第37話 『舞燐』
舞燐の儀式は夕刻に行われる。昼と夜の境界、黄昏る太陽と月が結ばれ、交差した光が煌霧の森、燐光樹に囲まれた湖へと落ちる。金と銀が入り交じり溢れる湖を燐光樹が吸い上げ、その根へと隅々まで運ばれる。
地下祭場では里に住む森人族全員が集う。中央にある円形の大きな台座は祭壇であり、幾つもの円が折り重なるかのような紋様の描かれている。囲うように大小七つの琴が並べられ、祭壇上に七人の化粧をした巫女が待機していた。
「燐光樹はずっとずっと大昔、千年以上も前にこの地にやって来た、私達の先祖が持っていた一つの苗を育てたものなの」
「ひとつ……地上に生えている燐光樹の木々は、全て一つなんですね」
「そう。更に付け加えると、燐光樹が光ってるのは魔力の性質によるものよ。燐光樹が、この森の太陽と月の代わりって言うと分かりやすいかしら」
祭壇を見下ろすことが出来る段座で下座に座るヴァンとエヴリーヌが、今日の儀式の内容の細かな点について語り合っている。スコール、ティア、ヤイヴァは花より団子と目の前に並ぶ前菜を食い尽くし、アリンは落ち着かないからと他の森人族の手伝いをしていた。
第37話 『舞燐』
「リオよ。その翼を模した首飾り。それは遠き昔より先祖代々受け継がれてきたものである。なぜ翼なのか。その由縁は、大昔の我々が翼を持った一族であったかららしい」
上座に座るのは俺と森王のリュシン爺ちゃんだけ。爺ちゃんの跡取り娘達、つまり俺のお袋の妹達は巫女役だ。台座に立つ二人は俺と目が合い、静かに頭を下げた。
「我々の先祖はこの地へ追いやられた。その首飾りは我々森人族の望郷の表れであり……いや、未練なのかも知れんな」
「だとしたら、森人族ってのは……」
「……リオの想像している通りであろうの。だが我々は魔人族とこうして手を取り合った。人は皆、分かり合えるのだ。リオという素晴らしき存在がそれを証明している。だからこそ、気になるのだ。“彼ら”が何故戦争を起こしたのか。退っ引きならない事情があったのかもしれぬが、犠牲を出してまでも奪う必要があったのだろうか」
燐光樹の根から雫が一つ、また一つと垂れる。煌めく雫は描かれた紋を伝い、金色の、もしくは銀色の線となって祭壇を駆ける。
巫女達が両手を広げ、ゆっくりと舞いだした。ひらひらと揺れる純白の礼装、一つの動作を行う度に腕や首、足腰につけられた金の飾りがチリンと鳴り、琴の調べが巫女を纏い、合わせて魔術が発動する。
「!!」
スコールが食事を中断し、顔を勢いよく上げ、耳をピンと立たせた。地下から湧き上がる魔力を感じ取ったのだろう。
やがて祭壇の周囲に虹色の輝く線が出現する。夥しい数の光の千は折り重なり、液体のように波打ち、巫女達の動きに合わせて立ち上る。
魔力の帯を燐光樹の根が吸い上げ、幹を伝い葉へと送られる。地下からでは分からないが、今頃大量の魔法霧が散布されているはず。この霧が民家が並ぶ里から離れ、森一帯を覆い安定するまでに一晩掛かる。地下に森人族が全員集まっているのはこの為だ。
「この舞燐も、元は彼らの行っていた儀式。神への感謝として、そして“神へと力を送り込む”為に皆が舞っていた」
この世界には神を名乗る存在がいる。抽象的なものでなく、実在するのだと主張している。まったく身勝手な連中だ。
だがその神とやらのおかげで俺は此処にいる訳だ。たっぷりと礼をしねぇとな。
「リオや。彼の地はとうの昔に彼らに支配された。神は魔人族が存在することを許しはしないだろう。先祖の話によれば、他の種族も強い迫害を受けているとの事だ。心して……」
そこでリュシン爺ちゃんは話を区切った。どうしたと先を促すが、余計な事だったと苦笑いしながらかぶりを振った。
どうやら儀式は終わったらしい。お袋の妹達が俺を手招いている。一緒に舞おうということだろう。祭壇に上がれるのは選ばれた巫女だけの筈だが、俺は特別と言う事か。
踊りなんぞフォークダンスぐらいしか経験が無いが、たまにはこういうのもいいか。
壇上で七人の巫女に囲まれる王子。彼がそこに佇むだけで、人々はその美しさに見とれる。
