第三章 18
黒岩光代が36年前に父親から譲り受け、家族の歴史を捉え続けてきたカメラには今や骨董品の趣が漂う。機能的にはごく普通の一眼レフだが、資料室のスキャナでフィルムをデジタルデータ化する事により、手早く印刷可能だ。
撮ったばかりの記念写真を真希が人数分プリントアウトしていると、通路から轍冶が部屋へ入ってきて、一枚を手に取った。
「真希、これ、貰うぞ」
「……後で持ってくつもりだったのに」
「今回の勝負は俺とガンテツが要だ。早めに準備を整えておかねば」
家族が揃う写真を眺める内、轍冶の頬は微妙に緩み、少し痙攣した様にも見えた。
あ、オヤジ、笑ってやがる。
真希の胸に、半年前、父親のこんな顔を見た記憶が甦る。
「……なぁ、オヤジ」
「ん?」
「6月のさ、阪田さんが初めて家に来た時も機嫌よかったろ。あれ、何で?」
唐突な問いに、轍冶は少し首を傾げた。
「あれは……ホッとしてた。ナナの話だと今年の春、光輪が現れる筈なのに、無事に梅雨へ入ったから」
「もう、何も起きないと思った?」
轍冶はため息交じりに頷く。
「でも、悪い事ばかりじゃないよね。新しい仲間ができたし」
七海とも出会えた、と真希は心の中で付け加える。
「それに、今度の事が無ければ、俺は光代の病に気づかなかった。もっと長い間、あいつを一人で苦しめたかもしれん」
轍冶が付け加えた言葉には、苦く、激しい自責の念がこもっていた。
「……俺ぁ、鈍いから。昔から、救い様のない朴念仁だからなし」
うなだれる背中が小さく見える。
無口で頑固で、意地っ張り。ずっと理解できなかった父へ、この時、真希は初めて親近感を覚えた。
「……なぁ、オヤジ」
通路へ歩き出す轍冶に、真希はもう一度、声を掛けてみる。
「俺にも、オヤジや亜紀姉、美貴姉みたいな力、有るのかな?」
振り向く轍冶の表情は険しかった。
「どうしたら使える? 姉貴は死にかけで力に目覚めたんだろ。例えば、俺がわざと大怪我したら……」
迫る轍冶の拳が固く握られている。
ゲンコツが飛んでくるのを覚悟し、真希は足を踏ん張った。
「俺、どうしても強くなりたい!」
「小説書いて、家族の真実を残すのが、お前の戦いじゃないのか?」
「そんなんじゃ、七海ちゃんを守れない! VCのシミュレーターで特訓してもイマイチだし、今のままじゃ、俺……」
「このバカモンが!」
ゲンコツの唸る音がした。
今日だけは一歩も退かない。
目を閉じ、歯を食いしばる真希だが、お馴染みのゲンコツは顔の寸前で止まった。
「お前は……今のままで良いっちゃ」
恐る恐る目を開くと、轍冶の頬が緩み、ピクリと動く。
笑っている、この男なりに。
「強い力でしか作れない、戦う力でしか掴めない未来は、多分、何処かで間違ってる」
「……親父」
「弱い心が怯え、迷い、地べたを這って見つける光こそ、只一つの道標になる事だって有る。その繰り返しが俺の35年だ。どうしてもと言うなら、そういう強さ、お前は目指してくれ」
らしからぬ饒舌に唖然とする息子の肩を叩き、轍冶は普段の仏頂面に戻って、資料室を出た。
すると、通路の隅に七海が立っている。
「来宮さん、今の話、聞いてたのか?」
「写真の印刷を手伝おうと思ったら、先に部屋へ入る叔父様が見えて」
「……そう」
閉じたドアの方を徹治は振り返った。真希が追って来る、と思ったのだが、その気配は無い。息子は息子なりに、自身の思いと一人で向き合っているのだろう。
ちょっと困った顔になり、徹治は小さく頭を下げた。
「さっきはすまんかったな」
「え?」
「その……二人きりを邪魔したと言うか、何と言うか……」
困惑しきりの徹治を見て、キス寸前に大声を出した事を言っていると気づき、今度は七海が頬を赤らめる。
確かに間が悪かったけれど、特に不快でも無かった。
黒岩家へ接近する為、インプットされた偽物の記憶の中で、徹治には父親のイメージが重ねられ、深く刷り込まれていた。それが「作り物」と分かった今も、寄る辺の無い七海からすれば、彼が一番身近な「大人」に思える。
だから、素直に心を開き、
「強くなりたいと言った真希君の気持ち、私、良くわかります」
七海は、セントラル・ホールへ向う轍冶と並んで歩き始めた。
「私も、皆の役に立ちたかった。ここに来てからずっと、何もできない自分が辛かった」
「……何もできない?」
息子に接した時と同じ、しかめっ面寸前の極めてわかりにくい微笑を轍冶は浮かべる。
「役に立ってくれたっぺ、君は」
「え?」
「病室で、亜紀や美貴も言ってたろ? 真希の奴、ちっとは大人になったなし。あんたのお蔭だと思う」
「私、何もしてません」
「いや、親の説教なんかより何百倍も男さ、育てるモンだなや、初恋ってのは」
「……ええっ!?」
「色んな娘にフラれた奴が、初めて君に本気になった」
七海の頬が耳の辺りまで真っ赤に染まり、轍冶は恥じらう少女を眩し気に、そして懐かし気に見下ろす。
「ずっと真希の傍にいて欲しい。俺達には、あまり時間が無かったから」
「俺達? それじゃ、叔父様の初恋も、ナナさんだったんですか?」
思わぬ質問に轍冶は口ごもった。
僅かに引きつるその顔が、七海には十分な答えだった。
「……本当に似てるんですね、私とあの人。きっと違う生き方をして、違う人に惹かれた元は同じ、一つの心」
七海は小さく頷いた。
ある決意が、彼女の中に生まれた瞬間だった。
「約束します。私、真希君の傍にいる」
力強い七海の言葉が何を意味しているか、この時の轍冶にはわからない。
「何時までも、彼の傍で……叔父様とナナさんがそうだった様に」
言い終えると同時に七海は深く頭を下げ、ナナの意識が宿るコンピューター・ルームへ走り出す。
轍冶もガンテツが待つセントラル・ホールへ急いだ。
時刻は午後8時41分。
大空間転移のタイムリミットまで、既に3時間を切っている。
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