ガングロ白雪姫 中編
「そこ! もっと強く揉みなさい!」
「イエス・マム!」
「痛いわね! 力を入れ過ぎよ!」
「すみません!」
シャルル王子が森の奥深くの小屋に滞在を初めてから早ひと月。
今日も今日とて王子は名前も知らぬ口の悪い、それでもプロポーションだけは抜群の美女に奴隷のようにこき使われていた。
ある時は、
「なぁにこの生温い水は? 私は冷たい水が飲みたいの。さっさと汲み直して来なさい!」
と、水の入ったグラスを投げつけられ。
ある時は、
「窓枠のところとテーブルの下に埃が残っているわ。まったく、掃除もろくに出来ないのね!」
と、どこぞの陰険な姑のような嫌味を浴びせられ。
最初の頃はそれこそ、彼女の言い付け通りに働くのが精一杯で、それだけで毎日クタクタに疲れてしまい、失踪したこの国の美姫・白雪姫を捜すどころではなかった。
宿代が高くついてしまったのだ。
ちなみにこの小屋、もとは彼女の所有物でも何でも無く、元は七人の小人が住んでいたらしい。
そこへ先日のシャルル王子と同じように行き着いたのが彼女で、基本的にスケベ親父な小人たちは彼女の美貌に目が眩み、彼女の下僕と成り下がってしまった。
初日に顔を合わせ、事情を聞いた際にシャルル王子は彼らに同情を覚えた。
男の性に忠実であったが為に掛かってしまった落とし穴だ。
そうして彼女は小人たちとシャルル王子をこき使いながら小屋の前の定位置の安楽椅子で寛いでいる。
それも相も変わらず破廉恥な姿で。
きっと彼女は魔女なのだろうとシャルル王子は思った。
こういう森には魔女が住んでいるものだと相場が決まっている。
「マッサージはもういいわ。それより、お腹が空いたから何か料理を持ってきて頂戴」
「え?」
「え、じゃないわよ。ほら、さっさと持ってきなさい」
「イエス・マム!」
もう一ヶ月になるが、もともと人に傅かれる側の人間だったシャルル王子は小麦色美女に顎で使われるのになかなか慣れる事が出来ない。
それでもシャルル王子は精一杯、出来る限りの事をした。
食べ物を取って来いと言われ、小屋裏手にある食糧貯蔵庫を覗く。
しかしここで問題が発生した。
食料が無いのだ。
レンズ豆の一粒、チーズのひとかけらたりとも見当たらない。
どうするか?
何も無いと言ってこのまま手ぶらで買えれば、木偶の坊呼ばわりされる事は自明の理である。
森の外で買い出ししようにも、道が判らない。
かといって狩っていこうにも、この森の動物たちは警戒心が強いのか、シャルル王子の前には全く姿を現さない。
「こんにちは」
さてはて困ったとシャルル王子が無駄にウロウロしながら頭を抱えていると、嗄れた声がした。
振り向けば、萎びたような老婆が編み籠を片手に立っている。
「何の用だ?」
「綺麗なお兄さん、林檎をお一ついかが?」
何故こんなところにと、怪訝に思って眉間にシワを寄せるシャルル王子だっだが、鋭い目付きにも動じる様子も無く老婆は震える手で林檎を差し出してくる。
よく熟れた真っ赤な林檎だった。
ひと口齧りつけば、甘い汁が滴って落ちるに違いない。
ふと老婆の腰元に目を向ければ、提げている籠いっぱいに林檎が乗っている。
ちょうど食べる物に困っていた。
何てタイミングだろうか?
