第50話 『歪みと不安』
スコールが発見した洞窟への入口は、アズール川上流の水底にあった。岩陰に隠れた裂け目がそれであり、人ひとりがやっと通れるほどの大きさ。裂け目から洞窟までの距離はそれほど長くはなく、一呼吸で辿り着けた。
「ぷはぁ! ふぅ……。まさか、本当に坑道があるとは思わなかったよ。よくまぁスコールちゃんは見つけたもんだね」
洞窟の位置はアズール町を見下ろせる岡の真下あたり。アリンがカンテラに火を灯し高く掲げると、長く先まで続く穴が目前に現れた。
この洞窟の存在、スコールは最近どころか、とっくの前に感知していたそうだ。初めて町を訪れた際にはその存在に気づき、どうにか入れないかと暇な時に侵入経路を探っていたらしい。そして少し前に河川の上流で素潜りで魚を追っかけていた時、アリン達が橋造りで水底に杭を打ち込む音がソナー変わりとなり、入口の存在をスコールの耳が拾った、というのが事の顛末である。
「ほらヴァン君。もう着いたから息止めなくていいよ」
「っ、ぷわっ! ケホっ、ケホ。ジャーダさん、ありがとうございます……」
最後尾で湖から顔を出したジャーダ。そして彼女の背に捕まるヴァン。縁に立つアナベラがヴァンの両脇に手を入れ、陸まで引き上げた。これで全員そろったか。
「ふむ、爬人族は水人族とまでいかなくとも、泳ぎが得意な種族と聞いていたが」
「は、はい。でも僕、昔から泳ぐのだけは、どうも苦手で。ご迷惑をおかけします」
「いや、咎めたつもりはない。寧ろ、しがみついてでも仲間から離れず、共に事を成そうとするその姿勢には好意を覚える」
「ホントにねぇ。ヴァンちゃんの爪の垢を煎じてうちの馬鹿共に飲ませたいぐらいさ」
洞窟探検隊の面子は言わずもがな、俺達アスタリスクに加え、雷花団からボスのクラウ、側近のアナベラ、ジャーダが参加した。
「おおー、ここが“有刺鉄蔓の蒼鉱窟”なのかー」
そして、石ころに変化し俺の懐に潜り込んでいたロンの計十人。深淵体を単独でも討伐、もしくは逃走出来る腕前を持った者だけが選ばれた。ロンに戦闘能力があるとは思えないのだが、有用な補助型の魔法を扱えるらしい。言われてみれば、半年前にアズール近郊でヴァンとスコールの索敵範囲から逃れ、攻撃するほどの技量をアナベラ達は見せた事がある。ロンの魔法と関わりがあるのだろう。
「……構造把握。ティア、もういい」
「~~~~、ケホっ、ケホっ。あ~喉がイガイガする~」
洞窟内の情報収集を行っていたスコールとティア。大穴猫の巣ではアリンの首飾りを利用していたが、今回は慎重を期して超音波を利用しての探知。声を操るのは竜人の十八番だが、声帯が狭い人型の状態では喉への負担が大きいようだ。
「この洞窟は人の手によって掘られたものですね。あちこちにその痕跡が見られます」
昔の探鉱者は掘削面を木柱で支えて掘り進んでいたのだろう。長年人が入らなかったこともあり、腐り落ちた木材が散乱している。崩落の危険性が考えられるが、アリンの見立てでは今のところは大丈夫だそうだ。
「ダーリン、改めて確認するけど、見つけたアズール石は全部アタイらが貰っちゃっていいんだね? ここを見つけたのはスコールちゃんだし、なんか横取りするみたいで申し訳無いんだけど」
「俺達は別に金持ちになりたい訳じゃ無いからな。そりゃ冒険するにはある程度の資金は必要不可欠だが、その為に労働を従事する事も、俺達の冒険の一部だ」
「もたらされた幸運が人生に近道を与えるとしても、それは僕達に不要な道なんだ」
「真っ直ぐ、堂々と、自由に歩く」
「辛い事からは逃げません」
「アタシ達は欲張りで悪食だから」
