親友との再会。だが・・・・・・
暗い。
まるで全身が泥沼の中に浸かっているように重く、手足に黒い何かがまとわりついているようで、うまく動かせない。視界は赤と黒が混じったような、混濁の中。上か下か、右か左か、前に進んでいるのか後ろに下がっているのか、まったくわからない。
黒い何かが、手足だけでなく徐々に体を侵食し始める。
でも、体は動かないし、なすがままにされるしかない。
感覚がなくなっていく。胸を、首を、顎を、口を、鼻まで侵され、そのまま目を閉じて意識も手放そうとしたその時、一つの小さな光が近づいてくる。
(なんだ……?)
声は出せない。
頭の半分以上、目から上だけが出ている状態で、俺はその光が来るのを待った。
視界が染まる寸前に、その光は俺の下へと到着し、輝きが増す。
(まぶしっ……)
光の中、俺は正八面体の青いクリスタルのようなものを見つける。
そしてその光が、俺の体にまとわりつく黒い何かを一瞬にして祓いのける。
自由になった俺の手が、その結晶を優しく包み込もうと動く。
《――晋一》
(――?)
優しい、女性のような声が聞こえた気がした。
その結晶は、静かに俺の胸のあたりへと、吸い込まれるように消えていった。
次の瞬間。
「うあああああああああああぁぁぁああぁぁぁあぁぁ!」
出なかった声が絶叫として空間に響きわたる。
熱い。体が中から燃えているみたいだ。
焼ける。いや、爆発する。
内側からものすごいエネルギーが膨れ上がってきて、俺の体を突き破ろうとしているみたいだ。
「ああ! ”世界の法”が!」
男のしわがれた悲鳴のような声が聞こえた。
『バカな! 人の身に宿ったというのか!?』
低い、よくとおる驚きの声も耳にした。
「おい貴様、しっかりしろ!」
女性の、きれいだけど乱暴な声もする。
わからない。助けて。
力がどんどん膨れ上がる。ダメだ、俺の身体じゃもタナイ。
ダレカ、タスケ――。
胸から燃え広がるエネルギーは、やがて俺の体の外に出ようと、光が漏れだす。
まるで太陽のように、漏れ出た光は周りに青白い光を放出し、皆の目が眩む。
その時、まるで見計らっていたかのように、窓から灰色の大きな塊が飛び込んできた。
『ガルルルルゥゥゥッ!』
それは巨大なオオカミのような姿をした、一匹のケモノ。
「マルフォウス!」
レジーナが嬉しそうに叫んだ。
『来たか、友よ!』
レイも喜びの声を投げかける。
マルフォウスと呼ばれたそのオオカミは、一瞬でレジーナの周りにいた二匹のケモノを体当たりで吹き飛ばす。
「なっ! マルフォウス! 貴様、なぜここにぃ!」
ケビンが慌てふためく。
その奴の右横っ腹を、レイが小さな拳で殴りつけた。
「ぐべえっ!」
見た目以上に強い力があるのか、ケビンの体はくの字に曲がったあと、吹っ飛ばされて壁に激突する。
『王よ! これはいったいどういうことだ!』
凛々しい声で、マルフォウスがレイに向かって叫ぶ。
『話は後だ! 今はとりあえず脱出する! おさまれ、”世界の法”よ!』
レイの言葉に反応したのか、暴発しそうだったエネルギーは徐々におさまり、光も収束して消えた。
暴れ狂っていたエネルギーは、血がめぐるように全身の隅々まで廻り、やがて同化するような感覚のあと、消えていく。
俺はかろうじて意識だけ残して、再び力なく倒れる。
マルフォウスがレジーナの縄を噛み切り、彼女はマルフォウスの首の上に飛び乗り跨る。
レイは飛んできて、倒れた俺をひっつかみ、マルフォウスが尻尾で俺たちを包み引っ張りよせる。レイがマルフォウスに向かって問う。
『アレは見つかったか!?』
『残念だが竜玉はなかった! どこかに持ち去られているみたいだ!』
『そうか……。致し方あるまい。今は脱出を最優先だ!』
俺は横たわったまま、三人を背に乗せ、マルフォウスが風のように走り出す。
体が落ちないようレイに押えられながら、俺はゆっくりと瞼と閉じた。
レイたちが城を去り、静寂がおとずれた王の間に残ったのは倒された二匹のケモノと、壁にめり込んだケビンの姿。
「……」
彼は静かに、めり込んだ体を起こして床に立つ。
横腹は、レイの一撃で陥没し、体はひしゃげたような形をしている。
