春が見せるのは、未来か過去か
季節は春になる。
始業式をして土日をはさみ、今日から学校が始まる月曜日。
央辰高校の二年生になった俺たちは、大きな竜央川の堤防沿いの道を並んで歩く。
あと四十分もすれば登校する学生でいっぱいになるこの道も、この時間は人気はほとんどなく、歩いているのは朝練に向かう俺たちと自転車が数台通り抜けていくだけだった。
「いや~。しかし、久しぶりに見たけど、相変わらず光一さんはでかいな!」
「ああ、お前もな」
「おいおい、オレは久しぶりじゃあないだろ? ほんの十二時間前には会っていたじゃないか、親友よ!」
「いや、そういうことじゃなくて」
こいつは池上隼人。俺と同じ高2。以上。
「おい! 今おまえ、オレのこと雑に扱わなかったか!?」
「……心でも読めるのか、お前は」
「ふっ。お前のことなら何でもわかるぜ」
ウインクしながら指さしてくる隼人。
「……」
「おい、待て、引くな! 冗談だから!」
「すいません、近寄らないでください」
「ひどいっ! 一昨日は二人であんなに熱い夜をすごしたのに!」
「その言い方は古いしやめろ! お前の鍛錬に付き合っただけだろうが!」
こいつとは子供のころからの付き合いで、今までずっと一緒にいる腐れ縁だ。
「はぁ~。お前が女の子だったら、憧れの幼馴染デート登下校ができたのに」
「おい、気持ち悪いこと言うな」
先ほどからバカなことを連発しているが、こう見えてなかなか頭が良い。
「そういえば、学年末テストって何位だったんだ?」
「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれた! なんとオレは、ついに一位の座に返りついたのだ!」
「いや、ついにっていうか、一位じゃないの前回だけだったじゃん」
「くっ! そうなんだよ、そのせいでオレの連勝記録が絶たれてしまったんだ!」
「いや、十分だろ、二位でも」
このようにアホみたいに頭がいい。いいんだが……。
「よくないよ! 何言ってんのシン! 一位じゃなきゃダメなんだよ! モテないよ!?」
「いや、モテるとかどうでも……。それに一位だからモテるわけじゃないと思うけど?」
「っ! い、言われてみれば……。俺としたことが! 盲点だったあああぁぁぁぁ!」
うん、なんというか、暑苦しい上にちょっと残念なんだよね。まあ、天才とバカは紙一重という言葉を体現しているような――。
「おい、誰がバカで残念だと!?」
「だから心を読むなって!」
「あ~! やっぱり思ってたな、このやろ!」
そう言いながら俺の頭をヘッドロックしてくる。
「おい、やめろ! 暑苦しい! 胸の筋肉邪魔!」
「やだ! シンのえっち!」
「気色悪いからやめろおおおぉぉぉ!」
全力で俺は逃げ切る。
「おお、オレのヘッドロックから逃げるとはやるなシン! さすがは剣道全国二位の猛者だな!」
「はっ! 嫌味にしか聞こえねえよ、空手の全国王者!」
まったくもって世の中不公平だと思う。頭も良い上に、運動神経も抜群ときたもんだ。
……まあ、こいつの努力している姿は俺も知っているし、当然といえば当然なんだが。
「いやいや、嫌味ではないぞ。お前の努力も知っているし、あの時の準決勝は事実上の決勝戦だった。良い勝負だった。決勝ですぐドクターストップがかからなかったら、間違いなくお前の勝ちだった! 相手は運が良かったな」
「でも二位は二位だし……てか別に気にしちゃいないよ。慰めどうも、王者さん」
「そう! オレは空手も全国制覇した! なのに! なのに、一つだけ貴様に勝てないものがある!」
「……なんだよ」
「この超美形のオレ様がなぜ! ――んなぜ! なぜモテないんだああああああああ!」
「知るかああああああああ!」
ああもう、超美形とか言ってる時点でダメだということがなぜわかんないのかな、こいつは。