渡りに船とはまさにこの事だとシャルル王子は思った。
「一つと言わず、全部貰おう」
「イヒヒヒヒ……。まいど」
シャルル王子は軽い財布から硬貨を取り出し、老婆のしわくちゃの掌に落とす。
ここで油を売っていてはまた彼女に怒られててしまうと、シャルル王子は老婆の醜い笑いにも気付かぬまま小屋の表へと駆けていった。
「随分遅かったじゃないの」
「すみません。どうぞ、美味しそうな林檎ですよ」
シャルル王子が戻ると、意地悪美女は待ちかねた様子で身を乗り出した。
時折右手が平らなお腹を擦っている事から、単なる嫌がらせでは無く、本当に腹を空かせているのだと判る。
だが、シャルル王子の手元を見るなり、さっと彼女の雲行きが怪しくなってきた。
「は? 誰がこんなもの持ってこいって言った? 私はね、『料理』を持ってこいと言ったのよ? それを林檎をそのまま皮を剥きもしないで持ってくるだなんて、何を考えているのよ? 有り得ないわ」
「いや、でもせっかくこんなに美味しそうなんだから、ひと口くらい召し上がっては……」
「うるさいわね! いらないって言ってるでしょう! だいたい私はね、こんなちんけな林檎なんかじゃなくてお肉が食べたいのよ、お肉!」
「ふっ……クスクス。だっだら最初からそう言ってくれればいいのに」
いつものように口の端を曲げながら不平不満を喚き散らすヒステリック美女。
常ならばシャルル王子はそれに恐れおののいていただろう。
しかし、今回に限ってはあろう事か大笑いをしてしまう。
きらびやかな宝石が欲しいだの、新作ドレスを着たいだのとおねだりをしてくる女性は何度も見たが、肉を食わせろと大騒ぎするような女性にはお目にかかった事が無い。
童女のようで妙に子供っぽい我が儘で、それがシャルル王子には何だか微笑ましかったのだ。
城にいた頃に押し掛けてきた女性たちは、いつもそれはもうかなりの遠回しな表現でおねだりをしてきて、王子は彼女らをそれなりに満足させてきた。
だけど目の前にいる破天荒な彼女はいつも直球だというのに、何だって十分に応えてやる事が出来ないのか?
それから小一時間程シャルル王子はずっとくつくつ笑っていた。
直球で大暴投をやらかした肉食系美女がその間当然のように、気色悪いだの、変態だの、ムカつくだのと言っていたが、シャルル王子は全く気にならなかった。
結局、肉は小人たちが仕留めてきた。
――その夜。
「一つお訊ねしても宜しいでしょうか?」
「何よ?」
小人が狩ってきた猪で作った鍋をつつきながら上機嫌な彼女にシャルル王子は慎重に声を掛けた。
あまり好意的とは言えないその返事に若干戸惑いながら彼は続ける。
「何故毎日外でゴロゴロしておられるのですか?」
「ゴロゴロしたいから、じゃあダメかしら?」
意を決してした質問の答えがおざなりなもので、身も蓋もない発言にシャルル王子は返答に困る。
実は他にもまだ聞きたい事はあったのだ。
何故、外では裸同然の格好で寛いでいるのに、建物に入るときちんと着込むのか?
お蔭で見事な谷間が見えない。
衣服の生地が押し上げられているので、非常に豊かで夢いっぱいなのは服の上からでも判るが、見えるのと見えないのとでは大きな違いがある。
それは置いておくにしても、外では肌を晒し、屋内では服を着るだなんて丸っきり常識とは逆で、シャルル王子は腑に落ちなかった。
いっその事、屋内では裸族と言われた方がまだしも納得がいっただろう。
何故、今更服を着るのかがスケベ心を置いておくにしても気になる。
だが、このまま訊ねてみたところで、きちんと答えてもらえるのかは甚だ疑問である。
以上のような疑問、下心、懸念などがない交ぜになって、シャルル王子の胸の内で渦を巻いていた。
「分かったわよ。ちゃんと答えればいいんでしょう?」
結果、無言の抵抗を続ける形でシャルル王子にジーッと熱視線を注がれ、ついに観念した彼女が口を割った。
「肌を焼いていたのよ。世間での流行はオバケみたいな白い肌だって知ってるわ。だけど私はね、一度焼いてみたかったの。もともと不健康な白い肌より、健康的に日焼けした肌の方が好きだったから」
この時点で、シャルル王子は二つ目の質問を口にしないままでいて良かったと安堵した。
下手に聞いていたら、文字通りぶっ飛ばされていただろう。
だが、そんな安堵や安心も、続く彼女の言葉で吹き飛ばされる事になる。
「一度やってみたいと思ってたのよね。だけど城にいると色々人の目があって出来ないから、城を飛び出してきたのよ」
「……う、ん?」
つまり彼女は家出娘。
城を飛び出してきたなんて、俺と一緒だなと暢気に頷きかけたところでシャルル王子は動きを止めた。
何か重大な事実を見過ごしているような気がする。
城住まいという事は彼女は貴族女性なのか?
