第38話 『天の咢のヌシ』
天の咢、その麓。足元は動物達の死体、骨で埋め尽くされ、死臭が耐えない場所である。荒々しい割に滑らかな岩肌は草木が根を張れず、ぺんぺん草すら生えていない。
「こっちだ」
踏破に挑戦した際に利用した登山ルートは確保してある。中腹までは三回。断界に挑んだのは二回。苦い思いを二度もさせられ、俺以上に怒り狂う破力を抑えるのは中々に難儀だった。
「死体があること以上に、嫌な感じのする場所ね。心が落ち着かない。体が勝手に警戒しちゃうわ」
「見られている……んでしょうか? 狙われているような感じがします」
断界は魔力に直接作用する。奪っているのか、もしくは壊しているのか。命の危機に直結する見えない力に、体が無意識のうちに反応してしまっているのだろう。
「死体の殆どは鳥類。これを狙いに肉食動物、腐肉食動物がやって来る。その動物達も、ここで息絶えてる。この死に方は断界によるものじゃない。深淵体に殺られたんだね」
少し離れた場所でヴァンが死体を観察している。冒険者にとって大事な情報収集は主に俺とヴァンで受け持っている。スコールは索敵役だ。今も周囲を警戒し、大きな岩石に飛び乗り周囲を見渡している。
「思ったんだけどさ。アタシが断界の縁ギリギリまで飛んで行くってのはどう? 少しは体力が温存できると思うわ」
「いんや無理だぜ。何度もリオとここに来てっけど、断界は潮の満ち干き見てぇなのがあるみたいでよ。きっかりおんなじ空間が断界になってるとは限んねえ」
「おまけに見えねえからな。目測誤って突っ込んでったら強制的に竜化が解除されてこの固え地面に落されるぞ」
厄介ですねと呟くアリンに全くだぜと同意するヤイヴァ。俺とヤイヴァは特に断界による影響を受けないが、それでも不快なものは不快だ。
何より破力が意志を持ったかのようにざわつく。故に断界内では破力の制御が難しくなる。前回来たときは一回破術を使っただけで均衡を失い、意識を呑まれかけた。今回は四人への破力供給に殆どのリソースを割くから、一発も使えないだろう。
「さて……ここが一番平な場所だな。今日はここで一夜を明かすぞ」
俺が荷を置くとアリンが素早く野宿の準備を始める。ヴァンがポーチからチョークを取り出し、地面に魔法紋を描き始めた。結界魔法の【透通騙視】。陣、又は紋の内側にあるものを外部から視認出来なくさせる魔法だ。肉食動物、特に深淵体にも効果が期待できる。
「よいしょっと」
ティアが大きな肉の塊を取り出し、それをスコールと二人で切り分ける。明日は体力と根性勝負。限界まで性をつけないとならないからな。
「お、なんかでけえ鳥が落ちてきた。あれも食おうぜ」
落下したエメラルドグリーン色の鋭い嘴をした大鳥は、小さな鳴き声を上げながら体を引きずっている。ヤイヴァは近くの大岩によじ登り、そこから跳躍して剣に变化して大鳥に突き刺さりトドメを刺した。
「ヴァン、あの鳥どっかで見た事ある気がすんだが、覚えてっか?」
「だいぶ前にライオネリウスの国境付近で見た、クチハナリョクショウって名前の珍鳥だね。嘴は宝飾品として取引されてるけど、身は好物のオリバの実ばかり食べてるせいか、油っぽくてあんまり美味しくないらしいよ」
「油なら最高に体力つくじゃねえか。アリン、こいつも調理してくれよ」
「分かりました」
日が落ち、辺りはすっかり暗くなる。腹いっぱいに満たした肉を血へと変える為に、仲間達は毛布に包まれ既に就寝中だ。スコールだけは時折耳をピクリと動かし、半無意識で周囲を探っている。
