王と戦士と俺
森の中をしばらく走って、一際大きな木を見つけた。今度こそ追いかけてきている気配もないし、俺はその根元の穴に身を隠して休む。
呼吸も落ち着いてきたので、彼女のセリフについて考える。
……彼女は、”異世界の人間か”と言った。
ならここは、俺にとっても”異世界”ということになる。
確かに、ここまで通って見てきた植物はどれも見たこともない姿形をしていたし、それに淡い光を放って、明滅しているものもある。休んでいるこの木だって、日本の屋久島の杉の木よりも大きいんじゃないか? 樹齢何年だよ。
光は、先ほどよりも強くなっている。彼女の言葉を推察するに、夜が訪れると光を放つ特殊な植物なのだろう。つまり、今はもう完全に夜になったということだ。
暗い中に青白く光るその幻想的な光景は、頭で否定しつつも、異世界ということを受け入れざるをえない気持ちにさせる。
そしてもう一つ、彼女の言葉で気になることがある。
”貴様も”と言った。
俺のほかに、ここに来た奴がいるってことだ。いったい誰だ。
……思い浮かぶ可能性があるのは一人、隼人だ。
あいつも俺と一緒に落ちていた。ということは、俺と共にこっちに来た可能性が高い。
そう思ったら、無性に会いたくなり、探しに行きたい衝動に駆られる。
一人では心細い。
でも、あいつがいれば何とかなるような気がする。
それだけ俺はあいつのことを頼りにしてるし、信じてもいる。
「……よし!」
当てなんてこれっぽっちもないし、隼人がいるという保証もない。それでも俺は探しに行こうと思う。夜の森は危険と言うが、光る植物のおかげで足元や周りの景色は見えるし、なんとなる……かな?
気合を入れなおし、俺は決意を固めて外に出る。
そして大きな木の根本から一歩踏み出した瞬間、地面に飲み込まれた。
「なあああああぁぁぁ!?」
滑り台のように土の中を滑り落ちていく。残念なのはきちんと整備されておらず、おかげで全身をぶつけながら倒れるように終着点へと辿り着く。
「いってえ~」
びりびりと痺れるような痛みが体中に伝わっていく。そこは小さな空洞となっており、中は光るコケみたいなものが照らしていてくれるので助かった。
『誰だ』
いきなり声が聞こえた。
仰向けのまま痛みで動けない俺に投げかけられた、低く、それでいてよくとおる声。
『人間、か?』
声のした方を振り返る。その姿を見て俺はぎょっとする。
『おぬしは……その服装……ふむ。ああ、異世界の子か』
徐々に近づいてくる。
『よもや、このような時に……まったくもって不憫な子だ』
憐れむような調子の声。
「な、な、な、な――」
ここに来てから驚くことばっかりだ。
でも、異世界ということなら、ある意味納得もできててしまう。
それはあまりに有名な、空想上の動物。
ファンタジーでは必ずと言っていいほど出てくる、最強の名高い、伝説上の生き物。
『……ふむ。そうだな、”名乗るのは自分から”、だったな』
そいつは、もったいぶったように間を置き、語りだす。
『我が名は、レイ・フォード・サクトゥルギア。この世界、”エルガイア”の王である』
後になって思うことだが、めぐり合わせとは不思議なもので、それらは全て決定づけられていたんじゃないかと疑りたくなってしまう。
普通なら、決して出会うはずのない者同士が、出会うべきして出会う。
”運命”ってのはこういうものを言うんだろうか。
威厳をもって誇示する彼は、身長一メートルにも満たないずんぐりむっくりの小さな、二足歩行する黒いドラゴンだった。
『……王、”だった”のは、もはや数日前のことだ。今となっては、反逆に遭い、王座にもつけぬただの逃亡者だ』
胸をはり、威厳をもって名乗ったレイという王様は、うって変わって悲しげに、半ば自嘲気味に話す。
『よって、我を呼ぶときは”レイ”で構わん。気楽にしてよい。……して、おぬしの名は?』
さすがにそろそろ許容オーバーしそうな俺の脳は、聞かれたことだけに答えることで精一杯だった。
「あ……し、晋一、です。玄道、晋一……」
名前すらすぐに言えないほど俺は動揺している。
そのことに恥ずかしさがこみ上げ、嫌気もさしてくる。
もう、ほんとに、いろいろ疲れた。まるで悪い夢でも見ているようだ。
『ふむ。シンイチよ、我らに対して悪意がないのであれば、無事におぬしの世界に返すことを約束……できるかどうかはわからんが、その努力はする。ともかく、今は逃亡の身ゆえ、しばらくは我慢してくれ。あと、ここで大声は出すなよ』
俺を気にする様子もなく、淡々と話して元の場所へと戻ろうとする。
「あ、まっ――いてっ!」
去ろうとする彼を止めようと慌てて立ち上がって、天井に頭をぶつける。奥は三メートル、幅は二メートル、高さは一・五メートルぐらいの土の中の空洞。
子供ぐらいの身長しかないレイにとってはまだ余裕があるが、俺にしては小さい。
悶絶している間に、元王様は奥の方にちょこんと腰掛ける。
俺は彼に詰め寄る。相手は人間ではない。でも話は通じる。俺はすがるような思いで、彼に質問を浴びせた。
「あの! ここって本当に異世界なんですか? あなたのような、その、人じゃない方たちも他にいっぱいいるんですか? ここって、どこですか? あと、俺のほかに、もう一人異世界の子が来ませんでしたか?」
『……”もう一人”?』
? なんだ?
