竜を殺す国
竜妖精が崇められる王国で、王太子の婚約者となった公爵令嬢は高い能力で次期王妃として信頼されていた。身のほど知らずにも王太子に近づこうとした平民聖女を、公爵令嬢は弁舌でもって追い払うのだった。
デボラ・カルデコット公爵令嬢は悪役令嬢である。
ということを、当の本人であるデボラは知っていた。なぜならデボラには前世の日本で生活した記憶があって、その記憶の中にこの世界を舞台にした乙女ゲームの知識も含まれていたからだ。
舞台はディンブルビー王国。北側には偉大なる竜妖精の住まう山があって、その山から流れてくる長大な河川からの恵みによって豊かさを保っている国だ。
竜妖精は、ちょうど国王の次代と同じ年代に次期国王の伴侶として一人の女性を選ぶ。その女性は竜刻と呼ばれる聖痕を持っていて、王国では竜聖女と呼ばれている。竜聖女は国を守り、富ませる女性として生まれに関わらず王妃として尊ばれる。
ときには、王家の意向であったり権力争いなどによって、竜聖女が王妃になれなかったり亡くなってしまうこともある。そういうときには竜妖精は怒りを露わにして、山から流れ出る大河は繰り返し洪水に見舞われるのだった。
そんな国で、デボラは竜聖女でもないのに八歳の頃から王太子の婚約者に選ばれた。
これは、まだ前世の記憶を思い出していなかった頃のデボラが王太子に一目惚れして婚約を切望し、娘を溺愛していて無駄に辣腕である父公爵が本当に王太子との婚約を取りつけてきたことによるものだ。デボラが前世の記憶を思い出したのは十歳の頃なので、そのときにはもう手遅れだった。
今さら公爵家から婚約を辞退することはできなかった。
聖女信仰の根強いこの王国で、父公爵がデボラを王太子の婚約者にするために本当に色々なものを引き換えにしたことを知ってしまったからだ。デボラが婚約者を辞退することはすなわち公爵家の没落を意味したし、公爵家が没落するということは公爵家の家族ばかりかその使用人や役人や兵士たちまでもが路頭に迷うことを意味していた。
いまだ現れぬ竜聖女様こそが王太子の婚約者になるべきだ、と貴族や官僚たちが叫ぶ中で、デボラは戦うしかなかったのだ。
デボラはまず、何よりも先に自分の有能さを示すことにした。
前世の知識を活かして次々に便利な魔道具を作り、その利益で巨万の富を得た。同じく前世の知識から新しい法制度を提案し、貴族や官僚たちからの信頼を勝ち取っていった。
二年、三年と経つうちに少しずつ竜聖女を推す声は小さくなり始め、デボラこそ王太子の妃に相応しいとの声が上がるようになった。
竜聖女派よりもデボラ派が完全に上回るようになった頃、王国の辺境の村で竜聖女が見つかった。はっと眼を惹くような、それはそれは美しい少女だった。
竜聖女の名前はエルシーと言った。
竜聖女は本来であれば王太子の婚約者になるはずの女性である。王太子にはすでにデボラという婚約者がいたが、全くの没交渉も不味かろうという上層部の考えによりエルシーと王太子は交流するようになった。
そこで、デボラにも予想外のことが起きた。今までデボラと無難な婚約関係を築いていたはずの王太子が、あっという間にエルシーに傾倒するようになったのだ。
エルシーは前世の三文小説で読んだような、王太子の婚約者を貶める性根の悪いヒロインには見えなかった。けれど、このままエルシーと王太子の仲が深まっては、いずれ王太子とデボラの婚約は解消されてしまうだろう。
デボラの破滅は、すなわち公爵家の破滅だ。無理に無理を重ねてデボラを王太子の婚約者に押し込んだ父公爵は、デボラが王太子の婚約者から外れれば立場を失ってしまう。
けれど、デボラには秘策があった。前世の記憶にある乙女ゲームの知識を存分に使うことにしたのだった。
「デボラ様、よろしいでしょうか」
デボラが策を練っていたある日、デボラはエルシーから声をかけられることになった。
デボラがエルシーを見返す。きつい顔立ちの自分とは対照的な、男の理想を詰め込んだようなふわふわとした印象の少女だった。
竜聖女であるとはいえ、王太子の婚約者ではないいまのエルシーは微妙な立場だ。
本来であれば竜聖女として認められた段階で王族と同等の身分であるはずだが、デボラを次期王妃に推す派閥にとってエルシーは邪魔な存在でしかない。そしていまの段階では、すでに竜聖女派よりもデボラ派のほうが多く、竜聖女は随分と軽んじられている。
竜聖女であるという特殊な事情を取り払ってしまえば、ただの一介の村娘でしかないエルシーは、手の震えをもう片方の手で隠しながらデボラに話しかけた。これでは本当に自分が悪役だなと思いながら、デボラは答えを返す。
「何かしら、エルシーさん」
本来であれば、公爵令嬢が竜聖女を様付けで呼ばないのは不敬に当たる。けれど、王太子の婚約者であるデボラは意図的にエルシーをそう呼んだ。立場を譲るつもりはないと言外に示すためだった。
