第52話 『タイタンフォールアウト』
「どういうことだい? こんなに深く潜ったのに、遠ざかってるって」
「鉄蔓が徐々に細くなっているんです。アリンの言う通りなら、鉄蔓が細い、若い蔓の周辺は掘りつくされた後の古い採掘跡で、逆に太い蔓周辺は新しい方の採掘跡となってるのが窺えます」
「おー……そうなのかー?」
「アタシには全部一緒に見えるけど、ヴァンがそう言うんならそうなんでしょ」
不安。特定の対象を持たない恐れという情動。大勢の人は敵意や殺意を感じるとまず恐怖という情動を抱く。しかしこれは対象がはっきりとしてる上に、俺の場合は高揚感が芽生える。一般的な感情論から逸脱している以上、万人の意見記録は参考にならない。
「先程、最下層と思わしき場所の壁面を調査したんですが、異常に固い岩盤が地中を広がっていると確認できました。それが殻のように、何かを覆っています。昔の人達はこの岩盤を砕くだけの技術は持っていなかったようですね」
「んでこの鉄蔓を追っかけて掘ることに注力したって訳、か……。ん? アズール石が目的じゃねぇのか?」
しかしこうして不安と言い表せる感情があるのは間違いが無い。不安とは恐れ……未知への恐れ。死への恐れ。喪失、失墜、亡失、遺失……どれも違う。俺という自己の存在が脅かされることに関しての恐れ……それは寧ろ歓待出来る。俺の心を脅かしてくれる程の存在感を……そもそも俺とは何だ? 俺は俺だと強く言い張っておきながら、じゃあ説明出来んのかと問われたのなら。
「最初は下に向かって掘り進めて、でも固い岩盤に遮られたから蔓を追ってって……岩盤の内側にある何かが目的で? どうやったかは分からないけど、鉄蔓が岩盤を貫いているのを知って?」
「アズール石を採掘する目的とは別の思惑が絡んでる、ってことかい。あーあ。アタイ、なーんかキナ臭ささ感じてきたんだけど気のせいかい?」
俺の生前は鳴世遊慈。幼少期に両親を亡くし、達観と諦観を持ち合わせた思考を持ち、それらを否定、もしくは埋めるために常軌から外れる行動を取る、若しくは求める一種の境界性人格障害者。死後リオスクンドゥムとして再生し、生前と変わらぬ奇行を取る……って、これは記憶をなぞってるだけだ。
「表向きは唯の経済活動に見せかけて、裏で何かごそごそやってるってこったろ? その辺の事調べてねぇのかよ」
「もちろん。リオと一緒に町に残された古本全部漁ったよ。このアズール石の採掘に莫大な投資が行われていたのは、当時の記録からみて間違いないんだ。それで、その中に二つのとある大きな商会が絡んでいるんだけど、この二つ商会、敵国関係にある国同士それぞれのお抱え商会で、非常に仲が悪かったんだって。でもこの二つの商会、何故かこの採掘事業だけは綺麗に折半して仲違いすることなく資金援助してたらしいんだよ。お互いの利益が一致したんじゃないの? ってリオに聞いたら、『アズール石の採掘量は少ない。他にめぼしい天然資源がある訳でも無い。アズール周辺を自国領土だと主張する領主が他国のゴタゴタを持ち込まれるのにいい顔をする訳がないし吹っ掛けたはず。互いに割に合わない赤字投資だったに違いない』って」
「ああもうっ、そういう頭痛くなる話は飛ばして! ようするにっ、誰がっ、どこでっ、何をしてたのっ?」
「お願いだからちょっとは勉強してね、ティア。……国を簡単に動かせるほどの大きな組織が、自分たちにとって途轍もなく重要なものがこの先にある事を知って、それを商会を通して探ってたんじゃってこと」
まさかアイデンティティクライシスをこんな年になって経験することになるとは。いや、今の肉体年齢から考えればちょうど今に当たる時期か。
……もし“そう”だとしたなら、益々俺という存在が曖昧になっちまうな。
「それがアズール石以上に価値あるってんなら、貰ってやってもいいけどね。まだ残ってんなら、の話だけどさ」
「噴火で生き埋めになった運の悪い連中もいるし、作業続けてたっぽいからまだあんだろ」
「ヤイヴァ、お亡くなりになった方の遺骨でお手玉をするのは不謹慎です」
「うきゃああっ!? 何やってんのよ!! 祟られたりでもしたらどうすんのよ!!」
「ヤイヴァ、死者のもたらす呪いは洒落にならない。ものによっては上位浄化魔法でも祓えない種類もある。すぐ捨ててくれ」
転生者という世の理を外れた異物。魔人族でなく。森人族でもなく。この世界で誰もが持つ魔力すらない。リオスクンドゥムという肉塊にへばりつく記憶は、ただの経験の蓄積であって、何の答えももたらさない。今の俺に残るのは……破力だけだ。
……破力?
