第三章 14
「さぁ、最高のクライマックスを見せてくれ給え、私の可愛い怪物さん」
頬杖をついたまま、死闘を続ける黒岩姉妹と嘗ての同僚を眺め、展望室で愉快そうに哄笑するβの声がPA用スピーカーから流れだす。
オペラの調べにも負けない大音量だ。
それを耳にし、わざと敵に聞かせているβの愉悦を分厚い窓越しに感じて、柘植統弥の自制心が砕けた。
「……怪物さん? 亜紀をそう呼んで良いのは、俺だけなんだよ!」
背負った米軍仕様のアリス・バッグから二本のM72を取り出し、内一本を肩に担いで統弥はトリガー・ボタンを押す。
インナー・チューブから飛び出す64ミリのロケット弾が展望室の窓を直撃し、爆炎を辺りへ振り撒いた。
やったか?
そう思ったのも束の間。窓を覆う超硬質ガラスに大きなひび割れが生じただけで、βは傷一つ無く、頬の冷笑も消えてはいない。
反射的に最後のM72へ統弥が手を伸ばすと、米倉が制止した。
「坊ちゃん、笠井さんがいます!」
ハッとした統弥の視線の先、展望室奥に笠井宗明の姿がある。ロケット弾で窓を突き破れば、機甲自衛隊の老将も即座に爆死するだろう。
歯ぎしりして、統弥はロケットランチャーを肩から下ろす。
ほぼ同時に銃声が響いた。
全身を長く伸ばした阪田が蛇のように亜紀へ絡みつき、その隙に美貴が姉のヘッドセット固定金具を拳銃で狙撃したのだ。
一か八かの荒療治。しかし、未来の技術を用いて作られたヘッドセットは多少傷ついた程度で、亜紀は力任せに阪田を振り払い、頭上高く持ち上げた。
ゆっくりと屋上の端へ歩き出す。
阪田の体を1200メートル下の海面へ落とすつもりらしい。
「……流石に、コレ……ペッチャンコじゃ済まないよね~」
阪田がもがいても、亜紀の指は万力並みで緩まない。美貴は背後から姉にしがみつき、ガムシャラに殴って歩みを止めようとした。
結局、どちらも無駄なあがきだ。
ポイッと阪田を屋上から投げ捨て、亜紀は妹へ拳を向けた。持ち前のスピードで逃れようとしても、嵐の連打を防ぎきれない。
不安定な体調のまま、美貴は床に伏し、姉の攻撃を受け続けた。
普通の人間なら即座に肉の塊と化すであろう猛威……狂犬の覇気も、誇りも失われ、只、本能のまま体を丸める。
何故だろう?
彼女は無意識に腹部を庇っていた。
何故なのか、自分でもわからない。
本能のまま、庇い続ける。他をどれほど痛めつけられ、意識が遠のいても……
「化け物、化け物、化け物っ!」
気が付いた時には、統弥は亜紀に向け、大声で叫んでいた。
絶対、彼女に妹を殺させない。
そう決意し、何が何でもこちらへ引き付けようとして、咄嗟に口をついて出たのが、この言葉だった。
13年前、黒岩真希誘拐事件の際に少女だった亜紀を傷つけ、統弥自身も死にたい程の自己嫌悪へ落ちて、別れのきっかけになったトラウマが蘇る。
隣で米倉が唖然としているが、構うものか。亜紀は、こいつを絶対に無視できない。
「……お前……嫌い、だ」
統弥の読み通り、攻撃の矛先は変わった。
こちらを睨んで猛ダッシュ。肩から突っ込むタックルは、黒革のセクシーな身なりに反し、交通事故並みの衝撃だ。
肋骨が何本かまとめて折れ、4トントラックに轢き逃げされるイメージを、統弥は自ずと脳裏に描いた。側で巻き添えを食っただけの米倉も、派手にぶっ飛んでコンクリートへ叩き付けられ、立ち上がれない。
「ん~、フィニッシュは何が良い? ルーテーズばりのバックドロップ? 掟破りの逆サソリ?」
隠れプロレスファンの亜紀がクラウチングスタイルで歩み寄り、痛みに呻く統弥を引き寄せる。
「……やっぱり……弓引く怒りのナックルパート、かしら?」
長年の罪悪感を晴らす前に、命を断ち斬る一撃が来るのを覚悟し、統弥は強く目をつぶった。
「フフッ、流石は亜紀。私の、一番のお気に入り!」
一方的な戦いの成り行きにβは歓喜し、展望室の座席で身を乗り出している。
先日のΔの死が、失調しかけていた彼の精神バランスを、完全に崩壊させてしまったのかもしれない。所作の一つ一つが狂気に満ち、乱れていた。
その無防備な背中に、笠井がいきなり体当たりを仕掛ける。
前のめりになったβが振り返ると、ホルスターに納めていた愛用の拳銃が奪われ、笠井の手の中にあった。
「……何をする、笠井君? 我々の信頼に泥を塗る気かね」
「信頼だと? ふざけるな!」
「ふざけているのは君の方だ。銃が私に効かないのは、重々承知だろうに」
「ああ。だから、こう使う」
笠井は強化ガラスのひび割れへ向け、拳銃を連射した。全てピンポイントの正確な狙撃で約10センチの穴が開くが、それまでの事。展望室の窓を砕き、突破口を得るには程遠い。
