天国から、一気に地獄へ
心地いい。
死んだ後ってこんなにも気持ちがいいもんなんだ。
あったかくて、柔らかいものに包まれているような感覚で、なんか、安心する。
母さんのぬくもりはほとんど覚えていないけど、きっと、母親に優しく抱きしめられるのって、こんな感じなのかな。
まどろむような中、何かが聞こえる。
トクン、トクン――。
これは、鼓動?
トクン、トクン、トクン――。
一定のリズムで、規則正しく聞こえてくる。
なるほど、赤ちゃんが心地よく感じるというのも納得できる。
ああ、気持ちいい。
俺は身を任せ、そのまま深い眠りに陥いろうと――。
「う、うぅ……」
突如、うめき声らしきものが聞こえた。
「?」
いやいや、空耳でしょう。
だって俺はもう死んぢゃったんだから。
「ううぅ~……」
また聞こえた。
「……」
さすがに二回も聞こえると、無視できない。
いや、でもほら。俺、数メートル上から真っ逆さまに落ちたんですよ?
普通の人間が生きてられるわけないじゃないか。
否定し続けるが、同時にもう一つの思考も動き出す。
もし。
もしもだよ?
もし、俺が死んでなかったとしたら……。
目を閉じたまま、俺は体の状態を確認する。
……どうやら、うつ伏せに寝ているらしい。
顔からお腹のあたりまでは、あたたかく、柔らかい。
特に顔は柔らかいマシュマロのようなものに包まれているみたいだ。
でも、背中はそうでもないし、お腹から下はどうも硬い金属のようなものに触れている感触がある。
さて。
残念というか、ありがたいというか、どうも俺はまだ、死んではいない可能性が出てきた。
というか、死んでない、よね。
うん、俺、生きてる。
ゆっくりと目を開ける。
目の前は、白。
あれ? やっぱり死んでる?
なんて思ったが、よくよく見ると、どうも布地っぽい。
しかも、なんか高く盛り上がっている。
俺は視界の確保のために手でそれをどけようとして――。
ぷにょん。
その柔らかさと弾力に驚いた。ああ、気持ちがよかったのはこれのせいか。
「んあっ!」
同時に、声が聞こえる。女の人の声だ。
もう一度触れてみる。
「ふあっ! ……な、なんなん、だ?」
瞬間、俺は一気に目が覚め、理解する。
俺が触っていたのは、女の人のおっ――。
跳ね起きようと、彼女の体の横に手をつく。土の感触が伝わってくる。
ぐっと力をこめ、体を起こし顔が正面を向いた瞬間、彼女も首をあげ、俺とばっちり視線が合った。
時が、止まる。
その一瞬は永遠に感じるほど、周りの景色すら動いていないように感じた。
一秒か数秒か、時間の感覚はわからない。が、いずれにしろ、時は、動き出す。
おそらく、最悪のかたちで。
「き……」
「……き?」
動き出したのは、彼女の方が先だった。
ポニーテールにまとめた長い銀髪に、サファイアのような澄んだ青い瞳。
整った顔立ちはハーフの美人モデルを連想させるが、少なくとも今まで見た誰よりもきれいだと思った。
笑えば、それはそれは可愛い笑顔が見られるはずのその顔は、徐々に怒りに染まっていくのがわかる。
「き、さ……」
「……」
悲鳴ではない。左後方で、チャキッと金属の音が聞こえた。
おーけー。
俺は理解したぞ。
俺は今再び、命の危機に瀕している!
「きさまああああぁぁぁ!」
「うわあああぁ!」
左手に全力を込めて、俺は右に転がるように彼女の上からどいた。
俺の体があった場所を、ブンッと風を切る音とともに剣が薙ぎ払ったと感じる。
そのまま転がり続け、すぐに木らしきものに当たって止まり、俺は彼女の方に振り返る。
……般若が立っていた。
「いったい何が私の上に降ってきたかと思ったら……とんだ破廉恥野郎だったとはな!」
青い炎が見えそうなほど怒りに満ちた瞳が、彼女の髪と同じ銀色の両刃剣をその手に、俺を見下しながら睨みつける。
「いや、あの、胸を触ったことは、あ、謝ります。ただ、俺にも何がなんだか……」
「問答無用だああああぁぁぁあ!」
完全に殺意をもって、俺を斬りつけにかかる。
「ぎゃああぁぁああああ!」
俺は全速力で逃げた。
「待てええええぇぇぇ!」
殺す気で追いかけてくる女性。
そんな、ちょっと胸を触っただけで、殺されるの!?
……先ほどの状態を考えれば、わざとでないとはいえ、俺は彼女を押し倒し、胸に顔をうずめてさらに揉んで(?)いたようにも見える……というか、そうなってしまっていたけれども!
「あの、ちょっと! お願いだから話を……!」
「聞く耳もたんっ!」
ダメだ! 激昂している彼女に何を言っても無駄だ。
とりあえず、今は逃げよう!
