英雄と共に
テクニカルシティ近くの密林地帯。
科学の街であると同時に自然保護にも勤しんでるテクニカルシティは、自然と科学を共存させた土地。この密林もまた、人間達の活動によって守られた場所だ。
この辺りの土は魔力が宿っており、何本木を切り倒してもすぐに再生を続ける。それ故に戦士達の技の試し打ちの場となる事も多い。
自然破壊から守り続けてきた結果、いくらでも自然破壊を許容する場に成り果てていたのだ。
その日、一人ナイフを振り回し、時々蹴りを仕掛けながら木々を倒していく女が一人。
ラオンだ。
「おっ、また再生したな!よっしゃあ!!」
何度折られても再生する木々へ、彼女は息つく間もなく攻撃を仕掛けていく。巨大な質量が容易くへし折られる音が何度も響き渡る。
一度に三本の大木を切り倒し、ようやく一瞬だけ動きを止めた。
この場所は斬撃が得意な彼女にはちょうどいい修行場だ。
「はぁ、はぁ…」
本日五百三本目を切り裂き、ようやく息を切らす。
結果、木の再生力が打ち勝ち、彼女の周囲には依然として無数の木々が立っていた。
「よっしゃー!まだまだ足りねえぜ!どんどん切り倒す…」
刃を振るう手が止まる。
背後から、もう一つの刃…殺意を感じとったのだ。
何かがこちらを狙ってる。
今日は修行だけに留めようと思っていたところだが、殺意を向けられては致し方なかった。
「っ!!」
振り返りざまにナイフを振るい、背後からの急襲を防ぐ。刃同士が接触する、甲高い音が響く。
現れたのは、人間以上の大きさの大蛇だった。
ただの大蛇ではない。尾の先には刀が巻き付けられており、それを器用に扱っている。
「刀使いの蛇か。変な野郎め」
ラオンは一歩踏み込み、刃を更に振るう。今度の相手は木ではなく、動ける標的だ。
大蛇は見てくれ通り戦闘に慣れているようで、無駄なく首を動かし、攻撃を回避する。しなやかな体格故に次の一手が分かりづらい。
「なら…リングで囲うしかねえ」
ラオンのナイフに紫電が迸る。
風に乗るような勢いで刃を振るい、周囲に紫電を展開。刃から離れた紫電はボクシングのリングのように両者を囲い、戦闘の範囲を狭める。
こうなれば、至近距離からの斬りあいのみだ。
動き回れなくなった大蛇は、心なしか表情を歪めたようにも見えた。
互いに意識を刃に集中し、息をするかのような慣れきった動きで振るい合う。肉眼では視認できない速度で刃が交差し合い…。
「そこだ!」
瞬きで隔てられた時間差。
その一瞬で、ラオンのナイフが大蛇の首元へ命中した!
威力は抑えている。それでもその切れ味は高く、大蛇の鱗にも切り傷が刻まれた。
大蛇は力なく全身を垂れ下げる…殺意もまた、抜け落ちていた。
数分後…大蛇は完全に殺意をなくし、ラオンの近くでとぐろを巻いていた。
「お前、情緒不安定だな。さっきは殺さんばかりの勢いだったのに、今じゃ昔からの仲間みてえじゃねーか」
岩に腰掛け、両手を頭の後ろで組むラオン。彼女もまた大蛇への敵意は完全に失せており、今では靴を脱いだつま先で器用にナイフを回すという離れ業で適当に時間を潰している。
ふと、大蛇の視線がどこかへ集中し始めた。今の今まで落ち着きなく周りを見渡していた眼球が、明らかに何かを捉えたものに固定される。
「…どうした」
大蛇は這い始めた。ついてこい、とばかりに。
ラオンは素直にそれについていく。どうせ元から、明確な目的は修行くらいしかなかったのだ。思わぬ好敵手に付き合ってやるのも悪くない。
大蛇は、ラオンがこれまで足を踏み入れてこなかった場所まで無遠慮に突き進んでいく。
景観こそ変わらないが、鳥の鳴き声が少なくなっていき、やがて消えていく。まるで、何かが眠っており、それを起こす事を恐ているかのように。
数分、無言で歩き続けたラオンが…口を開く。
「…なんだこれは」
大蛇に案内された先には…墓が建っていた。
既に誰かがそこに訪れたのか、その前には供え物や花が飾られている。
墓石の近くには、背の高い石碑が立てかけられてある。そこには、何かの伝承のようなものが書かれていた。
[伝承をここに記す。遥か昔、かの地を蹂躙せし大蛇あり。大蛇、死闘の末に英雄によって敗北し、英雄と共にありけり]
大蛇…。
ラオンは、すぐ横の大蛇に目をやる。
