ツラヨゴシ
テクニカルシティ、ワンダーズの事務所から、大きな人影が歩み出る。
黒いスーツを優雅に纏った粉砕男だ。いつもはインナーやタンクトップ姿の彼だが、その日は普段よりも高級なスーツに身を通していた。
最近彼が助けた人物が、偶然大富豪だったのだ。その富豪は、自分を助けてくれた粉砕男にお礼をしたいと半ば強引に彼を誘い出した。
はじめ粉砕男は断ったのだが…。
「お礼を受け取らぬと言うならば…」
無数のSPに銃を突きつけられ、従うしかなかった。
富豪の屋敷となれば、それなりの格好をして向かわねばならない。
少なくとも数年は着る事はないだろうと考えていたスーツ…事務所のクローゼットにかけられていたところを引っ張り出し、今に至る。
れなと葵に見送られ、彼は事務所の玄関を出る。
「じゃあ、行ってくるよ」
「もみあげ貰ってきてね」
「もみあげじゃなくてお土産よ、れな」
れなと葵の流れはいつも通り。
軽く笑いながら、粉砕男は出かけていく。
塀に囲まれた通路を歩いていく。
行き慣れた通路、住み慣れた街。
いつも通りの光景を、今のうちに目に焼き付けておく。
金持ちの屋敷など、人工生命である彼には何の縁もない場所だと思ってきた。それほどまでに、そういった黄金の世界は彼にとって未知であり、それ故慣れぬ環境となるだろう。
だから、何気ない光景も目に通す。
そんな無意識の行動の中での出来事だった。
「おうおう、いいもん羽織ってるな」
足を止める。
曲がり角から…何かがぬるりと現れる。
現れたのは…人型のモンスター。
黒く、小さく、なのにやたらつぶらな瞳。
背中には小型のタンクを背負っており、そのタンクからは長いホースが伸びている。
「な、なんだお前は…?」
必要最低限の粉砕男の問い。相手のモンスターの得体が知れない事もあって、できるだけ刺激しないように…。
が、そのモンスターはあろうことか…ホースを向けてきた。
「っ!」
嫌な予感がした。
だが、いつもの戦闘における嫌な予感とは、何かが違っていた。
ホースから噴き出したのは…泥水だった!
粉砕男は体を横にひねり、間一髪回避する。泥水はコンクリートの地面にぶつかるなり勢いよく飛散し、危うくスーツに飛沫がつきかけた。
まさしく、ヒヤリという言葉が似合う攻撃だった。一秒遅ければ、高い金を払ったこのスーツが台無しになっていたところだ。
「ほーう、よくかわしたな。闇姫軍屈指の泥かけ技術を持つ俺様…ツラヨゴシ様の攻撃をかわすとは」
ツラヨゴシと名乗ったモンスターは、休む暇もなくホースを構える。次に狙うのは、粉砕男の顔だ。
また放たれる泥水。次も何とかかわしたが、後ろを通っていたサラリーマンに直撃してしまった。
「ぎゃあああ!!」
サラリーマンは当然汚れ…いや、汚れるどころか水圧で吹き飛ばされ、塀を突き抜けて飛んでいってしまった。
ツラヨゴシは見たところ、そこまで恵まれたような体格ではない。殴れば一撃で倒せるだろう。
しかしスーツという人質が囚われている今、単純な動きで仕掛けるのは怖い。
とにかく今は避けるのが先決だ。
「闇姫様から、街に何かしらの迷惑をかけろとのご命令を受けてここまでやってきたが…まさかワンダーズが高級そうなスーツを着てるとはな!何だ?大事な用事でもあるのか?」
挑発するように捲し立てるツラヨゴシを無視し、粉砕男は腕時計を見た。
実は、時間指定までされているのだ。時間を大目に見て早めに事務所を出たは良いが、このまま戦闘が長引ければ遅刻は避けられない。
(くっ…やはり早く片付けるしかないか!?)
また泥水が飛んでくる。
泥水自体は簡単にかわせるが、飛沫が問題だ。まだスーツが黒く染まっているのは軽く奇跡に近い。
(…!そうだ!)
アイデアは、偶然視界の隅に映ったあるものによって浮かんできた。
それは、コンビニだった。
この状況を打破できる、とある物がコンビニに備わっているのだ。
彼はポケットを探る。幸い、財布は持っている…。
(スピード勝負だな…!!)