「まったくもう……それで? 鉄蔓が太くなってく方を辿るのはいいとして。スコールはどこ目指してるのよ」
「もうずっと歩き詰めですし、そろそろ休憩を設けませんか?」
「そうだぞー。オイラもうずっと洞窟の中で息苦しく……お? 止まったぞー。お休みかー?」
そもそも破力とは? 特異混血にのみ所持する力とは言うが、何故こんなにも異質なんだ? 魔力は枯渇すれば倦怠や眩暈等の症状に襲われ、最悪死に至る。破力も同様だ。使い過ぎれば酷い疲労に無気力状態に。空になるとどうなるかは試したことが無いが、ヤイヴァは人として活動が出来なくなる。生命にとって魔力は生きる為の原動力。おそらく破力も俺達の原動力。想像を具現化、実態を持たせ世界に影響を与える魔術。破力も破術として行使が出来る。ここまで似通っておきながら、その効果はまるで違う。
命の様に必要で、しかし命を否定する。まるで……
「……リオ」
何だ。今もう少しで……これは、何故この付近だけ鉄蔓が避けている? 岩肌の感触も、どこか他と違う。
「ちょっと見せて下さい。……巧妙に隠されてますけど、扉のようです」
「おおー。隠し扉ってやつかー?」
「リオ」
何だよ、そう何度も呼ばなくたって。って、俺を見てねえし。あーっと? これが扉だって? んじゃ向こう側に……向こう側に、何がある? 扉の向こうを見つめ、何故俺の名を呼ぶ? 確か、前にもこんなことがあった。あのときゃヤイヴァがいて、スコールが誤認するほど似通う部分があって、生意気なとこが特に俺に似てるらしくて。
今度は何だ? また俺にそっくりさんが現れんのか? 不安の源がここから湧き出ているとでも言うのか? 上等だ。何が来ても受け入れてやるよ。
「あわわわわわわわわーっ!!?」
「リ、リオっ! 破力が!! もっと抑えて!!」
んな事言われても制御出来ねえよ。でもほら、いつぞやみてえに波紋が一瞬で出来たし。さてさて、鬼が出るか蛇が出るか。ご対面といきましょうかね。
地下深くに隠されていたその場所は、明らかに人為的に造られた空間であった。床一面を白い砂が底床として覆い、円錐状の高き天井中心で巨大な花が花弁を群青色に輝かせ、部屋を明るくも水底にあるかのように演出している。花を支えるシャンデリアのような茎からは鉄蔓が伸び、それらがまるで銀の絵具となり天上から床までの壁面に大小種類様々な回遊魚達を描いていた。
海底から天を仰いだらこんな感じだろうかと、この疑似水族館のような芸術劇場。主演を務めるのは三体。天井にまで届きそうな巨体。金属光沢を持った肉体は鉱石に覆われた天然の鎧。俺達を見下ろし、プレス機のような足を一歩踏みしめると部屋全体が揺れた。
「『宝石に魅了された欲深き者共は、蒼鉱窟最深部を彷徨う暴虐の前に平伏した。』本にあったあれ、深淵体の事だったんだ」
「お? この砂みてえなの全部砕けた骨っぽいぞ」
「おい! 何をしている!? 早くこの場から逃げなくては!」
「逃げる? 何言ってんのよ。折角こんな大物の深淵体に巡り会えたのよ? ぶっ倒すに決まってるわ」
「何言ってるのは貴方の方でしょ!? あれは第三階位! 暴虐巨鉱『フォービドゥンタイタン』よ!! それも三体! 小さな国なら簡単に潰されちゃう災害級が三体よ!?」
「入口閉めたら開かなくなっちゃいました」
「こんな所で律儀に戸締りする必要無いと思うぞーっ!?」
「アタイにもとうとう年貢の納め時がやってきちゃったか~」
「リオ」
そう、深淵体だ。スコールがじっと、静かに、穏やかに見つめている相手は、あの深淵体だ。生物にとって絶対的な害悪。俺達の敵。俺にとって最も気に入らない存在。
……そう、だったのか。いや、心のどこかで、そうじゃないかって、時折ふっと思っていたんだ。どうして今まで、目を背け続けていたのだろうか。
「リオ、もういい。我慢しなくていい」
我慢? そうか。俺は、我慢してたのか。スコールは聞いたんだ。俺の心の声を。仲間の為と口にして、仲間の為に抑えたこの力の感情を。
「思う存分、“殺していいよ”」
歓喜に震える破力。いや違う。震えているのは、俺の心だ。いつ以来だろう。こんなにも血が沸き立つのは。
破力は、俺の命。俺の意思。俺そのものだったんだ。