「良いもんも毒も何もかも全部喰らって笑ってやるのがオレ達アスタリスクだ。イシシシ」
そうだ。それが俺達アスタリスクの……また、胸が疼きやがった。くそ、何を不安がってんだよ。いつもいつも俺を焦燥させるこの感情は何なんだ。
苛つけば破力が顔を出す。頼むから大人しくしてろよ。今はその時じゃねぇだろ。
洞窟内を探索し凡そ半刻。アズール石はかなり深い階層にあるようで、ちょいちょいぶつかる十字路の各道が続く先は行き止まりか、更に下層に続く簡易階段の縦穴があるか。
「アナベラ、そっちはどう?」
「駄目だな。どこもかしこも掘りつくされている」
「なーなージャーダー。アズール石はー、元々海で採れた宝石だってホントかー?」
「本当かどうかは分からないけど、古い言い伝えが生まれ故郷にあるの。『古の時代、海を征した覇王が残せし秘宝。朝日に照らされし紺碧の大海、闇夜よりも沈み込む漆黒の深海を宿す。母なる海の力は見る者全てを包み、汝を憂愁から解き放つ』その伝承に出る石の特徴がアズール石とそっくりでね」
ジャーダはその伝承に出る石を探す為にアズールまで旅をしてきたそうだ。故郷はアズールからかなり遠い位置にあって、三年以上掛けてここまでやって来たらしい。
「単身で三年もの旅路を経験したんですか。ジャーダさん、結構強かったりします?」
「ううん、そうでも無いわ。わたし、【透過暗隠形】が得意魔法で、いつもそれ使って普人族と深淵体の目を欺いてきたの」
「あの上位隠遁魔法を……だからあの時スコールもヴァンも探し当てられなかったんですね」
「【透過暗隠形】ってものすっごい難しい魔法よ。鉄空竜兵でも使える人はいなかったもの」
「竜人の特性と明らか相性悪そうだしな。オレとリオの破術じゃ再現なんか論外だし」
和気藹々と語り合う仲間から距離を取り、先頭を務めるのはスコールと俺。別に女性陣からハブられている訳ではない。少し確かめたいことがあるからだ。
「スコール。普段のお前は見ず知らずの他人に少なくとも一週間は警戒を解かない。だが雷花団の面々に関しては初日だけだった。荒くれ者共という事前情報があったにも関わらずな。どうしてだ?」
「誰も悪意が無かったから。遊ぶこととスケベなことばっかりだった」
そこまでお馬鹿な連中だったか……いやいや、突っ込むとこはそこじゃない。
何故言葉も通じない相手の考えを読み取る事が出来るのか。以前からその片鱗をチラつかせてはいたが、こうしてはっきりと言葉に表すのは初めてだ。
「他人の考えていることが、理解出来るんだな」
「うん。集中すると、“心の声が聞こえる”」
やはりか。自覚症状があるということは、完全に覚醒したということだな。狼人族に代々受け継がれる特殊能力、『詠魂』。対象が次に起こすアクションを“嗅覚で”感じ取る事が出来るという、戦闘において反則級の超有用な能力。白兵戦最強と謳われるのも納得出来る。
だが、スコールの場合は行動ではなく思考を読み取るようだ。先天性であるはずの特殊能力が後天的に、少々変わった形で発現したのは、スコールの生い立ちに理由があるのだろう。
「……幼い頃の記憶はどうだ?」
「全部じゃない。でも、この力が無かったから、本当の父ちゃんに出来損ないって言われて殴られた……んだと思う」
本来、狼人族が優れている器官は、耳では無く鼻だ。詠魂は狼人の嗅覚と連動し、微妙な魔力の動きと流れ、そして体臭から得られる情報から、より正確に相手の未来を把握し、心理戦、肉弾戦に生かされる。
ところが、ファンレロ夫妻の話によると、スコールの嗅覚は獣人以下であるそうだ。日常生活に支障をきたすほどでは無いが、狼人族最大の長所が生まれつき弱い上に、特殊能力を引き継がなかったスコールに一族は激怒し、匿ったファンレロ夫妻共々一族を追われたという。