ツラヨゴシの更なる泥攻撃を回避し、一瞬にしてコンビニへと入店する。
自動ドアが完全に開き切るより前に、大きな体を滑り込ませての入店だった。
彼の目的…それは、ビニール傘だ。
瞬時にビニール傘の置き場を見つけ、手に取り、レジに置き、金を払い、受け取り、そして退店。
これを、彼は神速と呼ぶべき速度で行った。
レジが混み合ってない事、そして店員も彼の速度に対応できる事…これらの条件が必要となる賭けであったが、何とかクリアできた。
そして、退店時。
自動ドアをくぐると同時に…ツラヨゴシは飛びかかってきた。
空中へ飛翔し、ホースを構える。
後光に照らされる姿は華麗だが、泥水をかけようとしているだけ、という動機のせいでちっとも締まらない。
「くらえ!」
「させるか!」
二人の声は、ほぼ同時だった。
粉砕男は…買ったばかりのビニール傘を広げ、泥水を受け止める!
コンビニの傘は非常に頑丈に作られているらしい。人一人吹き飛ばす威力の泥水を、完全に受け流す事に成功した。
ツラヨゴシは目を丸めつつも、更なる一撃を仕掛けようと、泥水を発射する。
「もうその攻撃は読めた!!」
広げたビニール傘をそのまま突き出し、ツラヨゴシを突く。放たれた泥水はそのままツラヨゴシに跳ね返り、文字通り面を汚す事となった。
間髪入れずにツラヨゴシの首根っこを掴み、地面へと叩きつける。コンクリート片が飛び散り、その衝撃で付近の建物が揺れ動く。
ツラヨゴシは…動かなくなる。
何とか戦闘不能に追い込んだようだ。
「やれやれ…だが何とか時間には間に合いそうだな」
改めて腕時計を確認する。
待ち合わせ時刻より三十分前。これなら何とか間に合いそうだ。
ヒヤヒヤさせられた戦いだった…。
「よし…行くか」
足早にその場から去ろうとしたその時…!
「うっ」
苦しげなうめき声をあげたのは、倒れていたツラヨゴシだった。
驚いた粉砕男は振り返り、歩み寄る。
「お、おい。大丈夫か…」
彼の優しさが、仇となった。
「お゛ええええええ!!!!!」
突然だった。
ツラヨゴシは勢いよく立ち上がると同時に、口から大量の泥水を吐きかけてきた!!
「うごっ!?」
流石に避けられなかった。
粉砕男はその、最後の切り札である泥水砲に全直撃…顔も手足も、全てが泥まみれにされてしまった。
ツラヨゴシは憎たらしく笑うと、その場から走り去っていった。
戦いには負けたが、任務は完遂した。これで彼は闇姫にも顔向けできるというものだ。
「…あー」
全身、泥まみれ。
勿論スーツも無事ではない。黒い部分など一片も残らず、陽光で光り輝く泥で埋め尽くされてしまっている。
しばらく、彼はその場に突っ立っていた。
こんなに汚されてしまって、さてどうするべきか…。
今からスーツを買いなおす時間はない。事務所に戻る時間もない。そう、とにかく時間がない。
「…」
しばし、不気味なほどに沈黙。
相手の富豪は、かなりの短気だ。
遅れます、と電話をかければ何をされるか分からない。
そんな時だった。
とある奇妙なアイデアが浮かんだのは。
「…このままいくか」
そう、この茶色一色のスーツ。案外誤魔化せそうなのだ。泥水の色は濃く、上手い事[外装]となってスーツを隠してくれている。
ブラウンのスーツと偽れば…何とかなるかもしれない。
一か八か。
計算高いはずの彼は、らしくもない賭けに出てみる事にした。
泥の感触を気にしないように、できる限り自然な足取りで、屋敷へと歩を進めていく。
結果。
「そんな泥まみれでワシの縄張りに上がり込むなぁぁぁぁぁ!!!!!」
失敗だった。
門をくぐるなり、ひげ面の富豪の怒りを買ってしまったのだ。弁解の余地なく、粉砕男は殴り飛ばされた。
屋敷の上空へと派手に吹き飛ばされ、舞った後…。
彼は、ワンダーズの事務所へと墜落した。
「あら、粉砕男。おかえり」
丁度紅茶を飲んでいた葵と、シシャモを食べていたれなの間…テーブルに頭から突っ込んだ。
床にめり込む彼の服の埃を、葵は払ってあげる。
「うわ、泥だらけじゃない。早くお風呂入りなさいよ」
「アハハハハハ!!粉砕男も泥遊びとかするんだぁー」
良いことをしたはずなのに、何なのだ、今日という日は。
粉砕男は床の下で、珍しく泣いていた…。