自然と足が深淵体へと向いた。後ろでギャーギャー騒いでんのはティアとヤイヴァか? 邪魔すんなよ。以前フォービドゥンロックを譲ってやっただろう? 今回は駄目だ。この深淵体共は俺の獲物だ。
「クックック……悪いな、お前ら。やっぱ俺は、人として失格のようだ」
これから“堕ちる”前に、家族の顔を見とこうと振り向けば……笑い返された。
本当に、心の底から愛してるぜ、この馬鹿共が。
もし自身の目前に死が迫ったとしたのなら、生物としてどのような感情を抱くであろうか。後悔、絶望、悲哀といった負の感情に襲われ、ただひたすらに泣き叫ぶ者。落胆や覚悟と半ば諦めの境地に達する者もいるであろうし、自身を害そうとするものに怒り抵抗する強者も、少なからず存在するだろう。
しかし、今現在アズールの地下深くでその激流の如き衝動を余すことなく爆発させ、目先の欲につられる愚者のようでいながら、如何様にして扱うかと熟慮する賢者のように、まさしく狂人の笑みを静かにたえる者がここにいた。彼は壊れているのではない。歩んできた経験が育んだものでもない。彼は生まれながらにして、破壊者であった。
世の人々から絶対的に逸脱した力は、彼の世に対する願望と渇望を埋め尽くせんとする情動と、この上ない同調を果たした。彼の欲に力は答え、なすがままに、なされるがままにその猛威を奮う。
しかし彼はその世界から忌避されるべき力を否定していなかったが、同時に肯定もしていなかった。全ては、彼がアスタリスクという家族を手に入れたことが原因である。
彼は家族の在り方というものを知らない。生前の幼少期に失ったまま、義理の両親にも、新たな両親にも愛情を求めず、与えられたことはあっても、それを喜んだ事は一度として無かった。
支え合い生きて行くことこそ人のカタチ。だが彼は全て自分の中で自己完結させる。他者を、仲間を支える事。家族ならば当然だと口にしながらも、支えられる事は望んでいなかった。
孤独であっても困難に打ち勝つだけの力が彼にはある、のではなく、その力は彼の欲望であり、逆境や困難こそ心の奥底から望む状況であって、彼が彼である為に必要としていた。だがその状況は当然、共にいる家族に、アスタリスクにも降りかかる。彼の家族達はみるみるうちに力をつけ、恐怖に抗い困難に立ち向かう力を身に付けた。彼がその事を心の底から喜んでいたのは間違いが無く、だが彼の力は段々と行き場を失う。手を取り合い、共に同じ景色を見ようという決意は彼を歪ませた。将来手に入れる輝かしい光景を、自身の力が犯してしまうのではと恐れてしまった。
彼の力、破力は行き場を求め暴れ始めた。表に出させじと彼は抑え込んだ。それは彼の本質を抑え込むと同義であり、更に仲間の為にと正しく生きようとする行為が、歪みに拍車を掛ける。仲間と共にと願った彼は、とうとう破力を悪しきものだと判断を下した。何故ならその力は、世界から忌み嫌われ、絶対的な害悪として蔓延るあの存在達と、全く同種のものであったからである。
否定はしない。しかし認められもしない。自らの本質を曖昧な場所へ立たせた彼が、不安を抱くのも当然である。その場所は欲を満たせる場所でもなく、望みを叶えられる場所でもない。
その事に気付いた彼が、如何ような判断を下すのか。どちらを選ぶと浮かぶ天秤を、彼は笑いながら踏み砕いた。
そう、彼ならば決まっている。決まり切っているのである。どちらかをではない。これから起こり得る全てにおいて、全てを望み、全てを願い、全てに期待すると。
この世の全てに意味があるのだから。
煌びやかで、威裂でいて、誰もを魅了する宝石のような紅の髪が、どす黒い感情と混ざり合い、今の彼の意思を顕現させるかのように赤黒く染め上げられる。
耳を劈く不快な音が鳴り響き、三千世界を飲み込まんと衣を穿き内へ内へと喰い込まれる。胸部に空いた大きな虚は彼の満たされない心の具現。虚の中心から背へと噴き出した黒い焔は舞い踊り、延び、交差し、光を奪う死兆星となる。
太陽が照らす世と月が照らす世の狭間を映す瞳。その中心に起つ異界の黒き太陽は全てを斬り裂かんと真っ直ぐ殺意を振り下ろし、世界に死の境界を作り出す。
世界の異形。人種の異形。生命の異形。
今ここに、全てにおいて混沌に満ちた深淵体が出現した。