普通の人間なら悶絶し、へたをすれば内臓破裂も免れないはずだが……。
ケビンは何食わぬ顔で立ち、横腹を一撫でする。
「……腐っても王、といったところですかね~。竜玉もなしでまだこれほどの力を出せたとは……」
脇腹の変形した金属板を外し、床に投げ捨てながら、男は首をひねる。
「タイミングもドンピシャで、まんまと逃げられてしまいましたね~。やはりサポート程度のケモノでは時間を稼ぐこともできませんね。……やはり時間がかかりますねえ~。でも、それももうすぐ終わりますからねええぇぇ」
口角は再び異常なほど上がり、歪な笑みが顔面に張り付いている。
逃げられたことに、焦るどころか喜んですらいるような様子だった。
「……保険をかけておいて良かった。おそらく、次が最後ですね。その時を楽しみにしていますよ、レイ王」
暗い王の間から、マッドサイエンティストの狂った嬌声が曇天の空へと運ばれていった。
「――ン」
声が聞こえる。
「――ン、しっかりしろ」
なんだろう……聞き覚えのあるような、懐かしい声が。
「おいシン、目を覚ませ!」
「……ん、はや、と?」
俺はゆっくりと目を開ける。
そこには、慣れ親しんだ親友の隼人の顔があった。
「はやと……隼人! おまえ、隼人か!?」
俺は思わず跳ね起きた。
「ほかに誰に見えるんだよ?」
ニッと笑いながら答える。
「ああ、隼人!」
俺は友を抱きしめた。
間違いない。このごつごつした、頼りがいのあるでかい背中は間違いなく隼人だった。
「よかった……本当に良かった、生きててくれて――」
思わず泣きそうになる。
「それは俺のセリフだぜ、シン。いろいろ大変だったみたいだな」
隼人は俺を落ち着かせるように、ぽんぽんと背中をたたきながら労ってくれる。
「ああ……ああ、本当に。銀髪のおっかない剣士には殺されそうになり、チビの偉そうなドラゴンには小言を言われ、マッドサイエンティストのような爺さんには本当に殺され――」
俺は、ここがどこかも、周りがどうなっているかも確認しなかった。
見知った顔に安堵し、これまでの緊張がすべてほどけるように、気が緩んでしまっていた。
だから、また悪い事態へと流れていることに、俺は気づかなかった。
「あ~、シン。その辺にしといた方が……」
「ほう……銀髪のおっかない剣士とは、私のことか?」
『チビの偉そうなドラゴンとは、我のことか?』
「……え?」
声が、チカクカラ、キコエタヨ?
俺は隼人から離れ、ゆっくりと振り向くと――。
「……」
『……』
仁王立ちするかのように、二人が俺の前に立っていた。
「は……はは……」
どうやら、俺はまたやってしまったらしい。
俺、こんなに学習能力なかったっけ?
二人の視線が突き刺さる。
「まったく……せっかく助けてやったというのに、貴様というやつは……」
『まったくだ……原因は自分にあるというのに、それを棚に上げて……」
「……はい、申し訳ございません」
情けなくも、俺は本日二度目の正座をし、二人に深々とお詫びした。
本当に、どうして助かったのか、まさに奇跡だ。
もう一度、隼人の方を見る。
「……なあ。本当に、隼人か?」
「……おまえ、本当に大丈夫か? 安心しろ、オレはオレだ」
「……そっか」
ふんぞり返って自分を指さす隼人に、俺はようやく落ち着いた。
「……わり、まだなんか実感がなかったもんで」
「あ~、わかるよ。俺も最初はそうだった」
気持ちを共有してくれる人がいるのは、とても安心するし、心強い。
それで改めて、自分のいる場所について聞いてみた。
「……あの、ところで、ここは?」
「ここは、今の私たちの秘密の隠れ家みたいなところだ」
『本来なら、我らが捕まったあの場所でマルフォウスと合流し、また別の地点でこちらの者たちと合流して”安全に”ここに到着する予定だったのだがな』
うぅ……言い方に棘があるよ。
「それがどうしてあんなことに……」
レジーナがちらっと俺を見る。
はい、私がすべて悪いんです。
「……」
……あれ? もっと責められるかと思ったが、彼女はそれ以上何も言ってこなかった。
しばらくじっと見られ、視線を外す。……どうしたんだ?