今この状況で大蛇と言えば、共に石碑を見つめてるこの戦士の蛇を置いて他にいない。
「…でも伝承っつー事は相当昔の出来事だろ?お前がこの伝承の大蛇本人なんて事はねえよな。子孫か何かか?」
大蛇は反応を見せず、石碑を見つめ続けている。そもそもここにラオンを呼び出して、何をしてほしいのか。それが分からなければ、黙ってここから離れるのも気まずい。
明らかに何かをしてほしいという意図。が、それが何なのか分からないというもどかしさ。
暴れたがりのラオンは、こういう状況が大の苦手だった。
そんな彼女のもとへ、救いの声…と言うと大袈裟だが、少なくとも大きな援助となる声が降りてくる。
「その大蛇は正真正銘、伝承に伝えられていた個体本人ですよ」
声の主は、石の上に腰掛けていた。
ラオンはナイフを片手に身構える。
大蛇もまた、その声の主に体を向ける。それまでの得体のしれない佇まいから一転して、蛇らしく舌をちらつかせた。
現れたのは、黒と紫が入り交じったローブを身に羽織った男だった。
手には槍が握られている。ローブの隙間から覗く腕は細く、白い。弱々しい姿ではあるが、何とも言えぬ、警戒を怠らせないようなオーラが周囲に放たれている。とは言え、その声は柔らかい。
「あんた何モンだよ」
ラオンは気軽に出てみるが、ナイフを持つ手を下ろしはしない。そんな彼女の闘志を外から抑えつけるかのように、男は両手を振りつつ槍を地面に置く。
「私はその石碑に刻まれた英雄と共に戦った戦士の一人であります。その大蛇と共闘した機会はありませんが、英雄を支える護衛役としてそれなりに名を馳せた者でもあるんですよ。ただ、かつての名前は忘れてしまいましてね」
「名前を忘れた?ふざけてんのか?」
鼻で笑いながら、自然と大蛇の前に立つ。男は立ち上がり、単刀直入にこういった。
「その大蛇の目的は…その英雄を探す事です」
「え?英雄を探す?」
ラオンは
「いやいや、その前に待てよ!こいつが伝承の大蛇本人とか言ったけど、この石碑は見たところかなり大昔の記録を残してる。大蛇も英雄も寿命で死んだんだろ?」
男はどこか呆れたようなため息を混ぜながら石から降り、ラオンに歩みよる。
「彼らは、毒を使ったんですよ。わざと細胞を毒で浸かし、耐え続け、逆に細胞を活性化させる。それを繰り返し続けた事で、驚異の生命力を得たのです」
生命を削るはずの毒で命を長らえるとは、その話をそのまま受け入れるならば、流石英雄、考える事が違う…等と賞賛を送るべきだろうか。
その毒により、その英雄も、隣の大蛇も今この時まで生き続けている。
そして大蛇は、英雄を長きに渡って探し続けている…。
「…その墓も、英雄の死を偽装して悪党が作ったもの。もし彼が生きていると知られ、人々が彼に頼っては、多くの悪の組織が危機に晒されるでしょうからね」
「そんな強いやつなのか…」
ニヤリと口角を上げるラオン。やはり着眼点はそこだった。この話をれなが聞けば、喜んで乗ってきた事だろう。
「よし。蛇野郎!その英雄、アタシが一緒に探してやろうじゃねえか。何か手がかりはねえのか?」
「それがですね。実はとても有力な情報があるんですよ」
当然、答えたのは大蛇ではなく男だった。ラオンは目だけを男の方に向けたまま、黙って彼の言葉を聞く。
「ここの近くの毒沼地帯で、彼らしい人物を見かけたという話があるんです。忘れられていた彼の存在が再び人々に認知され始めた…それで、そこの大蛇はその僅かな可能性にかけて多くの戦士に戦いを挑み、その実力や剣さばきを確認し、その英雄さんかどうかを見定めてきたのです」
ラオンは目を細め、大蛇にもう一度視線をあわせた。
蛇特有の無機質な目が、尾先の刀の光を映し出して怪しく光っている。
「お前、あの戦いは確認する為だったのかよ。殺意バリバリだったぞ」
「そりゃ、本気でかからないと相手の力を完全に引き出せないですしね」
なんと物騒な相棒だろうか。
男はやはり戦士のようで、飛行能力を持っていた。彼に導かれるまま、ラオンは大蛇を抱えてその後ろから飛んでいく。
石碑のあった広場が離れていく。大蛇は心なしか、寂しげな表情でそれを見つめていた。
緑の木々が眼下に散らばる。
あの木々の下に、目的の英雄がいる可能性も無きにしもあらず。
