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ACT Ⅳ 娼婦

 

   Scene 1 教室



 朝の教室はさざめきで満杯である。



「あと二週間はさぼるかもな」

 男子らは賭けに余念がないようだ。


「土曜日だし、今日は来んぜ」

「この学校も、土曜に授業なんてさー。ったく、いつの時代のこったよ」


「おれも来ないほうに入れるぜ」

 マドンナの初登校日の予想である。



「あいにくはずれね」

 華やいだ声が皆をふり向かす。


 つややかなルージュの美少女が入口にたたずんでいた。

 桜の花を一枝生けた暗い緑の花瓶を抱えている。



「入学式に桜なんて──」

 誰もが呆然と見蕩みとれていた。



「──陳腐だと思うけど」

 彼女が教卓に花瓶を据置く。



「ないとほしいのね──」

 はらはら白い花がこぼれた。



 長い絹のような髪と薄化粧のほかは、噂から想像したようなスケ番もどきではなく、

 あたりまえの制服を上手に着こなし、上履きの踵を踏み潰したりしていない。

 堅苦しさに倦んだ奔放なお姫様の気品を地で演じていた。


 彼女には、ことさら大人の女を装うような、けばけばしさはなかった。

 晴れ着の振袖を纏った少女のような清冽さがある。

 美しく逝った人の死化粧のような典雅さがある。

 だが、それは妖しいまじへと変貌したげな気配を匂わせた。


 クレオパトラや楊貴妃も三舎を避けそうで、そこらのアイドルなぞ裸足で逃出すこと、請け合いな美貌だった。



「おい、式は一週間前だったぜ」

 男子は我にかえってからかう。


「よけいなおせわ」

 美少女はかるい調子でいなす。


「よからぬ噂がとびかってたよ」

 ねこっぽいめの娘がふざける。


「そう、自己紹介いらないわね」

 彼女はたおやかな笑みで答える。


「そういう問題じゃないでしょ」

 根本柊子ねこむすめはずっこけてしまう。



「父の再婚で涙にくれてたのよ」

 彼女は扉の処に戻り、自分の鞄を受け取る。


「──Danke sehr !(ありがとうございます)」

 鞄持ちしていたごつい上級生の姿がみえる。


「嘘―ッ! 魔貴ってファザ・コンだったの」

 教室騒然としている。



「しらなかったかしら」

 こともなげな声する。


「継母いじめすんなよ」

 男子が野次をとばす。


「それって楽しそうね」

「本気でやりそうだな」



「机は何処?」

「そこよ。お下げのちびさんの隣」


「はーい、結城水穂っていいます」

 ちっこい子が元気に手を上げる。


「よろしくね。あたしは紫邑魔貴しむらまき

 少女みずほはあえかな香気に抱かれた。


「もち、こちらこそ」

 彼女はいちごのように顔を赤くする。



百合リスの香ですか?」

 瑞穂ちびさんは夢見るような目でつぶやいた。


「いい鼻してるのね」

 天女とみまごうくらいの笑みだ。


「──紫邑さん」

「呼び捨てにしてよ」


「怖くなくてよかったわ」

「まあ、何故」


「裏番だって本当ですか」

 ひそっとささやく。



「まさか」

「そうですよね」


「ツッパリなんかやーよ」

「鞄持ってたの何方どなたです?」


「通りすがりに頼んだの」

「マドンナの威力ですね」


 みごとな人心収攬で人垣がかこむ。



(いい気になっていやね)


 居心地わるそうにささやきあうのは、

 西城衣奈をリーダーとする中等部派のお嬢様ら。

 成績や容姿みてくれはよろしいが、いかんせん気取りすぎである。


(騒々しいったらないわ)