実際、確かに顔は悪くない、というか良い方だし、性格もバカだけど優しいから人気もある。
ただ……しゃべるとやっぱり、残念なんだよなぁ。
「うおおぉぉぉん! 残念とか言うなあぁぁ!」
「だから心読むなって!」
バカなことを言い合える間柄。これだけ親しいのは俺にとっては隼人だけだと思う。何でもないこの時間が俺は本当に楽しかったし、大切に思う。
頭の良いバカな友人のおかげで朝のもやっとした気分も、だんだんと薄れていく。
「おいシン。俺はやるぞ!」
「……何をだ?」
きっとろくなことではないが、一応聞いてやる。
「今年こそ! 高2になった今年こそ! 俺は彼女を作る!」
「……」
やっぱりな。
「なんだよ、やっぱりな、みたいな顔をして」
「……俺の顔はそんなに読みやすいのか?」
「付き合い長いからな。シン、お前は彼女ほしくないのかよ?」
「う~ん……まぁ、欲しくないことはないけど」
「欲しいということは、理想があるだろ? どんな人だ? 俺はやっぱり守ってあげたくなるような子だな」
「子って……ロリ?」
「違うわ! 俺を変態と一緒にするな!」
「え!? ……違うの?」
「そこで本気で驚くか、貴様!? そういうお前はどうなんだよ!」
「……俺か~。う~ん……俺より強い女性なら、いいかな」
半分冗談交じりで適当に返す。
「……」
「おいてめえ。いったいどんな想像してやがる!」
「いや、大丈夫だシン。お前の彼女がたとえゴリラみたいな女性だったとしても、俺はお前の友達だ?」
「ふざけんな! 失礼にもほどがあるし、あとなんで疑問形で返すんだよ!」
「いや、全国二位のおまえより強いって、滅多にいないだろ」
「それでもなんでゴリラなんだ! ……ゴリラは一人で十分だ」
「おい、それは俺のことか! ウホッ!」
ノリが良いのも、こいつの長所だな。
「さすが親友、わかってくれたか! その調子で頑張ってさらなるゴリマッチョ目指――」
その時、前から散歩中のおばさんが歩いてくるのが見える。
その手には茶色のリードとごみ袋を持ち、先には同じく茶色の首輪と――真っ白い犬がつながれていた。
「……」
「シン……」
先ほどの喧騒はどこへやら、俺たちは無言でおばさんたちとすれ違う。
薄れていった胸のもやっとしたモノが、俺の心を真綿で首を締めるように締め付ける。
しばらくして、隼人が声をかけてくる。
「シン……大丈夫か?」
「うん? 何言ってんだよ隼人、大丈夫に決まってんだろ!」
嫌になる。
明るく言ってみたが、どう見てもわざとらしい。それが自分でもわかるんだから、隼人にはもっとバレバレだろう。
ちらっと見たさっきの白い犬は、かなりの高齢だとう。十歳、いや十二歳ぐらいなってるかもしれない。
俺はふと、シロも生きていたら――なんて思ってしまった自分に嫌気がさす。
「シン……」
ああ、ほんとに今日は朝からろくなことがない。
今まで見たこともなかったのに、どうして今日に限って出会うのか。
隼人の顔も見られず、視線を下げると俺たちの反対側の道端にタンポポが咲いていた。
周りに花はなく、春のそよ風に吹かれ、寂しげにその花だけが揺れている。
「……」
「……」
俺たちは無言で歩く。
しばらくして、道を塞ぐようにして立つ低い柵の中心に”この先工事中”という赤い文字で書かれた看板が見える。
いつになったら終わるのかわからない工事だが、俺たちにとってはちょうど堤防を降りる目印にもなっている。
「これ、もうずっと前からあるよな」
「ああ……」
「いつになったら終わるのかね」
「さあな……」
珍しく、隼人もそんな疑問を口にした。
その看板を後に、俺たちは無言のまま階段を降りていく。
と――。
《――ンっ》
「――っ!?」
堤防の階段をもう少しで降り立とうとしていた俺は、立ち止まりあたりを見回す。
