講堂内は騒然とし、アルバプルスは笑顔のまま凍り付き、全身のありとあらゆる汗腺から体の水分を噴出させた。
「り、り、りりりりりリオスクンドゥム様!!? ななななななな何故貴方様がここに!!?」
「暇だったから」
……なんてことがあったのさ」
「い、一国の王子が掃除だなんて……。体裁というものがあるでしょうに」
「あの外見からじゃ誰が誰なんて判断つかんからなあ。それに今回の件で新しい清掃方法が広まったし、なんでもリオ様が業務改善として効率的な清掃資料とやらを作られたそうで、使用人の連中からはすこぶる評判らしいぞ?」
にわかには信じ難い話だったが、清掃に参加したカスペルが話すからには間違いなく真実なのだった。
しかし驚くべきはその後のリオの対応。業務改善案を製作出来る程の頭脳を持っており、認めさせられるだけの内容が記載されているという点。とても五歳児とは考えられない知識量である。
「……凄いですね」
「賢王子の名は伊達ではないということだ。将来グランディアマンダ国の王に成らせられたなら、我々の生活は今以上に豊かになるだろう」
グランディアマンド家も安泰だなと頷くカスペルだったが、いや恐らくリオスクンドゥム様はリベルタス様と同類だから、しっちゃかめっちゃかになるだろう、と反対意見だったが、将来のグランディアマンダ国を想い愉悦に浸るカスペルを見て、口にするのを止めるのだった。