レイの声色が変わったような気がした。
『おぬし……二人でこの世界にきたのか!?』
何やら険悪なムードになりつつある。
「いや、あの、二人でっていうか、俺も確証はないんですけど……」
レイの態度の急な変化に俺の声もしりすぼみになる。
俺、そんな変なこと言ったか?
「もし、知ってたら教えてほしいんです。そいつ、俺の親友で……俺のせいで巻き込んでしまったかもしれないんで……」
『……』
どうやら完全に警戒されているみたいだ。
見た目はずんぐりむっくりの小さな羽が生えたドラゴンだが、その眼光はするどく、俺を見定めるように視線を注いでくる。
「あの……」
その時、頭上からさらに俺を敵視するものが現れた。
「王よ、ご無事ですか!? ――なっ!」
先ほどの銀髪の女性が穴から降りてきた。
そして俺を見るなり、銀の剣を俺ののど元に突き付けてくる。
「なぜ、貴様がここにいる!?」
ドスの効いた声で、睨みつけてくる。
「勝手にいなくなったと思ったら……秘密の穴が開いていたから、慌てて来てみれば、よもや貴様だったとはな! 私に破廉恥なことをしただけでは飽き足らず、王の身にまで――」
『破廉恥?』
そこでレイが聞き返す。
「と、とにかく! 貴様は悪だ! 今すぐこの場で死ね!」
「ちょ――!」
『まあ、落ち着け、レジーナよ』
レイが止めに入ってくれた。
『彼の話では、もう一人いるかもしれんということだ』
「もう一人!? ならばなおさら、これ以上の被害が出ないためにも、今ここで!」
火に油を注いだんじゃないだろうか。
レジーナと呼ばれたこの女性も”もう一人”と聞いたとたん、さらに俺への殺意が増した。
いったい何があったんだ?
『……よせ。彼を殺したところで、事態は好転などせん。して、偵察の方はどうだった?』
「今のところ、バレてはいないようです。……こいつのせいで、危ういところでしたが」
ギロッと睨んでくるレジーナ。
何も知らない俺を責められても困る。会話の間も一向に剣を下げてはくれないし。
『そうか。ともかく、時間までもう少しだ。マルフォウスが戻らなかったら、我らは手筈どおり、例の場所へと向かう』
「……はい」
レジーナが少し寂しそうにうなずく。……まだ仲間がいるのか?
寂しそうな表情はすぐに顔をひそめ、俺をもう一度睨む。が、レイにたしなめられ、彼女はようやく剣をどけてくれた。
「……ふん。王の優しさに感謝するんだな」
のどをさすりながら、その言い方にカチンときた俺は、彼女に怒鳴りたい衝動をぐっとおさえ、代わりにずっと言いたかったことを言う。
「あの!」
「……」
ちらっとこちらを見る。レイも俺に注視する。
「本当にすいませんでしたっ!」
俺は正座し、地面に手をついて頭を下げる。声色は幾分か乱暴になってしまったが、声量は小さく、しかしはっきりと伝わる大きさで言った。
『「!」』
二人が驚くのが分かった。
「決してわざとではないんです。触れてしまったことは素直に謝ります。どうもすみません」
俺はもう一度、深く頭を下げた。
彼女の怒りからして、許してもらえるなんて思ってはいなかった。ただ、謝るべきことはきちんと謝ろうと、そう思ってやっただけのことだ。
彼女は無言で、でも、剣を鞘に納める音が聞こえた。
『ふっ……』
レイの笑う声も聞こえた。
『……面をあげよ、少年』
俺はゆっくりと上体をおこし、視線を地面からレイに向ける。
『レジーナに何をしたかは知らんが、自分の非を認め、相手にきちんと謝ることは難しいことであり、とても大切なことだ。若いながら、その点はしっかりしているようだな。……まだ完全に信用はできんが、こうなってしまったのも何かの縁であろう。ひとまず、お主は我らと共に行動すればよい。レジーナも、それでよいな』
「……は、い」
しぶしぶ、といった感じでレイに答える。
ともかく、先ほどの険悪なムードはなくなり、ようやく俺はほっと一息つけることになった。
……怒りに任せて怒鳴らなくて、本当によかった。
しかし、安心したのもつかの間、再びゴゴゴゴと地響きが聞こえてくる。
「なっ!」
小さな穴の中も揺れ、天井からパラパラと土が落ちてくる。
『これは……追手のものか!?』
「バカな! こちらには気づいていなかったはず!」
この地響きが何なのか知っている二人は、慌てて外に出る。
颯爽とレジーナが出て行ったあと、レイも小さな羽をパタパタと動かしながら空中に浮かんだ。そのまま飛んで行く姿は、王に対して失礼だが、なんともかわいらしい。……ただ、あんな小さな羽で飛べるってことは、物理法則ではありえない。なんか特別な力でも持っているんだろうか。
二人に続き、俺もなんとかよじ登って外の様子をうかがう。
レジーナは木の陰に身を隠しながら、レイはそのまま上昇して数メートル上の木の枝に立ち、警戒している。俺は、レジーナの後ろにそっと身を寄せ、同じ方向を見る。
「……あの、そういえば追手っていったい――」
「しっ! 話はあとだ」
質問すら許されない、緊迫した状況なのだろうか。
確かに先ほどから地響きがやまない。そしてその答えは、すぐに訪れた。
『ヴオオオオオオオオオ!』