1‐2「兄は状況を受け入れる」
「教えてユリス。俺は今どうなってるの?」
俺は自分より上にある顔を見上げた。俺が変わってしまっているのも事実。俺だけじゃない。弟も。目の色も髪の色も。俺は今どうなってるのか。
「落ち着いて話せる場所に行こう。そのためにはあれを離さないとね」
ユリスはぴたりと歩くのをやめた。そして少女が追いつくのを見計らうと、振り返った。少女は息を切らせており、頬は赤らんでいた。ユリスは歩くのが速いのだ。
「はあっ、ユリス。やっと、追いついたっ」
「ニイナ、少し僕を放っておいて欲しいんですけど。それに汚らしくはありません」
「ーーえ?」
「汚らしくはないと言ったんです。僕がこれ以上お前を嫌いになる前にどこかへ失せてください」
俺へのフォローは一瞬。少女の顔は俺を睨みつけた。俺がユリスを奪ったと思っているみたいだ。俺からしては、彼女が一体ユリスとどういう関係なのかはわからないし、謝りようがないと思う。それに何を謝っていいかわからない。
「ニイナ、放っておいてください」
畳み掛けるようにユリスは言った。そんなに厳しく接してやらなくても、とは思う。でも、少女には悪いけど、俺は今の状況を知りたいんだ。
「うぐっ。わかった。ユリスがそこまで言うのなら、今は我慢する!」
そう言うと少女は走り去ってしまった。本当にユリスのことが好きなんだな。
「兄さん、何をほうけてるの。今の状況を知りたいんだよね。僕の部屋に行こう」
そう言えばここはどこなんだろう。路地裏みたいでもあるし、見方によれば、小道にも見える。
ユリスの部屋はここから近いんだろうか。
ユリスの部屋は思ったより近かった。というよりは、気が付けば、どこかの部屋の布団に寝かされていた。そこで俺はようやく自分の姿を見ることができた。今までなにかの布に巻かれていて見えなかったけど、俺の手は、犬のそれだったのだ。
「ユリス、これ……っ」
「動揺しないでよ、兄さん。僕も最初は驚いたんだ。起きたら全然知らない場所だし、兄さんの姿は見当たらないしで。発狂寸前だよ。それに、僕だって赤ん坊になってたんだ」
「赤ん坊?」
「そう。第一声がおぎゃー、だよ。あれは屈辱だったね。で、やっと16になって、兄さんを探しに行けるようになった」
待て待て待て待て。赤ん坊ってなんだ? それってまるで、転生した、みたいじゃないか! 俺も学校で友人に貸してもらって読んだことがある。なんでも事故か何かで死んだ主人公が神様に転生させてもらう話だ。でもまさか。俺達は事故にあったわけでもない。
「でも兄さん。これは転生なんだよ。僕らの時代、というより、僕らの世界では魔法なんてものはなかったでしょ? でもこの世界は違う。弱肉強食。食うか食われるかの世界。魔法だって存在する世界」
「ーー魔法」
「そう。話を戻すね。僕は16になって、兄さんを探す旅に出た。僕は離れてても兄さんがこの世界にいるって確信していたから。そして100年前、僕は森の奥深くで眠り続ける兄さんを見つけた。見つけて100年だから、兄さんはもっと眠り続けてたかも」
意味がわからない。俺がずっと眠ってただって? 100年以上も? しかも犬の姿で。ありえない。でも、もしここが本当にユリスの言うように魔法のある世界だったら、頷ける。
「僕は見つけた兄さんを家へと持ち帰った。誰にもバレないようにね。そして時折外に連れ出して、外の空気を吸わせていた。そして今日、兄さんは目覚めた。外の空気を吸わせて上げるために外に出たちょうどその時に」
ユリスは優しく俺の頭を撫でた。よく100年も待ってくれていたものだと思う。100年なんて俺なら絶対に待てない。ーーあれ、でも待てよ?
「100年も経ってるのに、どうしてお前は生きてるんだ?」
それも、若々しい16ほどの姿で。あの少女もそうだ。双子の妹と仮定しても、今を生きているなんて考えられない。
「僕はね、兄さん。魔族なんだよ」
「魔族?」
「そう。魔力の強い人族、なんて言った方が分かり易いかな。魔族、それも僕は上位魔族。100年生きるのなんて簡単なことなんだよ」
本当にこの世界はファンタジーだ。魔力に魔族。そして魔法。まさに小説のとおりじゃないか。そして俺は? 犬の俺はどうなのだろう。
「封印されていたんだよ、兄さんは。それはすなわち強い魔獣だってことだ。今は子犬の姿をしているけどね。大丈夫。僕が兄さんを守るから。これでも僕、『魔王』なんて呼ばれている存在なんだから」
魔王。また随分とクラスアップしたんだな。なんて、笑い飛ばすことしかできないよ。
「ユリス、お前、強くなったな。ーーもう寂しくはないか?」
「兄さんがいるもの」
「辛くはないんだな?」
「兄さんがいてくれるから。それに僕、辛いなんて、寂しいなんて思ったことはなかったよ。僕が一人でも、必ず兄さんが会いに来てくれたもの」
ユリスは犬の姿の俺を抱き上げると、膝に座らせた。暖かくて、気持ちがいい。弟は強くなっていた。俺がいなくても大丈夫だったんだ。
「兄さん?」
「……なんでもない。気にするな」
俺はユリスの頭を撫でてやりたかったけど、できなかったから、せめてものと、頬に肉球を押し付けてやった。