確実な根拠のない不安を払い除け、ただ黙々とついていった。
男は一言も発さない。黒いローブがなびく様は、死神のように不気味だった。
(まあ、死神は見慣れてるけどな)
ラオンの脳裏に、ドクロとテリーの顔が浮かんだ。
大蛇の重みも忘れ、しばらく無心で飛び続けていき…。
目的の毒沼が見えてきた。
多くの穴が地面に空いており、その穴の中に粘り気のある紫の沼がいくつも見えてくる。
見るからに、毒沼だった。
「英雄って野郎もどうしてこんな場所に出て来やがるんだ?」
ラオンの問いに、男は答えない。
淀みきった空気が立ち込める中、三人は地上へと降りていく。
見渡す限りの毒沼達…。むせ返るような腐臭。
どうやら生物の死体が沼に混じっているらしい。かなりの時間放置され続けてきたようで、蝿がたかる音がここまで聞こえてくる。
「伝説の英雄様がいるとは思えねえな。噂を立てたやつも悪趣味だぜ…」
「ですが噂も侮れませんよ。噂一つで解決した難事件もあるそうですから」
男はラオンと蛇の前に降り立ち、毒沼同士の隙間を掻い潜りながら周囲を見渡す。
そして…毒沼が泡立つ音にかき消されんばかりに小さな声で、彼は呟いた。
「まあ…所詮噂にすぎない、という事もありますがね」
「…どういうことだ?」
途端に、ラオンの身に悪寒が走った。
汚れた大気の中に、何かが通り抜け、まっすぐにラオンの元へと飛んでくる!
「畜生っ!!」
飛んできたのは…クナイだった。
先端に紫色の毒が塗りつけられてあるのが、僅かに見えた。もし当たれば、アンドロイドであるラオンの皮膚にも何かしらの深刻なダメージがあったかもしれない。
こんな物が唐突に飛んできて真っ先に出た言葉は、「畜生」だった。
「ふふ…よく避けましたね」
この男…先程から怪しい気はしていたのだ。
彼はゆっくり振り返り、手元のクナイをちらつかせる。
「本性を現したか!!テメェ、あたしらをこんな場所へ呼び出して何の真似だ?英雄の話も嘘だったのか!?」
「お馬鹿な人達ですねえ。いや、一人は蛇ですが」
男は毒沼の近くに移動し、沼の中に槍を侵かし始める。何かの攻撃の準備だろう。ラオンは大蛇を守り、ナイフに紫電を集め始める。
男はその紫電に怯み一つ見せず、横目でラオン達を見つめる。嘲笑うような視線…いかにも、騙されたな、と言いたげな邪悪な目。
「一から説明しましょうか。まず、英雄は既に死んでいます」
槍が少しずつ紫色を帯び始めた。沼の毒を槍に溜めているのだろう。
「そこのお馬鹿な蛇さん…その子はかつてとある村を襲い、毒で人々を苦しめてきました。そこへその子を懲らしめに現れたのが、英雄という訳です」
あの石碑に書かれていた通りだ。
その時にこの大蛇は英雄と戦い、敗北し、その戦いをきっかけに戦友となった。以降、両者は互いの力を合わせ、戦いの日々に明け暮れたのだろう。
そして、生涯の果てに英雄は戦死、大蛇は毒を利用する事で生き続け…。
と、ラオンが一通りの流れを頭で整理していたところ、その情報を一気に崩しにかかる言葉が男から語られた。
「英雄と蛇は共に戦い、旅をしました。そして…その果てに、英雄は私によって、あっさりと暗殺されたのですよ」
「…なんだと?」
槍が沼から引き離される。その先端からは紫の液体が滴り、ヌルリと、穢れた水面へ還っていく。
毒を纏った槍を躊躇なく向ける男。細い腕は魔力で強化されているのか、重そうな槍を軽々と持ち上げる。
「そう。私が、殺したのです」
大蛇はかつて、村を襲う悪しき蛇であった。
そんな中、大蛇は英雄と呼ばれる男と戦い、敗北を知った。
大蛇は英雄に従い、互いに旅をした。
その旅の末…大蛇に、敗北という[生涯の可能性]を学ばせてくれた英雄は、暗殺された。
英雄と呼ばれてるだけあり、名を馳せた存在だったのだろう。その命を狙う輩は多かったはずだ。
目の前のこの男…そいつは英雄殺しの名を持つ存在だった。
「先程、毒による長生きの秘訣を申し上げましたが、あれ自体は実在する延命法ですよ。現に、私はこの日まで生き延びてきたのです」
この時、ラオンは気づいた。槍が向けられてるのは自分ではなく…。
「改めて自己紹介を…。ワタクシは毒奪の狩人!毒のエキスパートです!」
滑走するような動きと共に、槍を大蛇目掛けて突き出す狩人!