俺は脱兎のごとく駆け出した。
少し走って、ちらっと後ろを振り返る。彼女の姿はなかった。
追いかけてこない? と思ったのは甘い考えで、視線を戻そうとしたとき、俺は信じられないものを見た。
俺の横の木の幹を足場に、俺の目線よりも高い位置から、今にも彼女が跳びかかろうとしている姿が!
「なっ!」
どんな身体能力してんだ!?
「はっ!」
まさしく、弾丸のように飛んできた彼女を避けることもできず、俺は跳び蹴りをくらって転倒する。
そのまま彼女は馬乗りになり、俺の顔面に剣を突き付ける。
「くっくっく。覚悟はいいか?」
獲物を狩る、ハンターの目をしていた。
え、なに、俺、うさぎか何かと勘違いされてない? ていうか、生きてたと思ったら、今度こそ死ぬの?
もう本当にわけがわからない。
「あの、どうか、話を聞いてもらえませんか?」
「貴様のようなゲスは死んだ方がいい」
ああ、ダメだ。目が狂気の色をしている。
「――さあ、死ね」
俺は最後の賭けにでる。
馬乗りされて剣を振り上げられ、身動きができずに今にも命を絶たれそうな俺にできることはたった一つ。
いちかばちか。息を思いっきり吸い込む。そして。
「ごめんなさ――むぐっ!」
「ばかもの! 何を考えているんだっ!」
全力で謝ろうと大声を出した瞬間、彼女に口をふさがれ怒られた。
なんで!? 口しか動かないから、せめて誠意を伝えようとしただけなのに!
理不尽この上ない状況に、さすがの俺もふつふつと怒りがわいてくる。
ふと気づくと、彼女は俺の口をふさぐために前のめりになっているのに気づく。
しめた!
俺は思いっきり体を浮かせ、ブリッジをつくる。
「なっ?!」
彼女もしまったという顔をしたが、体勢を崩し、浮いた体はそう簡単に戻せない。
俺はすぐさま体を沈ませ、両手を頭の上に、地面を押して、滑るように彼女の後方へと体を逃がす。
振り返りざま、俺は湧き上がる怒りを抑えることができず、彼女にぶちまける。
「なんなんだ、あんた一体! そんな簡単に人のこと殺そうと――むがっ!」
いつの間にか間合いをつめたていた女性に再び口を押さえられ、木に押しつけられる。
ああもう! いったいなんなんだよ!
「しゃべるな。次大声出したら、本当に殺す。……話すなら、小声で話せ」
押さえつけた手は、細い見た目とは裏腹にものすごい力で、口を開くこともできない。
まるで隼人に押さえつけられているみたいだ。
ただ、ありがたいことに、彼女の瞳は冷静さを取り戻しているようだった。
鼻息荒かった俺もようやく怒りをとどめ、ゆっくりとうなずく。
その様子を見て、彼女も口から手をどけてくれた。
「ぶはっ! はあ、はあ……あ、あんた一体……」
「……ふん。その服……貴様も異世界の人間か。まったく、本当にろくな奴がいないな」
「? ……も?」
俺のほかに、誰か――。
そこで浮かんだのは、隼人のこと。一緒に落ちてたのはあいつしかいない。
でも、”異世界”って?
彼女の言うことに、俺の理解はついていかず、まったくもってわからないことが多すぎる。
ただ、改めてあたりを見回すと、見知らぬ植物に囲まれていた。
別に植物に詳しいわけじゃないけど、少なくとも子供ころに見た図鑑には載っていなかったと思う。
だって、妙に大きいし、なんか光ってる。
「む、もうすぐ夜になるのか。急がねば……その前に、こいつをどうするか、だが」
「……」
思案にくれているようだけど、こっちはあんたと共に行くつもりはないからな。またいつ殺されそうになるか、たまったもんじゃない。……まあ、悪かったのは俺だろうけど。
しかし、足には少しは自信があった俺も、彼女の動きを見た後じゃあ、ただ逃げても容易に追いつかれることはわかる。
よくわからない場所、というか世界(?)で一人でいることも危険なのは理解できるが……どうしたものか。
「……!」
悩んでいると、ゴゴゴゴとものすごい地響きが聞こえ、地面が揺れる。
「! しまった、さっきの大声で気づかれたか!?」
「気づかれた? 誰に?」
俺の疑問に答えず、少し離れた大きな木に身を隠しつつ、俺の左の方を警戒している。
よくわからないが、俺も彼女にならい、木に身を隠す。
するとすぐ上の方から、バキバキと枝が折れる音が聞こえ、俺のすぐ隣を巨大な岩がドスーンと落ちてきた。
「な、な、なっ!?」
岩は俺の数センチ横に落ちてきていた。
身を隠していなかったら、潰されていたところだ。
「おい、きさま!」
「え?」
腰を抜かすのを必死に耐えている俺に、銀髪の剣士は近寄ってきて小声で話す。
「そこを動くなよ! 貴様の処分は戻ってから考える」
一方的にそう伝えると、彼女は岩が飛んできた方角へと森中を静かに走っていった。
偵察に向かったのだろう。誰かに追われているのは確かなようだ。
俺は彼女に言われたとおり――にはせず、今のうちだ、と彼女が向かったであろう反対の方向へと逃げだした。