第46話 『歪んだ決意』
荒くれ者共が集う町、アズール。村長の話が正しければ後半日程で到着するはずだが、本当にそんな町はあるのだろうか。荒涼としていた光景は日を跨ぎ村から遠ざかるにつれ色を変え、今では胸丈まで伸びた雑草が辺り一面に広がっている。
しかし、スコールの耳、ヴァンの目に引っ掛かる人や動物はいない。いつの間にか俺の服の中に潜り込んでいた、どう見ても枯れ枝にしか見えないナナフシのような昆虫はいたが。煌霧の森で貰った乾パンモドキを崩して与えると、器用に両腕(枝)を用いカリカリと食べた。満足したらいなくなるかと思ったが、俺の左肩にしがみつき離れようとしない。別に害は無さそうなので、旅は道連れとそのまま放置しておくことにした。
「ライズ地方も、セット地方と大きな違いは現時点で確認できず。気温、湿度、風量に粉塵。特筆すべき気候変化も無し、か。天候も安定してるし、それだけ考えるなら過ごしやすい土地だな」
天の咢を中心に区分し、あっち側、こっち側と呼ぶのでは曖昧過ぎる為、便宜的に名を付けた。ライズ地方とは元々俺達がいた地域。セット地方が今現在の場所だ。
そのセット地方に足を踏み入れ今日で三日目。肌を撫でるそよ風はさらりと乾いており、晴れ間が続いている。
「ライズ地方にいたときは好き放題竜化出来たのになー。たまには思いっきり翼を広げて、ぱーっと遊泳飛行したいわ」
「ついでに町が何処にあんのか見つけてくれりゃありがてぇんだが。いい加減この見渡す限りの雑草どもも飽き飽きだぜ」
「あんまり目立つような事はしない方がいいと思うよ。何処でどんな人が見てるのかも分かんないし」
波打つ大地を覆い尽くす色濃い深緑の海原。背の低いアリンは文字通りのまれてしまうので、スコールが肩車をして背を稼いでいる。きょろきょろと小動物のように可愛く視線を四方八方に巡らせているが、未だに人の手が入ったような場所や物は見当たらない。
「スコール、また背が伸びましたか?」
「最近肘が痛い」
「町に着いたら丈の調整をしようね。……僕もそろそろ必要あるかな? 少しは伸びてると思うんだけどなぁ」
全く必要無いなと否定しようとしたヤイヴァに俺とティアの手刀が落ちる。高い背丈は男らしさの表れだ。カッコよさを求めるヴァンがそれを望むのも当然であり、だが外見からはいまいち成長を実感できないことに未だ悩むヴァンをからかえば、日が落ちるまで不機嫌になること必至だ。
「(何で毎度毎度余計な事口にすんのよっ)」
「(イシシシ。ほら、お約束ってやつだよ)」
不機嫌の発端は大体が男の娘ネタによるものだが、それが続く原因はプリプリと怒るヴァンがあまりにも可愛くて微笑ましくなってしまい、頬を綻ばせてしまう俺達の態度がヴァンのカンに触るからだ。
「男性の成長期は大器晩成型が多い。その内どかんと伸びるだろ。その為にも腹いっぱい食って栄養を付けたいとこだ」
「……前に三人、後ろに六人」
声音を変えたスコールがアリンを下ろした。やっとご登場か。しかし友好的な雰囲気は全く無い。仲間へハンドサインで合図を出し、談笑する“ふり”を続ける。ゆっくりと歩き、視線が不自然にならないよう注意しながら、状況の確認を行う。
「一瞬だけど、身を屈めて静かに動いてたのが見えたよ。狙いは、僕達だろうね」
「見えなくても殺気でバレバレです」
「アリンに気取られてるようじゃ、どーってことなさそうだな」
「アタシ達に挑もうだなんてお馬鹿な連中ね。返り討ちにしてやる」
ヴィラガ村を出る前に生まれた不安感は、表にこそ出てくるほどではないが、しこりのように消えず、炭火のように時折ぱちりと音を立てて俺の気を引いてくる。今までに抱いたことのない感情。何故こんなにも――