「? どうした、シン」
「……聞こえた」
胸のもやっとしたモノが、膨れ上がるのを感じる。
「何がだ?」
隼人が不思議そうに見てくる。どうやら、聞こえたのは俺だけらしい。
空耳だと無視することもできた。でも、できない。
だって、あの声は――。
《――ワンっ》
今度ははっきりと、聞こえた。
「どこだ? どこにいる!?」
もやっとしたモノが、俺の心だけじゃなく、全身蝕むように広がっていく。
「おい、シン! しっかりしろ! どうしたってんだ!?」
隼人が俺の肩をつかむ。
逆にその手をつかみ、俺は訴える。
「聞こえたんだ! 聞こえたんだよっ!」
「だから何がだっ!」
隼人の質問にまともに答えられないほど俺は動揺していた。
キョロキョロと見渡し、それらしき姿を探す。
全身が侵され、焦りか、期待か、不安か、希望か、ごちゃまぜになったなんとも言えないものが俺を突き動かす。
わからない。もどかしい。
それでも俺は必死に探し、振り向いて見上げたその時――。
堤防の上。まぶしい日の光に照らされて、ずっと、もう一度会いたかったその姿を見た。
《ワンっ!》
「シロっ!」
「なにっ!?」
隼人の驚きの声を無視して、手を振り払い俺は駆け上がる。
それを見たシロが逃げるように走り出す。
「待て! 待ってくれ、シロっ!」
俺はシロの後を追いかけた。
「おい! 何言ってんだシン! 戻ってこい! くそっ!」
隼人も急いで追いかけてくる。
シロは工事中の看板をすり抜けて、その先へと走っていった。
「シロっ! シロっ!」
俺は看板を飛び越える。胸ポケットからスマホが落ちるが、それすらかまわずに俺はシロの後を追いかける。
遅れて隼人も乗り越え、バウンドしたスマホを空中でキャッチし、後を追う。
「シロっ!」
「何言ってんだシン! シロなんてどこにもいないだろ!」
「いるんだよ、目の前に! 俺の前を走ってる!」
「はあ!? 俺には見えねえんだよ! 幻覚か何かじゃないのか!?」
「幻覚でもなんでもいい! 俺はもう一度シロに――!」
「バカ野郎! シロはもう死んだんだよ! あの時、二人で見届けただろうが!」
「っ――それでも俺は!」
隼人との言い合いもすぐに記憶から消される。周りの風景も認識すらできていなかった。
俺の視界は完全にシロしか映していなかった。
だから――すぐ先の道が無くなっていることに、俺は気づかなかった。
「っ! 危ねえ、シン!」
「っ!?」
止まることは不可能だった。
蹴りだした後ろの足が、地面の最後の防衛ライン。
着地すべき前に出した足に、地面を踏むことは叶わない。
「うおおおおぉぉぉぉ!」
跳びかかった隼人が、かろうじて俺の足をつかむ。
「よっしゃああああ! なっ!?」
ギリギリのところで俺を捕まえることに成功した隼人だが、直後、彼の体を支えるコンクリートが崩れ、二人は真っ逆さまに落ちていく。
「うそだろぉ!?」
隼人の叫びを聞いて、今さらながら後悔の念が浮かぶ。
シロの幻覚に惑わされ、隼人の静止も聞かず追いかけた。
バカだバカだと言ってたが、こんな結果を招いた俺こそが大バカだ。
重力に逆らえず落ちる刹那に考えられたことは、親父と隼人に対する感謝と謝罪。そして、シロのところに逝けるならいいかな、なんてちょっとだけ思ってしまった。
コンクリートの地面に半分切られた青い空が見えた。その中に、空中に立って俺に吠えながら遠ざかっていくシロがいた。さらにシロが吠える度に、虹色に輝く光の泡のようなものまで見えてくる。
死ぬなら眠るように死にたい、と誰かが言ってた。
死を理解した脳は自己防衛反応として、せめて安らかに逝けるように俺の意志に関係なく見せているのだろうか。
虹色の光に包まれながら、俺はこの直後にやってくる惨劇を拒否するように意識を手放し、眠るように目を閉じた。