「……リオ、大丈夫」
っと、そうだそうだ。今のスコールは他人の思考が読める、いや聞こえるか。俺の心の中に留めて置いてもしょうがないな。それに今は深淵体が先だ。立ち止まったスコールが暗闇に目を凝らしている。
「ボスー、深淵体が出たってー。よーし、オイラ頑張っちゃうぞー」
「じゃあアタイがやろうかね」
張り切るやいなや石ころへと変身したロンをクラウが掴み、闇の中へと勢いよく投球。ガンガンカツカツと壁面に衝突する音が反響し、深淵体と思わしき嘶きが遠くから鼓膜を揺らした。
「何するつもりなんだ? なんも見えねえ中にチビ助放り込んで大丈夫かよ」
「変化魔法は数々存在するが、自らを無機物に変えられるのは精人族のみの特権だ。【透過暗隠形】をも超える隠伏効果は、命と見なさない限り決して反応しない深淵体の目を完全に欺く」
「ヤイヴァも精人族ならそれくらい知ってるでしょ?」
「変身しようがしまいが嬉々として深淵体に突っ込んでいきますから」
「ヤイヴァ、あなた絶対おかしいって」
俺含めたヤイヴァの頭がおかしいのは既知の解決不可問題なので置いておき、目を閉じ魔法陣を展開したままじっと構えるクラウを観察する。
「見~つっけた。さぁ、黒焦げになりな! 【誘導電砲】!!」
青白い閃光と共に射出された小さな電子の塊が暗闇を切り裂き、完全にクラウの視界から外れてもなお洞窟内を駆け巡る。暫くすると遠くで何かが弾けるような音が鳴り響き、クラウがどんなもんだいと腰に手を当て胸を張る。深淵体を仕留めたようだ。スコールに確認を取ると頷いたので間違いない。
「い、今のどうやったんですか? 視認領域外にありながら、何故目標座標を設定出来るんですか?」
「【別界衛点】だよ~」
ぷ~んと飛んで来て俺の頭に着地したロンがからくりを教えてくれた。
「オイラの見てるものを別の人に見せる魔法なんだー。目が繋がってる間はオイラがどこにいるかも分かるからー、距離と位置も測れるんだー」
「加えて、アタイは生粋の雷系統魔法の使い手だからね。なんだかよくわかってないけど、電気の波みたいなもんを見て感じ取れるから、こんな狭くて暗い場所でも空間が把握できんのさ」
ロンの魔法はほぼ推測通り、視界伝達と相互位置共有だったが、いやクラウすげえわ。どうやら電磁波を視認することが出来るらしい。電気使いだから、じゃなく特殊能力の一つじゃねえかとは思うが。
「そういうことだったのかぁ。ねぇロン、その魔法教えて欲しいな」
「ワタシもお願いできますか?」
「いいぞー」
「視界の提供は確かに便利だが、提供される側に不利な点もある。幾つか教授しよう」
「どっちが自分の視点かこんがらがっちゃう時があるからねー。自分の動きと合わなくてこけそうになったり、頭痛くなったり、なんてね」
会話を聞く限り、【別界衛点】はかなり繊細な魔法のようだ。大雑把なティアのような者が扱うには難しい魔法だろう。ティア本人も早速発動させたヴァンに溜息を付いていた。澱みなく煌めく魔法陣を諦めたような表情で眺めるうち、何か思い当たる節でもあったのか。クラウへと視線をずらした。
「あ? 何こっち見てんだよ。なんか言いたいことあんだったらさっさと言ったらどうだい?」
「……。さっきの雷魔法。荒々しいように見えて、安定してたわ」
「お褒めに預かって光栄だね。で、突然持ち上げるなんてどういう風の吹き回しだい? アタイのこと、気に入らないんだろ?」
「気に入らないと聞かれれば、気に入らないけど。それはお互い様でしょ?」