間一髪、それを察知したラオンがナイフで槍を弾く!
狩人はローブから紫色の毒瓶を取り出し、投げつけてくる!
「くっ!危ねえマネしやがる!」
ラオンは後ろに飛び退く。目の前に滴り落ちる毒液。瓶が着弾し、割れると同時に槍が突き出される!
首を軽く捻って槍を回避、お返しに蹴りを仕掛ける。狩人は細身の体格通りあまり打たれ強くはないようで、簡単に怯む。
「ぐっ…」
痛みに堪えながら繰り出される更なる槍の反撃に、ラオンは気を抜けない。
隙をつき、狩人の鳩尾に蹴りを仕掛け、ナイフを振るう。銀の刃が掠め、狩人はようやく膝をつく。
…が、相手は長い年月を数えてきた存在だ。
「ふふふ…毒で鍛え抜いたこの身体、あなたが思ってる以上に頑丈な細胞で構成されてるんですよ」
平然と立ち上がり、膝を軽く払う。急所への痛みなど初めから無かったかのように、狩人は槍を頭上に掲げて振り回す。
その視線はラオンに向けられていたが…殺意の方は別の方向に向けられていた。
「私の狙いは初めから一人のみですよ!!」
また、あの滑走移動だった。更に、今回は移動と同時に毒瓶を投げつけてくる!
ラオンの意識が逸れる。その隙に狩人は、自身が狙っていた最大の敵と目を合わせる。
「死ねっ!!」
飛沫が飛び散る激しい音が、毒沼の大気を一瞬透き通らせた。
…狩人の槍が、大蛇の首を貫いていた。
「しまった…!」
ラオンの目が震えた。
大蛇の首からは…真っ赤な血が滴り落ちる。
その血は大地を伝い…近くの毒沼へと流れていく。
大蛇の反応は、意外なほどに薄かった。
蛇特有の無機質な表情から感情を読むのは難しい。だが、それにしてもその反応は不自然だった。
まるでこの事態を予想していたかのような…何かを待っていたような、そんな反応。
狩人は槍をより深く抉りこみながら、下品な笑みを見せた。
「…大蛇よ。あなたの相棒…英雄さんは、あの時どうやって死んだか、覚えてますか?」
大蛇の目が、狩人に向けられる。
「旅の日々の、何てことのない夜。英雄さんはあなたと親しげに…そして、楽しそうに話していましたね」
大蛇の目は、動かない。
村を襲うだけの邪悪な存在だった自身を、仲間として認めてくれた英雄…。
いや、彼が自身を邪悪な存在ではなく[戦士]として認めてくれたように、大蛇もまた、英雄ではなく[戦士]と心の中で呼ぶあの男。
「私は木陰で聞いてましたよ。さっきの戦いではよくやった、今日の飯は美味いか…。下らない会話ばかりでしたねえ」
お前は強い。
人間なんかより頼りになる。
お前は最高の相棒だ。
そんな簡単な言葉が、長い歌のように、大蛇の脳裏に残っていた。
「そこで…私は、[毒奪の狩人]の名の通り、こんな方法で彼を殺したのですよ」
槍を持つ手に、力がこもる。
「密かに私はあなたの毒を奪い…英雄が持っていた水へと垂らしたのです。…つまり」
狩人は声を跳ね上げる。
「彼はあなたの毒で死んだのですよ!!」
その声を聞けば分かる。この狩人はこれまでの人生の中で、ずっとこの言葉を投げかけたかったのだ。
…この時、はじめて気づいたのだが、狩人の顔には傷跡が刻まれていた。
額を裂くように刻まれた、赤い傷跡。