目前で聳える天の咢。もうお前には怒りの感情しか湧いてこない。いっその事、全開の破力でたたっ斬ってやろうか。そんな気にさせられる。出来やしないだろうが。
「リオ……寝ないの……?」
知らぬうちにティアが俺に近づいて来ていた。珍しいな。普段なら一度寝れば天変地異が起きても目を覚まさないんだが。直ぐに寝るさと答えれば、寝ぼけているのか俺の腹にしがみつき、頭を乗せて寝息を立て始めた。
……最近、ティアの女性としてのアピールが露骨になってきた。その矛先は全て俺に向けられている。言葉無くとも、俺を好きだという感情が伝わってくる。ヴァン達はそれに歓迎的だ。アリンなんかはとっととくっつけと言わんばかりである。
ヤイヴァは……俺に告白らしきものをし、俺もそれを承諾した。だがあれは特別だろう。恋人同士のあれこれじゃない。互いの歪んだ性格が招いた、常識外れの契約って奴だ。
「すぅ……すぅ……んぅ……」
胸板に頬を押し付けるティアの頭を撫でる。容姿は文句のつけようが無く、体付きも既に同年代の女子よりも凹凸がはっきりしている。起伏はあるが明るく、女性特有の可愛らしさ、そして男勝りの芯の強さを持っている。
確かに魅力的な女だとは思う。だが俺の心が下す判断はそこまでだ。それ以上は無い。肉体が成長すれば、多少は女性に興味を持つだろうと気にしていなかったのだが、生前から相変わらず。他者からの好意に疎く、思春期なら誰もが持つ、抱くはずの恋愛感情は鳴りを潜めたまま。
俺達は家族だ。世界を見ようと集った同士達。俺の一部。俺のようなろくでなしであろうと好きだと言うのなら、それに答えてやりたい。
だが……受け止める事しか出来ない。与えられるもんが、与えたいという想いが、俺には無い。何でも飲み込む心は寄越せとざわめくだけ。守ろうとか大切にしたいとか、無償の献身はしたことが無い。全ては俺の欲のまま。
現状を破壊し、今ある全てを失ってでも、求め続ける欲望の穴。滅多な事では微動だにしない心は、穴を埋める為にお前の全てを見せろと俺を突き動かす。
もう一度、天の咢を見上げた。同族嫌悪って奴なのだろうか。こんなにも、このたかが岩山に怒りが湧いて来るのは。
お前さえいなければ、俺はもっと普通に、静かに過ごせたのにと。
第38話 『天の咢のヌシ』
「風向きは北北東。南西方向上空に雲は無し。空気は乾燥してる」
「周囲に敵影無し」
「荷物は必要最低限十分です」
「肉体、精神共に異常なし。何時でも行けるわ」
「出すもんは出したし、後は登りきるだけだぜ」
「よし。四人共そこに並べ」
ヴァン、スコール、アリン、ティア。順に【覆黒血痕】で破力を纏わせる。最初は顔を歪める四人だったが、破力という力の高揚感が影響し、喜びの笑みを浮かべた。
「ふーん……ふふっ。何かよく分からないけど、楽しくなってきたわ。これが破力なのね」
「クスクス。暴力的な感情が生まれてきます。確かにこれは危険ですね」
鉄爪を展開し、意味なくぶんぶんと振り回すティア。アリンは両手をさすり感情を抑え込んでいる。
「私達には過ぎた力だ。感情を飲み込まれる前に素早く登りきるとしよう」
スコールはドーピングモードの時と一緒か。以前ディヴァイダーとの戦闘の際にいたぶり殺していた事を考えると、スコールは暴走しやすい。本人もそれが分かっているから急がせているのだろう。
「あはははっ。崖登りなんて懐かしいなぁ」
すっかり破力の虜になりケラケラと笑うヴァンも結構危ういな。最後まで持てばいいが。
「よいしょ。よいしょ。よっと。ふっ!」
