プロローグ
ちなみに、私、元南中生徒会長な落窪柚子の役どころは、テレパシーと透視能力もちの覗き屋――もとい、ちょっと皮肉は傍観者だ。
「あふっ」
あんたは涙と欠伸を噛み殺した。
校長の挨拶はやたらに長ったらしく、
蚯蚓みたいに延々とごにょり、
魔法書の呪文みたいに眠気をさそう。
あんたの名前は戸田桔梗。
他中学から菖蒲学院高等部に新入学のさ中。
腰を過ぎる髪は馬のしっぽみたいに結わえられ、ポニーテールと呼ぶにはいささか無造作。
制服から覗く肌は蜂蜜色で、のびやかな手足ながら貧弱な胸してる。
野に咲く桔梗の花のようにと、親がつけてくれた名とは正反対。
はやらない道場を家にしたもんで、いつのまにやら武術を倣いおぼえ、親爺様に失策を嘆かせている。
こんなお上品ぶった学校より、もっと庶民的なのにしてほしかった。
親の思い入れなぞ厄介なしろもので、父親似の娘から亡き妻の俤が 偲べるもんか。
入学式に桜はつきものだが、此処は欝蒼たる樫に包囲され、壮麗な講堂は遥か頭上を、複雑な様式の円蓋が覆っている。
学校創立者の辻堂彩女は九十八歳まで、理事長室へ木乃伊もどきに棲息し、ようやく一昨年に完全乾燥なさった。
校史によれば、貧農の家に生まれた少女が、天涯孤独な西洋人のお邸に年季奉公し、聡明さに目を懸けられたやら、洋妾したやら、遺産相続人となったそうな。
邸はミッション系の女子校に転身したが、男女共学のいまなおその残り香を芬芬とさせる。
校名は彼女にちなんで菖蒲学院だが、“尼寺”とか“黒百合”修道院とかいわれる。
父の復讐のため狂気を装う王子は、心神喪失で唄いながら溺死する風流な乙女に、「尼寺へいけ」とのたもうた。
尼寺は隠語で女郎屋だそうだが、本校における売春行為は、他校に比べて多くも少なくもないから、何もそこまで勘繰らなくてよい。
かたや、校舎に隣接した森の何処かに、黒百合が群生するというのは、気候風土よりかんがみれば、いささか少女浪漫的な捏造臭い。
──fleur-de-lis──いちはつはアヤメ科の多年草、“百合の花”という意のフランス語だしするから、黒めな制服の連想から来ているのかもしれない。
貴族修道院を真似た造りな柱廊の林間を、黒っぽい制服の女生徒達の行き交う姿は、なんとなしに魔女めいてみえなくもない。
(柚子は、何処かいな)
式に遅れたあんたは手近な列に紛れ込んでいる。あんたはのびをして自分のクラスを窺った。
丈の高めな友人を見付けるのはた易い。髪はひっつめの三つ編みだし、お固さを強調するメガネも付随する。
(ちぇっ、寝てんだろ)
さも優等生然とすましているんで舌打ちする。
いわせてもらえば、この落窪柚子は正真正銘の優等生なのだ。
元南中生徒会長にして演劇部部長、眼を開けた儘の居眠りなぞ御茶の子である。
(面白そうなことないかな)
あんたは活発な眼といっしょに体も一廻りさせた。
テールが生き生きと跳ね、後列でさえ挙動が目立つ。
御蔭で校長は、話を切り上げるべき時期を悟った。
式が終わって列がくずれかける。
ふと、小柄で華奢な少女が、あんたの目に止まった。
(あれ えらくかわいい娘がいるな)
絹さながらの黒檀の髪をし、雪白の皮膚は透けるようで、唇だけ薄く血の色が差す。
伏せられた睫毛が天鵞絨のように濃かった。
(へぇ、羨ましかったりして)
そのおとなしげな少女にあんたは惹かれ、わずかばかりコンプレックスが疼いた。
無意識裏に、誰かに見られていると感じたのか、少女はつかのまだけ睛をさまよわせた。
あんたは我になくあわて、そしらぬ振りをする。
(クラスが一緒みたいだし、友達になれるかな?)
否、きっとそうしようと、決心を固めた。
まだ登場せぬ彼女、“黒百合”のマドンナ、もしくは“ルージュをひいた魔女”。
そう呼ばれる存在とかかわる、それがきっかけになろうとは、私やあんたに知るよしもない──。
ねらうところは現実とメルヘンとのオーバーラップ。
赤い靴、白雪姫、、眠り姫、人魚姫がモチーフ。