然りとて使用人という可能性もあるが、それにしては人使う姿が堂に入っているようにも見える。
「城では何の仕事を?」
「これといって特には……? たまに公務でパーティーに顔を出す程度よ?」
「失礼ですが、貴女のお名前は?」
「アレット・リウヴィル。皆には白雪と呼ばれているわ」
シャルル王子は頭上に巨石が落下したかのような衝撃を受けた。
「……ええと。俺の聞き間違いでしょうか?」
「何が?」
「貴女がかの有名な白雪姫なのですか?」
「だからそう言ってるでしょう!」
疑いの目を向けられて小麦色美女ことアレット姫は舌打ちをし、苛立った様子で叫んだ。
その正面でシャルル王子が額を押さえ、天を仰ぐ。
あれだけ捜し求めていた筈の白雪姫がここにいたのだ。
願いはとうの昔に達成されていたのである。
この一ヶ月間、互いに特に必要性を感じなかった為に互いの名前すら知らないままで来てしまっていた。
もっと早くに名乗りを交わすべきだったと、シャルル王子は今となっては何の意味も持たない後悔をする。
「俺は貴女を捜してこの森に入ったのですよ。――千年に一度の美姫と名高い貴女を。俺の名はシャルル・アルテュール・ラルカンジュです」
「貴方がラルカンジュ王国の……。ふふんっ」
神の導きとしか思えないと興奮気味に言って、シャルル王子はその場で祈りを捧げた。
そんな様子を見て、アレット姫も満更でもなさそうに小鼻を膨らませる。
例え家出娘であろうと彼女とて歴とした王族の端くれであり、隣国の王子の名前くらいは知っている。
未来の夫候補が自分に会いに遠路はるばる、こんな森に分け入ってまでやってきたとなれば、いかに暴君系姫様のアレッタ王女といえども、年頃の娘らしい感情を抱くものだ。
「……あれ? でもちょっと待てよ? 白雪姫って……」
のぼせ上がってしまいそうな喜びを噛み締めていたところで、ふと気付いたシャルル王子が独り言を呟く。
「白雪姫って色白じゃあなかったか……?」
隣国の白雪姫といえば、美人で気立て優しくて、聡明で、色白の娘だった筈だ。
穢れを知らぬ、新雪のような純白の肌は神の芸術とまで讃えられていた。
それが目の前の白雪姫は新雪というより、実りの秋を思わせる肌色をしている。
どう見ても色白とは言いがたい。
「……詐欺だ」
「ちょっと、失礼ね! 人がせっかく名乗ってあげたというのに」
「俺の白雪姫ちゃんが……」
「私は私のものよ。誰のものでもないわ!」
「俺の白雪姫……二つの白桃が……」
オーバーに嘆くシャルル王子に、白雪姫の機嫌は瞬く間に急降下した。
その横で、白桃は無いが黄桃はあると小人たちが囁きあっている。
「悪かったわね、黒雪姫に変身して」
「変身!? ……という事は、もとは白かったのですか?」
わざと険のある言い方で皮肉るガングロ白雪姫だったが、この時ばかりは逆効果であった。
肩を落として頭を垂れていたシャルル王子が一縷の希望を見つけてガバリと顔を上げる。
「当たり前じゃない! もとから黒かったら、わざわざあんな格好になってまで日焼けなんてしないわよ!」
「なんと、単なる露出狂ではなかったのか……」
「人を何だと思っているのよ、この唐変木! 痴れ者! バカホンタス!」
「ふむ……」
あらぬ誤解を受けていたと知るや否や、白雪姫は語彙の限りを尽くしてシャルル王子を罵倒した。
シャルル王子の驚愕は想像に難くないが、アレット姫も案外激しく心を揺さぶられていたのは、本人さえも気付かぬ事であった。
そんなだからこそ、シャルル王子の敬語がところどころ素に戻っている事にも当然気付かず、そんな両者を七人の小人たちが興味深げに、また微笑ましげに、そしてある小人はにやけ笑いを顔に貼り付けながら観察していた。