「余計なアドリブで、私の演出した一幕に水を差すんじゃない!」
尚も撃とうとする笠井の銃をβは奪い、首を締め上げた。万事休すと思われた時、意識を失いかけた老兵の頬に微笑が浮ぶ。
ハッとβが窓の方を見ると、そこに「黒いのっぺらぼう」が立っていた。
それはヒューマノイドの特殊能力を100パーセント使える状態へ姿を変えた阪田由久だ。亜紀に投げ落とされた際、腕と脚を長く伸ばして外壁にへばり付き、西側へ回り込んで展望室に忍び寄っていたらしい。
そして窓に穿たれた10センチの穴には、何時の間にか細長い触手と化した阪田の腕が侵入し、コンソールの端子へ指先を差し込んでいた。
「貴様、ハッキングしているのか!?」
βも腕を伸ばし、阪田を排除しようとするが一足遅い。電子回路へ流し込まれたデタラメなデータにより、計器が狂い、暴走を始めて、至る所に火花が散っている。
屋上の中心部では、轟音を挙げ、直径30メートルの坑井を塞ぐ巨大なシャッターが開き始めた。
同時に、統弥へ止めを刺そうとしていた亜紀からも悲鳴が上がる。
彼女を操っていたヘッドセットが、Jガイア・メインコンピューターの暴走に影響された結果、正常なコントロール機能を失ったのである。
愛する女の拳で頭蓋骨を粉砕される代りに、苦しげな絶叫をすぐ間近で聞き、統弥は両目を見開いた。
仁王立ちしていた筈の亜紀が、床に倒れ、のた打ち回っている。
ヘッドセットから、熱暴走に伴う煙が上がっていた。先程、美貴の銃撃を受けた固定部に緩みが生じている様で、亜紀は細いメタルリングへ指先をねじ込み、強引に引きちぎろうとしている。
「……ダメだ、亜紀、止めろ!」
統弥の声は届かず、苦痛に我を忘れた怪力が、頭部に突き刺さった金属針ごとヘッドセットを剥がし、投げ捨てる。
いびつにひしゃげた器具は坑井へ落ちた。その後、何の音もしない。
海面までの1200メートルに加え、さらにその下、日本海溝最深部までの8000メートルを垂直に落下。マントル層へ対流する灼熱のマグマに呑まれてしまったのだろう。
亜紀はまだ苦しんでいた。引き抜いた金属針の跡から血を流し、両手で頭を抱え込んだまま、うずくまっている。
「……亜紀姉」
倒れていた美貴が体を起し、亜紀へ近づこうとした。
その前に、統弥が亜紀へ寄り添う。
すると、彼女が口の中で呟く声が聞こえてきた。何度も、何度も、同じ言葉を繰り返している。
トウヤ……トウヤ、トウヤ……
か細い声だが、響きにデジャブを感じた。
13年前、弟を助ける為に戦い、変異していく亜紀を恐れ、統弥は逃げ出してしまっている。
あの時、振り向かず走り続ける統弥の背へ、亜紀は何度も叫んでいた。
彼女がどんな風に自分の名を呼んだのか、一度振り返っておけば良かったと、統弥は何度も悔やんだものだが、
「しっかりしろ、亜紀! わかるか、俺だ」
「……え?」
「柘植統弥! お前の上司で、幼馴染みで……え~、恋人だ、不倫だけど!!」
わめく勢いで呼び掛け、血塗れの長い髪に触れる統弥を、亜紀は虚ろな眼差しで見上げた。
やっと洗脳から逃れた代償に、精神が崩壊してしまったのかもしれない。
以前、『彼岸』のテロリストが幼児退行した姿を思いだし、統弥は身震いした。亜紀の肩を揺すり、繰り返し呼びかけ続ける。
その瞳の奥に、深い孤独の影が見えた。強くて奔放、一癖も二癖もあるタフな女捜査官の面影は、今や何処にも無い。
統弥が知る「黒岩亜紀」の何処から何処までが実体で、何処からが「普通の女」では無くなってしまった痛みを隠す、心の鎧だったのだろう?
長年の疑問が解けた。
亜紀は、こんな目で俺を呼んだ。
寂しくて、心細くて、今にも泣きだしそうな素顔のまま、俺の名を呼んだんだ。
「……もう大丈夫。俺は、もう何処にも行かない」
統弥が耳元で囁くと、亜紀は微かに表情を動かした。徐々にそれが笑顔の形を成し、虚ろだった瞳に感情の光が戻る。
「……亜紀は……亜紀の心は壊れていない。きっと、元通りになる!」
思わず叫んだ途端、大声に反応し、亜紀が統弥の体を抱きしめた。
感動の抱擁と言いたい所だが、彼女の意識が曖昧な分、腕力が過剰で、手加減が足りない。
先程受けた肋骨のダメージに加え、グキッと腰骨がずれるのを、統弥は感じた。
まぁ、これで少しでも俺の罪が償えるなら、安いもんか……
この上ない激痛と、胸に満ちた幸福感が相半ばする不思議な感覚の中で、統弥の意識が遠のいていく。
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