さめない夢とスープ
「……ん」
目が覚める。
見慣れない天井。
部屋の中はほのかな明るさを保持している。
時間の感覚はないが、どっぷりとふけた夜であろうことはなんとなく感じた。
隣から息づかいが聞こえる。
横を見ると、隼人が椅子にこしかけ壁にもたれながら、うたた寝をしているようだった。
「……んが……ん、お、よう、シン。目が覚めたか」
隼人は変わらぬ笑みで接してくれた
「……ごめん」
言葉が見つからず、俺はただ謝った。
「ば~か、謝る必要なんてねえよ。……確かに、最初はちょっとびびったけどな。でも、レイ王様たちの話を聞いてたからな。ははっ。お前にとっては、ほんとに最悪な一日になったな」
「……ああ」
隼人の軽口が、今は心地よかった。
ほんとに、できることなら、今日という日をなかったことにしたいくらいだ。
「……どれくらい寝てた?」
隼人がスマホを取り出し、時間を確認する。
「ん~、一時間くらいか? ちなみに、日本時間なら今はもうちょうど日付が変わるところだ。あと……ほい、お前のスマホ」
「あ、ああ、ありがとう」
そっか。俺、スマホ落としてたんだっけ。
電源を入れてみると、時刻は二十三時五十八分。
液晶の見慣れたこの画面が、今はひどく落ち着く。
俺の日常――だったものが、ここにある。
まだ一日すら経っていないのに、ひどく長い時を過ごしたように思う。
それでも、隼人がいて、スマホがあって、どこか他人事のように思っていたこの現実を、ようやく受け入れられたような気がする。
「……ああ、そうだ。おまえ、ケイアさんにもちゃんと礼を言っとけよ。あの人のおかげで、お前は正気に戻ったようなもんなんだから」
「ケイア?」
その時、ちょうど扉が開き、その話題の人物が入ってきた。
「……あ! よかった、気がついたのね!」
彼女は俺の様子を見ると、花が咲くようにぱぁっと笑ってくれた。
「あの、俺……うっ!」
慌てて体を起こすと、全身に軽い痛みがはしった。特に、胸のところが。
彼女は食事をもってきてくれたようで、スープ皿が二つ乗ったトレーを近くのベッドに置くと、俺の背中をさすってくれた。
「無理しないで……もう少し、休んでていいのよ?」
「……ありがとう、ございます」
俺は一瞬、胸を押さえたが、その痛みもすぐにひいた。
彼女の手から、優しい何かが広がっていくのを感じた。
気持ちいい。ずっと撫でていてほしくなる。
俺が落ち着いたのを見ると、彼女はその手を俺の額にもってくる。
「……うん、熱も引いたみたいね。良かった!」
また、笑った。
額から、また優しい何かが広がっていくのがわかる。
こっちに来てから、初めてともいえる優しさに、俺は思わず、涙がこぼれた。
「わ、ど、どうしたの!?」
彼女が驚く。
俺は照れくさくなり、彼女の手から逃げるように慌てて流れた涙をふく。
「……す、すいません。俺、こっちきてから、こんなに優しくされたの、初めてで……なんか、思わず」
恥ずかしい。
初対面でいきなり泣き出すって、普通引かれるよな。
でも、彼女はそんな俺に、意外な言葉をかけてきた。
「……ありがとう」
「……え?」
彼女の言葉は、どこか俺を知っているような感じだった。それに、なぜ俺にお礼を?
「いや、あの、どうして……ていうか、お礼を言うのは、俺の方で……」
彼女は微笑みながら、静かに首をふる。
「あなたには、私の大切な子を助けてもらったから」
「え?」
大切な、子?
いや、俺、子供助けた覚えはないんだけど?