褒めているのか、貶なしているのか。どちらとも取れるぶっきらぼうなティアの態度は当然不仲なクラウの神経を逆なでし、喧嘩を売ってるのかと口を開きかけたクラウを遮るように、自分の弱点を吐露し始めた。
「アタシの魔法、ヴァンみたいに無駄なく綺麗に発動できないのよ。十の力を使って、その内の二が乱れて出てくるのは八、みたいな。でもあんたがさっき使った魔法。ぶれてるのに十の力が散らないで、そのままを保ってた。……コツがあるなら、教えて欲しいのよ」
こりゃまた思いもしなかった光景だ。ティアの強がりは緩和したとはいえそれはあくまで俺達身内に対して隠さなくなっただけで、他人には一切合切弱みを見せなかった。それがどうだ? よりにもよって現時点ティアの人生史上最も不仲なクラウを相手に教えを乞うている。
「お前がダーリンを諦めるんだったら教えてやっても……なんてね。そこまで性根は腐ってないよ。今回はダーリン、いや、アスタリスクにアズール石タダで譲るって言い張られて、こっちはモヤモヤしたもんがあったんだ。いいよ、アタイに教えられることなら教えてやるさ」
「ありがとう。……でもリオは譲らないから」
「それこそお互い様だろ?」
なんつうか、こうしてみるとティアとクラウは喧嘩するほどなんちゃらな姉妹って感じだな。その喧嘩も全て俺が原因だし、俺がいなけりゃきっと波長の合う仲のいい友人同士にでもなっていただろう。
「あうあうっ、目が、目がしぱしぱしますっ。くっきりとぼんやりが重なって何も見えないですっ」
「そう? おかしいなぁ、上手く発動してると思うんだけど」
「式は間違ってないぞー」
「あれじゃね? ヴァンの視力半端ねぇから、送られる視界情報量が多すぎてアリンが処理しきれないんだろ」
「なるほど、確かにそれはありえるかもしれんな」
「アリンちゃん、全部を見ようとしないで、送られてきたのを流し見るようにするの」
「ふ~ん、なるほどねぇ……年の割には結構おっきいわね」
「ちょっ、どこ見てんのよっ!? 陣を見なさいよっ! 魔法陣をっ!」
しかし中々どうして有能な魔法を手に入れた。これで戦略の幅がかなり広がる。元々俺達の連携技能は高い方だと自覚はあるが、それでも限界はあった。意志疎通無しに互いの位置と死角を補完出来れば、状況を有利に進められる。ティアが常々漏らしていた自身の魔法の粗っぽさも、クラウの矯正によってより効率的に運用できるようになるだろう。
いい感じだ。あとはこいつらの精神面の強化を図って、咄嗟の判断能力を鍛えれば……またか。ああ畜生っ、流石にいい加減イライラしてきたぞ。破力てめぇ、勝手に顔だすんじゃねえよっ!
「リオ、大丈夫」
おっと、感情が顔に出ちまってたか? それとも俺の心を読み取ったか? 不味いな、大人げない所を見られんのは……恥ずかしくはねえが、こんな負の感情をお前らに見せる訳にゃいかねぇ。早えとこ何とかしねえと。
「大丈夫かだって? べ、別に俺も女の子達とキャッキャウフフしたいって思ってる訳じゃないんだからねっ!」
「……」
滑った。スコール相手にはこの手のギャグが聞かないのを忘れるほどぶれちまってるようだ。ああ恥ずい。穴があったら入りたい。
「……。リオの不安、今日で無くなる」
「……あ?」
俺の、不安……だと? いや待て。俺自身いくら心理考察しても原因不明で、糸口すら見つからねぇこの感情を、解決する手段があるってのかよ。
「この洞窟、リオの為に見つけた。もうすぐだから、待ってて」
……スコール、お前は一体、俺の心の何を聞いたんだ。俺が理解出来なかった不安って、一体何なんだよ……