琴が一音を響かせる。その音を始まりとし、燐光樹の根から落ちる光が照らす中、王子は舞う。
強烈でいて、鮮烈でいて、威烈な紅き髪が踊る。妖艶、魅惑、異彩。赤い太陽と青い月が折り重なり生まれた紫の瞳は悦びを零す。
いつしか巫女達は引き立て役として、舞う王子を穢さぬようにと身を低くする。琴は次第に王子の流れに狂わされ、飲まれ、彼の為だけの音となる。
「茨の道、先に待つのは恐怖のみ。だが躊躇いなど無く踏み入り堂々と歩む。その姿だけならば、まさしく王族」
徐々に舞いは激しくなる。彼の大きさが、彼の欲望が彼女らの器を超え、溢れる。
「だがその表情は苦難を砕く賢者では無く、恐怖へと挑むもののふでは無く、民の想いを背負った勇士でも無い」
リュシアンは背筋を震わせた。リオが放つ威光は、余りにも異質であったからだ。
リオスクンドゥムとは新たな太陽。その輝きと温もりは、しかし甘い罠。
世の全てを照らし、世の全てを呼び寄せ、そして世の全てを喰らう。自らの埋まらぬ欲望を満たす為に。
その果て無き心は、神に何を望んでいるのか。リュシアンからの警告を吉報とでも言いたげに、歪んだ微笑みを浮かべる王子は、一体何を目指しているのか。
「……悪魔王子、か」
翌日。半年前に来たときより濃くなった霧を抜けた時、そこにエヴリーヌが立っていた。わざわざ見送りに来たようだ。
「今日まで世話になったな」
「私は別に貴方達アスタリスクへの好奇心であれこれやってただけだから」
謙遜しているが、エヴリーヌの世界を練り歩き培った経験、体験談は俺達にとって非常に役立つものであった。だからこそ冒険心がくすぐられ、さっさと出発したかった思いもある。リュシン爺ちゃんも結構しつこかったしな。
「ところでさ……ホントにあの天の咢を超えるつもりなの?」
今更何を言いたくなるエヴリーヌの言葉は、問いかけではなく確認だろう。俺達の沈黙を肯定と受け取り、エヴリーヌは聞いてと前置きをし、語り始めた。
「私も天の咢の向こう側を見てみたくて色々と情報を集めてたのよ。ただあまりにも、意図を感じるほどに向こう側の情報は無かった」
向こう側とこちら側。もう向こう側を知る者は、いや、向こう側にも世界があるということすら知らないだろう。天の咢という、あまりにも巨大な壁に遮られ幾数千年。長く時が経ちすぎた。
「みんな……忘れようとしているわ。あの向こう側の世界を。魔人族の方達ですら、知っているのはほんの数人。私達なんか“名前まで変わってしまった”」
エヴリーヌはどこでそれを知ったのか。悔しげに顔を歪める彼女にティアがどうしたのよと聞けば、小さく笑い俺達を見渡した。
「私は研究者だからね。真実を歪めたり、隠蔽したりされるのが死ぬほど嫌いなの。だから、あなた達アスタリスクが真実を見せてくれる事を期待して、投資させて貰うわ」
ヴァンちゃんおいでと手招き、訝しげながらも近寄ったヴァンの胸元にエヴリーヌが手を置いた。
「さーてさて……やっぱりね。そんな気がしてたのよ」
何が。と問う前にエヴリーヌが魔法陣を出現させ、術を発動させる。ほんの少し光っただけで、特に変わった様子はない。
「今少しだけ“刺激”したわ。効果が表れるのは多分数年後だと思うけど、きっと驚くわよ~」
「あの……僕に何をしたんですか?」
「内緒。でも必ず私に感謝する日がくると思うわ」
意味深な言葉だけを残し、じゃあねとエヴリーヌは霧の中へと消えて行った。
煌霧の森を抜け、ひたすら一本道を歩き続ける。もうこの道を辿るのはこれで最後にしたいものだ。
「いよいよですね」
荷を背負い直したアリンが、木漏れ日の間から見えた岩山を見つめ呟いた。それにヴァンとスコールが頷き、ティアが気合を入れるようにふんと鼻を鳴らした。俺とヤイヴァ以外がここを通るのは初めてだ。俺はリベンジという反骨心と、いい加減にしてくれというイライラが募っているが、こいつらは未知への期待と興奮で気分が高揚している。
やがて森を抜け、辺り一面が岩だらけの荒涼とした地帯へと入る。その真ん中に聳え立つのは、この世界で最も俺を苛立たせた存在。
「今度こそ攻略してやる」
天の咢という巨大な壁に、再び立ち向かう。




