1‐3「兄は状況を受け入れる」
「ところでユリス。あのニイナって女の子は誰なんだ?」
「もしかして兄さん、惚れたの? ダメだよ! 僕以外を見るなんて!」
いや、見るも何も、ただ気になっているだけなんだけど。ユリスはぐいーっと俺のほっぺたを引っ張った。痛い、痛いって!
「ニイナは僕の双子の妹。まあ僕は妹なんて思ってないけどね。あっ、兄さんだけが僕の家族なんだからね!」
その台詞を犬に対して言うのはいかがなものかと。うわぁ、この人何言ってんのー、みたいな空気になるからやめた方がいいと思うぞ、うん。
「ユリス、そういう発言は控えよう。な?」
「えー。まあ兄さんがそう言うなら」
ユリスは俺に依存しているふしがあるよなあ。自立させてやりたいんだけど、今自立させられると、俺が困るし。この世界のこととか教えてもらわないと。
正直犬っころの俺なんてすぐに殺されてしまうかも。異世界って怖い。それにまだ夢だと思っている自分もいる。いや、夢だと思いたいんだ。
「兄さん。旅、しようか」
「ーー旅? いや、でもお前魔王なんじゃ。それにそんな急に旅なんて言われても……」
困る。旅。それはすなわちこの何も知らない世界で、死と隣り合わせになるということだ。
「魔王のことなら大丈夫。ニイナにでも任せばいいよ。それに僕、兄さんとこの世界を回ることが夢だったんだ。二人だけの道中で、美しい景色を見るんだ。素敵だと思うよね」
「ユリス?」
「僕は兄さんのいない世界に色なんてないんだよ。だから、色のある世界を見に行きたいんだ。兄さんと一緒に」
ああそうか。弟はずっと部屋の奥にいて、青い空を知らなかったんだ。やっと俺が見せてあげると思ったら、おかしな世界に来てしまって。それも俺は近くにいなくて。今なら、弟に青空を見せてあげることができるんだ。たとえ地球の空じゃないとしても、立派な空だ。見せてあげたいと思う。
「わかった。でも条件がある」
「条件?」
ユリスは首を傾げた。ユリスと旅をするのは別に構わない。でもいまの俺ではダメだ。ユリスの足を引っ張るだけになってしまう。それではまるでお荷物だ。そうはなりたくない。100年以上の差があるから、対等、とまではいかないかもしれないけど、それくらい強くなりたい。
「俺が強くなってからだ。自分の身を自分で守れるくらいまで。それでもいいか、ユリス」
「でも、僕が兄さんを……」
「それじゃあダメだ。俺が自分を許せなくなる。わかってくれ」
「ーーわかった。じゃあ僕が兄さんに魔法を教えるよ」
魔王が直々に魔法を教えてくれるらしい。最高の教師だな。あっという間に強くなれるかもしれないな。
「よろしく頼みます、先生」
「やだなぁ、兄さん。先生なんて呼ばないでよ」
ユリスは照れたように笑い、すぐに俺の背中に顔を埋めた。なかなかに可愛いところもあるじゃないか。いつも声だけしか聞けなかったけど、照れたときはこんなふうにしていたんだな。
そんなこんなで俺とユリスの旅計画は始まったのだった。それにしても俺、順応性高くないか? もう犬でもいいかって諦めかけている自分がいるんだ。これって補正、なのか?
そういや前に読んだあの小説の主人公も、無駄に順応力早かったしなぁ。ユリスはどうなんだろう。でも、すぐに順応する気がするな。人間不信にはなってそうだけど。
「ニイナだけどっ、入っていい!?」
唐突に部屋の扉がノックされた。そして勢いよく扉が開くと、ニイナが入ってきた。遠慮のかけらもない。いや、家族なんだから当たり前なんだろうか。ユリスは俺をこっそりと背中に隠すと、ニイナを見た。
「何の用ですか」
「あのねっ、今日の夕食上手にできたの!」
ユリスの表情はわからないけど、不機嫌なのは背中から伝わってきた。そんなにニイナが嫌いなのか。
「そうですか。ではすぐ向かいます」
「うんっ! なるべく早くよ? 冷めると美味しくないから!」
そう言うと、ニイナは鼻歌を歌いながら部屋から出ていった。前から思ってたんだけど、ニイナ(ちゃん?)ってテンション高いよなぁ。はっちゃけてるって感じだ。元気っていいね! って俺、何思ってんだろ。
「夕食らしいけど、兄さん、なんでも食べられるよね?」
それは雑食かって意味なのか? んん? まあなんでも食べられるけどさ。
「大丈夫」
「良かった。なら何か取ってくるよ。大人しく待っててね!」
そして数十分後、ユリスが取ってきてくれたのは、チキンのソテーだった。なにこれジューシーっ! すごく美味しかった。こんなメインなのもらってもいいのだろうか。なんて思ったけど、ユリスはすぐに食堂(?)に戻ってしまった。
「あ〜、言っちゃったか」
俺はひとり寂しくチキンのソテーを頬張った。溢れる肉汁がたまらない。人間だった頃は和食ばっかりだったから、新鮮な気分だ。ユリスも驚いたろうな。あいつは洋食の存在自体知らなかっただろうし。
ーー俺達は転生して、良かったのかもしれない。ユリスの幸せそうな笑顔も見れたしな。
「ーーご馳走様でした」
俺は襲い来る眠気に抗うことなく、意識を闇に落とした。