第一章 3
超肉食系の娘が彼氏を家へ連れて行くみたいですが……
その「家」には秘密があります。
昭和のホームドラマ的な展開の中に、秘密の鍵を幾つか忍ばせてみました。
その辺も含めて、お楽しみ下さい。
大田区根黒島は昭和14年に埋立て地として誕生した人工島で、戦中戦後を通じ、京浜地帯の町工場のメッカとして日本の発展を支えてきた。
昭和19年の東京大空襲で一度焼野原になり、その後、昭和39年に発生した「大鋼人事件」で島の形が変わる程の損害を受けた後、官民合同のプロジェクトによって本格的な再造成が行われ、今日に至っている。
基本的に工場ばかりで住民はいない町なのだが、海に面し、爽やかな潮風が漂う三丁目界隈のみ例外で、その中心に位置する黒岩製作所は職場と家屋が一体化している。
約三百五十坪の敷地に事務所を兼ねた一軒家の他、職場となる施設が二つ。
一つは敷地の東側、海をまたいで羽田空港を見渡す位置に、「ガンテツ工房」と従業員が呼ぶ製品開発・カスタムメイド品のチューンを行う大型ドッグ。
もう一つは、事務所を兼ねる黒岩家の母屋と向かい合う形で建つ一般作業棟だ。
今日も今日とて、その作業棟の片隅では、昼下がりの強くなってきた西日を窓越しに浴び、黒岩轍冶が仕上がった部品の加工精度を確認していた。
トレイに積まれた完成品の中からランダムに数個つまみ、ノギスを当てて、一睨み。問題ないとなれば、次のトレイからつまんで繰り返す。額に汗を滲ませ、眉間に険しく皺を寄せた轍冶の気迫は、近づきがたいオーラに満ちていた。
とは言え、今、轍冶の周囲に元より従業員の姿は無い。
ちょうど3時の休憩時で、ここで働く五名全員が入口のシャッター近くに置かれたテーブルにつき、ノンビリお茶を飲んでいる。
「あ、あれ、僕がやった奴……」
ハイ・スチームエンジンに使用するアビシューム製シリンダーを轍冶がつまみ上げると、25才の新入りで職場最年少の真壁茂が頬を引きつらせた。上司に何を言われるか、不安で気が気じゃないらしい。
「コラ、シゲル、見ンじゃねぇ」
「こっちは正当な労働者の権利でお休みしてんだ。アッチのペースに巻き込まれちゃいけねぇや」
働き盛りの三十代コンビ、トクさんとタケちゃんが、正面のシゲルに向け、押し殺した声を出す。
「……アッチのペース?」
「ウチの社長ってのはな、機械いじりが死ぬほど好きで、働くのは趣味、生きがいと、本気でのたまう御人だ」
「同じ気合で仕事してたら、コッチは体がもたねぇ」
「そんだけの給料、もらってないしよ」
ごつい体のトクさんが無精髭をいじりながら呟くと、痩せぎすのタケちゃんはガイコツさながらに前歯をむき出して笑った。
「そろそろ良い年ですし、あの人もペース配分を考えるべきなんですけどね」
一際おだやかな声を出したのは、職場の良心、46才のポッチャリ型で、二人の子持ちのツネタさんだ。
その隣にいて、紙箱から大福を取り出し、皆に配っていた最年長のアカネさんが、轍冶の方へ声を張り上げる。
「社長、アンタもそろそろ休みなよ。ホラ、筒井工機の部長さんが持ってきた塩大福があるんだ」
塩大福という言葉に、轍冶は微かに反応した。
「塩大福……巣鴨の?」
「そう、とげぬき地蔵の通りにある店」
ほんの一瞬、後姿に迷いが感じられたが、結局、轍治はノギスとシリンダーを手放そうとはしなかった。
「このトレイの検査が終ったら、頂く」
「無くなっても知らないよ」
「もうすぐ娘達が帰ってくる。それまで、今日の分に目途をつけたい」
「あ、そういえば今日は……」
「ああ」
チラリと振り向く轍冶の顔は、ほんの少し緩んだように見えた。
「……笑った」
「え?」
「今、笑ったよね、社長」
アカネさんの問いかけに、トクさん、タケちゃんは、目を丸くして頷く。