「……まあ、何はともあれ、無事についたんだ。よかったよかった。そうだ、シン。こっちでの仲間を紹介するよ。と言っても、人数はかなり少ないけどな」
空気を読んだ隼人がそう言って立ち上がり、部屋から出ていく。
部屋といっても、まわりは岩をただ削ったような造り。扉は今隼人が出て行った木の板一枚の簡素なものだった。俺が寝ていた角のベッドを含めて三台と、椅子が三つほど。
殺風景な部屋に、三人だけが残された。
するとレイが静かに近寄ってくる。
『……今、体に異変はないか? どこか痛いとか、調子が悪いところなどは……』
「……? 特にない、です」
『……そうか』
「……」
……どうしたんだ、二人とも。
『……何か覚えてはいないか? どんなことでもいい。覚えていることがあれば話してくれ』
「えっ、と……」
覚えていることと言われても、確か――。
その時ちょうど、隼人が戻ってくる。
「お待たせ~」
隼人が連れてきたのは二人。一人はレジーナに負けないくらいきれいで、腰まであるウェーブした黒髪のお淑やかそうな女性。
そして、もう一人が入ってきた時、俺は驚愕する。
「なっ――!」
そこには、ケビンが立っていた。
「なんでお前がここにいるっ!」
俺は立ち上がり、叫んでいた。
「シン、違うんだよ、落ち着けって!」
落ち着けって、これが落ち着いてられるかよ! なんで隼人と一緒に!?
俺はいつでも動けるように重心を落とし、目線だけで周りを確認する。
……ダメだ、入口はあそこひとつだけ。窓もないなんて……どうすればいい。
構える俺に、ケビンと思われる男は、一つ軽くため息をついて一歩前に出る。
「シンイチくん、だったね。兄が、君にひどいことをしてしまったようで、本当にすまない……」
ケビンと同じく、白衣を着た長身の男が深く頭を下げる。
「あ、に……?」
今度は俺の方が困惑していると、レイが説明をしてくれた。
『彼の名は、ティスト・テラー。奴の――ケビンの双子の弟だ』
「お、弟!?」
ティストと呼ばれた老人が、改めて挨拶をする。
「ティストと呼んでくれて構わない。……よろしく」
彼が握手のために手を出してくる。
俺はその手を見つめ、動けないでいた。
「……?」
ティストが不思議そうに見てくる。
わからない、どうしたんだ、俺。
「はあ、はあ、はあ……」
何もしていないのに、息切れがしてくる。
「……おい、シン。大丈夫か?」
隼人が心配そうに聞いてくるが、ダメだ、隼人の声も、どこか遠くに聞こえる。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ――」
動機がさらに激しくなってくる。
「お、おい、シン! しっかりしろ!」
隼人が俺をつかんで揺さぶる。
その時、記憶がフラッシュバックを起こし、俺が剣で貫かれた時の記憶がよみがえる。
そうだ、俺はあの時、殺――。
「ウアアアアアアアアァァアァアァアアァァァッ!」
頭が理解してしまった瞬間、俺は発狂した。
「シン! どうしたんだシン! しっかりしろ!」
隼人が肩を押さえつける。
俺は隼人を突き飛ばし、がむしゃらに喚きながら暴れ続ける。
『いかん! レジーナ、手をかせ!』
「っ……はい!」
レイとレジーナが俺の手をがっちりとホールドする。隼人も、俺の背後に回ってひざまずかせ、押さえつける。それでも俺は喚き、暴れようとする。
「この! 正気に戻れ、シン!」
隼人の叫びも、むなしく響く。
「ウアアアアアアッァアァァア、ガ、アアアアァァァ!」
手足を動かせないのが、さらなる悪循環を引き起こしている。
自由にならない。自由じゃない。このままじゃ、また俺はコロサ――。
その時、暴れ、絶叫する俺を、何かが優しく包むような感覚があった。
「――?」
「大丈夫……ここには、あなたを傷つけるものは何もないから……大丈夫よ」
その声はとても優しかった。
俺が暴れ喚こうとも、その声の主は気にせず、俺を抱きしめてくれていた。
「……ううぅ……」
「大丈夫……大丈夫だから……」
そう言い続けて、俺の頭を豊満な胸に抱き、涙や唾がつこうとも気にせず、まるで母が子を抱くような優しい抱擁に、次第に俺は落ち着つを取り戻し、そのまま眠りについた。