「……やっぱり、殺しちゃうのは、嫌だな。そうしなくちゃいけない状況になったとしても、多分、出来ない……と、思う」
「殺らなきゃ自分や仲間が殺られちまうかもしれなくてもか?」
昨日の晩。枯れ山に点々と残る木陰の一つに皆で寄り添い合い、欠けた月を眺めている時の事だ。先のヴィラガ村で突然剣を振りかざされたことから、今まで以上に人には用心しろと仲間達へ改めて注意を促した。時にはその危険を祓う為に、相手を殺める必要も出てくるだろうと。それにもっとも難色を示したのがヴァンだった。当然と言えば当然だ。人を助ける、命を救う医者の家系として生まれ育ったヴァンに、その真逆の行為を進めているのだから。頭では分かっていても、そう簡単に納得できるものでは無いだろう。
「そんなの……そんなの、その時になってみないと、分かんないよ……」
弱気な姿を見るのは久しぶりだ。自分が持つ理想。押し付けられる現実。その両方の狭間に陥った時を想像している。
黙って月を見上げるスコール。心配してヴァンの手を握るアリン。遠くを見つめ大きく息を吐くティア。鼻を鳴らし狸寝入りをするヤイヴァ。ヴァンだけが答えを出せず、頭を悩ませていた。
「そうか。そこまで悩むんだったら誰も殺さねえと腹に決めろ。そしてお前や俺達が傷つくという可能性を受け入れろ。それを咎めたりなんかしねえ。何でかは言わなくても分かるだろ」
「……うん。ごめんね皆。僕の我儘にも、付き合ってもらうよ」
「んな事今更だろ甘ちゃん野郎。下らねえ問題で頭抱えてねえでとっとと寝ろっつーの」
ヤイヴァの罵詈にアリンがクスクスと笑った。スコールも尻尾を静かに振り、安心しきった様子を見せている。ヴァンが結論を出せなかったのは、殺す殺さない云々ではなく、俺達が被る害を恐れていたから。ヤイヴァはそれが気に入らなかったから不貞腐れていたのだ。
「リオ、あんまり背負い過ぎないで。偶にでいいから、アタシにも背負わせてよ」
ティアには俺の本音が見抜かれた。確かに俺は今背負った。こいつらに人殺しが出来ないのであれば俺がやる。俺が責任を負うと。正直言うとこの重みですら、強烈な刺激を求める俺にとって快楽に成り得るものであるんだけどな。
「気が向いたらな。お前らが心から望むんであれば、分けてやるよ……
――ヴァン達には色々な経験値を積ませようと、そこそこ手荒な事も俺が取捨選択し、見せ聞かせやらせていたが、逆にそれが過保護な行為だったのだろうか? 確かに唯一無二の情をこいつらには抱いている。だからこいつらの重荷だって俺のもんだと躊躇いなく背負えるし、それで俺の何かが変わる訳では無いはずだ。俺は、一体何を恐れている?
「一度決めたら躊躇うな。容赦なく、徹底的に、無心を貫け。後悔するのは後でいい。それで上手くいくことを祈っていろ」
まあいい。今は保留しておこう。
「……三十二歩」
こちらが気付いたことを知られないようにする為探知は用いず、音のみで距離を測ったスコールが歩数を告げる。どうぞと小さく呟いたアリンの言葉を始めとし、自分の歩数を心の中で数える。五……十……十五……二十。徐々に増える歩数に合わせ、狙いを集中させ、意識を尖らせ、力を圧縮させる。
二十五……三十、三十一、三十二、三十三!
三十三歩目を強く踏み出すと同時、後方でアリンの仕掛けた【炸裂閃火・魔封球】が爆発。スコールの残り五人という言葉を聞いたヴァンとティアがヤイヴァを背負い走り出した俺に並び、スコールとアリンは後ろへ駆けた。
茂みに潜んでいた影は、突然の爆発音、俺という急接近する敵に対処が追いつかない。大きくヤイヴァを振りかぶり、人影へ向け勢いよく投擲する。せいぜいヴァン達に感謝するこった。だが多少は痛い目を見てもらう。くらいやがれっ、新必(非)殺技っ!