 そんな華麗なおつむをなさったお嬢様方も、正真正銘の御姫様おひいさまを相手取っては分がわるそうだ。

 変節者続出で少数派転落のうきめをみている彼女らであった。



「なんの騒ぎさ?」

 予鈴で駈け込んだ桔梗の弁である。


「御本尊のおでましよ」

 私が肩をすくめ、事態を解説する。




   Scene 2 廻廊



「おことわりよ」


 気怠く美しい声がした。

 薄暗い廻廊かいろうの中程へたたずむ影。



 あんたは思わず足を止めた。



「もう、バスケはしないわ──」


 紫邑魔貴と風紀委員長の律子女史だった。



 深刻そうな様子だし立ち聞きは趣味でない。

 けれど、何故かうごけない。



「天才といわれたほどなのにどうしてよ」

 女史が食い下がる。


「あなたのプレーは、いまでもあざやかにおぼえてるわ、やりきれないくらいにね。

 なのに、あれだけの才能を捨て去ろうなんてゆるせないわ」


 胸ぐらをつかみかねない勢い。


「──ずいぶんむかしのはなし」

 ひっそりと眠るような声で、ひんやりとよそよそしい貌。


「三年前、芙蓉のバスケ部でなにがあったの」

 にべもなくさろうとする背を呼びとめる。



「よくあることよ」

 振向いた彼女の相貌は影に入る。


「──あそこでは上級生下級生がいさかいしてて、人望あった下級生の子が担ぎ出されたのね。

 その子はみんなが協調するよう懸命に頑張ったけど、コーチを誘惑したって噂がながれてみんな離れていった。

 ありがちなことよね。コーチはその子に惹かれてはいたかもしれない。

 キャプテンは従兄だったコーチが、お好きでいらしたかもしれない。

 噂の出所は彼女のとりまきあたりだったかもしれない。

 それもありそうなことだわ。


 なんにせよ、その子を排斥することで、結束がかたまったんだから、よろこぶべきかしら。

 それが全国優勝なんかさせて貰ったり、最優秀選手になられたりしたら、おさまりつかないじゃない。

 うってかわってちやほやもなんだけど、大抵はやっかみやらうしろめたさやらで、よけい頑なになったのね。

 とってもありふれたことよ。


 あげくに、どちらがキャプテンでどちらが退部か試合で決めましょう。なんてとこまでこじれたわけ。

 ほんとうにありきたりね」


 肩がすくめられたようだ。



「負けるはずないじゃない」

 女史はいいきる。


「そうでもなかったみたい。もしかして勝ちをゆずってあげたのかしらね。

 あいにく、キャプテンは試合中の怪我から、再起不能になって自殺したし、コーチも自責のせいか失恋か後追いしたそうよ。

 よくよくありきたりのシナリオよね」



「事故…じゃない」

 女史はいいよどむ。


「――さあ? その子って“天才プレーヤー”じゃなかったかしら。

 その子にとって、相手の力を限界までひきだすなんて、造作もなかったし、その限界まで超えるようしむけたら、結果はわかりきってるんじゃなくて」


 絹の声が疑惑を弄ぶ。


「その子は妬みや中傷に幻滅してたから、茶番じみた試合どうだってよかったの。

 キャプテンには最後なんだから、最高のプレーをさせてあげたかった。

 ラスト・シュートを打ったときは、とってもきれいだったわ。

 その子はあの人がとっても好きだったのよ。

 顔しかとりえのないコーチが、あの人にさわしいなんて思ってなかったけど。

 せめて殉じるくらいはしてもらわないとね」


 その唇はうっすらと笑っていた。