その意図を読み取ったのか、エルシーが顔を強ばらせる。けれどエルシーは退きそうになった片足を踏み留めて、口を開いた。
「最近では、北の竜妖精様を忌まわしい邪竜であると嫌う声がちらほらと聞こえております。デボラ様は何かご存知でしょうか」
「あぁ、そんなこと」
デボラは、次期王妃として訓練された完璧な角度で微笑んだ。
「みなが噂しているのは知っております。わたくしも同意見ですわ」
「そんな!」
思わずというように、エルシーが声を上げた。デボラについていた護衛たちが剣の柄に手を置くのを見て、ひっと引きつった悲鳴を上げる。
それでもどうにか、エルシーは声を絞り出した。
「そんなの、竜妖精様に不敬です! 竜妖精様はこの国を守り富ませてくださっておりますのに」
「そもそも、竜妖精がいなければ大河の氾濫も起こりません。竜聖女が王妃でない時代は洪水が頻発すると言われておりますけれど、自分の思い通りにならなければ災害を起こすだなんて、邪悪な存在であると言わずに何と言いますの」
「なんて酷いことを……」
エルシーは絶句したようだった。くるくると表情を変えるエルシーに見せつけるように、デボラは一つの隙もなく微笑む。
「そもそも、今まで竜妖精に頼り切りで竜妖精の望むがままになっていたのが問題だったのです。飼い殺されることなく自分自身の手で活路を開いてこそ、人間はますます発展していけるでしょう」
気づけば、相対する二人の周りを他の生徒たちが囲んでいた。
もちろん根強く竜妖精を信仰しているものもいるだろうけれど、デボラの意見に頷いているものもいる。少しずつでも取り込んで行ければそれで良かった。
「何もかもを切り崩していくことが良いことだとは思えません」
「聖女様らしい、お優しいご意見ですわね」
負け惜しみのようなエルシーの言葉を、デボラは余裕の笑みでいなした。周りからは、幼い考えを持つエルシーと王国の未来を見据えているデボラという印象が残っただろう。
それからは、明らかに状況がデボラの有利に傾いた。エルシーは竜妖精の尊さを説いているようだけれど、一部の熱心な信仰者を除いて耳を貸すものはどんどん減っていった。
デボラには前世の乙女ゲームの知識があったから、悪役令嬢が勝利する特殊ルートで、竜妖精討伐のシナリオがあることを知っていた。そのルートを狙って、デボラは少しずつ周囲に竜妖精への悪感情をそうと知られないように植えつけていた。
長年王国を支配していた竜妖精を人びとが力を合わせて討伐することで、王国の新しい歴史が幕を開けるのだ。
竜妖精への信仰が薄れれば、竜聖女の価値も軽くなる。いつからかエルシーの周りにはほとんど人がいなくなり、そのタイミングでデボラは父公爵に王太子とエルシーの仲が不適切であることを報告した。
エルシーは、王太子と公爵令嬢の婚約を阻害しようとした罪で王都から追い出されることになった。王太子は少しだけ未練ありげだったけれど、これ以上公爵家からの反感を買うことを恐れたのだろう、黙りこくったままだった。
そうしてデボラは、人びとを鼓舞して邪悪なる竜妖精を打ち倒した正義の令嬢として称えられることになる。
***
さて、そんな経緯でディンブルビー王国の王都から追い出され、ついでに王国からも逃げ出したエルシーは、数年後に新聞のとある記事で眼を止めることになる。
そこには、ディンブルビー王国の土地が竜妖精を討伐以来どんどん枯れてしまって国が貧しくなっていること、貧しさに耐えかねた国民たちがたびたび暴動を起こしていること、行方不明である竜聖女の捜索が本格的に始まったことが書かれている。
「あら、まぁ」
暢気な声をあげて、かつて竜聖女と呼ばれていたいまはただのエルシーは首を傾げた。
「竜妖精様を不遜にも討伐せしめたことは知っていたけれど、あれほど自信ありげに話されていたのだから討伐後の魔力や栄養の枯渇も対策しているのだろうと思っていたのに、どうしてこんなことになっているのかしら」
本当に不思議で、エルシーは疑問を口にした。
そもそも竜聖女であったはずのエルシーが軽んじられ、挙げ句に王都から追い出されたのは、元々王太子の婚約者であったデボラが類を見ないほどに優秀だったからだ。言ってしまえばただの田舎娘でしかないエルシーよりも、極めて優れた能力と後ろ盾を持っているデボラが王妃になったほうが国が豊かになると思われたのだろう。
エルシーにしても、デボラが自分よりもずっと優秀であることに疑問の余地はなかった。だからそれだけに、デボラ本人やデボラの派閥が竜妖精を軽んじる傾向があったことに不安を抱いていた。
とはいえ、王都から追い出されてしまえば一介の村娘であるエルシーに為す術はない。デボラはたいそう優秀だそうだから、仮に竜妖精を排除したとしても国を豊かに保つ策があるのだろうと思い込んでいたのだ。