「変身!! 【仮面蝗襲脚】!!」
「※○×っ!!? ぐべぁばらぁあああっ!!」
飛翔するヤイヴァは人型へと戻り、特に意味のない回転を決め攻撃に入る。大きく突き出された右足は、仰天する痩せ細い男の頬に華麗に直撃。鼻血をまき散らしながらフィギュアスケーターのように宙を舞い、地に落ちた。
「特徴らしき特徴無し。ぱっとしねぇ髪色。やっぱ普人族か」
「こっちの人は短刀が二本。っと、背中にも一本。うーん、この靴どこか怪しいような……うわやっぱり。仕込み刃だ」
輪環状に座らせ後ろ手を縛り繋ぎ、拘束した普人族の男達を物色する。暗い緑色に染色した亜麻布の上下に、表面を蔓草で覆った革の軽装と靴。顔は染料で迷彩を作り、全員が首に青いスカーフを巻いている。
「盗賊かしら?」
「一概に決められるような装備が無い。だが、食料を一切持っていないということは、近くに拠点としている場所があるだろうな」
「それがアズールだといいですね。……きゃっ」
突如アリンへと飛来した鉄矢。ヴァンがアリンの前へ刀を盾に構え、スコールが矢を直接掴み取った。鏃に毒と思われる無色透明の液体が塗布されており、ヤイヴァが匂いを嗅いだが首を振った。匂いで追うのは無理か。
「今度はスコールに気取られねえほどの手練か。さっきの【炸裂閃火・魔封球】は失敗だったな。目立ち過ぎた」
「……見つからない。多分、隠密魔法。かなりの練度。ティア、揺らして」
しゃがんで地面に耳をつけるスコール。ティアが鉄爪を突き刺し、【超振砕牙】を一瞬だけ発動させ、大地に高周音波を流す。位置の特定とまではいかなかったが、反応から近くに三人潜伏しているのが分かった。
「今ので奴さんも人数が悟られた事に気付いたろう。さて、どう出てくる?」
「……僕にもスコールにも見えない所から、一体どうやって狙いを定めたんだろ?」
「こそこそと鬱陶しい連中だな。いっそ辺り一帯と一緒に焼き払っちまえよ」
「よくもそういう危ない事思い付くわね」
とても建設的とは言えないぶっ飛んだヤイヴァの案件は即時棄却し、後手になってしまうが出方を窺うことにした。
「来る」
魔術を察知したスコールが構える。俺達も同様に周囲を警戒した瞬間、足元の土が液状化し、一気に膝辺りまで飲み込んだ。
「!? 目視しないでこんなに正確な位置に発動させるなんてっ」
魔人族ですら感心する程の使い手であるヴァンが驚ほどどはな。慌てて抜け出そうと藻掻くが、貼り付く泥が徐々に自由を奪う。
「ヤイヴァ」
「あいよ。「【礎砕黒輝淵】」」
変質した破力が足元一帯の沼を駆け巡る。硝子を踏み砕くかのようにバキバキと硬質な異音が走り、土を沼へと変えた魔法を否定し、砕き、沼をただの土塊へと再構成させた。
術が無効化されたとも露知らず、俺達が身動きを取れなくなったと踏んだのであろう、頭まですっぽりと若草色の外套を羽織る三人が、俺達を取り囲むように姿を現した。
「……」
性別すら判別出来ない背格好の三人は、二人が弩を構え、もう一人が陣を展開し、俺達の一挙手一投足を見張っている。特に魔人族である俺への警戒は凄まじく、瞳の動きすら見逃さないと圧迫感が伝わってきた。
「……。※○×※※?」
弩を持つ一人が更に深く構え、短く“クリーグ語”を話した。セット地方の公用語だ。様子からして俺へと何か問いかけているようだが、勿論意味は理解出来ない。
だがこいつらにとって絶好ともいえる状況で、何故止めを刺しにこないのか。ヴィラガ村の一人は問答無用で斬りかかってきたんだがな。
「△▽っ、※※☆◇◇※っ!」