「…私はですね。大蛇。あなたが襲った村の村人だったんですよ。これはその時にあなたにつけられた傷です。当然、あなたを憎みましたよ…。なのに、村を救った英雄…あの男は、あなたの強さを認めて仲間に引き入れるという愚行に出たのです。本当に憎らしかったですよ。殺してやりたいぐらいに…!」
この時、槍には少しずつ…血とはまた異なる赤みを帯びた液体がこびりつきはじめていた。
それは、大蛇自身の毒だった。
「ふふふ、懐かしい色です…。さあ、あなたの毒は採取完了です。これよりこの毒を調合して…あなた自身を殺して差しあげますよ」
彼なりの、血と毒で濡れた復讐劇。
それは、今最後の標的を貫こうとしていた。
…しかし。
「…っ!?ぬ、抜けない!?」
槍が、巻き付かれたように抜けなくなった。
それだけではない。大蛇の目に…何かが戻ったのだ。
先程までは微塵も感じられなかった、宿敵に対する怒り、憎しみ、そして…。
覚悟の悲しみ。
「ま、まさか…私の槍の毒を吸収してるのですか…?」
狩人は打ち震える。
たった今、突き刺した事で大蛇の体内へ突き刺さった槍は、大蛇が所有する毒を採集していた。
しかし、それと同じように大蛇自身も、槍に備わってた毒を奪い取っていたのだ。
毒を持って毒を制す。
その言葉が、ラオンの頭に自然と浮かぶ。
大蛇の目が、一つのものに染まり、固定された。
それは…怒りだ。
大蛇の口が開かれる。唾液と毒液が、白い牙から滴り落ち、狩人の頭上を突く。
「や、やめ…」
大した理由もなしに人の命を奪った輩は、同じ目に遭う可能性も考えなくてはならない。
それを、この狩人は怠った。
長年、大義もない憎悪に執着した者の最期は…。
いや、最後は。
「ぎゃ…」
頭を噛まれ、血が流れ落ちる。
狩人は白目を剥き…そのまま仰向けに倒れてしまった。
ラオンには分かる。今、大蛇が使ったものは…。
「…全身麻酔…?」
大蛇の体もまた、倒れ込む。
「お、おい!」
ラオンは大蛇に駆け寄り、抱き起こそうとする。
大蛇の目が、また変化を見せていた。
つい先程出会った頃には全く感情が読めなかったその目…過去を知った今は、視線さえ合わせれば瞬時に内心を読み取れた。
それは…虚しさだった。
かつて村を襲撃していた頃の大蛇であれば、あのまま狩人の頭を噛み潰していた。
しかし…英雄から教わってしまった。
優しさ、慈悲を。
恐ろしい怪物として知られていた大蛇すらも自らの仲間に引き入れた、優しい英雄から…。
彼と出会った事が、彼の仇を討てなかった要因となってしまっていた。
大蛇の目が、輝く。
「…」
ラオンは、大蛇の尾から、刀をそっと引き抜いた。
そして、顔の横へと添える。
「…相棒を探す為に、お前は孤独に彷徨い続けてきたんだな」
また、次の感情を悟る。
大蛇は、何かを求めていた。
震える尾が、ゆっくりと…大蛇自身の首元を示す。
ラオンは、刀を手に取った。
それから数日後の事だ。
この地を訪れた戦士は、とある変化を目撃する。
森には、英雄の墓と隣り合うように、もう一つの墓が建っていた。
そして、例の石碑…。そこに、新たな文章が刻まれていた。
[伝承をここに記す。遥か昔、かの地を蹂躙せし大蛇あり。大蛇、死闘の末に英雄によって敗北し、英雄と共にありけり。慈愛を知りし大蛇、死闘の果てに倒れ、英雄と再会す]
墓の前には…刀が添えられていた。
二人の戦士は、森の奥で、ひっそりと再会を果たしたのだった。




