第三章 1
今回から最終章に入ります。
散りばめてきた糸が一つに紡がれ、黒岩家の面々が何処へ向かうのか、良かったら見届けてやって下さい。
1999年9月21日……
世界のルールが根本的に変わってしまった後でも、人々の日常を構成する営みは止まらない。
寝ぼけ眼をこすって起きだし、朝のバラエティ番組の「今日の運勢」を見て一喜一憂した後、職場へ向う乗車率200パーセントの満員列車の中でストレスを倍増させる、そんな日々の繰り返し。
株式市場も普段通りだ。
既に開いている海外マーケットにおいて恐慌の兆しは無く、為替がやや円安方向へ振れているものの、経済に大きな波乱は無い。
いつも通りの朝から、いつも通りの正午を迎えた東京は長閑だった。違う物と言えば街全体を覆う重苦しい不安感のみである。
地球全土が、正体不明の侵略者の手で制圧されてから、この日で既に二か月余り経過していた。
月の裏側から圧倒的な数の宇宙艦隊が突如出現した時の恐怖と戦慄は、今も人々の胸に深く刻まれている。
『彼岸』の一味を名乗ったおよそ300隻の戦闘艇は、10隻程度に分かれて地球の大気圏を突破。ニューヨーク、北京、モスクワ等の主要都市上空へ現れ、ごく短期間の戦闘で圧倒的力量を見せつけた。
長い冷戦時代に進化を重ねた最新鋭兵器は、兵士の奮戦にも関わらず、敵機にかすり傷一つ負わせることができなかった。
その際、大国の戦略的防衛システムは、全く力を発揮していない。
『彼岸』の艦隊は最初に軌道上の監視衛星を破壊、或いは監視システム自体をハッキングして、防衛する側の目を奪っている。
そもそも想定外の攻撃に対しては緻密なシステムほど脆さを露呈するもので、対抗策が何一つ無いと認めてしまえば、何処の国も降伏を選ぶより道は無かった。
無駄な抵抗をする余地が無かった事は、結果として社会インフラの被害規模を最小限に止め、しかもベクターΔ(デルタ)と名乗る敵司令官から何ら具体的要求が無かった為、少なくても外見的には世界中の如何なる国でも、大きなパニックが発生していない。
だから、この東京でも、取り敢えず普段通りの日常を維持できているのだが、思えば、奇妙なインベーダーである。
その正体が何者であれ、ただ統治機構の頂点に立つのみで、実務面を従来の政府に任せきっている。
侵略に伴う略奪の類も一切無し。何の狙いがあって地球を制圧したのか、それすら皆目わからない。
襲来した艦艇は全て人口知能を備えた無人機であり、操る侵略者はΔと、数十年前から人類社会へ潜入していた仲間βだけしかいないという噂も流れていた。
だとすると、ベクターはたった二人で、如何なる歴史上の権力者も果たし得なかった地球制服を成し遂げてしまった事になる。
君臨すれど統治せず。立憲君主制とは根本的に違うものの、彼らの姿勢はこの一語に尽きた。
又、βとΔの新たな最高司令部は、ワシントンでも永田町でもなく、宮城県沖のアビシューム発掘プラットフォーム・Jガイア施設内に設けられており、『彼岸』の艦艇も主力はそこへ配置されている。
アジアのちっぽけな島国に対する侵略者の異常な拘りは、他の理解不能な言動と相俟って、人々の胸にわだかまる不安の源泉になっていたのである。
そんなある日の午後、東京都道405号、通称・外堀通りを、一台のワゴン車が走っていた。
派手な塗装から見るに、大手コンビニ・チェーンが高齢化社会に備え、試験的に始めた弁当の宅配サービス専用車であるらしい。
道が空いているから、四谷から市ヶ谷方向へ車は軽快に速度を上げた。
自衛隊市ヶ谷基地の手前を通過すると、固く閉ざされた門と上空に駐留する『彼岸』の中型戦闘艇が見える。日本国が無条件降伏し、占領下にある現実を、厭でも思い知らされる光景だ。
「……宇宙からの進駐軍、か。俺が生きている間に、もう一度、こんな光景を見る事になるとはな」
ワゴン車の助手席にいる配達員が、市ヶ谷基地を横目にポツリと呟く。
高齢者に食事を届ける役割としては、彼自身、かなりの年配だった。おそらく70代に達しているであろう年輪の刻まれた横顔に、不敵な笑みが浮かぶ。
「まぁ、空襲で焼け野原にされなかった分、マッカーサーが乗り込んできた時より、幾分マシかもしれんが」
「後が怖いですな」
運転席でハンドルを握る男も、60才は過ぎている。
「米倉君、今日の配達、次で終わり?」
「ええ」
「久しぶりにまともな仕事をしたが、良いものだな。届けた先の人々が素直に喜んでくれて、労働の充実感がある」
「私ら、生き方、間違えましたかね?」
「お互い、世間の表街道へ背を向けてきたからな」
運転席の男がニヤリと笑った。その言葉に反し、彼の表情には後悔の欠片も感じられない。
「最後の配達、行きましょう」
「いよいよ、か」
「……キャップの息子さん、見つかると良いんですが」
「笠井君の部下から得た情報だ。その点は心配していない」
助手席の男が懐へ手を入れ、年代物の小型拳銃、マカロフPMに銃弾が装填されているのをチェックした。
太平洋戦争終結後、日本軍の諜報員から米国の雇われスパイに転じ、実績を上げて日本の諜報組織を再建する任務に抜擢されるまで、何度も彼、柘植壮介の命を救ってくれた愛用の銃である。反動が少ない分、体力が落ちた今の彼にも扱いやすい。
「全く、あの頭デッカチのバカ息子……いい年して、世話がやける」
「フフ、本音は可愛いんでしょ、キャップ。何しろお年を召した後、授かった長男坊ですものね」
「一応、この不良爺ぃに孫の顔を拝ませてくれたし、な」
市ヶ谷見附を過ぎた所で、ワゴン車は右折し、緩やかな坂を上り始めた。間も無く閑静な住宅街へ入り、まだ真新しい賃貸マンションの駐車場で停まる。
ここに元警察庁警備局外事情報部の柘植統弥警視正がいる筈だ。おそらく、敵に洗脳されたままの状態で。
読んで頂き、ありがとうございます。




