世界の法の行方
彼――異界の子の瞼がだんだんと閉じ、王の間の床が彼の血でゆっくりと染められていく中、レイ王様はついに決断を下した。
『……わ、かった』
「んん~?」
ケビンが聞き返す。
「なっ……! ダメです、王よ! 私はどうなっても――ぐっ!」
黙れと言わんばかりに銀髪をひっぱられると同時に、赤くぬらぬらと染まった剣を彼と同じく背中に突き付けられる。
「いま、なんとおっしゃいましたか、レイ王?」
私で聞こえたんだ。ケビンにも王の声は、はっきりと聞こえていたはずだ。
聞こえていたが、喜びを押し殺して、もう一度はっきりと言わせようとしている。
『……わかった、と言ったのだ。”世界の法”は、貴様に渡す。その代わり、レジーナとその子を……助けてやってくれ』
王からの返答にケビンはもはや我慢できずに口角は異常なほど吊り上がり、嗤いだす。
「クッ……ヒフッ……ヒッヒ……ヒャーハッハッハッハッ! ようやく! ようやく決断してくれましたか! レイ王! 私は! 私は感激しておりますよ~!」
奴は私を乱暴に開放すると、レイ王様の元へと上っていく。
「さあ! さあ早く! わたくしめに”世界の法”を!」
剣を持ったまま左手を突き出し、何度も催促をする。
『……だが、このつながれた状態では出すことはできん。悪いが、鎖を外してくれないか?』
「……」
王の交換条件に迷っている風のケビンだが、絶対的優勢の余裕がそれを了承する。
「……いいでしょう。その代わり、変なことをしようとしたら、彼女は……」
ケビンが左手を上げ、ケモノたちに合図する。
二匹のケモノは、私の横にぴったりと張り付いた。
『……わかっている』
「く……」
突撃隊長が情けない。武器を取り上げられ、縛られている今の状態ではどうすることもできないのだから……目の前で失われていく命すら、ただ黙って見ているしかない。
「では……」
ケビンは白衣のポケットから鍵を取り出し、レイの手錠を外す。
『足も頼む……』
「その必要はないでしょう。そのまま出せるでしょう?」
『全神経を使うのでな。ましてや、この姿では少しの雑念もあっては取り出せぬゆえ、どうか頼む』
「……」
さすがにケビンは考えたが、偉大な”あの”王が自分に懇願しているという優越感と、実際どういうものか知らない以上、それを許容するしかなかった。
「……いいでしょう。ただし、くれぐれも変な気は起こさないように。さもないと――」
『そう釘を刺さずとも理解している』
「……では」
ケビンは足の鎖も外した。
王は、自由になった。
……状況は好転したとは言えないが、それでも王が自由になったことは大きい。もしかしたら――王が秘宝を出し、奴が油断した時がチャンスか……。
レイ王様は、一歩を踏み出そうとした。瞬間――。
「どこへいくつもりで?」
ケビンが剣をレイに突き付ける。
『出すことは約束する。だがまずは、あの子の手当てをしないと――』
「必要ありません!」
彼の中に再び苛立ちと怒りが湧き上がる。
『だが、少しの雑念もあっては――』
「いい加減にしてくださいよ!」
さすがに彼の怒りは爆発寸前だった。
「こっちがちょっと頼みを聞いてあげればいけしゃあしゃあと! 自分の立場わかってます!? 図に乗ってんじゃねえよ! さあ、出してください! 今すぐ出せ!」
へたすれば今にも斬りかかりそうな奴の様子に、これ以上は無理なことを悟った王は、私と彼の方を見る。その瞳には悔しさと、祈りが見てとれた。
「さあ! 何してるんです!? 早く出しなさい!」
『わかった……』
そして、王は精神を集中させる。
まとう空気が、変わる。
その様子を見て、ケビンが剣を下げ、階段を一つ降りる。
『……いでよ、”世界の法”!』
言葉を放つと同時に、王の体を淡く青い光が包みこむ。そのままゆっくりと浮き上がり、徐々に、風が出始める。それは王を中心に徐々に渦巻き、その力が強くなっていく。
「おお……おおお!」
ケビンは強風にあおられながら、感動に震えていた。
