1‐5「弟は兄に魔法を教える」
「さて兄さん。もう一回言うけど次はそれを僕の小指くらいに千切ってみて」
俺は言われたとおり、にゅるにゅるの端っこを小指くらいに千切る。するとそれは俺の体から出てきて、俺の肉球の上で浮いて止まった。薄い青色をしている。
「兄さんは水属性が相性がいいみたいだね」
水属性か。水属性っていえばあの、○汁ぶしゃーってやるやつみたいな? 俺も学校の友人に教えてもらったくらいしか知識ないけど、有名らしいね。あのユルキャラ。いやいや、そんなことはおいといて。
「水属性?」
「その名の通り、水を操る属性のこと。水で防壁を作ったり、氷にして槍にしたりもできる。それから治癒も。万能だと僕は思うよ」
治癒力があるのは有名だよな。それから槍も。
「氷は水の派生魔法だから、そこそこの魔力がいるけど、兄さんほどの魔力の持ち主なら大丈夫だよ」
そう言ったユリスは手に炎を宿して見せる。その炎の色は青色。俺の知識によると、青色は赤よりも温度が高い物じゃなかったか?
「僕はこの火属性を主としてる。使いやすいんだ、これが一番。他にも一通り使えるけど、そうだな。兄さんは水属性だから、水属性の手本を見せるね」
俺は魔力を自分の中へ引っ張り戻すと、伏せの体制(これが一番楽なんだ)をして、しゃがみこんだユリスを見上げた。くん、と鼻が鳴ったのは無意識だ。
「まずは初歩から。さっきみたいに、小指くらいの魔力を捻り出す。そして頭でイメージするんだ。こう、水のイメージ。すると魔力は水の姿で目の前に現れる。こんなふうにね」
ユリスは手のひらに浮かんだ水を俺の目の前に持ってきた。純度の高い水。透明度が高い。これなら蛍も集まってくるだろう。
「俺も。ーー魔力を捻り出して、イメージ……イメージ……」
ううむ、と唸っている俺を見て可笑しかったのか、ユリスは笑みを浮かべていた。あ、できた。でも、すぐに弾けてしまった。
「兄さん、持続するにもイメージだよ。手のひらでとどまるイメージをするんだ」
結構疲れる作業なんだな。持続するにもイメージだなんて。でも、そんな何の疲労もなく力後使えるだなんて思ってはいなかった。大きな力を使うにはそれ相応の苦しみが必要だと知っているから。
俺は再び先ほど戻したにゅるにゅるを捻り出して、水をイメージした。先ほどと同じように肉球の上に浮かぶ。そして持続する、というイメージ。これは姿を思い浮かべるだけなので簡単だが、戦っている最中だとかには出来ない自信がある。
「できたね、兄さん」
ユリスは優しげな笑みを浮かべて俺を見ていた。そして、おもむろに口を開く。
「本当はね、兄さんには戦う術なんて知ってほしくはないんだよ。でも、兄さんはそれを望んでる。僕が守ってあげられるのに」
「ーーユリス。俺は男だ。今は犬だけど。それでも心は男であり、兄なんだ。弟に守られるほどヤワじゃないさ」
知っていて欲しいんだ、弟。俺は昔お前には何もできなかった。逃げようなんて言ってても、あの後に何もあてなんてなかったし、もし今の状態になっていなきゃ、お互い餓死してたんだ。俺はお前にできることをしたいんだ。お前に空を見せてやりたい。今も見えてるけど、俺が、胸を張って見せてやりたいんだ。俺は犬になってしまって、今はまだ弱いかもだけど、いつかは兄らしく、お前の前に立ちたいんだ。
ーーなんて。
少し照れくさくなって、俺達ははにかみながら、互いに視線をそらした。
「兄さん!」
突然ユリスが叫んだ。何事かとそらしていた視線をユリスに向ける。彼は真剣な顔をして、俺に魔法の練習は中止だと告げた。
何が起こった? 目の前のあれは何。空を覆い尽くすかのような黒い塊。あれは鳥? いや違う。龍。ドラゴンと呼ばれるもの。まさか。本当にいたのか。いや、ここはあの世界とは違う。あれがいたっておかしくはない。でも、早すぎはしないか。
それはとても大きく、子犬ほどの俺はその倍に大きく見えた。ユリスは血相を変えて俺を抱き上げると、近くの箱の中に俺を入れた。そして囁く。
「兄さんはここにいて。ここからでないで。僕が守ってあげるから」
さっきあんなことを言ったばかりなのに。俺が弟を守ってやりたいのに。それすらも許さないというのか。俺をこの姿に変えただけでは満足しなかったとでもいうのか。
「俺は神を呪う。あんたらを呪う。世界の断りを呪う」
俺の中でふつふつと何かが燃えていた。熱く、体を燃やしているのだ。一体この感覚は何。俺は今何を言った。俺ではない何かが俺の口を使って。そんなこと、今はどうでもいい!
弟を助けなければ。守らなければ。兄として。そしてーー。そして、何? 俺は何を言おうというの?
「いい、兄さん」
弟が離れていく。魔王といったって万能とは限らない。最強とは限らない。もしかしたらドラゴンの方が強いかもしれない。
ああ、離れていく。俺はどうすることもできないまま、ここで見てるだけ?
何かが俺の体を蝕んでいく。熱い。焼けるみたいだ。俺、このまま死ぬの?
「***ーーーーっ!」
俺は何かを叫んだようだった。それきり、意識はなくなった。