「できるはずない……。そんな簡単に、死なせるなんて」


「そうね、その子にはできなかったでしょうね。だって、殺せるのはわたしのほうですもの。

 役を終えたその子はどこにもいないわ。わたしがここにいるってことは、その子がもう死んでるっていうことよ」


「何故なの……」

 女史はかぶりをふる。



「──それまでへの決別」


 ゆるやかに背を向けて歩み去る。

 ゆらりと黒髪が揺蕩たゆたった──。






 Scene 3 生徒会長室



「律子が、紫邑魔貴を部に入れたがっているそうだね」


 芹沢弘明が椅子にもたれながら尋ねた。

 銀縁の眼鏡越しに冷たい眼をした人物。



「はあ、そのようです」


 答えたのは、でっかちで髪の薄い男。

 新聞部部長の半村惣児である。


「わたしの幼なじみはたてついてくれてこまるよ」

 酷薄そうな唇が余裕ありげに笑んだ。

 彼は生徒会長に就任して以来、運動部や応援団の私兵化を謀っていて、ちょっとした独裁政権といえる。


「所詮、女であります」

 容姿のせいで女性コンプレックスでも抱いていそうな口ぶりだ。


「彼女をみたことはないが、よからぬ噂なら耳にするよ。

 風紀委員長もあろうものが、どういうつもりだろう」


 芹沢は指を組んだ。


「はあ、中等部に転入する以前、芙蓉のバスケ部だったとか」

 新聞部は生徒会長のお先棒を担ぎ、情報機関めいた役割をしているらしい。


「いつだったか、全国優勝しているな」

 自身が男子バスケ部のキャプテンだから当然詳しい。


「彼女がやめてまもなく廃部になりました。

 はっきりした原因は隠されているようですが、なんにしても疫病神にちがいありません」

 悪意憶測のある含みだ。


「わが校のマドンナとかいわれてるそうじゃないか」

 彼は資料棚からファイルを抜き取った。


「まがいものの魔女です、美しいことは美しいでしょうが」

 相手は心地わるげに吐き捨てた。


「低俗な興味をひかれるのだが、これではどうしようもないよ。いますこしさぐってくれたまえ」

 ぼやけた数葉の肖像写真が放棄される。


「会長、彼女を御覧になってはいけません」

 半村は疾しげに視線をはずした。


「おや、何故だい?」

 芹沢は底意地のわる憫笑びんしょうする。


「とらわれます…」

 顔をそむけたままボソリという。


「さがってかまわないよ」

 半村は黙礼して去った。




 ──"マドンナ"か?


 彼は下校する生徒達を高窓越しに眺め下ろした。





   Scene 4 舞姫



 芹沢は母を黙殺して家を出た。



(いちいちかまってられないさ。……おおかた、父は愛人のもとか。泣きすがられるのはごめんだ。これが大病院とやらの御家事情、羨まれるほどなものじゃない)


 追い立て喰らい夜遊びである。


(われながらきわどい綱渡りさ、いい面の皮した生徒会長だな)


 己自身を彼はうすく嘲笑った。


(軌道を逸して放縦に走ったり、堕落したりすることはないさ。だから何をしてもかまわない。……はん、ゆがんだ選民意識かい。本人も自覚しているよ、律子)


 彼は胸のうちで幼なじみの少女にかたりかける。



(君の家も似たり寄ったりだな。だが、同情は僕らしくないか。学校なぞ支配したところで、君のいうとおり意味がないよ。所詮、僕には遊びにすぎない。

 ……君はあいかわらずの頑固者さ、頭のいい癖に不器用きわみだ。屈伏されたら失望したろうね。羨んだら憤慨されるだろうが、自分の小器用さにうんざりだ)