「あの……今日は特別な日なんですか?」
「そう言えばシゲル、ギャロップからウチへ出向してきて、お前、まだ半年経ってないんだったな」
「はい」
「毎年、六月、黒岩家には大事な記念日があるンよ」
「……記念日?」
どう説明しようか迷うトクさんに代わって、ツネタさんが後を続けた。
「社長と奥さんの誕生日が両方とも六月、おまけに二人の結婚した日も六月なんです。
で、結婚記念日にまとめて祝うと家族で決めて、その日は家を出た長女の亜紀さん、次女の美貴さんも戻ってくるそうですよ」
「もっとも、美貴ちゃんは二年前に社長と大喧嘩したから、去年は帰らなかったんだけどね」
「あのオヤジも、あれなりに娘は可愛いんだろうな」
「美貴ちゃんとも仲直りする気なのさ。だから、しかめっ面が出てこないよう、今から意識して笑ってるんだ」
「結構、可愛いトコ、あるよな」
古株の従業員四人が、社長の後姿を見守る目は暖かかった。危険物か、珍獣みたいな言い方をされる割に、ここの上司は部下に愛されているらしい。
でも、まだ茂は首を傾げていて、
「あの……今の社長、本当に笑ってるんスか? 僕には、眉間の皺がちょっと浅目ってくらいにしか」
「シゲル、そりゃお前、人を見る力って奴が足りねぇよ」
幼子を諭す口調で、タケちゃんが言う。
「……まぁ、社長はいつも怒った顔なんで、それより少しマシですけど」
「いつも怒ってる? アンタ、それこそ浅はかな見方ってモンだ」
「あ、アカネさんまで、僕を馬鹿にする」
「馬鹿にしちゃいないよ。あの人が怒る時はそんな甘いもんじゃない」
「まず言葉が変わるんだよな。社長、東北の出なんだが、ムカついてくると、お国訛りが飛び出す」
「そうそう。そいつが嵐の前触れさ」
アカネさんの声のトーンがぐっと低くなり、茂は思わず身震いした。その隣で、ツネタさんが遠い目になり、しみじみと頷く。
「昔、馴染みの鉄工所が地上げを食らった事があって、その時、ガンテツさん、仕掛けた暴力団の事務所へ乗り込んだんですよ」
茂の脳裏に、着流し姿で日本刀を背負った昔のやくざ映画ばりの轍冶の姿が浮かんだ。
「暴れたんですか? ヤッちゃん相手に」
「い~え、その代り一歩も引かない直談判で、鉄工所を守ろうとしたんです。相手の組長が指を詰めろって脅したら、社長はスックと立ち上がり、事務所の壁に飾られていた日本刀を抜いた」
「……寄らば、斬るゾ、ですか?」
「刀を床に突き立てて、俺の首をくれてやるって啖呵を切ったのさ!」
ツネタさんの話に割り込むアカネさんの頬は、少し紅潮していた。現在70才にして現役旋盤工のアカネさんの、その時の表情はまるで乙女のようだった。
「指先は職人の宝。磨いた技は死んでも渡せねぇが、命は手前らの好きにしろってさ」
「……マジ!?」
「気合に呑まれて、相手の親分、すんなり示談に応じたそうだよ」
「随分、丸くなったよな、この頃は」
「鬼みたいに怒ったのは、あの時が最後ですかね? ホラ、真希ぼっちゃんが大変な目にあった、12年前のあの事件……」
トクさんとタケちゃんの、息をのむ音が聞こえた。
アカネさんは目を伏せて沈黙し、話したツネタさん自身、ハッとして掌で口を塞いでいる。
おそらく従業員の間でも、長らくタブーとなっていた話題なのだろう。
茂もそれ以上聞けず、仲間達は無言で大福を口に詰め込んでいく。
その間、轍冶は黙々と作業に没頭していた。極めて微妙な笑顔らしきものを、意識してその顔に張り付けたままで。
もし耳を澄ませたなら、この時、耳障りな唸り声を聞く事ができた筈だ。
そして、それこそ古株の従業員達でさえ覚えのない珍事……かつてないほど上機嫌な、頑固社長の鼻歌だったのである。
読んで頂き、ありがとうございます。