今度は語尾を強めた同じ問い掛けが飛んできた。やはりどうしようもないので、手で発声する表現をし、頭を指差した後、両手でバツ印を作り頭を横に振って会話が出来ない事を伝えてみた。理解してくれたのかどうかは怪しいが、警戒心のなかに疑惑が混ざったようで、少々殺気が落ちた。僅かな隙が生まれた訳であるが、そこには剣でなく言葉を斬り込み、敵意が無い事を出来る限り伝える。
「リオスクンドゥム、リンドヴァーン、スコラウト、アリネイア、ティア、ヤイヴァ」
彼らにとって俺達は非常に曖昧な存在だ。免許証のように自身を証明し、怪しいものではないと否定できる証でもあればいいのだが、そんなものは無い。だが少なくともこうして俺達の話を聞こうとする態度からして、無駄な殺生をするつもりはないようだ。
懐から白い羊皮紙を取り出し、俺の額に狙いを定めている一人に差し出す。最初は受け取ろうとしなかったが、他の二人と一瞬だけ顔を見合わせたのち、引き金に指を掛けたまま慎重に片手を弩から離し、素早く羊皮紙を取り上げた。俺達から姿勢を変えず距離を取り、片手で紙を広げ中に記載された文を読み始めた。
『わたしはヴィラガ村の長を務める者である。地図にすら乗らない弱小村が何のつもりかと憤られるかも知れぬが、彼らに手に着く職、そしてクリーグ語を学ぶ事の出来る環境を与えて欲しい。仕事の内容は問わないそうだ。彼らは遥か遠い異国から渡ってきた冒険者達であり、世の柵に関わらず世界を巡る者達である。実際、彼らは深淵体・第六階位八体を一瞬で葬るだけの力量を所持している。知にも長けているようなので、どんな職でもこなすであろう。魔人を庇いだてる老い先短い老婆の戯言と取ってくれても構わぬが、村を救ってくれた大恩ある彼らに少しでも役立ちたくこうして筆を取った。どうか、人の悪しき風習に捕らわれず世界の美を求める彼らへの支援を、お願い申し上げたい』
村長が俺達の為にわざわざしたためてくれた貴重な紹介文だ。今この場で出せる手段の内の特別な一つ、カードで言うならジョーカーのようなもの。吉と出るか、凶と出るか、短い文章を何度も内容を反芻し吟味している。
すると、先程ぞんざいに広げたときとは打って変わって紙を丁寧に折り畳んで外套の中へと仕舞い込み、弩を肩紐に下げ背へ回し、頭巾を取った。
現れたのは、少々顔の彫が深く左目周りに青い刺青を入れた日に焼けた普人族の、女かよ。声からして男じゃないかと思ってたんだが、どんな変声術使ってんだ。弩を持つもう一人も頭巾を脱いだ。こちらは目つきの鋭い細身の普人族の男性。そして魔法陣を展開していた奴が……な、なんじゃこりゃ?
「(え? 嘘? その髪色と変わった耳してるのって、まさか、水人、族?)」
「(何の冗談だ? この魚面、ホントに人か? キメェ顔だな)」
「(なんか、指と指の間に膜みたいなのがあるよ。どういうことなんだろ)」
「(……深淵体?)」
「(スコールが一番酷い事言ってますっ)」
俺達の常識を外れた突飛な容姿。魚面(仮名)は驚きを隠せない俺達に不思議そうな顔を……してんのか? 分かんねぇ。見た事の無い面構えのせいで表情から感情を読み取れない。
「○×○×、××※□※」
「※※。……、※×※っ、〇〇※△▽!?」
今の会話は大体理解出来た。刺青女が魚面に術を解くよう指示したが、効果がなくなっていておかしいと騒いでる。出てもよさそうなので両足をズボズボと引き抜き脱出する。
村長の紹介文はウルトラCの効力を発揮した。まだまだ、俺達に運は向いているらしい。