 ──小糠雨の中で仰ぐ部屋あかり。

 別れの身振りをしてきびすかえす。



 春雨けぶる。


 狭苦しい階段は暗くあなぐらへくねる。

 汚い扉を開けた途端、爆竹のような狂躁がなぶる。


 時折、アングラ劇場に鞍がえする、ぬえのように得体のしれない処だ。

 体に絵の具を塗りたくった半裸の男女が踊り狂う猥雑さに辟易した。


 ──サバトもどきだな。


 紫邑魔貴は常連だと、新聞部長の報告である。

 隠し撮りされた彼女の写真はどれもピンぼけ。

 ギュスターブ・モローの描いたトロイのヘレーネを連想させる。

  死屍累々たる兵士らの血を吸い上げて君臨せる顔貌なき女神の朦朧体。


 ──のっぺらぼうのヘレーネか、馬鹿馬鹿しい。


 苛つく煙草とすえた汗の臭い、雨に湿った布と肌の臭い。

 執拗な光の宿る目を喧騒にさまよわす。



「頽廃の巣窟へ何をお求めだ。みなれぬお方よ」

 占師まがいの異様な風体の男が声を掛ける。


「──シャンブロウ」


 知る人ぞ知るSF中の魔女の名で彼女は呼ばれる。

 真紅の襤褸布なターバン頭巾を巻きつけ、猫族めくしなやかな処女の形態。

 蛇のようにのたうつ真紅の髪で、生命力を吸いとる魔性の存在もの


「異邦人、異邦人。悪夢の杯へ唇あてるなかれ」


「おせっかいに感謝しよう」


「おのぞみとあらば、我らが巫姫はかしこにあり」


 気障な道化師が芝居っけたっぷり指し示す、奥まった席で女王然と気品を香らせる少女。

 カクテルグラスを弄ぶ手に金鎖のきらめき、黒髪を飾るのも金鎖銀鎖と蛋白石オパールの連なり。

 闇を纏ったような衣裳に白く妖しい面差し、ものうげに垂れたまぶた瞼してうつむいた顔容かんばせは人形めく。


「君知るや、かつて魔女は合わせ鏡の街にふたりあり。何処ともなくあらわれ、いずこともなく消滅す。かの都市伝説の語る…」



 芹沢はわずらわしい饒舌をふり切って歩む。

 チークタイムの薄闇と静謐せいひつが潮のように流れる。


「一人か」

「一人よ」


「踊らないか」

「踊れないわ」


「残念だ」

「残念ね」


「どうしたら踊られる」

「螺子が、捲かれたら」


「ネジ…?」

「謎かけよ」



示唆ヒントをもらえるかい」

「椅子の傍らにあるわ」

 不恰好な裸体の人形オブジェが床へころ轉がっている。


「“コッペリア”か」

 美しい人形のとりこになった恋人を取戻すため、少女スワニルダがすりかわるというバレエの筋書き。ただし、ホフマンの原作(『砂男』)はもっと陰惨だった。


「あたり」

 白蝋の手の蔭で密やかに朱唇が笑む。


「では、なにがもらえる」

 ひんやりした白めのう瑪瑙のような手を掴み、すんなりと立ち上がった体を引寄せる。


「なにがおのぞみ」

 繊細なおとがいに指をあて彼女を上向かせ、氷のようにひややかな唇に口づけた。



接吻ベーゼ一つ、螺子一捲き──」

 俄に身中に生じた火酒に似た熱さ故、


「──接吻二つ、螺子二捲き」

 渇きを癒そうとするように貪れば、


「百の接吻、果てるまで──

 水晶みたいに澄んだ声が戯れささやく。


「──千の接吻、永久に踊るわ」



 するりと彼の手を摩り抜け、猫めく琥珀こはくの瞳が見詰める。

 掴むと上衣うわぎだけのこされ、彼は己の醜態に舌打ちした。


「御覧なさい」


 身を翻した烏揚羽からすあげはの姿で群舞をよぎ過る。

 曲が絶え入り照明が落ちていく。彼女は肉体で出来た影絵の森に没した。


「…シャンブロウ…シャンブロウ」


 木々のざわめくように囁きかわす影が場所をあけた。

 ダンス・フロアは光の池を仄かにたたえる。


 彼女は巫女のよう臥して身じろがず、東洋風の弦音と歌声が綿々として流る。



 “瀕死の白鳥”の終幕のように臥した、彼女の姿は烏色した大きな揚羽蝶のようだ。


 ま白くあらわな左肩に描かれた、黒蜘蛛が命あるように蠢いて、手首や髪の細い金鎖は蜘蛛の巣のようだ。

 低く地に曳きずるようにゆるやかな舞い、たおやかなかいなのしぐさに金鎖のさやめき。

 蛇さながらのしなやかさで体をくねらせ、水さながらにゆるゆるとして身をもたげる。

 風に舞う木葉のような旋転にもすそ裳裾は翻り、蝉の羽の透けるように蘭麝らんじゃの黒髪が靡く。

 精妙なステップ足取りが妖しい蔓草模様アラベスクを織りなし、炎による輪を描いて呪禁じゅごんの罠をめぐらす。


 最後に、王侯貴族の前で踊り終えた、希代の舞姫のように優美な様で、深い御辞儀した。



「おくろう」

 雨は上がっていたが、湿った外気が肌をつつむ。


「遠慮しとくわ」

 嫦娥つきのひめは空にない。彼の投げかけた上衣から皓魄しろいつきの肩がさし覗く。


「また会いたい」

 顧みた瞳は琥珀ならず、射干玉ぬばたまの夜の闇である。


「気がむいたら」

 ものうい声だ。鈴をふるわすように小さく笑う。


「むかさせるさ」

 傍らな溝水の臭気に似たいらだちが滲む。


「ごきげんよう」

 射干玉の胡蝶が路地裏の闇の巣に溶ける。



 ──売女ばいため!


 何かを地べたにたたきつけたい気分だった。

 

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