何しろ竜妖精を排除すれば、国が干上がるというのは最初から眼に見えていたので。
竜妖精は王国の北にある山を陣取っていた。そしてその山からは、国全体に広がるような大河が続いていた。
つまり竜妖精の持つ莫大な魔力が、竜妖精が住まいにしている山、その山から川にしみ出して、国中に走る大河を通じて国全体に広がっていたのだ。あの王国が周りの他の国に比べて段違いに豊かだったのは、竜妖精の魔力の恩恵を受けていたからだった。
その竜妖精を討伐してしまえば、国が干上がるに決まっている。だから討伐する前に、きっと何かしらの対策をしていたのだろうと思っていたのだけれど。
「何にも考えずに討伐したってこと? ……あの優秀な公爵令嬢様に限って、まさかね」
きっと、竜妖精を討伐して一時的には国は平穏になったはずだ。
ディンブルビー王国は豊かではあったけれど、竜妖精の影響でとにかく水害が多かった。その水害を鎮めるために、王国は竜妖精の選んだ竜聖女を王妃に据え続けてきたのだ。
きっと竜妖精を討伐したあと、大河の水位は随分と下がっただろう。水位が下がれば、水害だって起こらなくなる。人びとは大喜びしたはずだ。
それと引き換えに川は栄養を運ばなくなるし、元々細かった川はあっという間に枯れて消えてしまっただろうけれど。
ただの村娘でしかなかったエルシーがこれだけの知識を持っているのは、エルシーの祖母が王国の元魔法師団長だったからだ。
エルシーの祖母は元は王国のとある高位貴族の庶子であったそうで、非常な魔法の才能を持っていた。庶子だからとさんざん蔑んできたのに力量を認められて魔法師団長に据えられたとたんに実家が無理な縁談を持ってきたものだから、何もかも放り出して当時の恋人と駆け落ちして辺境の村まで逃げ延びたのだという。
エルシーの生家には、もともと祖母の私物だという魔法書の類いが山のように保管されていた。すでにエルシーの両親も亡くなっているから、祖母の持っていた魔法書は丸ごとエルシーの空間収納に保管されている。
エルシーの魔法の知識は、ほとんどがそこから得たものだ。
魔法が得意で良かった、とエルシーは思う。荷物はほとんど空間収納に入っているからいつでも身軽に移動できるし、何しろどこに行っても食いっぱぐれることがない。
読み終わった新聞を空間収納に入れて、エルシーは立ち上がった。
エルシーがいまいるのはディンブルビー王国の隣の国だけれど、竜聖女が探されているのであればエルシーはもっと遠くに逃げなければならない。面倒ごとに関わるつもりはなかった。
すでにエルシーは竜聖女ではない。竜妖精が討伐された瞬間に、エルシーの竜刻も跡形もなく消え去った。
竜妖精がすでに亡くなっているのに元竜聖女ができることなど何もないし、ディンブルビー王国に見つかったりしたらろくなことにはならなさそうだ。
デボラの弁舌にエルシーは全く歯が立たなかったので、エルシーは元々貴族社会には向かないのだろう。いま王国に引き戻されたところで、また訳がわからないまま色々な責任だけを押しつけられる未来しか見えなかった。
ぐっと伸びをする。コーヒーの最後の一口を啜ってゴミをゴミ箱に放り込み、エルシーは歩き出した。
貴族になんぞ関わるもんじゃない、と祖母はいつも言っていた。小さな頃はエルシーもきらきらとしたお姫さまに憧れていたけれど、今では心から、祖母に同意する思いなのだった。
わたし体言止めのタイトルってあんまり使ってない気がするなあ、と思って見返してたら意外と普通に使ってましたね。気のせいでした。えへへ
このところざまぁ小説やら姉妹格差小説やらは書いておりましたけれど、悪役令嬢小説らしい悪役令嬢小説を書いたのは久しぶりではないかしら。まぁ相変わらず悪役令嬢が勝つとは限らないのですけれどね! 悪役令嬢には前世の記憶があり、ヒロインには前世の記憶がない単なる現地ヒロインです。表現できてたかしら
元々は『明らかに人間にとって害悪な人外(神でも精霊でも妖精でも)がいて、だから人間はその人外を討伐したけれど、でも実はその人間にとって害悪な人外も世界にとっては必要な役目を担っていただけなので、人外が討伐されたことで巡り巡って人間が困ることになる』みたいなお話を書いてみたくて、考えているうちに『これ悪役令嬢小説の類型に当てはめられるんじゃね』とティンときたのでそれっぽく形にしてみました
悪役令嬢のデボラちゃんはそこまで悪いことはしていないのだけれど、強いて言えば前世の記憶に引きずられすぎて『妖精の一匹くらいおらんでもどうとでもなるやろ』と軽く考えてしまったのが良くなかった。まぁ諸悪の根源が父公爵であると言われれば それは そう
【追記20251206】
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