木登り、崖登りは爬人族の十八番だ。ヴァンは指を突き立てすいすいと登り、時折調子に乗って体を振り、駆け上る様に高く飛び上がる。
「崖なんていつも飛んで超えちゃって気にもしたこと無いから新鮮な気分だわ」
「この天の咢の岩、ただの岩石じゃないですね。破力じゃ無いと壊せません」
アリンが後ろ手で器用に小道具を取り出し、岩肌を叩くが傷一つ付かない。どれどれとティアが鉄爪で殴ったが、異様な金属音が響くだけだった。
「断界に入ったよ!」
先頭を進んでいたヴァンが断界に進入したことを告げた。後続のスコール達も続き、最後尾の俺、そして背負ったヤイヴァも突入する。
瞬間、目に見える世界が赤く染まる。弾ける寸前の弓を引き絞りギリギリと鳴らすかのような、乾いた麻布を無理やり絞り繊維を引き千切るかのような、無機物の悲鳴のように聞こえる雑音。命を、魔力を削り取ろうとする不快極まりない圧迫感は、べとべとと肌に張り付きゆっくり針を入れらているかのようだ。
「お前ら、体に変調はあるか?」
「ズキズキと痛むが、これは破力によるものか。断界の影響は受けていない」
「むしろ高揚してきたよ。あははは!」
ヴァンが両足を突き刺し、手を広げ空を仰いだ。やはりスコールの言う通り、さっさと登らないとな。
「これさ、七色丸薬で更に強化出来んじゃね? そしたらもっと早く登れんだろ」
「七色丸薬は血流を増加させて大量の栄養を運び、かつ圧力を高めて筋力を増大させる。それともう一つ、魔力も強化されんだ。これは推測だが、体内の魔力を運ぶ器官は全身に張り巡らされた血管。だから七色丸薬で強化されるんだろう。ということはだ。血の巡りが早くなりゃ……」
「その分破力に侵食される速度も上がるってことか。納得納得」
結果的には断界と似たような効果を生物に対して破力はもたらしている訳だが、俺の支配下にある以上制御が可能だ。
これの限界時間が凡そ一日。断界下ではあの四人の破力の面倒を見てやるので精一杯だ。
「止まれ」
登り続けて太陽が中天に差し掛かる頃。突然スコールが静止命令を出した。何事かと俺含め警戒心を高める。
「良い知らせと……もっと良い知らせがある」
スパルタスコールさんの言う良い知らせ。碌なもんじゃないだろう。
「くすす。では良い知らせからお願いします」
「風の動きから山頂までの大凡の距離が把握出来た。このまま行けば、夕刻を跨いだ辺りで着くだろう」
この荒れ狂う雑音の中で風の音を聞き取るとはな。確かにいい知らせだ。思っていたよりもずっと早いペースで登っている。
「んじゃあ、もっと良い知らせは?」
「登るだけの単調な作業に飽いていただろう? 喜ぶがいい。深淵体のお出ましだ」
まあそう世の中上手くいくわけないか。振り子を片方に寄せれば、もう片方に寄せる力が生まれる。
「とうとう来やがったか! リオっ、多分例のヤツだぜ!」
この天の咢に苦渋を舐めさせられたのは、何も俺達だけでは無い。俺達の様に何度もこの岩山に挑んだ人がいる。その人はいつもあと一歩の所で“ヤツ”に邪魔され、失敗させられた。
雑音に混じり、背後から聞こえるのは一定周期で響く岩石のぶつかり合う音。それは羽ばたきであり、揺れる尾同士が打ち鳴らす音であり、殺意を滲ませ顎を鳴らす音である。
尾は蠍のように先が鋭く、破壊球のように根本まで規則的な棘が生えている。岩盤が一枚一枚重ねられ構成された翼は、羽ばたく度にゴツゴツと硬い羽音を響かせる。長い首までぱっくりと縦に裂け、内側を鋸歯が埋め尽くす大顎。
第三階位深淵体、“フォービドゥンロック”が姿を表した。