てか、この女性、子供いるの!? 見た目俺たちと近いと思うんだけど……。
「入っておいで」
ケイアが扉に向かって言った。すると……。
静かに開いた扉から、白い犬がひょこんと現れた。
「シ――カ、ロ?」
それは確か、森で襲われていた、小さな白い子犬だった。
『――アンっ!』
俺が名前を呼ぶと、カロは元気に走り寄って、俺に跳びかかった。
「わっ!」
何とかキャッチし、カロは嬉しそうに俺の顔をぺろぺろと舐めてくる。
「はははっ。驚いただろ、シン。俺も最初はびっくりしたさ。なんたって、あの頃のシロと瓜二つだったからな。生まれ変わりかと思ったぞ」
「あ、ああ……」
俺は改めてカロを見る。
見れば見るほど、あの頃のシロとそっくりだった。
「ふふっ。その子が言うんです。操られたみんなに、勇敢にも立ち向かい、僕を救ってくれた人がいた、って」
……ケイアさんは動物の言葉がわかるんだろうか?
まあ、これだけ優しい人なら、わかってしまうものなんだろう……か?
「そう、ですか……。本当に……助かって良かったな、カロ」
『アンっ!』
カロは元気よく返事する。
頭を撫でてやると、気持ちよさそうに目をつぶる。
『アンっ!』
まっすぐに、俺の目を見てくる。
きれいな、子供の純真な真っ直ぐな瞳。その瞳に見つめられ、なぜか俺の胸に、またあのもやっとしたものが出てきて俺は思わず、目をそらしてしまう。
『……クゥン?』
カロが首を傾ける。
「……?」
「……シン……」
その時、再び扉が開き、入ってきたのはレイだった。
『ケイア、そろそろ会議を――む、目が覚めたか』
「あ、はい……。あの、このたびは本当にご迷惑をかけて、すいませんでした」
俺はベッドの上からだが、深く頭を下げる。
『……過ぎたことは良い。それよりも、これからが大事なのだ。……ちょうどいい、食べたら来い。お主たちにも話さなければならないことがある』
「は、はい……」
そう伝えると、レイは部屋を出て行った。
見た目は子供ぐらいの小さなドラゴンなのに、迫力だけは感じられる。これが”王”というものなんだろうか?
レイに続き、ケイアとカロも部屋を出ていこうとする。俺は、その背中に向かって慌てて呼びかけ……。
「あのっ!」
絹のような艶のある長くきれいな黒髪が揺れ、ケイアが振り向く。
「あの……ケイアさん、本当に、ありがとうございます」
俺はまた深々と頭を下げた。
「ケイア、でいいわよ。またね、シンイチくん」
『アンっ!』
彼女はにこっと笑って、扉を開けてカロと共にこの部屋を後にした。
再び隼人と二人だけになった部屋に、静寂が訪れる。
「ケイア……か」
しみじみと、彼女の名前を呼ぶ。
「……いい人だな。ケイアってさ」
そう言って隼人の方を振り向くと、ものすごく不機嫌オーラ全開で俺を睨んでいた。
「な、なんだよ……」
「……シン」
隼人はゆっくり立ち上がる。そして――。
「どぉぉぉしてお前ばかり! そんなにモテるんだああああああぁぁぁ!」
「はああぁぁ!?」
剛腕で俺の肩をひっつかみ、ガクガクと揺さぶる。
「知るかあああ! つーか、別にモテてねえだろ!」
俺は隼人の手を振り払う。
隼人はおよよよと隣のベッドに泣き崩れる。
「俺の方が……俺の方が先にケイアさんたちに助けてもらって仲良くなったのに……俺はいまだに”ケイアさん”なのに、お前には呼び捨てで良いって……どんな差別だああああぁぁぁ!」
布団をばふんばふんと叩く。
あ~、おい、やめてくれ。ベッドがぎしぎしと悲鳴を上げている。
「……別に他意はないと思うけど……」
そう言いながらも、俺も実はちょっと嬉しかったり。
「ニヤけたやつが優越感に浸りながら言うな! ……うおおおぉぉおん!」
「はいはい、悪かったよ。……せっかくだし、お前がひっくり返す前に、ご飯を頂こうぜ」
ケイアが置いていったトレーには、二人分のシチュー(?)が乗っていた。
その一つを、スプーンを入れて隼人に渡す。
「……こういうところが、モテる要因なのか?」
「……知らねえよ」
表面は少し冷めてしまったが、中はまだあたたかいクリーム色の液体をほおばる。
「――」
味自体はいたって普通だと思うけど……今までのどんなシチューよりも、おいしく感じた。