気付けば、私も食い入るように見つめている。
話だけは聞いていたが、実際目の当たりにするのは初めてだ。興味がないわけではない。しかし……。
(くっ……このようなことになってしまって……)
後悔と同時に、血を流し倒れている少年の方を見る。
「……」
ふと冷静に考えると、このような結果にした元凶ともいえる彼に怒りはあるが、完全に憎めないでいた。
(胸を触ったのは確かだが、わざとでないのは本当だろう。きちんと謝りもしたし……)
自分もカッとなり過ぎたと反省する。
(カロについてだって、あいつが助けなければ、あの子はきっと殺されていただろう。……力もないのに、あいつらに立ち向かったことは無謀と言わざるをえんが、ある意味勇気とも……。今だって……)
彼があそこで言わなければ、横たわっていたのは自分だったかもしれない。
そう思うと、彼に少しの感謝すら感じる。
(しかし、その命運も、ここまで、か……)
もう意識はないだろうが、若干の息づかいは聞こえる。すぐにでも手当てすれば助かるかもしれない。せめて、彼女がいれば……。
しかし、それが許されない現状では、どうすることもできない。
(……すまない)
自分の無力を痛感しつつ、心の中で静かに謝った。
「ヒャハハハハッ! すばらしい!」
大気のすべてがここに集約するかの如く、風は吹き荒れ、窓も吹き飛び、レイの周りの力は増していく。
それと同時に、ケビンの興奮もさらに高まっていく。
「すごい! すごいすごいすごいですよ! これほどとは! いったいどういったものなんでしょうね、”世界の法”は!」
髪もぐちゃぐちゃ、眼鏡もどこかへ飛ばされ、それでも視線はレイから外さない。
狂気と歓喜の混じった瞳が、やがてその終息を捉える。
この広い空間を暴れ狂っていた風が、レイが一際光ったと思うと、一気にレイの手のひら上に凝縮する。
広い空間に再び静寂が訪れ、レイがゆっくりと降りてくる。
手のひらには、青く輝く、正八面体のクリスタルのようなものがあった。
「おお……おおお……美しいぃぃぃ!」
感嘆のため息を出しながら、近寄ってくるケビン。
「それが……”世界の法”」
レジーナも目を奪われる。
「おおお……感じる……感じるぞ! とてつもないパゥワアアァァを!」
ケビンは剣をしまい、両手を差し出してくる。今の彼には、ソレしか見えていなかった。
『……約束だ。レジーナたちを開放してもらおう』
レイの言葉など聞こえていないかのように、ケビンは近づいてくる。
「はあああぁぁぁ……美しい~」
『……』
真近まで顔を近づけ見つめる。
ケビンが手をあげ、しっしっとやると、二匹のケモノはレジーナから離れた。
「さて……では!」
ケビンが両手をこすり、大きく広げ、ゆっくりと近づけて触れようとしたその時。
ふわり、と逃げるように”世界の法”が浮かび上がる。
「……へ?」
『なに!?』
それはレイにとっても予期せぬ事態だった。
「な……」
レジーナも呆然と、ふわふわと空中を漂う”世界の法”を見つめる。
ソレはゆっくりとこちらに向かってくる。
「え、な……」
くるくるとゆっくり回りながら彼女の前で止まる。
「……」
確かに、きれいだった。
回転も止まり、鏡のようなその面に、自分の顔が映りこむ。
縄で縛られていなければ、手を伸ばし、触れてみたい衝動に駆られる。
しかし、それを察知したかのように青色に輝く正八面体の結晶はぷいっと横を向くようにして、彼女の前から再び移動を始める。
「あ……」
次に目指したのは、うつ伏せに倒れている晋一の方だった。
その真上に到着し、今度はゆっくりと降りていく。
「『「……」』」
三人は意識を抜かれたかのように、その行く末をただ黙って見つめている。
”世界の法”は、一瞬白く輝くと、そのまま晋一の中に消えていった。
「『「な……」』」
三人は急に意識が戻ったように、同じセリフを口にし、そして。
「――っ!」
晋一に、異変が起こり始める。
「うあああああああああああぁぁぁああぁぁぁあぁぁ!」